メイド達に諭され、ようやく二人は落ち着きを取り戻した。
そして俺は事情を聞かされる。
どうやら俺――アルトは数日前、庭の大木に登って落下したらしい。
幸い骨折などの大きな怪我はなかったが、頭を強く打ち、そのまま眠り続けていたそうだ。
医師からは「そのうち目を覚ますでしょう」と言われていたものの、数日経っても目覚めなかったため、屋敷中が心配していたという。
(お転婆だな俺……)
思わず心の中で呟く。
いや。
今はそんな場合じゃない。
まず状況を整理しなければ。
「アルト……本当に大丈夫なのか?」
金髪の男性が心配そうに尋ねる。
「頭は痛くないかしら?」
銀髪の女性も不安げな表情だ。
二人の視線が俺に向けられている。
「えっと……」
何と言えばいいのだろう。
異世界転生しました、なんて言える訳もない。
「大丈夫……だと思います」
そう答えると、二人は揃って安堵の息を吐いた。
その様子を見ていると、頭の奥がズキリと痛む。
次の瞬間、知らないはずの記憶が流れ込んできた。
広大な屋敷での暮らし。
優しいメイド達。
魔法の練習。
家族との食卓や庭で遊んだ日々。
それらは全てアルトの記憶だった。
俺は中村有人。
だが同時に、アルト・フォン・ルミナスでもある。
二つの人生が少しずつ混ざり合い、目の前の二人が誰なのかも理解した。
ルミナス大公爵家当主ルシウス・フォン・ルミナス。
そしてその妻、セレナ・フォン・ルミナス。
――俺の父と母だ。
「父様……母様……」
自然と口から言葉が零れる。
その瞬間、二人の表情が崩れた。
「アルト……!」
「よかった……本当によかったわ……!」
母様の瞳には涙が浮かび、父様も隠しきれない安堵を滲ませている。
「心配かけてすみません」
二人は同時に首を横に振る。
「謝る必要などない」
父様は力強く言った。
「お前が無事ならそれでいい」
母様も涙を拭いながら微笑む。
「そうよ。あなたが無事ならそれでいいのよ」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
どうやら俺は。
思っていた以上に愛されているらしい。
その後、再び医師が呼ばれた。
魔法による診察と簡単な検査が行われる。
結果は問題なし。
「記憶の混乱はございますが、身体に異常はありませんな」
白髭の医師は安心したように頷いた。
「ただし、本日一日は安静になさってください」
そう言い残し、医師は部屋を後にする。
そして。
「アルトちゃん、お腹空いてない?」
母様が優しく微笑んだ。
少しして運ばれてきたのは温かそうなスープ。
だが。
何故か母様はスプーンを持ったまま俺の隣へ腰掛けた。
「はい、あーん」
「……へ?」
「はい、あーん」
にこにこしている。
どうやら本気らしい。
アルトとしては嬉しい。
母親に甘やかされている感覚がある。
だが。
中村有人(三十五歳)としては。
とんでもない羞恥プレイだった。
(待て待て待て待て)
(三十五歳会社員、異世界転生初日に母親からあーんされる)
(情報量が多すぎるだろ!?)
「えっと……」
「はい、あーん♪」
母様は満面の笑み。
逃げ道はなかった。
というか周囲の使用人達も微笑ましそうに見守っている。
やめて。
そんな優しい目で見ないで。
俺の精神が死ぬ。
「……あーん」
ぱくり。
「ふふっ、いい子ですね」
「っ!?」
褒められた。
三十五歳なのに。
いい子ですねって言われた。
精神にクリティカルヒットした。
結局。
三十五歳の精神年齢で「あーん」を受けることになった。
しかも数回。
「はい、あーん♪」
「あーん……」
「はい、あーん♪」
「あーん……」
完全に餌付けされる小動物である。
複雑な気分である。
いや、スープは美味しかったけども。
食事を終えた頃。
俺はある問題に気付いた。
「あの……」
「どうしたの?」
「トイレに行きたいです」
すると近くにいたメイドが一礼した。
「かしこまりました、坊ちゃま」
ベッドから降りる。
少しふらつくが問題ない。
メイドに付き添われながら部屋を出た。
そして改めて思う。
(でかいな……)
アルトの記憶にもある。
だが実際に見ると圧倒される。
高い天井。
赤い絨毯。
壁には豪華な絵画。
窓から差し込む陽光。
天井近くを漂う小さな光球。
魔法の照明らしい。
廊下を行き交う使用人達。
まるでファンタジー映画の世界だった。
(本当に異世界なんだな……)
妙な実感が湧いてくる。
トイレを済ませた後。
洗面台で手を洗っていると。
ふと鏡が目に入った。
そして。
俺は固まる。
「……ほわー」
鏡の中にいたのは。
銀色の髪。
宝石のような碧眼。
透き通るような白い肌。
人形のように整った顔立ち。
どう見ても美少女だった。
いや。
違う。
アルトの記憶によれば男だ。
男なのだが。
どう見ても女の子にしか見えない。
「まてまてまて……」
鏡へ顔を近付ける。
鏡の中の美少女も近付いてくる。
可愛い。
めちゃくちゃ可愛い。
(誰だこの子)
(いや俺だ)
(俺なのか!?)
混乱する。
試しに頬をつねる。
鏡の中の美少女も頬をつねる。
可愛い。
なんだその仕草。
反則だろ。
母様譲りの銀髪と整った顔立ち。
父様譲りの碧眼と気品ある雰囲気。
その両方の長所だけを受け継いだ結果。
そこにいたのは神様が本気で作ったような美少年だった。
待て。
落ち着け。
まず確認だ。
俺は男だ。
うん。
男だ。
……本当に男か?
いや、アルトの記憶では間違いなく男だ。
だが鏡の中の存在は、どう見ても美少女だった。
「……この顔で男は、設定盛りすぎだろ」