過労死ゲーマー、藤吉郎になる。 ~知識チートはあるが、人の心が重すぎる~ 作:ブンチョウ
(どうする俺!?)
俺は、目の前に浮かぶ地獄の選択肢と、三人の男の視線に晒されていた。
信長。
結果を出すのは、どれだ。
その答えを楽しみに待つ、魔王の目。
柴田。
どうせ猿は、また半兵衛との契りだの、芋だの、わけの分からないことを口走る。
そう決めつけた、侮蔑の目。
そして、竹中半兵衛。
あの庵で俺が見せた「狂気」を、もう一度見せてみろ。
そう言いたげな、試す目。
どいつもこいつも、俺に何かを期待している。
期待の種類は、全員違う。
だが、外せば終わるという点だけは同じだった。
そして、俺の脳裏には妻の涙目が浮かんでいた。
『……冗談、なのですよね!?』
(ここでBを選んだら、俺はねねを失う……!)
B――半兵衛との契り。
論外だ。
いや、選択肢として出てくる時点で論外なのだが、今は特に駄目だ。
ねねの誤解は、まだ解けていない。
むしろ半兵衛が、あの「情熱」を働きで返すと言い出したせいで、どう考えても悪化している。
A――光秀へ任せる。
これは責任転嫁だ。
光秀は合理的だ。だからこそ怖い。
浅井との交渉を、金と利害だけで片づけるだろう。
それで相手が動けばいい。
だが、動かなかった時に何を切り捨てるか、俺には想像がつく。
C――芋。
いつもの馬鹿な選択肢だ。
場をひっくり返す可能性はある。
だが今、ここで芋を焼いて浅井を落とせと言われても、半兵衛はきっと笑わない。
いや、笑うかもしれない。
だが、その後で俺を見る目が、もっと冷たくなる。
E――朝倉。
これは、システムがまた未来のヒントを出している。
浅井の向こうにいる朝倉。
いずれ、絶対に俺たちの前へ立ちはだかる相手。
だが今は違う。
今ここで朝倉を敵として扱えば、浅井は織田から離れる。
未来の警告に従って、目の前の同盟を壊すわけにはいかない。
(残るは……D)
お市の方。
(これだ!)
(これが、俺の知る『覇道』の正解ルートだ!)
浅井長政は、若い。
野心がある。
朝倉に従うだけの国主では終わりたくない。
織田と結べば、美濃への道が開く。
朝倉と織田の間で、浅井はただ挟まれる側ではなくなる。
そして、その結び目になるのが――信長の妹、お市だ。
(半兵衛……!)
(悪いが、あんたの期待より、俺の家庭の方が重いんだよ!)
俺は、今度こそ指が滑らないように、震える意識を一点へ集めた。
選択肢のDへ、精神の指を伸ばす。
押す。
【D:お市の方を、浅井長政へ嫁がせる】
次の瞬間、身体が動いた。
半兵衛のささやきも、光秀の視線も、あえて無視する。
俺は一歩前へ出た。
柴田たち旧臣にも聞こえるよう、息を吸い込む。
「若様!」
広間の空気が、ぴんと張った。
「浅井長政を口説くに、拙者の情熱も、半兵衛殿の奇策も不要!」
「……ほう?」
信長の眉が、わずかに動く。
俺は地図の近江を指差した。
「力で脅せば、浅井は朝倉へ逃げ込みます!」
浅井領の北。
そこには朝倉がいる。
美濃を取った織田が、さらに北へ進めば、浅井は織田と朝倉の間に立たされる。
「ですが、浅井長政は若く、野心もある!」
俺は続けた。
「彼らに必要なのは、織田家へ頭を下げることではありませぬ。織田と組むことで、浅井が何を得られるか。その実利を示すことです!」
「……実利、だと?」
信長の声が低くなった。
俺は、正面から見据えた。
「はっ!」
喉が乾く。
だが、止まれない。
「それは、金銀でも土地でもありませぬ」
一拍置く。
「……若様の妹君。
「「「なっ!?」」」
広間が凍りついた。
空気が、音を失った。
柴田勝家が、口を開けたまま俺を見ている。
「き、貴様……!」
顔が赤くなり、次に青くなった。
「猿の分際で、若様の御血族を……!」
「浅井へ、若様の血を与える」
俺は、柴田の怒声を押し切った。
「これ以上の実利と、信頼がありましょうか!」
お市は、ただの婚姻の道具ではない。
織田信長の妹だ。
織田家の血、そのものだ。
浅井がその血を迎えるということは、織田と同じ側へ立つと諸国へ示すことになる。
「政略結婚こそ、美濃を獲った今、我らが打つべき最上の一手と存じます!」
静寂。
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
俺がまた、ハリボテの城や焼き芋みたいな、奇策と奇行の間にある何かを口にすると思っていたのだろう。
ところが出てきたのは、あまりにも王道の政略だった。
しかも、織田家の血を使う、重い一手。
明智光秀が、初めて俺を値踏みする目ではなく、分析する目で見た。
(……合理的)
(最小の負担で、最大の利益を得る策だ)
(この男の奇行は、すべて計算ずくの擬態だったというのか……?)
そんな声が、聞こえた気がした。
柴田勝家も混乱していた。
男色の変態が。
芋を焼く猿が。
急に政略結婚を進言した。
俺の本性が分からなくなったのだろう。
残念ながら、俺にも分からない。
そして、信長は――。
「……ククク」
最初は、喉の奥で漏れた笑いだった。
やがて信長は、腹を抱えて笑い出す。
「クハハハハハ!」
広間に、その笑い声が響いた。
「猿が! この俺の妹を、政略の道具にしろと進言したわ!」
信長は笑っていた。
だが、その目は笑っていなかった。
妹を嫁がせる。
その重さを、理解していないはずがない。
その上で、俺がそこまで踏み込んだことを面白がっている。
「面白い!」
信長は俺を指差した。
「実に面白いぞ、猿!」
(ああ、よかった……!)
膝から力が抜けそうになる。
『覇道』の正解ルートは、この現実でも正解だった。
お市。
浅井。
織田。
歴史は、まだ大きく外れていない。
俺は、心の底から安堵した。
その時だった。
「…………」
隣にいる天才の存在を、忘れていた。
竹中半兵衛が、俺を見ていた。
一切の表情を消して。
あの庵で、俺の狂気を見つけた時の歓喜はない。
情熱を働きで返すと言った時の、柔らかな微笑みもない。
そこにあったのは、冷え切った失望だった。
期待していた玩具を手に取ったら、ただの石ころだった。
そんな目。
「……なるほど」
半兵衛が、俺にしか聞こえない声で呟いた。
「政略結婚」
ほんの少し笑う。
だが、目は冷たい。
「実に合理的で、常識的で、退屈な策ですな。藤吉郎殿」
(ひっ……!)
背筋が凍った。
(やばい!)
(こっちの重さを忘れてた!)
俺はねねを守るために、正解を選んだ。
だが半兵衛は、俺が正解を選んだことに失望している。
こいつは、俺が常識を壊すところを見たかった。
それなのに俺は、最も常識的で、最も正しい手を選んだ。
信長は満足そうに立ち上がった。
「よし!」
「その策、採用だ!」
「はっ!」
「猿!」
「はっ!」
「貴様が発案した」
信長の指が、俺へ向く。
「貴様が交渉役として、浅井へ行け!」
(げっ! 俺が!?)
「もちろん、
信長は、俺と光秀、そして半兵衛をまとめて指差した。
「貴様の正論――お市!」
次に、光秀へ指を向ける。
「光秀の合理――金!」
最後に、半兵衛を見る。
「そして半兵衛の情熱――狂気!」
信長は、楽しそうに笑った。
「その三つで、浅井長政を口説き落としてこい!」
「はっ……!」
俺は、最悪の板挟みを回避した。
その代わりに。
天才の失望を背負った。
光秀の値踏みを受けた。
柴田の憎悪を深くした。
そして、ねねの誤解を抱えたまま。
この歴史で最も重要な交渉の一つへ向かうことになった。
(どうする俺!?)
(ねねの誤解は解けるか!?)
(いや、それより……)
横目で見る。
半兵衛は、もう俺を見ていなかった。
(この失望した天才、交渉の場で俺を裏切ったりしないだろうな!?)