諦めるなんてもったいない! 作:赤井来
今日も楽しかった。ベルと旅を始めてから調子がいいや。
街道沿いの宿場町。相部屋の安宿。
ランプの油はけちられているし、ベッドはボクの足が三割ほどはみ出す寸法だけど、屋根と壁があるだけ上等というものだ。
さて、何から書こうかな。
まずは仕事の話。サナレットの依頼は、半分だけ片付いた。調査は完了。解呪は——すこし準備をしてくるって言って誤魔化しちゃった。
我ながら、なかなかの言い繕いだったと思う。嘘はひとつも言っていない。準備は要るのだ。それはもう、途方もなく要る。
なにせ解くべき呪いの正体が、いま隣のベッドで眠っている女の子なんだから。
彼女の三百年を解きほぐすのに何が要るのか、正直なところ、ボクにもまだ分からない。
分からないから、旅に連れ出した。雑な処方箋だって?
うるさいな。いい年だけど、こういうのは初めてなんだよ。
道筋のことも書いておこう。まずは北、商業中立都市ウェムナを目指す。
南の依頼から北へ向かうんだから、われながら遠回りだ。
でも理由はちゃんとある。
あの街は自由市で、角も鱗も毛皮も当たり前の顔で歩いてる。
銀の髪と青白い肌の女の子が、誰の二度見も浴びずにパンを買える街なんて、大陸にいくつもないんだ。エルフですらたまに二度見されるんだから。
世界の最初の一ページが好奇の目だなんて、あんまりだろう?
それに冬のウェムナは鍋が旨い。これは大事なことだから二度書いてもいい。鍋が旨い。
旅の初日の夜のことも、記録しておくべきだろう。
最初の宿で、ベルはベッドに入らなかった。部屋の隅の床に、膝を抱えて座ったんだ。
どうしたのと聞いたら、「ここでいいわ」と言った。よくない。よくないよ。
ベッドは二つある、片方はキミのだ、と説明したら、あの子はしばらくベッドと、ボクと、もう一度ベッドを見て、それから世にも疑わしそうな顔で——本当に、毒見でもするみたいな慎重さで——毛布の中に入った。
三百年、クッションひとつの隠し部屋で眠ってきた子だ。自分の場所が他にあるなんて、考えたこともなかったんだろう。
翌朝には、毛布はきっちり元通りに畳まれていた。別に畳まなくていいんだよ、と言うべきか迷っている。
あの几帳面さは、あの子が三百年を生き延びるのに使った道具のひとつだ。道具を取り上げるのは、代わりの道具を渡せるようになってからでいいのかな。
それと、ベルは信じられないほど寝相がいい。
毛布の端と端をきっちり揃えて、両手を胸の上に組んで置物みたいに眠っている。
寝返りひとつ打たない。呼吸の音も耳を澄まさないと聞こえない。
ずっと、ああやって眠ってきたんだろう。誰にも見つからないように。
音を立てないように。場所を取らないように。
子供の寝相っていうのはね、もっとひどいものなんだ。
ベッドから落ちて、毛布を蹴っ飛ばして、あらぬ方向に手足を伸ばして。
ボクはあの寝相の悪さこそが、世界への信頼ってやつだと思っている。
それは、落ちたって誰かが拾ってくれる、と身体が知っていることだ。
だからボクは、あの子がいつか盛大にベッドから転げ落ちる日を、楽しみにすることにした。
手記にこんなことを書くなんて、ボクもずいぶん感傷的になったものだ。あ、お酒は飲んでないよ。念のため書いておくものとする。
↑ 嘘つきめ。未来の自分にいい顔を見せようとするな!
後は買い物の覚え書き。
・子供用の旅靴
・外套
・手袋
・帽子
出来れば全部、毛織りのやつがいいかな。
彼女は寒さに強いんだろうけど、強いことと、平気なふりをすることは別の話だからね。
それと、もういっこだけ書き留めておく。
『ほしのみち』
理由は…まぁ、ボクの胸の内ってことで。手記にまで全部書いてしまったら、楽しみがないじゃないか。
ランプの油が、そろそろ尽きそうだ。
今日はここまで。明日は峠をひとつ越える。あの子は峠の向こうを知らない。
峠の向こうどころか、雨も、市場も、川の渡し舟も知らない。
つまりこの先しばらく、ボクは世界をまるごと一冊、最初の一ページから見せてやれるってことだ。
ふふ。楽しみな仕事だね、まったく。
◆
そこまで書いて、ボクは手帳を閉じる。
——はぁ。
左の手首がやけにかさつく。年かな?
エルフに年なんて関係ないんだけどね。
そろそろ雨が降りそうだし、我慢かな?
次話から完結まで毎日投稿です。
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