『ゴブリンスレイヤー』外伝【幻声哀歌編】   作:いっかず

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第4話:断ち切られた旋律

見渡す限りの草原を貫く、王都へと続く真っ直ぐな街道。

揺れる馬車の中、潮風の歌姫は手書きの譜面を愛おしそうに指でなぞっていた。

 

「……ふふ、いい調子。王都の人たちも、きっと喜んでくれるわ」

 

「そうね。あなたの歌声なら、魔神王に怯えてた王都の貴族様たちの心も、一瞬で溶かしちゃうわ。……最高の舞台にしようね」

 

隣に座る親友が、フルートのケースを抱きしめながら優しく微笑みかける。

しかし、その直後。

馬車の天蓋を激しい衝撃が叩き、御者台から喉を掻き切るような怒号が響いた。

 

「――出たぞッ!! ゴブリンだ!!」

 

「なっ……!? こんな見通しのいい平原で!?」

 

馬車の護衛についていた冒険者が、並走する馬の上で大剣を抜き放つ。

平原の草むら、何もないはずの場所から、泥を被って潜んでいた影が次々と跳ね上がった。

 

「右からゴブリンライダー、10騎! 狼に乗っていやがる、速いぞ!!」

 

「左からも来るぞ! 挟み撃ちだ!!」

 

「GORB!! 」

 

下卑た鳴き声と共に、狼に跨ったゴブリンたちが、獲物を追い込む猟犬のように馬車との距離を詰めていく。放たれた矢が馬車の木枠に突き刺さり、歌姫たち女性団員の悲鳴が上がる。

 

「落ち着けッ! 陣形を崩すな!」

 

護衛の指揮を執る銀等級冒険者が大剣を振るって肉薄したゴブリンの首を撥ね飛ばす。彼は鋭い眼光で戦況を俯瞰する。左右からの猛攻。このまま足を止めれば、数の暴力に押し潰される。

 

「……チッ、組織的な連携だ。単なる野良の群れじゃねえぞ!だが、十時の方角、あそこの茂みは包囲が薄い! 囲まれる前にあそこを突き破るぞ! 全車、速度を上げろッ!!」

 

銀等級の的確な判断。馬車は一斉に方向を変え、唯一「穴」が開いているように見えた北西の平原へと全速力で駆け出した。

 

歌姫と親友は、激しく揺れる車内で互いの手を強く握り締め、地母神に祈りを捧げていた。

 

(大丈夫……。冒険者さんたちが付いているわ。……きっと、抜けられる……!)

 

――「逃げ道」を見下ろす、街道脇の小高い丘。

 

マントを羽織ったゴブリンロードと、髑髏の杖を持ったゴブリンシャーマンが、並んで獲物の動きを眺めていた。

 

「GRROU(ククク……予定通りだ)」

 

「GORB……(間抜けな奴らだ。そのまま、あの『口』の中へ誘導しろ)」

 

ロードの命令に従い、左右のゴブリンライダーたちは、あえて馬車を仕留めようとはせず、一定の距離を保ちながら獲物を「十時の方角」へと追い込んでいく。それは、逃げ道を作ってやっているのではなく、確実に死地へと誘うための牧羊犬の動きであった

 

――逃走する馬車列。

 

「……よし! ライダーたちの包囲を抜けたぞ!」

 

揺れる馬車の中で、必死に壁を掴んでいた楽長が、窓の外を確認して声を上げた。

 

「大丈夫だ! みんな、包囲は突破した! このまま丘を越えれば、街道の検問所まで一直線だ!」

 

「よかった……。神様、ありがとうございます……!」

 

楽長の言葉に、団員たちの間に安堵の吐息が漏れる。歌姫も親友の手を強く握り直し、少しだけ顔を上げた。

 

しかし。

先頭を行く馬車の御者台で、大剣を構えていた銀等級冒険者の背筋に、得体の知れない悪寒が走った。

 

「……待て。おかしい」

 

彼は、前方に広がる穏やかな草原の「不自然さ」に気づいた。風に揺れる背の高い草の向こう。本来なら地平線が見えるはずの場所に、空の色とは違う「暗い影」が横たわっている。

 

「おい、速度を落とせ! 全車、止ま――」

 

叫びかけた瞬間、丘の頂に達した馬車が、ガクンと大きく跳ね上がった。

 

「待て、あれは……ッ!!」

 

銀等級の男が目にしたのは、街道への道ではなかった。

十時の方角の「薄い包囲」を抜けた先に待っていたのは、切り立った「V字型の巨大な割れ目」。

 

草原が突如として途切れ、そこには深い谷底へと続く、逃げ場のない急勾配の崖が口を開けていた。

 

「ヒヒィィィィィィンッ!!!」

 

御者が必死に手綱を引くが、急加速していた数台の馬車は、慣性に抗う術もなく、次々と偽装された縁を越え、真っ逆さまに奈落へと吸い込まれていく。

 

「――っ、いやあああああああああッ!!!」

 

歌姫と親友の悲鳴。

そして、積み荷の楽器たちが砕け散る絶望的な音が、深い谷底へと響き渡った。

 

――――――――ガシャァァァァァァァァァンッッ!!!

 

激しい衝撃と共に馬車は谷底の岩場へと激突。車輪は折れ、天蓋はひしゃげ、美しい衣装や譜面が泥の中に撒き散らされた。

 

「……あ、……ぁ……」

 

意識を失いかけた歌姫が、痛む身体を引きずり、馬車の残骸から這い出そうとした。

しかし彼女の視界に飛び込んできたのは、救いの手ではなかった。

 

谷の四方。

岩陰、茂みの奥、そして倒れた馬車の周囲。

そこには、自分たちが平原で振り切ったと思っていた数倍の数の、緑色の伏兵たちが待ち構えていた。

 

「GAROOU!!」

「GORB!!!」

 

暗い谷底に、勝利を確信したゴブリンたちの下卑た哄笑が反響する。

街道の「薄い包囲」は、彼らをこの袋小路へ誘い込むための、ロードによる狡猾な計算に過ぎなかったのだ。

 

「――クソッ! 盾を並べろ! 隙間を作るなッ!!」

 

体勢を立て直した銀等級の冒険者が叫び、折れかけた剣を振るう。彼の周囲では、数人の護衛たちが必死の円陣を組んでいた。だが、崖の上から雪崩のように降りてくるゴブリンの数は、彼らの技量を絶望的なまでに圧倒していた。

 

「GORB、GORB!!」

 

谷の両脇の岩陰から、棍棒を担いだゴブリンチャンピオンが、そしてチャンピオンに率いられた数匹のホブゴブリンたちが、獲物を迎え入れるように姿を現した。

 

「しまった……! 追い込まれたッ!!」

 

「火球(ファイアボール)の準備だ! あのデカいのを狙えッ!!」

 

護衛の銅等級の魔導師が、震える手で杖を掲げ、呪文を紡ぎ始める。標的は、谷の出口を塞ぐように立ちはだかる巨大な影――ゴブリンチャンピオン。その一撃を防がねば、馬車ごと踏み潰されるのは時間の問題だった。

 

「カリブンクルス(火石)・・・・・クレスクント(成長)・・・・ヤクタ(投射)」

 

杖の先に猛烈な熱量が集束したその瞬間。

ゴブリンチャンピオンが、下卑た笑いと共に「それ」を掲げた。

 

「なっ……!?」

 

魔導師の言葉が凍りついた。

チャンピオンが左手に持っていた巨大な木の盾。そこには、生きたまま鎖で括り付けられた、ボロボロの「人間の女」がいた。

 

「なっ! 女を括り付けた盾だと……!? 撃てない……そんなの、撃てるわけがないだろッ!!」

 

「GORB!!」

 

魔導師が躊躇った刹那、背後の岩陰から飛び出した数匹の小鬼たちが、彼の細い喉元に錆びた短剣を突き立てた。詠唱は悲鳴に変わり、解放された魔力は虚空で霧散した。

 

その凄惨な光景を背に、銀等級の指揮官だけが、ただ一人チャンピオンへと肉薄していた。

 

「おのれ、化け物めッ!!」

 

銀等級の剣が、チャンピオンの担ぐ巨大な棍棒と激突し、火花が散る。

一対一ならば、勝機はあったかもしれない。彼は熟練の戦士であり、その一撃は重く、鋭かった。しかし、ここは奴らの「巣穴」なのだ。

 

「GORB,GOOORB!!」

チャンピオンが剣を受け止めている間に、左右の岩陰から無数の小鬼たちが湧き出してきた。

一匹が彼の脚を刺し、二匹が背中に飛びつき、三匹が盾の隙間にナイフを突き立てる。

 

「ぐ、おぉっ……! 離れろ、この……雑魚どもがぁッ!!」

 

銀等級の戦士がどれほど剣を振るおうと、傷を恐れぬ「数の暴力」が彼の体力を、そして感覚を確実に削り取っていく。

 

やがて、巨躯を揺らして歩み寄るチャンピオンの影が、地に膝を突いた銀等級の男を覆い隠した。

 

「ガ、ハ……。逃げ……」

 

言葉を最後まで紡ぐことは許されなかった。

鈍い衝撃音と共に、銀等級の兜がひしゃげ、最後の守り手が泥の中に沈んだ。

 

「……皆奥へ! 早く隠れるんだ!」

 

血を流しながら、折れた譜面台を武器代わりに握りしめた楽長が、歌姫たち女性団員の前に立ちはだかった。彼の背後では、楽器運びや裏方を務めていた男性団員たちが、震える手で石や壊れた家具を手に取り、押し寄せる不浄の波を食い止めようとしていた。

 

「楽長……! お願い、貴方も一緒に!」

 

「馬鹿を言うな! 私はこの楽団の責任者だ。娘たちに指一本触れさせるものかッ!!」

 

楽長は、飛びかかってきた小鬼の喉元を譜面台の鋭い角で突き刺し、力任せに押し戻した。それは武術でも何でもない、ただの「父親」としての執念だった。

 

だが、現実はあまりにも無慈悲だった。

 

「GORB!GAROOU!!」

 

楽長の背後に回り込んだ別の小鬼が、その細い脚を錆びた短剣で深く切り裂く。

 

「が、はっ…………!」

 

「楽長ッ!!」

 

崩れ落ちる楽長。男性団員たちも、数の暴力と小鬼特有の卑劣な連携の前に、次々と泥の中に沈んでいく。

彼らが守ろうとした「美しき旋律」の世界は、いま、汚物と血に塗れた獣たちの「宴」へと引きずり込まれようとしていた。

 

「……あ、ああ……」

 

歌姫は、目の前で自分の「家族」たちが、ただの肉塊へと変えられていく光景を、言葉を失って見つめていた。

彼女の手を握る親友の指が、恐怖で白く、氷のように冷たくなっている。

譜面は風に舞い、泥に汚れ、二度と奏でられることのない死の沈黙が、谷底を支配した。

 

その時、谷の入り口を塞ぐようにして、一際大きな影がゆっくりと歩み寄ってきた。

指揮棒を弄ぶのは、群れを束ねるゴブリンロード。

 

「GORB……(仕上げだ)」

 

ロードが低く呟くと、小鬼たちは一斉に動きを止め、獲物をじっくりと吟味するように、下卑た舌なめずりをした。

 

「いや……嫌ぁぁぁッ!! 助けて、誰か……ッ!!」

 

親友の叫びが、無慈悲に引き裂かれるドレスの音と共にかき消される。彼女を庇おうと這い寄った歌姫もまた、数匹のゴブリンによって強引に地面に組み伏せられた。

 

視界に映るのは、共に夢を追った女性団員たちが、泥に塗れ、獣のような小鬼たちの手によって蹂躙されていく地獄絵図。

 

「あ、あ……あぁ……」

 

歌姫は必死に喉を震わせた。しかし、溢れ出そうとした悲鳴は、あまりの恐怖に喉の奥で氷のように固まり、ただ掠れた吐息となって消えていく。彼女の自慢だった「天上の調べ」を奏でる喉は、いま、絶望という名の呪縛によって完全に沈黙した。

 

やがて、略奪の狂騒が一段落すると、ゴブリンロードが短く号令を下した。

 

「GORB,GOOORB!!」

 

ゴブリンたちは、壊れた馬車から溢れ出した金貨や王都での公演用の衣装、そして美しく磨かれていた楽器たちを、泥に汚れた手で無造作に掻き集め始めた。彼らにとって、銀のフルートはただの「光る棒」であり、高価な譜面は「火を熾すための紙」に過ぎない。

 

「……あ……っ……」

 

歌姫の目の前で、親友が大切にしていたフルートが、ゴブリンの足によって無惨に踏み砕かれた。

その光景は、彼女たちの歩んできた努力も、夢も、愛も、すべてがこの不浄な獣たちにとっては何の価値もない「ゴミ」であることを、残酷に物語っていた。

 

「GORB,GORB!!(急げ、運べ!!)」

 

戦利品を背負い、そして「生きた戦利品」である女性たちを家畜のように引き摺りながら、ゴブリンの群れは平原の光から背を向けた。

 

向かう先は、丘の斜面に口を開けた、陽の光が届かぬ真っ暗な「巣穴」。

 

連れ去られていく女性たちの指先が、草原の草を虚しく掻きむしる。

それらが完全に暗闇の中へと消え去った後、谷底に残されたのは、バラバラに裂かれた譜面と、静かに流れる楽長たちの血だけであった。

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