異世界アイドル道 ~アイドルのいない世界に転生した大公爵令息、歌と笑顔で世界を救います!~   作:ちーばば

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第1話 推し活の果てに

「あー、今日のミリリンも最高だったな!!」

 

ライブ会場を出た瞬間、俺は夜空に向かって叫んだ。

 

周囲からちらりと視線を向けられたが、気にしない。

 

むしろ、今の俺にこの昂ぶりを抑えろという方が無理な話だ。

 

ライブ会場を後にした俺――中村有人、三十五歳。

 

アイドルオタク歴、十五年。

 

職業は会社員。

 

世間一般で言えば、どこにでもいる普通のおっさんだ。

 

……勤め先が、世間一般で言うところのブラック企業であることを除けば。

 

毎日朝早くから働き。

 

上司に怒鳴られ。

 

山のような仕事を押しつけられ。

 

終電間際に帰宅する。

 

家に着く頃には心も身体も擦り切れ、翌朝にはまた同じ一日が始まる。

 

そんな俺を何度も救ってくれた存在。

 

それが――アイドルだった。

 

「はぁ……ミリリン尊い……」

 

スマホを取り出し、ライブ中の撮影タイムに撮った一枚を表示する。

 

色鮮やかな照明に包まれながら。

 

満面の笑みを浮かべ、観客へ手を振るミリリン。

 

写真を見ているだけで、自然と頬が緩んでいく。

 

今日のライブも最高だった。

 

神セトリ。

 

神MC。

 

神ビジュアル。

 

歌もダンスもファンサも、何もかもが神だった。

 

いや、今日に限った話ではない。

 

ミリリンはいつだって最高なのだ。

 

「帰ったら感想まとめないとなぁ……」

 

ライブで歌った曲。

 

MCで話していた内容。

 

衣装の素晴らしさ。

 

今日初めてミリリンを見た人にも、その魅力が伝わるように言葉を選び、SNSへライブレポを投稿する。

 

推しからもらった感動を、少しでも多くの人へ届ける。

 

それもまた、オタクの大切な仕事である。

 

「明日も五時起きだけどな……」

 

スマホに表示された時刻を見て、思わず苦笑する。

 

現在時刻は二十三時過ぎ。

 

普通に考えれば、家に帰ったらすぐに風呂へ入り、一分でも早く寝るべきだ。

 

だが、オタクにはオタクの戦いがある。

 

ライブ直後のこの熱量は、ライブ直後にしか書けないのだ。

 

一晩寝かせてしまえば、細かな表情や言葉、その瞬間に胸を打たれた感情が薄れてしまうかもしれない。

 

そんなことは許されない。

 

睡眠時間を削ってでも書き残す。

 

それが古参ファンとしての使命である。

 

「まあ、ミリリンのためなら仕方ないか」

 

どうせ明日も、会社へ行けば上司に怒鳴られる。

 

睡眠時間が二時間減ったところで、今さら大した違いはない。

 

それよりも。

 

十五歳の頃から努力を重ね、今や国民的アイドルとなったミリリンが、今日も変わらず全力で歌ってくれたのだ。

 

ファンである俺も全力で応えなければ、失礼というものだろう。

 

そんなことを考えながら、自宅アパート近くの交差点へ差しかかる。

 

昼間は車の往来が激しい場所だが、さすがにこの時間になると人通りも少ない。

 

聞こえるのは、遠くを走る車の音。

 

街灯に照らされた歩道を、俺は今日のライブを思い返しながら歩いていた。

 

ふと前を見る。

 

少し先に、一人の若い女性がいた。

 

年齢は二十代前半くらいだろうか。

 

長い髪を揺らしながら、俺と同じ方向へ歩いている。

 

そして俺は、彼女の服を見た瞬間、思わず目を見開いた。

 

「おっ……」

 

彼女が着ていたのは、今日のライブで販売された物販限定Tシャツ。

 

胸元には大きく、

 

【MIRIRIN WORLD TOUR】

 

の文字が刻まれていた。

 

間違いない。

 

同志だ。

 

推し仲間だ。

 

見知らぬ相手なのに、それだけで不思議な親近感が湧いてくる。

 

今日のライブ、最高でしたよね。

 

あの曲のイントロが流れた瞬間、鳥肌が立ちましたよね。

 

アンコール後のMC、泣きましたよね。

 

そんな言葉を交わしたくなる。

 

もちろん、突然おっさんに話しかけられたら怖いだろうから、実際には声をかけない。

 

ただ心の中で。

 

名も知らぬ同志へ、そっと頷いた。

 

それがオタク同士の距離感というものだ。

 

だが。

 

次の瞬間。

 

小さな違和感を覚えた。

 

彼女は両耳にイヤホンをつけている。

 

手にしたスマホの画面へ視線を落としたまま、一度も顔を上げない。

 

そのまま交差点へ近づいていく。

 

「おい……」

 

嫌な予感がした。

 

歩行者用信号は赤。

 

誰が見ても、明らかな赤だ。

 

だが、彼女は気づいていない。

 

足を止めることなく。

 

そのまま車道へ踏み出した。

 

「え……」

 

視界の端で、強烈な光が迫る。

 

大型トラック。

 

クラクション。

 

タイヤが路面を削る、甲高いブレーキ音。

 

あまりにも突然のことで。

 

彼女は車道の上に立ち尽くしたまま、動けない。

 

まずい。

 

そう思ったときには。

 

俺の身体は勝手に動いていた。

 

「危ない!!」

 

スマホを放り出し、全力で駆け出す。

 

考えている余裕などなかった。

 

間に合うのか。

 

自分まで轢かれるかもしれない。

 

そんなことすら、頭には浮かばなかった。

 

ただ。

 

あのTシャツを着た彼女を。

 

同じ推しを応援する仲間を。

 

助けなければならない。

 

それだけだった。

 

歩道を蹴り。

 

手を伸ばす。

 

指先が、彼女の肩へ届く。

 

「きゃっ――」

 

彼女の身体を掴み、そのまま歩道へ向かって全力で突き飛ばした。

 

一瞬だけ。

 

彼女と目が合う。

 

驚愕に見開かれた瞳。

 

何が起きたのか、まだ理解できていない表情。

 

その顔だけが。

 

不思議なほど鮮明に見えた。

 

直後。

 

世界が反転した。

 

轟音。

 

衝撃。

 

身体が宙へ浮かぶ。

 

夜空と街灯と道路が、目まぐるしく入れ替わる。

 

何が起きたのか理解するより早く、全身を激しい痛みが襲った。

 

息ができない。

 

指一本、動かせない。

 

だけど。

 

不思議と、恐怖はなかった。

 

霞んでいく視界の中。

 

歩道へ倒れ込んだ女性が、ゆっくりと身体を起こす。

 

怪我はあるかもしれない。

 

それでも。

 

生きている。

 

「ああ……」

 

よかった。

 

助かった。

 

推し仲間が、助かった。

 

最後にそんなことを思う自分は、やっぱりどこまでもオタクなのだろう。

 

周囲で誰かが叫んでいる。

 

救急車。

 

事故。

 

誰か呼んで。

 

そんな声が聞こえた気がした。

 

けれど。

 

その声も次第に遠ざかっていく。

 

意識が暗闇へ沈み始める。

 

そんな俺の脳裏に浮かんだのは。

 

家族でも。

 

会社でも。

 

毎日のように俺を怒鳴りつけていた上司でもなく。

 

ステージの上で笑う、推しの姿だった。

 

今日のライブの最後。

 

輝く照明の中で、ミリリンは大きく手を振っていた。

 

『みんなー! 今日は本当にありがとう!』

 

会場を埋め尽くす歓声。

 

無数のペンライト。

 

そして。

 

いつもの満面の笑顔。

 

『また絶対、会おうねー!』

 

ああ。

 

約束、守れそうにないな。

 

次のライブも。

 

次の新曲も。

 

楽しみにしていたのに。

 

ごめん、ミリリン。

 

もう一度会いたかった。

 

もう一度、あの歌を聴きたかった。

 

でも――

 

今日も最高だった。

 

最後にミリリンのライブを見ることができた。

 

一人の推し仲間を助けることもできた。

 

それなら。

 

悪くない最期だったのかもしれない。

 

その言葉を最後に。

 

中村有人の意識は、完全な暗闇へと沈んだ。

 

三十五年。

 

決して華やかではなかった人生。

 

誰かに誇れるような、大きなことを成し遂げたわけでもない。

 

それでも。

 

最期まで誰かを想い。

 

誰かの命を救った男の人生は。

 

ここで幕を閉じた。

 

そして――

 

後に世界を変える伝説のアイドル。

 

アルト・フォン・ルミナスの物語が。

 

この瞬間。

 

静かに始まったのだった。

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