雪と星のゴジラのアカデミア   作:lambdazero

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プロローグ 怪獣の目覚め

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、唯ちゃん! 唯ちゃんはどんな個性が発現すると思う!? 僕、やっぱりオールマイトみたいな、すっごく強くて、みんなを笑顔にできるヒーローの個性がいいな!」

 まだ瑞々しい緑色の髪を揺らしながら、四歳の緑谷出久は目を輝かせていた。その手には、お気に入りのオールマイトのフィギュアが固く握られている。

「ハッ、出久の癖にヒーローなんてなれるわけねえだろ! 俺の『爆破』が一番最強なんだよ! 唯だって、俺の後ろをついてくるのがお似合いだ!」 

 その隣で、まだ四歳とは思えない傲岸不遜な笑みを浮かべた爆豪勝己が、自身の掌をパチパチと鳴らした。小気味よい爆音と共に、オレンジ色の火花が砂場を照らす。

 幼稚園でいち早く個性を発現させ、大人たちから「将来はトップヒーロー間違いなし」と絶賛されている勝己にとって、世界は自分を中心に回っていた。

 その日は、出久と唯の二人が、個性の発現が遅いことを心配した親たちに連れられて、総合病院の「個性因子外来」を訪れた日だった。

 すでに個性を獲得している勝己は、退屈な検査の待ち時間に「俺の凄さを見せてやる」と言い張り、ただの付き添いとして勝手についてきていた。病院の裏手にある小さな公園。

 二人の幼馴染の喧騒を、真っ白なボブカットを揺らしながら、星野唯はただぼんやりと眺めていた。吸い込まれそうなほど鮮やかな蒼い双眸は、どこか年齢にそぐわない冷めた光を宿している。

「私は……何でもいいよ」

 唯は小さく呟いた。その声は、自分のものなのにどこか遠く、他人のもののようだった。違和感は、その日の朝からずっと、彼女の全身を内側から蝕んでいた。

 体がおかしい。いや、正確には「軽すぎる」のだ。地面を踏み締めている感覚が、完全に消失している。歩いても、走っても、まるで足の裏と大地の間に薄い空気の層が挟まっているかのようだった。

 地球の重力という見えない鎖が、自分の肉体からだけ綺麗に外れてしまったかのような、奇妙で不気味な浮遊感。それでいて、皮膚の裏側を流れる血液は、ドロドロとした鉛のように重く、熱く、不規則に脈打っている。

「おい、唯、お前なんか背中痒いのかよ? さっきから変だぞ」

 勝己が不機嫌そうに眉を顰めて、唯の背中を指差した。言われて初めて気がついた。背中の中心、脊椎に沿って、骨が無理やり内側から肉を突き破ってくるような、猛烈な激痛と不快な痒みが走っていた。

「……あ、つ、い」

 唯の口から、掠れた声が漏れる。視界が急激に歪み、蒼い双眸が瞬時に混濁した。それは、個性の「発現」などという生易しいものではなかった。檻の中に閉じ込められていた「星の頂点」が、外の世界の空気に触れて、一気にその巨大な顎を開いた瞬間だった。

「唯……ちゃん?」

 出久が怯えたように一歩下がった。オールマイトのフィギュアが、砂の上にぽとりと落ちる。唯の背中、幼児服を内側から無残に引き裂いて、黒結晶のような、禍々しくも美しい「背鰭」が不規則に突き出してきた。それは生物の骨のようでありながら、植物の葉脈のようでもあり、どこかナノ金属的な鈍い光沢を放っている。

 ドクン、と世界が爆音を立てて脈打った。唯の肉体を中心に、目に見えない強烈な「波動」が円状に広がっていく。

 パシッ、パチチチチ……!

 次の瞬間、病院の窓灯りが、公園の街灯が、出久の母親が持っていたスマートフォンの画面が、一斉に不気味な音を立てて弾け飛び、青白い火花を散らして沈黙した。半径数百メートルに及ぶ、電子機器を完全に沈黙させる超強力なEMP。それが、地球そのものの意志を宿す植物生命体――『アース』の目覚めの産声だった。 

「ぎゃああああっ!」

「なんだこれ! 手が、個性が、出ねえ……っ!」

 勝己が自分の手のひらを何度も握り締め、顔を歪めた。さっきまで誇らしげに散らせていた爆破の火花が、今は煙すら上げずに立ち消える。

 唯の体細胞から放射される強力な電磁気と、未知のエネルギーの圧力。それは周囲のあらゆる物理干渉、ひいては「個性」という生物の機能を完全に中和・遮断していた。非対称性透過シールド。

 触れるものすべてを拒絶する、絶対的な神の衣が、四歳の少女の周りに展開されていく。

「痛い、いたい、痛い、痛い……!」

 唯は頭を抱えて地面に蹲った。アースの細胞と能力を宿した彼女は、重力の概念、つまり自重が完全に消失している。そのため、どれだけ苦しんで暴れても、彼女自身の質量で地面が割れることはない。

 しかし、その異常なまでの軽さとは裏腹に、彼女の周囲の「空間」そのものが、出力されるエネルギーに耐えきれずに悲鳴を上げていた。背中から突き出た漆黒の背鰭が、パチチ……と、今度は銀白色の光の粒子を放ち始める。それは、雪の降る世に現れるという次元の神――『雪のゴジラ』の力だった。

「あ、あああ……っ!」

 出久は恐怖のあまり涙を流し、身動きが取れなくなっていた。四歳の子供たちの前に広がっていたのは、単なる「強い個性」の輝きではない。

 唯を中心にして、空間が紙細工のようにパチパチと音を立てて削り取られていく。銀白色の光の粒子が舞うたび、そこにあるはずの空気や地面、公園の遊具が、別の次元へと吸い込まれるように「消失」していくのだ。

「誰か……だれか、助けて……っ!」

 出久の叫びは、唯の口から放たれた「咆哮」によって完全に掻き消された。それは、人間の少女の喉から出るはずのない、地響きのような、金属を激しく擦り合わせたような、あまりにも有名な『怪獣王』の鳴き声。戦後の日本を焦土に変え、人類史において「最後のユーマ」と呼ばれた恐怖の象徴。その名を知る病院の大人たちが、遠くから悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。

「ゴジラだ……ゴジラが、出たぞ……!」

 世界の理が、その小さな白髪の少女を中心に、確実に崩壊へと向かっていた。

 ――ドンッ!!!

 大気を爆破するような凄まじい衝撃音と共に、金色の閃光が公園に舞い降りた。砂煙を割って現れたのは、誰もが知る「平和の象徴」。

「もう大丈夫だ! なぜって、私が――」

 いつもの、世界を安心させる万能の笑顔。しかし、そのセリフは最後まで紡がれることはなかった。オールマイトの鋭い眼光が、暴走する白髪の少女を捉えた瞬間、彼の額から冷たい汗が伝う。

「……これは、まさか。あの最後のユーマ……!?」

 オールマイトの脳裏に、かつて宿敵である魔王との戦いの過程で耳にした、世界の裏の歴史が過った。

 個性が生まれる前、この星に確かに実在した、生態系の頂点。目の前の少女から溢れるプレッシャーは、それと同質、いや、それを遥かに凌駕する異質な神格を帯びていた。

「静まりなさい、少女……!」

 オールマイトは地を蹴った。手加減をしながら、しかし確実に暴走を止めるための突撃。だが、彼の拳が唯の身体に触れる寸前、目に見えない半透明の障壁――透過シールドが、彼の放った何トンの質量もの衝撃を、完全に「無」へと中和した。

「何っ!?」

 驚愕するオールマイト。その目の前で、唯がガチガチと歯を鳴らしながら顔を上げた。蒼い双眸は完全に光を失い、その小さな口が大きく開かれる。

 背鰭から溢れ出た銀白色の光粒子が、一気のその口腔へと収束していく。炎でもない、レーザーでもない、時空間そのものを捻じ曲げる、絶対的な次元の光線。

 ――轟っ!!! 

銀白の熱線が、オールマイトの巨躯を正面から捉えた。

「――が、あ、ああっ!?」

 世界最強の男の身体が、光線に呑まれた瞬間。文字通り、彼はその場から「消滅」した。

 爆発して吹き飛んだのではない。現世の時間軸、この座標から、オールマイトという存在が丸ごとドロップアウトされたのだ。

「オール……マイト……?」

 出久の目が絶望に染まる。勝己もまた、己のプライドを粉々に砕かれ、言葉を失ってその光景を凝視していた。だが、世界のバグはそこからだった。

 唯の放った時空転移光線は、直撃した対象を別の歴史、別の可能性の世界――『異聞帯』へと強制的に叩き落とす。

 落とされた者は、時間の概念のない時空の狭間を彷徨うことになる。しかし、八木俊典という男のヒーローとしての執念と、彼が宿すワン・フォー・オールの熱量は、世界のシステムをも凌駕した。

「私は――まだ倒れるわけにはいかないのだよ!!!」

 一瞬。ほんの、瞬き一つの間に。

 消え去ったはずの空間の裂け目を、力技でブチ破って、金色の男が「戻ってきた」。

 だが、その姿は何かが決定的に異なっていた。戻ってきたオールマイトの肉体は、先ほどまでの「現世の八木俊典」ではない。

 かつて超常黎明期の死闘で宿敵から負わされたはずの、腹部の重傷が、綺麗さっぱり消え去っている。それどころか、皮膚から溢れ出るプレッシャー、筋肉の張り、そのすべてが、彼の人生における最高の瞬間――五体満足な『全盛期』の肉体そのものに「上書き」されていた。

 唯の時空光線が、別の可能性の世界にいた「傷のない全盛期のオールマイト」の情報を、現世の彼に強制的に上書きし、固定化してしまったのだ。

「おおおおおっ!」

 全盛期のフルパワーを取り戻したオールマイトが、咆哮と共に拳を振るう。だが、唯の暴走は止まらない。恐怖に駆られた防衛本能が、再び銀白の熱線を放つ。直撃、そして消滅。次の瞬間、またしても時空を割って、さらに狂暴なほどの輝きを放つ「全盛期のオールマイト」が戻ってくる。

 ドロップアウトと、異聞帯の上書きによる完全復活。それを、暴走の度に見えない速度で数回、繰り返した。繰り出される拳の風圧だけで、周囲の病院の建物がドミノのように倒壊していく。

 世界最強の男が、世界のバグによって、限界値のない「常時フルパワーの生ける神」へと書き換えられていく、地獄のような光景。

 四歳の二人の幼馴染は、ただそれを見上げ、本能的な恐怖に精神をすり潰されていた。

「――う、あ、あああああ!」

 その極限の負荷の中、唯の脳内で、パズルのピースが爆発的な速度で噛み合っていった。

(私は……私は、星野唯。いや、違う。私は……)

 濁っていた蒼い双眸に、明確な「知性」と「前世の記憶」が宿る。転生の自覚。

 此処はヒーローアカデミアの世界。

 自分は、何かの弾みで此処に来た。

 周囲に居るのは、幼いはずの主人公とそのライバル。

 自分の立ち位置は、その幼馴染み。

 それと同時に、自分の肉体に紐付けられている「個性」の正体を、前世の知識を以てして、完璧に理解してしまった。

(これ……まさか、ゴジラアース……!? それに、雪のゴジラ!? 時空を超えるって話の!? なんで二体のゴジラが、私の個性になって……!?)

 そして、目の前を見る。そこには、自分の放った光線のせいで、本来のシナリオの歴史から完全に逸脱し、胃の傷すら消え去って「常時フルパワー」と化した、文字通りの化け物――オールマイトが、拳を振り下ろそうとしていた。

「少女! 正気に戻るんだ!!」

 二つの規格外のゴジラの力を以てしても、彼の暴走を止めるための突撃を完全に防ぎきることはできない。

 全盛期の100%のナックルが、唯の透過シールドを激しく叩く。

 バリバリと空間が裂けるような凄まじい衝撃波。

 その笑顔が、その正義の光が、今の唯には、世界のバグを生み出してしまった自分を圧殺しに来る「恐怖の象徴」にしか見えなかった。

(怖い……怖い怖い怖い!!!)

 転生を自覚したからこそ、この状況の異常さが理解できる。自分が宿した二つの規格外のゴジラの力。

 それに対抗するために、目の前の男は「人」をやめて「神」になってしまった。

(私、ここにいたら消される。ヒーローに潰される!)

 ドン、と一際大きな衝撃波が走り、オールマイトの拳がシールドの出力を一瞬だけ上回った。唯の小さな身体が、後ろへと大きく吹き飛ぶ。

「唯ちゃん――ッ!!!」

 土煙の向こうから、出久の叫び声が聞こえた。必死に手を伸ばしている。

 勝己もまた、己の無力さと目の前の圧倒的な光景への恐怖に顔を歪めながら、彼女の姿を目で追っている。

 だが、着地した唯の幼い足が、幼馴染の元へ向かうことは二度となかった。自重の消えた肉体は、風よりも軽く、誰よりも速く動くことができる。

 唯はオールマイトから、光から、解き放たれた「全盛期」の恐怖から必死に目を背け、ただひたすらに、背中の背鰭を隠すようにして、倒壊した街の瓦礫の隙間へと逃げ出した。

「待ってくれ! 少女!!!」

 オールマイトの声が遠ざかる。四歳の少女の逃走劇。それは、世界の理を壊した怪獣娘が、歴史の表舞台から姿を消した瞬間だった。

 逃げて、逃げて、どれだけの時間が経っただろう。夕闇が街を包み込み、冷たい雨が降り始めた寂れた路地裏。真っ白な髪を泥で汚し、サイズの合わないダボダボの服を濡らした唯は、ゴミ捨て場の影で膝を抱えて震えていた。

「もう……嫌だ。関わりたくない……」

 前世の記憶があるからこそ、自分のしでかしたことの重大さが分かる。原作は完全に壊れた。

 オールマイトは弱体化しない。私は世界をバグらせた戦犯だ。

 これからどうすればいいのか。どこへ行けばいいのか。

「おや、こんなところに、小さなお嬢さんが迷子かな」 

 暗闇の奥から、ひどく穏やかで、しかし心臓を直接掴まれるような、重低音の声が響いた。カツン、カツンと静かに靴音を響かせて現れたのは、高級なスーツに身を包んだ、顔のない男。

 ――オール・フォー・ワン。

 この世界の闇の支配者、魔王その人だった。

「……っ」

 唯は本能的に背鰭を尖らせ、透過シールドを展開しようとした。魔王は楽しげに笑い、唯の頭部に向けて手を伸ばす。その個性を「奪う」ために。

 パチッ……! 

 しかし、魔王の掌が唯の髪に触れる直前、シールドの電磁気が彼の干渉を完全に弾いた。個性を抽出するための因子接触すら、アースの拒絶が許さない。

「ほう……?」

 魔王の、顔のない頭部が微かに傾く。

「僕の『個性』が通じない、か。なるほど、君は『個性』という枠組みの中にいないのだね。戦後に現れたという、あの最後のユーマ……いや、それ以上の『何か』か」

 魔王の言葉を聞きながら、唯は深く蒼い瞳を閉じた。

(ああ、やっぱり。逃げても無駄なんだ。オールマイトから逃げたら、今度はこっちに捕まる。この世界に転生した時点で、私の平穏なんて、最初から存在しなかったんだ……)

 冷徹な諦念が、四歳の少女の心を支配していく。もう、どうでもいい。関わりたくないけれど、関わってしまった以上、抗うだけ無駄だ。唯は、泥に汚れた顔を上げて、静かに言った。

「……個性を奪うのが目的なら、諦めて。私にも、どうにもできないから」

「おや、幼いのに賢い子だ。では、取引をしようか?」

 魔王は残酷に、しかし紳士的に微笑んだ。

「君のその力の本質は奪えないが、君の肉体……その『細胞』を少し分けてもらうことはできるだろう? 君が僕に協力してくれるなら、君を執拗に追いかけるであろう、あの傲慢な『平和の象徴』から、僕が君を隠そう。誰にも脅かされない安全で贅沢な生活を保障するよ」

「……わかった。好きにして」

 唯は抵抗を止めた。

 もう、前提が壊れてしまった。壊してしまった。

 こうして、壊して諦めた怪獣(ゴジラ)は魔王の庇護下に入り、歴史の闇へと完全に埋没した。

 世界がその裏で、どのようにバグり果てていくかも知らぬまま、10年の歳月が流れるかも分からずに。

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