諦めるなんてもったいない! 作:赤井来
調査本隊の到着まで、あと二日——という朝だった。
夜明け前に、宿の扉が叩かれた。拳の音でただごとでないことはわかった。
スイが扉を開けると、廊下にロビンが立っていた。伝令の腕章。乱れた息。
そして、いつもの薄い酒の臭いがしなかった。
「探索者サマ、お目覚めかい。……仕事だ。悪い方のやつ」
「何があったの」
「盗掘だ。夜のうちに二人遺跡に入った。——で、出てきたのは一人だけだ」
◆
丘に着いたとき、空はまだ灰色だった。
遺跡の入り口の縄は刃物で切られていた。見張りの騎士がふたり、青い顔で直立している。
昨夜は霧が出た。交代の刻限のほんの僅かな隙を抜かれたらしい。
入り口の前の地面に男がひとり転がされて、若い騎士に足の添え木を当てられていた。
泥まみれで左の脛があらぬ方を向いている。
男はわたしたちを見ると、添え木も構わず身を起こそうとして悲鳴を上げたが、それでも喋った。
「だ、ダンが——ダンがまだ下にいるんだ! 棚が、棚が崩れて、あいつの足の上に……俺は、俺は助けを呼びに……」
「縄ぁ切って入った盗人が、助けを呼びにとはな」
レオンが煙草に火も点けずにくわえたまま男を見下ろした。
「下の様子を言え。崩れたのはどこだ。何段降りた」
「い、石段を……二度、折れて……広い部屋だ、柱の。そこの壁際の棚が、ダンが触ったら崩れて……なぁ頼むよ、あいつまだ生きてた、声がしてたんだ。頼むよぉ……」
男はそこで急にぶるりと震えた。折れた足のせいではない震え方だった。
「……下はよ、変なんだ。静かすぎる。俺たちの声しか、音がねぇの。あんな静かなとこ、入ったことねぇよ……」
「じゃあ入るんじゃなかったな」
レオンは男から離れ、入り口の暗がりを覗き、それからスイを見た。
「——探索者。状況は単純だ。中に生き埋めが一人。構造は不明。崩れた直後だ、二次崩落の見立てができるやつが居なきゃ、隊の人間は入れられねぇ。本隊の学者サマは明後日まで来ない。生き埋めの息は、明後日まで保たねぇ」
「うん」
スイは、もう鞄の留め具を外していた。
「正式な要請と受け取っていいんだね?」
「協会への割増しは払う。書類は後だ」
「割増しは要らないよ。こういうのは仕事の内だ。——条件はこっちもひとつだけ。中での手順は、ぜんぶボクの指示に従うこと。あなたもだよ、隊長殿」
「了解」
レオンは即答した。それから、控えていた部下のほうへ振り返った。
「ゴズ、中隊に伝達。丘の警備を二重にしろ。俺は中に入る」
「た、隊長が直々にですか」
「規定じゃ、未調査区画への立ち入りは指揮官判断、入るなら志願者のみだ。——で、俺ぁ部下に『志願しろ』って顔で言うのが嫌いでね。一番安いのは俺が行くことだ。文句があるなら書面でな」
そのやり取りの間に、駐屯地から駆けてきた一団が丘に到着していた。担架、ロープ、灯り。その中にイグナールの顔があった。彼は荷を下ろすなり、まっすぐレオンの前に立った。
「隊長。自分も中へ——」
「従士の出る幕じゃねぇ」
「ですが……!」
「二度言わせるな。お前は入り口で担架持ちだ。引き上げた怪我人を、医者まで生かして運ぶ。それが今日のお前の仕事だ」
イグナールは奥歯を噛んで、頭を下げた。下げた頭の角度が、納得の角度ではなかった。
「ロビン」
「へいへい」
「お前は入り口で中継だ。合図の縄と角笛。半刻ごとに俺たちから縄を二度引く。途切れたら、増援じゃなく撤収の支度をしろ。——いいか、誰も後追いで入れるな」
「了解。……ったく、こういう日に限って、酔いってのは醒めてるもんだなぁ」
ロビンはぼやきながら、もう縄の束を解いていた。手際は騎士たちの誰よりも早かった。
最後に、レオンの目がわたしに止まった。
「ガキは留守番——と言いてぇところだがな」
「彼女は連れて行くよ」
スイがわたしの肩に手を置いた。
「ボクの助手だ。それに——彼女は闇妖精だよ。中の暗さは彼女にとって慣れ親しんだものだ。灯りの届かない崩れの陰に生き埋めがいるなら、誰よりも先に見つけるのは彼女だ」
レオンはわたしを見た。今度のそれは道具の刃を検める目だった。
「……死んだら書類が増える。死ぬな」
それが許可らしかった。
◆
わたしには、闇は暗くない。
入り口の斜面を下りきって、灯りの輪の外に目をやったとき、それを久しぶりに思い出した。
切り石の廊下が、夜目の先にずっと伸びている。
白い石。崩れた柱。床に積もった、誰のものでもない長い時間。
静かだった。
盗掘者の言ったとおりだ。音がない。わたしたちの足音と、灯りの油の爆ぜる音のほかは何も。
静けさを知っているわたしが、それでも、と思うほどの静けさだった。
歩きながら床の埃に目を落として、その理由のひとつに気がついた。
足跡がないのだ。
盗掘者ふたりの新しい足跡と、わたしたちのものだけで、それだけ。
鼠の足跡も、虫の這った筋も、蝙蝠の落とすものも、何ひとつない。あの館の埃の上にさえ、小さな生きものの印は無数にあった。
どれだけ古い建物にも、生きものは住み着く。本にもそう書いてあったし、旅に出てからわたしはそれを何度も確かめた。
ここには住んでいない。
長い時間をかけて積もった埃が、一面まっさらだった。
生きものが、この場所を避けている。
手帳に書きたかったけれど、手は塞がっていたので覚えておくことにした。
「手順を言うよ」
先頭のスイの声は仕事の時の声だった。
「ボクが先導。ボクの踏んだ床以外は踏まない。壁と柱には触れない。三十歩ごとに、後ろから順に声を返す。返事のない者が出たら、全員その場で止まる。いいね」
「おう」
「ええ」
石段を二度折れて、下りた。
スイは要所要所で立ち止まり、白墨で床に印をつけ、小瓶の粉を撒いて何かを探る。
そして、天井の石組みを灯りで舐めるように検めた。
その手つきに、丘の上で「早く中が見たいなぁ」と言っていた人の浮つきは、欠片もなかった。
「……天井は保つ。しっかりくみ上げられている。崩れたのは後から積まれた棚のほうだ。行こう」
柱の並ぶ広間に出た。
崩れはその壁際にあった。石の棚層がまるごと傾いで、床に山を作っている。
そしてその山の陰——灯りの届かない暗がりに、わたしの目はそれを見つけた。
「いるわ。左の崩れの、奥。足を挟まれてる。——胸が動いてる」
「よし」
返事をしたのは、レオンだった。
◆
救出は、四半刻かかった。
スイが指を鳴らすと、風の精霊たちが瓦礫の山に潜り込んだ。大きな石が、薄紙を剥がすように一枚ずつ、音もなく持ち上がっては脇へ運ばれる。レオンが要所に肩を入れて支え、わたしは挟まれた男の頭の側に膝をついて、夜目で石の傾きを読み上げた。
「次の石、右に重心。下に空洞。落とすなら左へ」
「了解。——せーの」
半分まで掘ったところで、山が、いちど鳴いた。
ぎ、と石同士が擦れる音。残った山の頂が、男の胸の上へ向かって、ゆっくりと傾ぎ始める。
「右の長石、滑るわ!」
「肩、入れた!」
レオンが石の下に身体ごと割り込み、スイの風が間髪入れずに束になって支えた。
傾ぎが止まる。レオンの首筋に血管が浮いて、くわえたままの火のついていない煙草が、ぐにゃりと折れた。
「……っとに、後から積んだ棚ってのは、ろくなもんじゃねぇな」
「同感。——ベル、続き」
「ええ。頂の石から。左へ三つ、順番に」
最後の石が退いたとき、ダンと呼ばれた男は掠れた声で泣いた。足は潰れていたけれど、息はしっかりしていた。
レオンが男を担ぎ上げ、肩に固定する。折れた煙草は吐き捨てずに胸当ての隙間へ仕舞っていた。
「引き上げるぞ。来た道を戻る。手順は同じだ」
「うん。……ん?」
スイの返事が、途中で止まった。
広間の奥。柱の列の、さらに向こう。
灯りも夜目も届ききらない、降りてきた石段とは別の——下へ続く、大きな暗がり。
そこから、何かがこちらを向いた気がした。
音はなかった。風もなかった。
ただ、わたしの足元の影が、ほんのひと呼吸だけ、奥の闇のほうへ、引かれるように撓んだ。
「……スイ」
「うん。見なくていい」
スイの声は静かなままだった。静かなまま温度だけが消えていた。
「——出よう。いますぐ」
帰りの三十歩ごとの点呼を、スイは十五歩ごとに縮めた。理由を聞かなかった。
石段を登りきって、灰色の朝の光の中に出る。入り口でロビンが片手を上げて、
「おう、ご苦労さん。全員無事——」
その声の途中で。
丘が鳴った。
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