異世界アイドル道 ~アイドルのいない世界に転生した大公爵令息、歌と笑顔で世界を救います!~   作:ちーばば

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第30話 「笑顔って、なんだろう」

夜会からの帰り道。

 

豪華な馬車の中。

 

来る時とは違い、俺は窓の外をぼんやりと眺めていた。

 

流れていく王都の夜景。

 

窓に映る自分の顔。

 

どちらもどこか遠く感じる。

 

頭の中では、あの言葉だけが何度も何度も繰り返されていた。

 

『その貼り付けたような笑顔。』

 

『……気持ち悪いわ。』

 

リリアーナ様の声が耳から離れない。

 

「……アルト。」

 

向かいに座る父様が、静かに声を掛けた。

 

「何かあったのか?」

 

「……いえ。」

 

反射的にそう答える。

 

「そうか。」

 

父様はそれ以上何も聞かなかった。

 

何かあったことだけは察している。

 

けれど、無理に聞き出そうとはしない。

 

そんな父様の優しさが、今は少しだけ胸に痛かった。

 

静かなまま。

 

馬車は夜道を走り続け、やがて屋敷へと帰り着いた。

 

◇

 

その夜。

 

俺は夢を見た。

 

前世。

 

ブラック企業。

 

鳴り止まない電話。

 

怒鳴り声。

 

終わらない残業。

 

積み上がる書類。

 

「申し訳ございません。」

 

「ご迷惑をお掛けいたしました。」

 

「ありがとうございます。」

 

頭を下げる。

 

笑う。

 

また頭を下げる。

 

笑う。

 

どんなに理不尽でも。

 

どんなに心が擦り切れていても。

 

笑う。

 

笑う。

 

笑う。

 

その笑顔は。

 

心から笑っている笑顔じゃない。

 

怒られないため。

 

波風を立てないため。

 

自分を守るためだけに身につけた仮面。

 

営業スマイル。

 

愛想笑い。

 

その貼り付けた笑顔で。

 

何度も。

 

何度も。

 

頭を下げ続ける俺。

 

そして。

 

そんな俺を。

 

少し離れた場所から、もう一人の俺が黙って見つめていた。

 

まるで他人を見るように。

 

冷めた目で。

 

――気持ち悪い。

 

誰かの声が響く。

 

違う。

 

あれは。

 

リリアーナ様の声だ。

 

『その貼り付けたような笑顔。』

 

『……気持ち悪いわ。』

 

「っ!!」

 

勢いよく飛び起きた。

 

「はぁ……っ、はぁ……っ……。」

 

荒い息。

 

額には汗が滲んでいる。

 

胸が苦しい。

 

夢だったはずなのに。

 

まるで胸の奥を抉られたような痛みだけが残っていた。

 

「……夢、か。」

 

そう呟いても。

 

苦しさは消えなかった。

 

◇

 

翌朝。

 

体が重い。

 

熱はない。

 

それなのに、心まで鉛になったようだった。

 

朝食の席。

 

母様が心配そうに顔を覗き込む。

 

「アルトちゃん?」

 

「顔色が悪いですよ?」

 

優しく額へ手を当てられる。

 

「熱はありませんね……。」

 

父様も静かに俺を見つめていた。

 

「……すみません。」

 

「今日は少し休ませてください。」

 

その言葉に。

 

父様と母様は驚いたように目を見開く。

 

毎朝欠かさなかった剣術。

 

午後の魔法。

 

一日たりとも休んだことがなかった俺が、自分から休みたいと言ったのは初めてだった。

 

父様は少しだけ考え、

 

静かに頷いた。

 

「……分かった。」

 

「今日はゆっくり休め。」

 

母様も優しく微笑む。

 

「何か悩みがあるなら、いつでも相談してくださいね。」

 

「……はい。」

 

その優しさが。

 

今は少しだけ苦しかった。

 

朝食を終え、部屋へ戻ろうと廊下へ出る。

 

すると。

 

ちょうどリズが歩いてきた。

 

「アルト坊ちゃま。」

 

「おはようございます。」

 

いつもの明るい笑顔。

 

その笑顔を見るだけで胸が締め付けられる。

 

「……リズ。」

 

「はい。」

 

「今日は……裏庭ライブもお休みにします。」

 

その一言に。

 

リズは目を丸くした。

 

毎日欠かさず続けてきたライブ。

 

雨の日も。

 

風の日も。

 

少し体調が悪い日でさえ、

 

「皆が待っていますから。」

 

そう笑って歌い続けてきたアルトが、自ら休むと言ったのは初めてだった。

 

しかし。

 

リズはすぐにいつもの優しい笑顔へ戻る。

 

「かしこまりました。」

 

「皆には私からお伝えいたします。」

 

「ありがとうございます。」

 

「坊ちゃま。」

 

「どうか、ご無理だけはなさらないでください。」

 

「……はい。」

 

小さく頷き、俺は部屋へ戻った。

 

その背中を見送りながら。

 

リズは小さく呟く。

 

「坊ちゃま……。」

 

「何があったのでしょう。」

 

その表情には、隠しきれない心配が滲んでいた。

 

◇

 

その日。

 

俺は部屋へ籠もった。

 

ベッドへ寝転び。

 

ただ天井を見つめる。

 

(笑顔って……何なんだ。)

 

(俺は笑っていたつもりだった。)

 

(でも。)

 

(あれは全部。)

 

(愛想笑いだったのか?)

 

思い返す。

 

前世。

 

会社員時代。

 

上司。

 

取引先。

 

クレーム対応。

 

嫌でも笑わなければならなかった毎日。

 

怒られても笑う。

 

理不尽でも笑う。

 

心なんて関係ない。

 

笑っていれば。

 

その場は丸く収まる。

 

そうやって生きてきた。

 

(笑っていれば怒られない。)

 

(笑っていれば嫌われない。)

 

(笑っていれば仕事は回る。)

 

気付けば。

 

笑顔は感情じゃなくなっていた。

 

ただの技術。

 

処世術。

 

自分を守るためだけの仮面。

 

(……俺は。)

 

(本当に。)

 

(心から笑ったことなんて、あったのか?)

 

考える。

 

考える。

 

何度考えても。

 

答えは出なかった。

 

窓の外では夕日が沈み。

 

部屋はゆっくりと夜の色へ変わっていく。

 

それでも。

 

俺の中の答えだけは、最後まで見つからなかった。

 

翌日。

 

結局、一晩考えても答えは見つからなかった。

 

「……はぁ。」

 

ため息が漏れる。

 

(駄目だ。)

 

(考えれば考えるほど分からなくなる。)

 

(でも。)

 

(皆をいつまでも心配させる訳にもいかない。)

 

俺はいつものように身支度を整えた。

 

朝は父様との剣術。

 

午後は母様との魔法。

 

どちらも休まずこなした。

 

父様も母様も何も言わない。

 

けれど。

 

時折こちらへ向けられる視線には、心配が滲んでいた。

 

申し訳ない。

 

そう思いながらも。

 

俺の心だけは晴れなかった。

 

◇

 

夕方。

 

裏庭。

 

毎日続けているメイド達へのライブ。

 

舞台の準備をしていると。

 

リズがそっと近付いてきた。

 

「アルト坊ちゃま。」

 

「昨日はゆっくり休めましたか?」

 

「はい。」

 

「それなら良かったです。」

 

リズは少しだけ安心したように笑う。

 

そして。

 

「ですが……。」

 

「今日もライブはお休みになさいますか?」

 

「皆も坊ちゃまのことを心配しております。」

 

優しい声音だった。

 

俺は少しだけ俯く。

 

(……そうか。)

 

(皆、心配してくれてたんだ。)

 

自然と口元が緩む。

 

「……いえ。」

 

顔を上げる。

 

「やります。」

 

リズも柔らかく微笑んだ。

 

「かしこまりました。」

 

「皆、とても喜びます。」

 

(こんなことで何日も休んでたら。)

 

(ミリリンに笑われる。)

 

ふと。

 

前世で何度も見た、あの最高の笑顔が頭に浮かぶ。

 

(もういい。)

 

(考えても分からない。)

 

深呼吸を一つ。

 

(今は――。)

 

(思いっきりライブだ!!)

 

◇

 

「皆さん!」

 

「今日も来てくださってありがとうございます!」

 

「それでは聴いてください!」

 

歌う。

 

踊る。

 

飛び跳ねる。

 

全力で。

 

誰よりも楽しむように。

 

誰よりも本気で。

 

考えることなんて忘れて。

 

ただ。

 

目の前の皆へ届けることだけを考えて。

 

一曲。

 

また一曲。

 

気付けばライブは終わっていた。

 

「きゃああああ!」

 

「アルト坊ちゃまー!」

 

「今日も最高でした!」

 

「可愛いー!」

 

「また明日もお願いします!」

 

拍手。

 

歓声。

 

笑い声。

 

裏庭いっぱいに広がる笑顔。

 

その笑顔を見た瞬間だった。

 

アルトの中で。

 

何かが繋がった。

 

(……あ。)

 

(そうか。)

 

脳裏に蘇る。

 

前世。

 

ライブ会場。

 

眩しい照明。

 

大歓声。

 

ステージの真ん中では。

 

ミリリンが笑っていた。

 

俺は夢中でペンライトを振る。

 

喉が枯れるほど叫ぶ。

 

「ミリリーーーン!!」

 

全身が熱かった。

 

ライブが終わっても興奮は冷めない。

 

仲間と感想を語りながら歩く夜道。

 

「今日も最高だったな!」

 

「あの新曲ヤバかった!」

 

自然と笑い合う。

 

家へ帰る道でも。

 

一人になってからも。

 

足取りは軽く。

 

鼻歌まで歌っていた。

 

その時の俺は――

 

ずっと笑っていた。

 

笑おうなんて。

 

一度も考えなかった。

 

営業スマイルでも。

 

愛想笑いでもない。

 

ただ。

 

楽しかったから。

 

嬉しかったから。

 

自然と笑っていた。

 

(そうだ……。)

 

(ミリリンは。)

 

誰かに好かれようとして笑っていたんじゃない。

 

誰かに媚びるために笑っていたんじゃない。

 

誰かを笑顔にしたくて。

 

誰かへ幸せな時間を届けたくて。

 

本気で歌い。

 

本気で踊り。

 

本気でライブをしていた。

 

だから。

 

その想いが俺に届いた。

 

だから俺も笑った。

 

心の底から。

 

自然と。

 

(そうか……。)

 

(笑顔って。)

 

(作るものじゃない。)

 

(誰かを笑顔にしたい。)

 

(その想いの先に、生まれるものなんだ。)

 

◇

 

ライブを終えた俺は、自室へ戻った。

 

鏡の前へ立つ。

 

ゆっくりと。

 

いつものように口角を上げる。

 

営業スマイル。

 

……違う。

 

どこかぎこちない。

 

鏡の中で笑っているのは。

 

笑顔なんかじゃなかった。

 

誰かに嫌われないため。

 

誰かに気に入られるため。

 

本心を隠し続けるために貼り付けた――仮面。

 

「……。」

 

思わず目を逸らす。

 

(今なら分かる。)

 

(リリアーナ様が『気持ち悪い』と言った意味が。)

 

あの人は。

 

俺を嫌ったんじゃない。

 

笑顔を嫌ったんでもない。

 

心のない笑顔。

 

誰かへ媚びるためだけの笑顔。

 

前世で身に付けてしまった、その仮面を見抜いていたんだ。

 

(……悔しいけど。)

 

(全部、その通りだった。)

 

ゆっくりと目を閉じる。

 

思い浮かべる。

 

ミリリンを。

 

ライブで笑ってくれたメイド達を。

 

楽しそうに手を叩いていた皆を。

 

俺も。

 

あんな笑顔にしたい。

 

俺も。

 

誰かを笑顔にしたい。

 

その想いだけを胸に。

 

もう一度。

 

鏡を見る。

 

「……。」

 

にこっ。

 

鏡の中に映っていたのは。

 

誰かに好かれるための笑顔ではなかった。

 

誰かへ媚びるための笑顔でもなかった。

 

ただ。

 

見る人まで笑顔にしてしまいそうな。

 

温かく。

 

優しく。

 

自然な笑顔。

 

思わず。

 

自分まで笑ってしまう。

 

「……これか。」

 

小さく呟く。

 

「これが、本当の笑顔なんだ。」

 

鏡の中の少年は。

 

もう。

 

誰かに気に入られるためではなく。

 

誰かを笑顔にしたい。

 

その想いを、そのまま表情に乗せて笑っていた。

 

(この笑顔で。)

 

(もう一度、リリアーナ様に会いたい。)

 

(今度は。)

 

(気持ち悪いなんて言わせない。)

 

この日。

 

アルト・フォン・ルミナスは――

 

人を笑顔にするための、本当の笑顔を知った。

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