「あー、今日のミリリンも最高だったな!!」
夜空に向かって思わず叫ぶ。
ライブ会場を後にした俺――中村有人、三十五歳。
アイドルオタク歴十五年。
職業は会社員。
世間一般で言うところの、どこにでもいる普通のおっさんだ。
……勤め先がブラック企業であることを除けば。
毎日朝早くから働き、上司に怒鳴られ、終電近くに帰宅する。
そんな擦り切れた心を癒やしてくれる存在。
それがアイドルだった。
「はぁ……ミリリン尊い……」
スマホを取り出し、ライブ中に撮影可能だった記念写真を見返す。
自然と頬が緩む。
今日のライブも最高だった。
神セトリ。
神MC。
神ビジュアル。
全部神だった。
「帰ったら感想まとめないとなぁ……」
SNSにライブレポを書き、推しの魅力を世界へ発信する。
それもオタクの大切な仕事だ。
「明日も五時起きだけどな……」
思わず苦笑する。
現在時刻は二十三時過ぎ。
普通に考えれば早く帰って寝るべきだ。
だがオタクにはオタクの戦いがある。
ライブ直後の熱量はライブ直後にしか書けないのだ。
そんなことを考えながら、自宅アパート近くの交差点へ差し掛かる。
ふと前を見る。
二十代前半くらいだろうか。
一人の若い女性が歩いていた。
そして俺は思わず目を見開く。
「おっ……」
彼女が着ていたのは今日の物販限定Tシャツ。
胸元には大きく、
【MIRIRIN WORLD TOUR】
の文字。
間違いない。
同志だ。
推し仲間だ。
思わず嬉しくなる。
見知らぬ相手でも、同じ推しを応援しているだけで親近感が湧いてしまう。
それがオタクという生き物だった。
だが。
次の瞬間。
違和感に気付いた。
彼女は両耳にイヤホンを付けていた。
スマホの画面に夢中になっている。
そして――
信号を見ていない。
交差点の信号は赤。
誰が見ても明らかな赤だ。
だが彼女は気付かないまま車道へ足を踏み出した。
「え……」
その瞬間。
視界の端で強烈な光が迫る。
大型トラック。
猛スピード。
クラクション。
ブレーキ音。
全てが一瞬だった。
まずい。
そう思った時には。
体が勝手に動いていた。
「危ない!!」
全力で駆け出す。
彼女の肩を掴み、歩道へ向かって突き飛ばした。
目が合う。
驚愕に見開かれた瞳。
何が起きたのか理解できていない表情。
その顔だけが妙に鮮明だった。
直後。
世界が反転した。
轟音。
衝撃。
宙に浮く感覚。
激しい痛み。
そして――
不思議と恐怖はなかった。
ああ。
よかった。
推し仲間が助かった。
最後にそんなことを思う。
意識が薄れていく。
暗闇に沈みながら。
脳裏に浮かんだのは家族でも会社でもなく。
ステージの上で笑う推しの姿だった。
『みんなー! また会おうねー!』
ああ。
約束、守れそうにないな。
ごめん、ミリリン。
でも――
今日も最高だった。
その言葉を最後に。
中村朋也の人生は幕を閉じた。
そして。
後に世界を変える伝説のアイドル、
アルト・フォン・ルミナスの物語が始まる。