『ゴブリンスレイヤー』外伝【幻声哀歌編】   作:いっかず

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第42話:第三次深淵の岬攻略作戦

荒れ狂う波音と、絶え間なく響く不吉な旋律が交差する「深淵の岬」。

その入り口に敷かれた王国軍の陣地で、金等級の冒険者たちが、いよいよその実力を解放しようとしていた。

 

岬の監視塔から、不気味な魔力の波紋――セイレーンの歌の予兆が広がり始めた、その時だった。

「――させないわ!」

半森人神官が、静かに瞳を閉じ、銀の聖杖を天へと掲げた。彼女の全身から溢れ出す清冽な魔力が、暗い空を切り裂くように白銀の光柱となって立ち昇る。

 

「《汝らに、黙秘の光あれかし(ライト・トゥ・リメイン・サイレント)》」

 

同時に、隣で古びた魔導書を広げた大魔道士が、地面を震わせるほどの重厚な詠唱を響かせた。

 

「《理の糸を解きほぐせ。織り成されし因果を、あるべき虚無へと還元せよ!》」

 

奇跡と魔法の二重詠唱(デュアル・キャスト)。

神聖な沈黙の結界の上に、さらに魔力を中和・霧散させる解呪の網が重ね掛けされる。二つの術が完全に同期し、監視塔をすっぽりと「無音と無魔力の檻」に閉じ込めた。

 

「なっ……! この距離から、あれほど広大な岬全域を完全に封じたというのか!?」

 

騎士団将校が、信じられないものを見たという顔で絶句した。

軍の魔導師百人がかりでも展開不可能な規模の超広域結界。これが、死の迷宮を踏破した金等級の力。

 

「驚いている暇はないぞ」

最前列で大剣を肩に担いだ虎人戦士が、鋭い牙を見せて告げた。

 

「この強引な二重結界、術の持続時間はせいぜい30分だ」

 

「時間が来たら再びかけ直すが……6回までだ」

戦鎚使いが、自らの巨大な得物を手に、獰猛な笑みを浮かべて補足する。

 

「つまり、30分ごとに一瞬の隙が生じる。その時は俺たちが前衛を張り、術師の二人を死守する」

 

完璧な封殺。

第一次の物理的な防音とも、第二次の死者の耳とも違う、「歌という事象そのもの」を世界から切り離すという、金等級にしか成し得ない神業。

監視塔は不気味なほど沈黙し、海鳥の鳴き声すら聞こえなくなっていた。

 

「……3時間。3時間が勝負だ!」

騎士団長が、抜刀した剣を真っ直ぐに岬の塔へと向けた。

 

これまでの惨敗で地に塗れた騎士の誇りを取り戻す、最後のチャンス。敵の最大の武器である「歌」が封じられた今、教団の狂信者どもを物理的に叩き潰すしか道はない。

 

「突入を開始せよ! 今度こそ、あの忌まわしき邪教徒どもに、王国の正義と鉄槌を下すのだッ!!」

 

「「「オォォォォォォォォッ!!!」」」

静寂を取り戻した岬へ向けて、王国軍の精鋭が一斉に突撃を開始した。

 

――深淵の岬、監視塔の内部。

先刻まで教団兵たちの足音や魔導機械の駆動音で満ちていた空間が、突如として「完全な真空」に放り込まれたような異常な無音状態に陥った。

 

(――ッ!? 声が、出せん……!)

クロスボウを構えようとした教団兵が、喉を押さえて目を見開く。声帯を震わせても、空気は一切の振動を拒絶していた。

 

(呪文が編めない! 触媒が反応しない……術が使えないぞ!)

教団魔導師たちもまた、杖を振るいながら顔面を蒼白にさせていた。

 

(……詠唱を封じる『沈黙(サイレンス)』の奇跡に、術を無効化し魔力を散らす『解呪(ディスペル)』の重ね掛け……。あの距離から、これほどの規模と密度で展開するなど……ッ!)

 

教団幹部は、窓の外を埋め尽くす白銀の光を睨みつけ、冷や汗を流した。音も魔法も封じられた完全なる無力化空間。

 

(まずいぞ……! このままでは、セイレーンの歌が完全に封じ込められてしまう! 奴らが塔に突入してくれば、魔術を封じられた我らでは防ぎきれん!)

 

幹部が焦燥に駆られ、非常時の合図を送ろうと振り返った、その時。

部屋の奥、豪奢な椅子に深く腰掛けていた司祭が、ゆっくりと手を挙げて制した。

 

『――落ち着きたまえ、諸君』

 

声なき空間の中、司祭の言葉が幹部たちの脳内に直接、思念として響き渡った。

 

『なるほど。……流石は、魔神王の直属たる魔神将を討ち取っただけのことはあるようだ。力押しの軍隊とは違い、理で我らの首を絞めにきたか』

 

司祭は窓の外――塔に向かって突撃してくる王国騎士団と、結界を維持する金等級の冒険者たちを見下ろした。

 

『……だが。彼らは根本的な勘違いをしているよ』

 

司祭の視線が、部屋の中央で静かに佇むセイレーンへと向けられる。彼女の喉に刻まれた紋章は、解呪の光を浴びてもなお、どす黒く脈動を続けていた。

 

『セイレーンの歌は……真言を唱えることによって行使する「魔法」や、信仰する神や祖先から賜る「奇跡」とは、根本から違うのだよ』

 

司祭の目が、狂気に細められる。

 

『彼女の歌は、絶望に焼かれた魂が直接放つ「拒絶の振動」。……大気を震わせる物理的な音ではなく、他者の魂の底にある傷を直接揺さぶる「精神の悲鳴」なのだ。……音を消し、魔力を散らしたところで、「魂の悲鳴」まで止めることはできない』

 

司祭の薄笑いが、静寂の塔の中で最も悍ましい毒となって広がる。

 

『さあ、聴かせてあげたまえ。私の歌姫』

司祭の思念が、セイレーンの絶望を叩き起こす。

 

『正義を掲げながら、君の悲鳴に耳を塞いだ英雄たちへ。……本当の地獄の音を』

 

セイレーンが、音の存在しない空間で、ゆっくりと唇を開いた。

 

――深淵の岬、監視塔へと続く一本道。

荒れ狂う波の音すらも完全に消え去った「絶対静寂」の結界の中を、白銀の甲冑を纏った王国騎士団の精鋭たちが、怒濤の勢いで駆け抜けていました。

 

「よし!あの死の歌は響かないぞ!」

 

「これが、死の迷宮を潜り抜けた金等級の力か……! さすがは本物の英雄だ!」

 

騎士たちは、これまでの二度の作戦で味わった恐怖を払拭し、勝利への確信に満ちていた。

 

「急げ! 彼らの術も無限ではない! 今のうちに邪教徒たちを一人残らず討ち果たすのだ!!」

騎士団将校が、声なき号令と共に剣を振りかざし、塔の入り口へと殺到する。

勝利は目前。

塔の重厚な扉まで、あと数メートルまで迫った、その瞬間。

 

『――――――――♪』

 

突如として、騎士たちの足が一斉にピタリと止まった。

空を覆う「沈黙」の結界は、一切破られていない。物理的な音は、何一つ鳴り響かない。

だというのに。

彼らの「脳髄」の内側で、鼓膜を突き破らんばかりの、耳障りな不協和音が爆発したのだ。

 

「……え?」

扉に手を伸ばしていた先頭の騎士の動きが、ピタリと止まった。

次いで、将校の足がもつれ、前のめりに泥の中へ倒れ込む。

 

「な、なんだ……!? 頭が……っ、俺の頭の中に……!!」

 

音ではない。それは、魂を直接揺さぶる「絶望の共鳴」。

騎士たちの視界から、灰色の塔と暗い空がぐにゃりと歪んで消え去った。

代わりに彼らの眼前に広がったのは、自分たちが心の奥底に隠し、鍵をかけていたはずの「最も見たくない過去」。

 

『……どうして、私を見捨てたの?』

 

『助けてって言ったのに……お前は逃げたじゃないか!』

 

「ち、違う! 俺は……俺はあの時、部隊の命令で……ッ!!」

一人の騎士が、何もない虚空に向かって剣を振り回し始めた。

 

別の騎士は、自らの兜をむしり取り、両手で耳から血が出るほど掻きむしりながら、絶叫を上げて地面を転げ回る。

 

「やめろ……聴こえる……死んだあいつらの声が! 俺を呪う声がッ!!」

 

「あ、あああ……! 許してくれ、俺が悪かった! だからそんな顔で俺を見るなァァッ!!」

 

「……狂うなッ! 幻覚だ、目を覚ませお前た――がはッ!?」

部下を制止しようとした将校の胸を、味方の騎士の剣が深々と貫いた。

 

「……死ね、ゴブリンめ……俺の家族を返せ……ッ!!」

 

「お前が俺を裏切ったんだ! 殺してやる!」

 

正義を掲げて突入したはずの数百の精鋭たちは、塔に指一本触れることすら叶わぬまま、幻覚の中でかつての因縁や恐怖に飲み込まれ、互いの喉を裂き、腹を刺し合う「同士討ちの地獄」へと突き落とされた。

無音の結界の中で繰り広げられる、血飛沫と狂気のパントマイム。

それを見下ろす塔の頂上では。

一人の少女が、ただ悲しげに、音の出ない歌を紡ぎ続けていた。

 

――岬の入り口に展開された白銀の光は、未だ一点の淀みもなく、完璧な出力を保って輝き続けていた。物理的な音も、魔力の気配も、確かにそこでは「死んで」いるはずだった。

だというのに。

光の結界の向こう側、塔の麓では、王国騎士団の精鋭たちが音もなく互いの喉を裂き、狂ったように自刃していく地獄絵図が広がっていた。

 

「――馬鹿な! わしの術はまだ保っておる! 結界に魔力の綻びなど微塵もないぞ!!」

 

後方で陣を維持していた大魔道士が、信じられないものを見るように白髭を震わせた。長杖から流し込む魔力は完璧に岬を覆っている。術の失敗ではない。術が「無視」されているのだ。

 

「どうなってやがる!? 俺たちのこの合わせ技は、あの死の迷宮で魔神将の術すら完全に封じ込めたんだぞ!!」

 

大盾のように構えた大鎚の後ろで、戦鎚使いが焦燥に駆られて叫ぶ。魔神の王に仕える最高位の魔族すら無力化した、金等級の絶対の布陣。それが、たった一人の少女が放つ「何か」の前に、まるで存在しないかのようにすり抜けられている。

 

「落ち着けッ!」

虎人戦士が、巨躯から迸る冷や汗を拭い、冷静な戦術分析を試みる。

 

「相手は魔神王の残党が作り出した未知の生体兵器だ!グレーターデーモンのように、強力な魔法無効化能力を持っているのやもしれん! 」

 

「大魔道士様!もう一度合わせましょう!」

半森人神官が、祈るように聖杖を天へと掲げ直した。彼女の美しい顔には、かつてないほどの焦燥が浮かんでいた。

 

「術を重ねがけして、もっと強固な『沈黙』の檻を創ります! 」

彼女が至高神への新たな真言を紡ごうとした、まさにその瞬間だった。

 

『――――――♪』

 

「……あ、っ……!?」

 

半森人神官の詠唱が、唐突に止まった。

聖杖が、手から力なく滑り落ち、石畳にカランと乾いた音を立てる。

 

「おい、どうした!? 神官殿!」

虎人戦士が振り返る。しかし、神官の瞳はすでに虚空を泳ぎ、その美しい顔は、この世のものとは思えないほどの「恐怖」に引き攣っていた。

 

「……嫌。……やめて。……私を、置いていかないで……!」

神官が、何もない虚空に向かって後ずさる。

 

「おいッ! まさか……」

戦鎚使いが顔を青ざめさせた瞬間、彼らの脳髄にも、あの「不協和音」が直接流れ込んできた。

 

「……あ、ああ……! 違う、わしは見捨てたわけじゃ……! 許してくれ、あの時は術が尽きておって……ッ!!」

 

大魔道士が頭を抱え、地面に蹲る。彼が見ているのは、死の迷宮で灰になっていったかつての弟子たちの幻影。

 

「来るな! 俺のせいじゃねえ! 俺のせいじゃねええッ!!」

戦鎚使いが狂乱し、見えない敵――かつて自分が救いそこねた村人たちの怨念に向かって、巨大な鎚をでたらめに振り回し始めた。

 

「――っ!正気を保てッ! 幻覚に呑まれるなァッ!!」

虎人戦士が咆哮を上げるが、彼の獣の瞳にも、かつて一族が魔神軍に虐殺された夜の炎が映り始めていた。

 

「やめろ……来るな! 俺は悪くねえ! 俺は悪くねえぞッ!!」

大戦鎚が風を切り、岩を砕き、やがてその凶器は、隣で頭を抱えていた味方――自らの背中を預け合ってきたはずの戦友の兜へと容赦なく叩き込まれた。

 

「――グガァァッ!?」

血飛沫を浴びながら、虎人戦士の瞳もまた、すでに正気を失い、濁った血の色に染まっていた。

彼が見ていたのは目の前の仲間ではない。十数年前、自らの故郷の村を焼き尽くし、一族全員を皆殺しにした、あの忌まわしき混沌の眷属――。

 

「魔神将めッ! 一族の仇ッ!! 今度こそ息の根を止めてやるッ!!」

咆哮と共に、虎人戦士は大剣を突き出した。

深淵の幻影に囚われた彼の刃は、目の前にいた戦鎚使いの喉笛を、一切の躊躇なく深く抉り抜いた。

かつて迷宮を共に笑い合って踏破した二人が、互いを敵と信じ込まされたまま、血の海に倒れ伏し、絶命していく。

 

陣地の中央では、理知の象徴であったはずの魔術師が、自らの魔導書を爪で引き裂きながら、地面を転げ回っていた。

彼の耳元で、かつて自らの過ちで死なせてしまった愛弟子の、冷たい責め苦の声が幻聴となって木霊する。

 

『――どうして助けてくれなかったの? 先生に教わった通りにやっても、何一つうまくいかなかったじゃないか……!』

 

「ち、違う……わしは……! お前を救おうと、あらゆる術を尽くしたのだ! 違う、わしは……わしはッ!!」

大魔道士は自らの髪を掻き毟り、血を吐きながら叫んだ。

しかし、幻影の弟子は許してくれない。責め苦から逃れるために、彼は自らの指先から極大の火炎魔法を暴走させた。塔ではなく、自分自身の喉元へ向けて。

爆炎が閃き、老魔道士の肉体は、自らの術によって骨まで焼き尽くされた。

 

そして、最後に残された半森人神官。

彼女の手から白銀の聖杖が力なく滑り落ち、硬質な音を立てて岩肌を転がった。

彼女の瞳から、大司教に仕える高潔な神官としての光は消え去っていた。

目隠しのないその双眸に映っていたのは、エルフにも人間にも受け入れられず、森の境目に幼い自分を置き去りにして消えていった、両親の冷たい後ろ姿。

 

「お母さん……! お父さん……! 私を置いて行かないで……ッ!!」

 

彼女は幼子のように泣き叫び、地面に両手をついて這いつくばった。

どれほど神に祈っても、どれほど信仰を捧げても、埋まることのなかった根源的な孤独。

 

「一人はいや……暗いのは嫌……! 連れて行って……お母さん……!!」

 

彼女は、泥の中から拾い上げた護身用の短剣を、躊躇うことなく自らの白い喉元へと突き立てた。

プツリ、と。

動脈が断ち切られ、鮮血が噴き出す。

彼女は、幻影の両親に抱きしめられる夢を見ながら、安らかな微笑みを浮かべて冷たい地面に倒れ込んだ。

 

岬の風が吹き抜ける。

そこには、死の迷宮を踏破した四人の金等級冒険者が、ただ互いのトラウマに殺し合わされ、物言わぬ屍となって横たわっていた。

敵は一人も現れなかった。

教団の兵は矢一本射かけてこなかった。

彼らは自らの『内なる絶望』に喉を掻き切られて果てたのだ。

後方の司令部から望遠鏡でその光景を視ていた騎士団長が、絶望にへたり込み、天を仰いだ。

 

「……全滅……。金等級の……あの英雄たちが……自害しただと……!?」

神々が定めた最強の出目。

それが、たった一人の少女の「悲痛な歌声」の前に、紙細工のように無惨に粉砕された瞬間であった。

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