夕焼けの空が血のような赤で街を染め上げている。
セミロングの白い髪を靡かせ、少女──
響き渡るのはおよそ曲とはいえない凶音、しかし決して雑音ではなかった。鼓膜を破く勢いのフィードバックノイズと狂気的なディストーション。
それは決して彼女の喉が出ることの無い
──数年前、小学生の翠はアメリカにいた。父親の仕事の都合で引っ越すことになり、4人の幼馴染達とも離れ離れになった。
異国の地で経験したのは、冷たい教室、言葉が通じない恐怖、それでいて自分を嘲笑っていることだけは伝わってくる罵倒。痛み、悲しみ、いじめが激しくなると同時に翠は言葉を失っていった。
あまりのストレスで言葉を発することが出来なくなり、鮮やかなピンク色だった髪は白髪へと変色、それが一層いじめを加速させた。
「……ッ──」
思い出したくもない過去を思い出してしまい、翠はギターの音をより凶暴にしていく。まるで記憶を全て吹き飛ばすかのように。
翠が中学2年生になる頃、ようやく日本に帰国することができた。宮益坂女子学園の中等部に編入した翠はあの頃の幼馴染達が同じ学校にいることを知る。
あの頃のように遊んで、バンドをやって……そう希望を抱いた翠は現実に絶望することになる。あれほど仲の良かった幼馴染達は疎遠になっており、目を合わせてもギクシャクした空気が流れていた、一人は入院生活を送っているとも耳にした。加えて翠は言葉も髪色も失っており、明るかったあの時とはまるで別人。廊下ですれ違う彼女達は……誰も気づいてくれなかった。
強引に腕を掴んで、喋ることの出来ない代わりにスマホで『私、翠だよ! 覚えてない?』と言えれば違ったかもしれない。入院しているあの子のお見舞いに行ければ──。
しかし翠は怖かった、アメリカでのトラウマ、関係の崩壊している幼馴染達。また失うのが、怖かったのだ。
それから翠は学校にも行けなくなり、何とか卒業したあとも宮益坂女子学園の高等部ではなく神山高校に進学した。だが高校にはあまり行けておらず、ただギターを鳴らす日々を送っている。物心ついた時から弾いている相棒、ギターは声を出せず、表情も動かない翠が唯一感情を表に出せる手段。その実力はいつの間にプロレベルに達していた。
「…………ッッ!!」
声にならない声が漏れる。翠は涙を流したながら、更に激しくピッキングした。世界への怒りを、不条理への呪いを、全て指先に込めて、弦をぶった斬る程の勢いで。それが翠の魂からの叫びだった。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
──ビビッドストリート。
「♪ ──!!♪ ──!!」
少女は──歌っていた、叫んでいた。己の激情を全て歌に乗せ、怒りも悲しみも悔しさも、全てぶちまけて。オーディエンスに、この街に、全てを吐き出すように。
「♪ ────ッッ!!」
少女──
「いいぞ〜! 萌衣!」
「萌衣ちゃん最高!」
「サンキュ! だけどまだまだこれからだ!!」
萌衣はこの街が好きだ。ここの人達はちゃんと萌衣を見てくれる。萌衣の歌も、叫びも、歌も、真正面から受け止めてくれる。
萌衣の両親は娘の教育に熱心だった、もはや異常と言ってもいいくらいに。父親は大企業の役員、母は名門校の教師。エリート街道を歩んできた両親は、娘にも同じ道を歩かせようとした。しかしそのやり方は、あまりにも過激だった。
『なんでこんな問題も解けないの!? 出来ないのなら、人の100倍努力しなさい! 眠くなったのなら冷水を浴びて目を覚ます!! 英単語が覚えられないのなら寝てる間にも大音量で流す!! あなたにはその覚悟が足りないのよ!!』
『見てみろ萌衣、学のない人間はああやって安い給料で他人に搾取される。お前はエリートの道を歩むんだ、遊びもゲームもお前には一切不要だ』
『……はい』
幼い頃から英才教育を受けた萌衣は名門の私立中学でも成績はトップ。しかし、友達はおらず学校以外の時間は常に勉強。そんな生活を耐えかねた萌衣は、ある日の学校帰りに寄り道をした。どこでもいい、あの家に帰らなくていいのなら。
──フラフラと彷徨い歩いた萌衣がたどり着いた先は、ビビッドストリートと呼ばれる場所だった。日も少し落ちてきて暗くなる中、萌衣は心細くなり立ち尽くしていた。
『どうしたの? こんなところで』
そんな萌衣に声をかけたのが、後に伝説の夜と呼ばれる『RAD WEEKEND』の立役者の一人、凪だった。
萌衣はそれから度々学校帰りにビビッドストリートを訪れ、凪に歌を教えてもらうようになった。その時間は萌衣にとってかけがえのないものであり、灰色の人生に色を与えてくれる希望だった。そして1年後、萌衣は『RAD WEEKEND』の目撃者の一人となる。私もこんなイベントをやってみたい! 他の者達と同じように、萌衣もそう思うようになっていった。
そうして時は流れ萌衣が高校2年生になった頃、名門進学校に進んだ萌衣は変わらず勉強漬けの日々を過ごしていた。だが、ビビッドストリートには時々訪れて歌っている。親には図書館で勉強していると言って。
「萌衣! この間のイベント、最高に楽しかったね! また勝負しよ!」
「ああ! 今度も私が勝つけどな!」
「今度もって……この前は私の勝ちだったでしょ!」
「いや、あれは私の勝ちだ!」
白石杏は萌衣の一つ下の女の子で、昔からこの街で歌っている女の子。凪の紹介で知り合った二人はライバル関係にあった。
「そういえば、まだ凪さん帰ってこねーの?」
「そうなんだよね〜早くレベルアップした私の歌を聴かせてあげたいのに」
凪はアメリカに行った、そう聞かされてもう数年が経っている。凪を一番慕っていた杏はその帰りを待ち続けていた、もちろん萌衣も同じだ。
「じゃあ私、父さんの手伝いしなきゃだから!」
「ああ、またな!」
そう言って杏と別れる。萌衣もそろそろ帰らないと両親に怪しまれる時間だ、少し歩いたところでCDショップの横を通りかかった。
(まだ……帰りたくねぇな。ちょっとだけ寄っていくか)
家に帰ればあの両親に勉強を強制させられる、それは耐え難い苦痛だ。苦し紛れだが、少しでも帰るのを遅らせるために萌衣はCDショップに入ることにした。
──だがここで、萌衣は真実を知ってしまうことになる。
(あれ、店主のオヤジいねぇのか? 相変わらず不用心だな)
ここの店主が店を空けているのはたまにある事だった。鍵も閉めずに不用心だと呆れていると、奥から話し声が聞こえてきた。
「しかしもう2年か……未だに信じられないよ」
(……なんだ、いるんじゃねぇか)
「凪ちゃんが……この世にいないなんてさ」
「……は?」
店主が客と話していたこと。それを聞いた萌衣は耳を疑った、凪がこの世にいない。つまり……アメリカから帰ってこないのは──
「おい、どういうことだよ」
「……!? 萌衣……今の話聞いて……!?」
「凪さんがこの世にいないって……どういうことだ!!」
掴みかからんとする程の勢いでまくし立てる萌衣に、店主はこれ以上隠せないと悟ったのか真実を語り始める。そして萌衣は知ってしまった、『RAD WEEKEND』は凪が人生最期に全てを賭けて行ったイベントだと。
「凪さんが……ッッ!!」
凪と出会った時のこと、歌を教えてもらったこと、杏や杏の父も一緒になって食事をしたこと、そして『RAD WEEKEND』の夜のことも、涙が溢れそうなのを必死に堪える。そして何より一番に思い浮かぶのは、杏のことだ。
「ふざけんな! なんでそれを黙ってた!? 杏は……杏は……凪さんが帰ってくるのをずっと待ってるんだぞ!!」
「凪ちゃんの頼みだ……杏には言わないで欲しいって」
「だとしても……杏はRAD WEEKENDを超えるって! 凪さんに自分の歌を聴かせるんだって……ずっと……!!」
激情に身を任せ、萌衣は店を飛び出した。大人達はみんな知っていた、凪の死のことを。知っていながらずっと騙していた、杏のことも、萌衣のことも。
(ここの大人達は違うって……思ってたのに…………!!)
親や教師、萌衣の周りの大人達は誰も萌衣を見ようとしなかった。萌衣の成績だけを見て、萌衣自身を見てはくれない。ビビッドストリートの大人達は違う、ちゃんと自分を見てくれている、そう思っていたのに……裏切られたような気がして萌衣は大粒の涙を流しながら帰路に着いた。
(…………このままじゃ家に入れねぇな)
涙に腫れた目のままで家に入れば図書館で勉強していたわけじゃないことがバレてしまう。ぐちゃぐちゃになった思考を何とか整理し、ゆっくりと玄関のドアを開けた。
「……どこへ行っていた?」
「…………え?」
家に入った萌衣の視界に入ったのは、玄関で腕を組み仁王立ちしている父親の姿だった。いつも遅くまで仕事で家を空けているのに、何故今日に限って帰宅しているのか。
「図書館で……勉強を……」
「嘘をつくな。私の知り合いが、先日お前が路上で歌っているのを偶然見かけたそうだ」
父親はスマホでとある動画を見せてきた。そこにはビビッドストリートでオーディエンスに囲まれながら歌う萌衣の姿が映っている。
「勉強をサボって母さんに嘘をつき、こんなことをしていたのか」
「…………」
「お前はエリートになるというのがわからんのか!! 一流大学に入るにはいくら時間があっても足りんのだぞ!! ただでさえ出来損ないのお前が、遊んでいる暇はないんだ!!」
足がすくむ、身体全体が震える。いつも強気な萌衣だが、両親の前では縮こまることしかできない。物心つく頃より植え付けられてきた恐怖はそう簡単には払拭できなかった。
「今後、学校以外の外出は認めん!! 送り迎えも母さんにしてもらう!! 机の前から離れるのも許さんからな!!」
「ッッ……!!」
「お前は私の言う通りに生きていればいいんだ!!」
(ああ……やっぱりこの人達は、私を見てくれないんだ)
萌衣の意志など関係ない、親の言うとおりに生きることこそ子供の勤めだ。そう言っているように聞こえる。誰も萌衣のことを見ていない。誰も……萌衣を見てくれない。
「返事は!!?」
「………………はい」
だが萌衣は逆らえない、喉が震えて声が詰まる。ストリートではあれだけ暴れ、叫び、震えていた歌声も……今では役ただずのガラクタだ。
『本当にそれでいいのか?』
「──!?」
その時、どこからか声が聞こえた。電子音のようで、それでいて生きた人間のような、そんな不思議な声が。
『本当の想いを押し殺して、このまま生き続けるのか? それで本当に……お前は生きていると言えるのか?』
「…………!!」
確かに聞こえる。どこからかはわからないが、確かに感じる。萌衣に届くようにと響く声。萌衣を見ている声が。
「……私は父さんのおもちゃじゃねぇ」
「なに……?」
「私のことを何も見てないクセに、勝手なことばかり言うな!!」
気づけば萌衣は家を飛び出していた。親に逆らうなど初めてだ。だけど、何故かあの声がそうさせてくれた。そんなような気がした。
「ハァ……ハァ……ハァ」
無我夢中で走っていると、いつの間にか河川敷に出ていた。この辺りには滅多に来ないので近所であるにも関わらず新鮮な光景だ。堤防の上に立つと、夕焼けの空が血のような赤で景色を染め上げているのがよくわかる。
(これからどうすれば……もうあの家には……戻りたくない)
それでも萌衣は子供だ。一人で生きていく力もなければ、頼る大人もいない。家とストリート、萌衣は二つの居場所を同時に失ってしまったのだ。
(……歌おう。こーゆー時こそ、歌って全部ぶちまけたい)
萌衣にとって歌は叫び。今こそ、歌でこのぐちゃぐちゃになった感情を吐き出したかった。しかし──
「……ッッ!!」
歌えない、叫べない。不安と恐怖が萌衣の身体を硬直させ、喉を閉じさせる。気持ち悪くて胃の中身が全部出てきそうだ。大事な時に限って、自分の身体は思うように動いてくれない。
「──―!!」
「……!?」
「────!! ────!!!!」
(なんだ? ギターの音……?)
その時、どこからか音が聞こえてきた。まるで叫んでいるような凶悪なノイズ、身体が揺さぶられているかのような感覚だ。
(……アイツが弾いてんのか?)
音がしている方向を見ると、堤防の下でギターを鳴らしている少女がいた。彼女はその綺麗な白髪と小さな身体を揺らしながら、大地を踏みしめギターを暴れさせている。
(なんだアイツの演奏……よくわかんねぇけど、身体全体が震わされてる……!!)
萌衣はその音に聞き入っていた。確かにその演奏はかなりのレベルなのだろう、だがそれ以上に胸をざわつかせる何かがあった。まるで暴力的な風圧で吹き飛ばされているかのような、そんな衝撃が。
(アイツの音、まるで叫んでるみたいだ……! 聴いてるだけで意識がぶっ飛ばされそうな……! やべぇ……やべぇ……!!)
気づけば萌衣が堤防を駆け下りていた。その少女の横に立つと、息をめいっぱい吸って、今の自分が出される最大の声量で歌をぶちまける。今度はさっきのように喉が詰まることはなく、むしろそれら全てまで吐き出すかのように。
「♪ ────―!!!」
「……!?」
「♪ ──―!!!♪ ──―!!!」
「……!!」
ギターを弾いていた少女、翠はいきなり隣で歌い出した萌衣に驚いた。だがそのまるで全てを吐き出す叫びのような歌に心奪われた。そしてその歌に合わせメロディを変えた。二人の即興セッションは決して完成度の高いではない、しかし確かに二人の想いをぶつけるかのような、そんな熱いものだった。
「……ハァ……ハァ……」
「……」
(……つい本気で歌っちまった。でも、今まで歌ってきた中で一番熱かった……!!)
体力尽きるまで歌ったあと、息も絶え絶えに地面に座り込む。隣を見るとギターを弾いていた少女も顔を赤くし脱力している。二人共が全力で音をぶつけ合わせた結果だ。
「……なぁ、お前いつもここでギター弾いてんのか?」
「……」
萌衣の問いに翠は無言で頷いた。それを聞いた萌衣は満足気にその場に倒れ込み、呼吸を整える。
「そっか。私は緋川萌衣、お前は?」
「……」
翠はスマホを取り出すと、高速で何やらメモアプリに文字を打ち込んだ。そしてその画面を萌衣に見せつける。
『雨宮翠』
「あめみや……すい、か。つかなんでスマホで?」
萌衣がそんな疑問を抱いた瞬間だ。翠のスマホの画面がチカチカと不自然な明滅を繰り返した。いつの間にか開いていた音楽アプリ、曲名もアーティストもない真っ白なジャケットが現れた。ただ『Untitled』とだけ表示されて。
「……なんだこれ? Untitled……? ……無題ってことか?」
萌衣が吸い寄せられるようにで再生ボタンをタップすると、スマホの画面から眩い純烈な光が溢れ出た。その眩しさに萌衣と翠は思わず目を瞑る。そして次に目を開けた時、風景はさっきまでいた河川敷と様変わりしていた。
「……なんだ今の光…………って、どこだここ!!?」
「……!?」
そこは廃屋のライブハウスのような場所だった。ところどころ天井が抜け落ち、鉄骨が剥き出しになり隙間から星空が覗いている。断線したシールド、錆び付いたスピーカー、割れたアンプの山などが転がり、どこからか微量の電子音が聞こえてくる。
「どうなってんだ……!? なんでいきなりこんなとこに……!?」
「……」
呆然としている萌衣の横で翠は周囲をキョロキョロと見回す。暗いライブハウスを照らしているのは赤や緑、紫といった毒々しい色使いのネオン管と蛍光灯。観察を続けていると、翠はその灯りの下に照らされたある物を発見した。
「……!!?」
画面が割れ、激しく損傷しているスマホ、酷く落書きされた上にハサミでズタズタにされた教科書、真っ二つにされたかつてお気に入りだったぬいぐるみ。どれもこれも以前翠が持っていたもの。そして、アメリカでの恐怖の象徴だった。
「……ッ!」
あの地獄の記憶がフラッシュバックしそうになり、震える手を必死に押えた。あんなことはもう起きない、大丈夫、大丈夫だと。
「……なんで……これがここに」
その時、萌衣も何かを見つけていた。ライブハウスの壁に乱雑に貼られている二枚の用紙、そこに書かれている内容を見て萌衣は言葉に詰まる。
『スマホ テレビ パソコン 娯楽は禁止!!』
『寝る間を惜しんで勉強しろ!! 一秒も無駄にするな!!』
萌衣の部屋の勉強机、その前の壁に貼り出されている母親が書いた誓いだ。しかし萌衣にとっては呪いであり、呪縛でもある。
「わけわかんねぇ……どこなんだよここは……!!」
「ここはセカイ」
「……!?」
その時だ、ライブハウスの奥から誰かがやってきた。それはポニーテールにまとめた赤のメッシュが入った水色の髪と、身にまとったダメージ加工の入ったシックなストリートパンク風衣装が特徴的な少女だった。
「……誰だ?」
『もしかして初音ミク?』
「ミク……? ……ってあのバーチャルシンガーのか!? ……でも私が知ってるのと違うような……?」
翠がスマホの画面で見せた言葉に萌衣は驚いた。萌衣はあまり詳しくないが、確かにあの初音ミクに似ているかもしれない。だが萌衣の記憶と違う点も多々あった。
「察しがいいね翠。初めまして、私は初音ミク。と言っても萌衣の言うように、二人の知ってるミクとは別の存在なんだけど」
「……! なんで私らの名前知ってんだ?」
「それは……ここが二人の想いからできた場所だから」
「……はぁ!?」
ミクの言葉をまるで理解できない萌衣。翠も表示には出さないが相当戸惑っている。そんな二人の様子を見て、ミクは不敵な笑みを浮かべた。
「騒がしいな〜どうしたんだミク? …………って、おお! こっちについに来たんだな二人共!」
「また変なのが出てきた!?」
「変なの呼ばわりは失礼だな〜。俺は鏡音レン! よろしく萌衣、翠!」
騒ぎを聞きつけ、今度はキャップを被った金髪の少年がやってきた。彼は鏡音レンと名乗るが、やはり萌衣や翠の知っているレンとは別人のようだ。状況を飲み込めない萌衣と翠、特に翠はさっき見つけた物の存在もあり怯えているようだった。
「……大丈夫?」
「……!」
「怖がらないで、ここは恐ろしい場所じゃない。あなたが生まれ変われる場所だよ」
震える翠の手に優しく触れたのは長い灰色の髪が特徴の少女だった。彼女は物静かな目で翠を見つめると、ふふっと優しく微笑んだ。
「私はIA。よろしく2人共」
「……3人目。マジでどうなってんだよ……」
「まぁ戸惑うのもわかる。さっきも言ったようにここは萌衣と翠の想いから出来たセカイ。萌衣達の他にも3人、このセカイの元になった想いを持つ人達がいるみたいだけど」
改めて説明を聞いても萌衣には1mmも理解できなかった。その時、翠が何か思い立ったようでスマホに文字を打ち込みそれをミク達に見せた。
『どうやったら元の場所に戻れるの?』
「それなら簡単。ここに来る時『Untitled』って曲を再生したでしょ? それを止めればいいだけ」
「なんだ帰れるのか……ってか翠、お前そんなめんどくさいことしなくても普通に喋ればいいだろ」
帰る方法があると聞いて萌衣は一先ず安堵する。そして先程から思っていた疑問を直接翠に投げかけた。
『私は声が出せない。そういう心の病気だから』
「え……? …………そう、なのか…………悪い、事情も知らずに聞いちまって」
『気にしてないから平気』
「……そっか、ならよかった」
思いがけず翠の深層部に触れてしまった萌衣は謝罪する。しかし翠はこんなこと言われ慣れているので、特に気にしていないようだ。
「なぁなぁ? 二人は夢ってあんの?」
「……夢?」
「ああ! セカイを作る想いは凄く強いものじゃなきゃダメなんだ! たとえば何か夢を追いかけてる想い……とかな!」
ライブハウスのカウンターに座りながらレンが首を傾げる。萌衣はそれを聞くと少し考え込んで、そして答えた。
「夢は……ない。けどやりたいことならある! てかさっき言おうと思ったんだけど、色々あって言うタイミング逃しちまった」
萌衣は翠の前に立ち彼女を指さした。その言葉と目には力強い意思が宿っている。
「翠、私と組まねぇか? さっき翠のギターを聞いて思ったんだ、コイツの鳴らす音は最高だって! だから私はお前と音楽がやりたい!」
「……!!」
翠は目を見開いた。彼女の言葉には到底ならない吐息が漏れ、そして僅かに頬を緩める。
『やる。私も思った、萌衣の歌は私の叫びだって。私の代わりに叫んでくれてるって』
「……! そうこなくっちゃ! 改めてよろしくな翠!」
萌衣と翠が拳を合わせる。互いのことをほとんど知らない二人、しかしその想いは確かに今通じあったのだ。
「……うん、いいと思う」
「熱いじゃん! 2人共!」
「面白いことになりそうだな」
二人の想いから生まれたバーチャルシンガー達も満足そうに微笑んだ。これが緋川萌衣と雨宮翠の出会い、そして彼女達が生み出す新しいセカイ誕生の瞬間だった。