GOKUSEKA - プロセカ×GOKUSAI 作:ゆのいん
美術館からほど近い、落ち着いた雰囲気のカフェ。アンティーク調の木製テーブルを挟んで、東雲絵名と由冬リロは向き合って座っていた。
(な……なんか流れで連れてこられちゃったよ。意外と押し強いな、この子……)
気まずそうに視線を泳がせるリロ。
「あの、由冬さん。さっきの『視線』っていう絵のことなんですけど……」
対する絵名は、身を乗り出すようにして真剣な眼差しを向けている。
「どうやったら、あんな風に感情を直接ぶつけたような迫力が出せるんですか? 私、いつもどこかで『評価されなきゃいけない』って気持ちが先行しちゃって、そうすると、かえって上手く描けなくなって……」
(ううっ。そんな純粋な目で聞かれても……)
絵名の熱意は本物だ。アーティストとして先達であるリロから何かを吸収しようとしている。だが、いかんせんリロのコミュニケーション能力が、絵名の期待に追いついていなかった。
しかも、絵名の質問は真っ当すぎて、リロのような人間には答えにくい。
(迫力とか感情とか……そんな綺麗なもんじゃないよ。ドロドロしたものを絵に吐き出さないと、やってらんないだけ……)
リロは何か言おうと口を開いてみるが――
「あ、その……」
「はいっ」
「いや……別に、何も考えてなくて……ただ、描かないと耐えられないっていうか……」
「耐えられない……なるほど、衝動のままに……っ!」
「あっ。いや、もちろん、技巧的にはいろいろ考えてるんだけど……ご、ごめん、なんか、上手く言えなくて……」
絵名が真剣に聞けば聞くほど、リロは萎縮して口ごもってしまう。気まずい沈黙がテーブルに降り、絵名は内心焦っていた。
(どうしよう、全然話が弾まない……せっかく美術館に作品が展示されるような人の話が聞けるチャンスなのに……!)
やはり、アングラ風な美大生と初対面でいきなり打ち解けるなんて、自分にはハードルが高すぎただろうか。
そんな絵名をよそに、リロはリロで内心焦っていた。
(あわわ……まずいよ。このままじゃ真剣に質問してる後輩に何も助言できないクソ絵描きだと思われる。な、何か良い手は……あっ)
(こっ……これだッ)
リロはテーブルの端に立てかけられたメニュー表の一角を見つめて、何かを決心した。
「すいません」
リロが、すっと手を挙げて店員を呼んだ。
「あ、何か追加しますか? 私、ケーキでも……」
絵名もメニューを見ようとした瞬間、リロの口から信じられない言葉が飛び出した。
「赤のボトルください」
「……はい?」
「あ、グラスは一つで大丈夫です」
「かしこまりました」
店員が恭しく一礼して去っていく。絵名はポカンと口を開け、数秒遅れて事態を把握した。
「えっ……いやいやいや、カ……カフェでお酒っ!? ていうか私、まだ高校生なんですけど!?」
パニックになる絵名に対し、リロは身をすくめながらも、なぜかそこだけは譲れないというようにドクロのバッグを強く握りしめた。
「あっ、いや! も、もちろん絵名ちゃんに呑ませるわけじゃないからッ。わ、私……呑んでる方が、話しやすくて……」
「話しやすいからって、普通いきなりボトル頼みます!?」
「あ……あはは……」
リロは誤魔化すように目をそらして笑った。
やがて運ばれてきた赤ワインのボトルを、リロは手慣れた手つきで開け、グラスになみなみと注ぐ。そして、水でも飲むかのように一気に半分ほど煽った。
「ぷはぁっ……」
アルコールが入った途端、リロの伏し目がちな瞳から、先ほどまでのオドオドとした揺らぎが急速に薄れていく。
(あ……あれ……? なんか、急に空気が……)
――――十分後。
「だーかーら! 絵名ちゃん、気を病むなッ! 美大なんて入っても就職できねーし、良いことなんて一つもねーよチクショーッ!」
静かだったカフェの店内に、呂律の回らない怒声が響き渡っていた。テーブルの上には、早くも空になりかけの赤ワインのボトルが鎮座している。
「私だってちょっと前まで中退しようと思ってたし! ウチの美大なんか"東美"より断然格下だから、卒業生の半分くらいは"消息不明"なんだよおっ!」
「ひっ……は、はい……!」
どんっ! と乱暴にグラスを叩きつけるリロの迫力に、絵名は半泣きで相槌を打つことしかできなかった。
「あーもう、飲まなきゃやってらんねーっ! すいませーん、赤もう一本ッ!」
「由冬さん、もうやめといた方が……! ていうかお店の人、露骨に嫌な顔してますって!」
「知るかよアホッ! 頼まれて嫌ならなんでメニューに載せてんだよッ」
絵名の制止も空しく、キレ散らかしながらグラスに残ったワインを煽るリロ。さっきまでビクビク縮こまっていた姿は見る影もなく、まるで“第二の人格”。
(ど、どこまで酒乱なんだこの人は……っ)
ドン引きしながらも、絵名はどうしても彼女の話が聞きたかった。むしろ、こんな崖っぷちの精神状態で描いている人の言葉の方が、なおさら今の自分には必要な気もする。
「あ、あのっ! ひとつ、質問してもいいですか」
「おおっ、なんだよ言ってみろよっ」
「今習ってる先生に、私の武器は"世界観"だって言われたんです。自分が本当に描きたいものを描く時に実力を発揮できるって」
「……それで?」
「描きたいものを描くと言っても、評価されなきゃ受からない。なのに、評価を気にして描くと、全然いい絵にならないんです。描きたいものを描いて自分の世界を出して、しかも評価されなきゃいけないって……どうすればいいのか、わからなくて」
「ふぅん……そういうことか……」
微妙に焦点が合ってなかったリロの目が、やっと絵名を捉えた。
注文した二本目のボトルは、まだ運ばれてこない。店の奥で準備に手間取っているのか、それとも露骨に酔っ払いを警戒されているのか。空になったグラスを指先でいじりながら、リロは呟いた。
「まず……確かに、他人の評価は絶対の前提だよ。悔しいだろうけど、仕方ないんだ」
「えっ……」
一転して落ち着いた調子で口を開いたリロに、絵名は肩をビクッと跳ねさせた。
「プロを目指してる奴が、自分で自分に花丸つけて終わりじゃ話になんねーよ。"誰にも評価されないし金にもならないけど自分だけ満足してます"ってのはなあ、独りよがりなオナニーっていうんだよっ!」
(お、お、オナ……ッ!?)
絵名の交友関係において、そんな語彙を大っぴらに使う人間は絶対にありえない。低俗な比喩に動揺しながらも、絵名はリロの勢いに圧倒され、耳を傾けるしかなかった。
「ウチの画塾の連中だって、他人にどう評価されるか、自分の絵にどれだけ価値をつけさせられるか……私なんて足元にも及ばない天才共が、毎日そんなことばっかり考えてしのぎを削ってるんだっ!」
(……天才でも、評価を……)
忌憚のない意見というより、なりふり構わず愚痴を吐き出すような言い方だった。
しかし、常日頃から『自分は他人の評価ばかり気にしていて、アーティストとして不純なのでは』という後ろめたさを感じている絵名にとって、この酔っ払いの言葉には確かに心に響くものがあった。
「……でも。それって結局……私も、評価を気にして描くしかないってことですか?」
「うーん……そうなんだけど、そうじゃないっていうか……」
リロはぐしゃぐしゃと赤い髪を手でかき混ぜるように掻いた。そして、空のグラスを睨んで黙り込み、しばらく言葉を吟味してから、再び口を開いた。
「……評価を求めるってのは、消費者のご機嫌取りをするってだけじゃない。むしろ、自分とひたすら向き合わなきゃいけないんだよ。好きなもの。ムカつくもの。目を逸らしたいもの……自分の中のいちばん深くにある何かを、作品の材料にするんだ」
二本目のボトルが来ない間に酔いが少し引いたのか、彼女は先ほどより流暢に言葉を紡ぎ続ける。
「綺麗なものを綺麗に描いたら、普通じゃん。誰にでも見せられる形に整えるほど、誰の心にも引っかからない"つまんねー絵"で終わるんだよ」
(『つまんねー絵』……)
――『無難』、『無難すぎる』、『無難に行き着く』。雪平先生に何度も言われた言葉がフラッシュバックする。
「自分の内面と限界まで向き合って……使えないものは切り捨てて……最後に残ったものが"アート"なんだ。そうやって生み出されたものは、強烈に人の目を惹きつける。絵名ちゃんが"評価"とか"自分の世界観"とか言ってるもんは、別々の話じゃないんだよ」
絵名は、息を呑んだ。
評価と、世界観。ずっと、相反する二つだと思っていた。評価されようとすれば迷走し、自分を出すだけでは評価が宙に浮く。その二択の前で、足が竦んでいた。
(自分の世界観を突き詰めることが、結局は評価されることにもつながるってこと……?)
「絵名ちゃん。誰かに渡されたお題とか、誰かの世界を通さずに、自分の中でいちばん深く刺さってるものから絵を組み立てたことはある?」
「…………」
頭の中を、ものすごい速さで記憶が巡る。
奏とまふゆの曲。瑞希の映像。雪平先生の課題。『自分』、『孵化』、『目印』、『手』。
確かに自分の想いはあった。自分の見た世界も、大事なものも、描いてきた……と、思う。
でも、入口はいつも、自分の内側というより、自分の外にある誰かや、誰かから渡されたものの解釈。
(自分から、自分で……自分を……)
「……ある、とは思います。自分の想いを描いたことは」
「うん」
「でも……そこまで深く突き詰めて考えたことは、たぶん、一度もなかった。自分の中の、いちばん深い想いを……作品の真ん中に置いたことは」
ふいに、美術館で見たあの絵が、脳裏に蘇る。
「……由冬さんの、あの『視線』っていう絵」
「うん」
「あれは、由冬さん自身なんですね。由冬さんの……いちばん隠したかったところ」
酩酊気味に細められていたリロの目が、わずかに見開かれた。何か言いかけて、けれど言葉にならず、口の端がぐにゃりと歪む。
絵名は、テーブルの下で、ぎゅっと拳を握った。
自分の内面の更に奥底なんて、見たいものではない。ましてや、それを作品にして誰かの目にさらすなんて。
だが、そうすることで、ずっと手探りで探していた"何か"の輪郭に触れられそうな気がしていた。
「私も……描いてみたいです。自分を。綺麗に切り分けられないところまで、ちゃんと」
その言葉に、リロは、何も返さなかった。
ただ、空になったグラスをぼんやりと見つめていた。