心配されたい人間の話 作:曇らせるなら晴らすことも忘れないでくれ
「はい、今日の朝ごはんですよ」
そう言って、お医者さんがお盆に乗せて持ってきたのは、焼き魚、つけもの、卵焼き、そして白ごはんにお味噌汁と一汁三菜が揃った朝食だった。
「お医者さんは料理ができるんだ?」
「はーい、立花桜ですよ。料理くらいできますからねー」
立花桜は私の寝ているベッドの近くにあった机にお盆を置くと、机を持ってきて、またさっきと同じお盆をその机に置いた。
「一緒に朝ごはんを食べましょう。ご飯中の会話で知れることはお互いいっぱいあるはずですから」
「……そうかな? 普通の会話とあんまり変わらなさそうだと思うけど」
「意外と知れると思いますよ? 例えば……あなたの好きな食べ物とか」
好きな食べ物か。よく考えてみるとそんなものないかもね。好きじゃない食べ物はあるけど、特に何かを好んで食べるわけでもないからな。
「知れるといいね」
「ふふ、あなたの好きなものがわかったとしても、私の用意するご飯のレパートリーが少しそれに偏るくらいしか、意味はなかったりするんですけどね。いただきます」
「いただきます」
私がそう言って朝ごはんに手をつけると、立花桜は意外そうな顔で私のことを見つめた。
「どうしたのさ。いきなり私のことなんか見つめて」
「いや……意外だっただけです。あなたがいただきますを言ってくれるとは思わなくて」
私のことをなんだと思ってるんだろうか。いただきますくらいは私でも言える。喋れないわけでもないし。
あー……ちょっと待った。この朝食結構あれだな。
「量が多いね」
「……そうですか?」
お医者さんは口の中のものを飲み込んでから返事を返した。
「私と同じくらいの量のはずですけど……」
「少食なのかもね。食べ切れるかな」
「……食べ切ってください。これでも朝に必要な最低限の栄養素はあるんです。というか、これでギリギリなんです」
…まあ、しょうがないか。こうやって私と向かい合って朝ごはんを食べている以上は何かしら細工をすることも難しそうだし。でも、焼き魚は骨があって食べにくいからあんまり好きじゃないんだよね。
「……骨の取り方が上手ですね。誰かから教わったりしたんですか?」
「別に普通じゃないかな。私よりもこういうものの解体が得意なやつはいっぱいいるし」
「解体……」
お医者さんはどこからか取り出したメモに何かを書き取っていた。よく見ると、私はまだ朝ごはんの半分も食べ終わってないのに、お医者さんはもう食べ終わりそうだった。
「あと、ちゃんと口の中にあるものを飲み込んでから喋ることも偉いですね?」
「さっきも言ったけど、別に普通だと思うよ」
「……意外と常識があるんですね」
「えーと、なんで私はそんな常識もないと思われたのかな」
「それはつまり、この病室に来てからあなたが行なったこれまでの行動すべてがあなたにとっては常識的な行動だった、ということですか?」
「……うーん、急にちょっと難しいことを聞くね」
私のした行動の大半は普通だったはずなんだけど、ちょうど最近はお医者さんたちがどっち側なのかわからなくなってきてるからなあ。玉虫色の返事しかできなさそう。でも、メモを取るんだったらわかりやすい方がいいよね?
「私の行動の大半は常識的な行動だったでしょ?」
「……なるほど」
お医者さんは私の言葉を聞いてから、メモを書くスピードを早くした。
「どう? この私の言葉で何かわかった?」
「…えぇ、はい。わかりましたよ。あとそろそろ私の名前を忘れてそうですからもう一度教えますね。私は立花桜です」
「懲りないね。とっくの昔に忘れてたってことはあってるけど、何回も言っても私は名前を覚えられないんだって」
「まぁ、私の名前をあなたに覚えてもらいたい気持ちもありますが、もちろんそれだけではありませんよ。あなたが何故名前を忘れるのかという仕組みを解明したいのですよ」
「そっか」
一応、教えておいた方がいいね。
人間は鋭利なものを目に近づけられるのが嫌いだからね、お箸でもいいか。
お箸を素早く彼女の目の前に持っていく。もはや、少し動かせば触れてしまうくらいの距離に。
「え……」
「私はなんでわざわざ視界の邪魔になる仮面をつけながら活動していたんだろうね? 不思議だと思わない? 今のこれは命のためみたいだけどね。前のやつは何か特別な効果があるわけでもないただの仮面をつけていたんだ。その理由をさ、考えてみたことはある?」
きっと、立花桜には私の動きが見えなかったんだろうね。お箸だし、メガネもつけているからそこまで危険ではないんだけど、彼女の顔は見るからに青ざめていて、冷や汗をかいている。本当はこういうことをしたくはなかったんだけどね。あんまり悪い人じゃなさそうだから。
「ふふ、ちょっと乱暴になっちゃったかな。でも私だって人間だからね。嫌なことだってあるんだよ。あ、そうそう。ごちそうさまでした。おいしかったよ」
私がそう言っても、立花桜はまるで蛇に睨まれた蛙のようにしばらく動くことはなかった。
◆◆
朝食を食べ終わったあと、することもなくただ天井を見つめていた時のことだった。
最近では聞いたことのない軽い足音がすると、私のいる部屋のドアが思い切り開いた。
「……この部屋も違ったかー、俺の部屋ってどこだったっけ……?」
俺って一人称を使ってるみたいだけど、金髪の少女だ。彼女はここに私がいるということを知っていてここに来たわけじゃなさそうだね。
「どうしたのかな? 迷子?」
「いやーそうなんだよー。見かけによらずここって意外と広くてさー……って誰?! ひょわぁ?!」
おっと、私の存在に気が付いてなかったのか。私の方を向いてから驚いて腰を抜かしちゃったみたい。助けてあげようか。
ベッドから起き上がって、腰を抜かしている彼女に手を差し伸べる。
「い、いや! ごめんなさい! すぐに帰りますから! 許して!」
「……そんなことするつもりないんだけどな」
かなり勘違いされちゃってるみたい。私のことが怖いのかな。でもまだそういうところを彼女には見せてないはずなんだけどな。
「あ、この仮面がちょっと怖いかな?」
たぶん、少しくらいなら外しても大丈夫でしょ。
仮面を顔から外す。この子を落ち着かせる余裕はありそうだけど、仮面を外すことは思ったよりも深刻そうだね。今にも気を失いそうな感じだ。
「——ほら、私の顔をもう一度よく見てごらん?」
「う、うぅ……あ、あれ? さっき見たのとは全然違う人……って言うかすごいかわいい!」
「うんうん。ありがと、じゃ戻すね」
「え? 戻すって……ウワーッ! さっきの人!」
仮面を顔に付け直すと、金髪の少女はまた大声を出して驚いた。
なんだか新鮮だ。こういう反応をする人間は私の周りにはいなかったから。会ったばかりなのに、ちょっとだけかわいく思えてきちゃった。
「ふふ、この仮面はそんなに怖い?」
「……ほ、本当にさっきのお姉さんと同じ人ですよね? な、なんだか全然雰囲気が違くて」
……あんまり意識してなかったけど、仮面をつけてるときと、つけてないときで雰囲気が変わるんだね。今度からは注意しておこうか。……その今度があるのかはわからないんだけどね。まあ、きっとあるでしょう。そう思っておけば意外となんとかなるからね。
「さっきの私と、今の私は同じ人だよ。なんなら、もう一度素顔を見せてあげよっか?」
「じ、じゃあ……もう一回見たいです」
「ま、嘘なんだけど」
「なんでわざわざ嘘をついたんですか?!」
ははは、叩けば音のなる箱みたい。なにを言っても面白い反応が返ってくるねこの子。
「ごめんね? この仮面は外したら命に関わるって言われててさ。あんまり外しちゃいけないんだよね」
「い、命に関わるって——冗談ですよね? ……え? マジなやつですか? だってさっき外してましたよ?」
「さっき初めて外してみたんだけど、思ったよりもダメそうだったからね。だから見せてあげたくても見せられないんだ」
金髪の少女は私の言葉を聞いてから、何か考え込むような姿勢を取った。そして、私の方に近づいてきて、手を伸ばした。
「その仮面に触らせて。もしかしたら、俺ならなんとかできるかも」
「……あ、それなら一個だけ質問。君はどうしてここにいるの?」
金髪の少女は手を下ろして、不思議そうな顔で私のことを見つめる。
「あれ? 俺が迷子って気づいてたんじゃ?」
「言葉が足りなかったかな。じゃ、こう言い換えるよ。君はどういう経緯でこの病院に来たの?」
最初に会ったときからそうだけど、この子からは悪に特有の雰囲気をまったく感じない。この場所にいるにはおかしいくらいの普通の人間の感じがする。お医者さんですら、その気配を少しは感じたのにこの子はまったく感じれない。でも、この感覚だけで判断するのもあまりよくないから、いつも言葉で聞くようにしているんだ。
金髪の少女はなんてことのないようにこう言った。
「神崎に助けられて、ここに連れられてきたんだ。いやー身分も住むところもお金も何一つなかったから助かったんだー……ってこれは余計なことを言い過ぎたかも?」
……この子は神崎に助けられてここまで来たのか。この子は別に何もしていなさそうなのに、こんなところに。この子は、ここにいていい存在じゃない。いつか、ここから出してあげた方がいいね。彼女が悪になる前に、正しい世界に戻さないと。
「うん。わかったよ、ありがと」
「えっと、お姉さんの方はオッケー? じゃあその仮面に触らせて」
「ん、ああそうだったね」
顔を金髪の少女の方に近づける。そして、金髪の少女の手が、仮面に触れた。
感想に返信したい気持ちはあるんですよ。あるんですけど、なんというか、なかなか難しいものですね。