過労死ゲーマー、藤吉郎になる。 ~知識チートはあるが、人の心が重すぎる~ 作:ブンチョウ
桶狭間の戦勝処理は、数日に及んだ。
今川義元の首が清洲城に届いた日、城下は熱狂に包まれたが、俺はそれどころではなかった。
俺の指には、あの武者を刺した時の、肉を貫く感触がこびりついて離れない。
権蔵たち「木下隊」の連中は、俺を見る目を変えていた。
「芋猿」でもない。
「普請奉行」でもない。
信長に勝利の道筋を示し、自ら敵将を討ち取った「武将」として、恐怖と畏怖の混じる目を向けていた。
(違うんだよ……)
俺は、ただ、権蔵を助けたかっただけだ。
(俺は、人を殺したくない)
「隊長。……お疲れ様でした」
権蔵が、俺に深々と頭を下げた。
「あんたのおかげで、俺も、木下隊も生き残れた。……それと、顔を洗ってきた方がいい。血の匂いが染みついてる」
権蔵の言葉に、俺はハッとした。
(そうだ、帰らないと)
(約束したんだ。「元気」に帰る、と)
俺は、まだ泥と血がついたままの格好で、清洲城を飛び出した。
ねねが待つ、浅野又右衛門の屋敷へ。
「……藤吉郎さん」
門の前で、ねねは俺の姿を見て、固まっていた。
俺の顔と、手に染み付いた他人の血を見て、すべてを察していた。
俺は、決意を思い出した。
(そうだ、謝らないと)
俺は、彼女の目の前で、勢いよく土下座した。
「ねね殿! 申し訳ない!」
「えっ!? と、藤吉郎さん!?」
「あ、あの時の、戦の前の、俺の、あの、股間を押さえた奇行は」
(言えば言うほど変態だ)
「あれは、その、俺の悪い癖で……」
俺がパニックになって弁明していると、ねねは俺の言葉を遮るように、俺の隣にしゃがみ込んだ。
そして、血の匂いがする俺の手を、彼女の両手で強く、強く握りしめた。
「……おかえりなさい」
声が震えていた。
彼女の大きな瞳から、涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「ひっぐ……よかった……! 『元気』に、帰ってきて……!」
「ねね……」
彼女は、俺の奇行を「不謹慎な冗談」ではなく、文字どおり「死なないで」という誓いとして、本気で受け止めてくれていた。
「怖かった……! 藤吉郎さんが、タケシさんみたいに、首だけになって帰ってきたらって……!」
ねねは、俺の胸に顔をうずめて、子どものように泣きじゃくった。
(ああ、そうか……)
俺は、この「温かさ」を守るために、あの地獄――桶狭間で手を汚したんだ。
人を殺した重さは消えない。
だが、その代償で、今、腕の中に「守るべきもの」がある。
俺は、彼女を抱きしめ返した。
(そして、今が『覇道』のイベントフラグ、「ねねとの祝言」が立つ瞬間だ……)
俺は、ねねを抱きしめながら、自分自身に必死に言い訳するように、心の中で呟いた。
(いいか! これは、『覇道』のシナリオ通りだからとか、どうせ妻になるなら貰っておけとか、そういうゲスな考えでプロポーズするわけじゃない!)
(この子は、俺が飢えて死にそうだった時に握り飯をくれて、俺が股間を押さえて奇行に走っても、本気で俺の『元気』を信じて泣いてくれた子だ!)
(ねねは、最高に魅力的な女性なのだ。そう、だから……!)
俺は、意を決して口を開いた。
「ねね。戦の前に、言いたいことがあると言ったな」
「……うん」
「俺の、妻になってくれ。俺は、お前と、権蔵たちを守るために、この地獄で『武士』になる」
(……そうだ。今後、シナリオ通りに『茶々』とかいう絶世の美人が現れても、俺は性格が気に入らなければ無視するつもりだ。たとえどんなに美人でもだ。俺は下半身の言いなりにはならない男だ……たぶん)
俺の決意(と言い訳)を知ってか知らずか、ねねは涙でぐしゃぐしゃの顔を上げ、最高の笑顔で、こくん、と頷いた。
それから一年ほどが過ぎた。
桶狭間の勝利は、すべてを変えた。
俺、木下藤吉郎は、「今川義元の位置を特定し、奇襲ルートを進言した」最大の功労者の一人として、信長から破格の褒美――尾張国内に広大な
もはや、俺は「芋猿」ではない。
織田家
俺は、ねねとささやかな祝言を挙げた。
権蔵たち「木下隊」の面々も、約束どおり、治水で得た新しい土地に家を建て、俺の「家臣」となった。
人を殺した重さを抱えながらも、俺は「プライベート」という、かけがえのない「日常」を手に入れた。
だが、もちろん、「仕事(地獄)」は終わらない。
「……木下殿。近頃、ご活躍が過ぎるのではないか」
城の
その目は、もう俺を「猿」とは見ていない。
「若様は、貴殿の『まぐれ当たり』にご執心だが、我ら
「柴田様……」
「貴様のような素性の知れぬ『成り上がり』が、俺たちと同じ
(来たか……)
「馬鹿のフリ」では回避できない、リアルな「嫉妬」と「
これもまた、『戦国の覇道』では描かれなかった、「人の心の重さ」だった。
俺が、この新しい「重さ」にどう対処すべきか悩んでいた、その時。
「猿!」
信長の声が、廊下に響いた。
柴田勝家が、ビクリと背筋を伸ばす。
「貴様ら、油を売っておる暇があるか!」
信長は、機嫌が良さそうに、だが冷酷に笑っていた。
「尾張は統一した。次だ。北だ」
信長は、広げた地図で、尾張の北――
「美濃の斎藤家を、潰す」
(いよいよ、美濃攻めか……!)
「だが、あの
信長は、俺を見た。
柴田勝家ではない。
俺をだ。
「猿。貴様、川が得意だったな」
「はっ……まさか……」
「美濃のど真ん中、敵地の川の向こう岸に、城を建てろ」
「……は?」
「
(
俺の『覇道』知識(チート)が、最悪の難易度を誇る「無茶ぶり(プロジェクト)」の開始を告げた。
手に入れた「日常ねね」を守るため、俺はまたしても「非日常(地獄)」の最前線に、たった一人で放り込まれることになった。