むにゃむにゃと緊張感もなく、瓶底メガネをかけたまま無防備に眠るレニのベッドの横を通り過ぎ、己のベッドに入り込むアヤ。今日は本当に長い一日だったと振り返り、目を瞑る。
自分の元いた世界の異世界或いは並行世界に位置するこのアコラ地方。今いるこの場所は、ソピア王国とディエイラ皇国に挟まる、中立たるヨハナと呼ばれる大地。国境を越えてソピア王国を目指すことになったのだが、その道のりは長いとレニは漏らしていた。
レニ・パフ・アンドロポヨフ博士。『ポケモンが鑑賞物として存在する世界』から、まぼろしのポケモン・フーパの力を模した自作のリングで自分をこの世界に召喚した張本人たる彼は、バトルが得意ではないとも言っていた。彼がディエイラ皇国の図書館より一冊の禁書『おひめさまと ルカリオ』を持ち出したことで国家情報漏洩罪を着せられ、騎士に追われることになっており、それを退けるのも自分の主な役割である。
モンスターボールに入って寝息を立てるのは、レニからもらったポッチャマだ。夢特性『かちき』であるが覚えている技は未知数で、実践経験が圧倒的に足りないアヤは己の知識を総動員させてバトルを重ねている……
そんな思考をぐるぐると巡らせているうちに、やってくる眠気には敵わずアヤは眠りにつくのだった。
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「兄様の様子はどうなんだ、ミディ」
皇帝の寝室へと続く荘厳な大きな二枚扉が閉ざされたのちに、そこから出てきた人物へ猫撫で声をかけるのは、現皇帝の弟君たるガヴェック・ディエイラ第一皇子。
たった今皇帝への謁見を終えた、ミディと愛称で呼ばれた女は瞳を伏せたまま被りを振る。
「芳しくはありません。日中、目の下のクマ隠すためでしょう、化粧品が置かれていました」
「そうか……。ソピア王国との対立は日々強まるばかり……兄様の『不眠症』も困ったものだ。
今後もしも王国と戦争になったのなら、そんなもので悩まされている暇はないというのに」
「……あまり大きな声で、そのようなことを話さない方がよろしいのでは?」
「ああ、そうだな。どうにも君の前だと口が軽くなってしまう。許してくれ、我が妻よ。
偉大なるランス三世……兄様を悩ませているものがあるなど、民は知らぬままのほうが良い」
深くため息をつく夫ガヴェックに、その妻ミディアルデ・ディエイラは表情を変えずに彼を見つめていた。
(陛下の様子をご自身で見られるほどの信用はガヴェックにはない……しかし、私は陛下に信頼されている……)
ミディアルデは皇帝ランスクディアに呼ばれ、彼女が知る数多くの『不眠』に効く技を密かに試していたのだった。だが、その事実は夫であるガヴェックにも知られている。それを知らぬ皇帝陛下では無いはずだが……
「今回は、どんな快眠法を提案したのだ?」
「ポケモンの花を使った、特製のハーブティーをお出しいたしました」
「なるほど……。ミディ! 我にも、そのハーブティーとやらを淹れてくれないか」
「構いませんが……よろしいのですか?」
「ああ。君の手で淹れた茶を兄様にだけ飲ませているなんて、嫉妬してしまいそうだからな」
と、夫婦は表面上は仲睦まじい様子で自分の宮へと戻っていく。
(おいたわしい……ランスクディアお義兄様)
ミディアルデは、内に秘めた彼への想いを手のひらを強く握りしめることで抑えたのであった。
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「ほう……ポケモンの花から作られたハーブティーですか……」
「ああ。気持ちを鎮める効能があると言っていた」
ミディアルデと入れ替わりに皇帝の寝室へやってきたのは、毒味役であり側近のキリルゥ。
「ごくり……。うむ、妙なものは入っていませんな。ほう……確かに気が晴れていきますぞ! ささ、陛下も……」
キリルゥは、ミディアルデの残したハーブティーを飲むと、その効能に唸る。
「ああ」
と、ランスクディアもティーカップへ口付けるが、飲み干すと「……苦いな」と苦笑を漏らしたのだった。
「何をおっしゃっているのですか! 良薬は口に苦しと相場が決まっておるのですぞ」
「そうだな。さまざまな快眠法を試してはいるが、これは効能がありそうだ」
長いまつ毛を伏せ、キリルゥへ笑みを見せるランスクディア。
「……ガヴェック様が当初の婚約者を差し置きミディアルデ様と結婚すると仰った時は、どうしたものかと思ったものですが……彼女はなかなかのやり手ですな」
ミディアルデの進言により、チルタリスの羽から作った特製の羽布団。添い寝のためのミミロップが何匹か控えており、さらにはスリーパーによる催眠術も毎晩試されている。それでもなお……
「父上もこのように、毎夜悪夢に魘されていたのだろうか」
毎夜、眠るごとに悪夢を見続けるランスクディア。彼を苦しめるそれは、不調となって現れ心身を蝕んでいく。
「いえ……偉大なるランス二世は、そのようなことを漏らしてはおりませんでしたぞ」
「ならば……オレ自身の問題というわけか」
「とんでもございませぬ! ランスクディア様に問題など……!」
キリルゥは自身の発言の捉え方に冷や汗をかき、ぶんぶんと首を横に振る。ランスクディアの背後に控えるポケモン、熟練のドドゲザンの刃に怯えてのことだった。彼は立ち上がり一歩前に出たドドゲザンに手で制し、「良いのだ」と一言言い放った。
(たっ……助かった……)
キリルゥは顔の輪郭を伝う汗を拭き取り、皇帝 へと向き直る。
「で……では私もそろそろ就寝するといたしましょう。それでは、おやすみなさいませ」
逃げるように寝室を後にするキリルゥ。
そんな様子に一つ深くため息をついたランスクディアは、先ほどまでここに居たミディアルデと『筆談』していた用紙を隠していた机の引き出しから出して、天高く投げ捨てる。
落ちてくる紙の束を目に捉えたドドゲザンがその刃を煌めかせる。エアスラッシュでそれらを瞬きの間に、切り刻む……
シュレッダーにかけたような紙の山はランスクディアの持つ盆へと綺麗に集束し、彼は暖炉の炎の中にそれらを投げ入れたのだった。灰となって、やがて天へと消えていく……
それは、すべては宮廷内に潜む姿見えぬ『敵』の存在を察知してのこと。
(オレが求める真の『目的』……ミディアルデから聞いた、あの説が本当ならば……)
密かに自らの直属の騎士であるヴァーリカ隊を動かしレニ・パフ・アンドロポヨフを捉えるよう命じたのは、その『目的』のためである。
時計を見たスリーパーが、就寝時間だと言うように彼の前に振り子を翳す。
「毎夜すまない。……頼む」
悪夢に苛まれ、ろくに眠れぬこの身に出来ることは何だってしてきた。ベッドに寝そべり、振り子の揺れるのをじっと見つめていた後にゆっくりと瞳を伏せた皇帝は、今夜こそは苦しまずに眠れることを祈るのだった。
第四話 それぞれの夜