異世界アイドル道   作:ちーばば

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第30話 「笑顔って、なんだろう」

夜会からの帰り道。

 

豪華な馬車の中。

 

来る時とは違い、俺は窓の外をぼんやりと眺めていた。

 

流れていく王都の夜景。

 

窓に映る自分の顔。

 

どちらもどこか遠く感じる。

 

頭の中では、あの言葉だけが何度も何度も繰り返されていた。

 

『その貼り付けたような笑顔。』

 

『……気持ち悪いわ。』

 

リリアーナ様の声が耳から離れない。

 

「……アルト。」

 

向かいに座る父様が、静かに声を掛けた。

 

「何かあったのか?」

 

「……いえ。」

 

反射的にそう答える。

 

「そうか。」

 

父様はそれ以上何も聞かなかった。

 

何かあったことだけは察している。

 

けれど、無理に聞き出そうとはしない。

 

そんな父様の優しさが、今は少しだけ胸に痛かった。

 

静かなまま。

 

馬車は夜道を走り続け、やがて屋敷へと帰り着いた。

 

 

その夜。

 

俺は夢を見た。

 

前世。

 

ブラック企業。

 

鳴り止まない電話。

 

怒鳴り声。

 

終わらない残業。

 

積み上がる書類。

 

「申し訳ございません。」

 

「ご迷惑をお掛けいたしました。」

 

「ありがとうございます。」

 

頭を下げる。

 

笑う。

 

また頭を下げる。

 

笑う。

 

どんなに理不尽でも。

 

どんなに心が擦り切れていても。

 

笑う。

 

笑う。

 

笑う。

 

その笑顔は。

 

心から笑っている笑顔じゃない。

 

怒られないため。

 

波風を立てないため。

 

自分を守るためだけに身につけた仮面。

 

営業スマイル。

 

愛想笑い。

 

その貼り付けた笑顔で。

 

何度も。

 

何度も。

 

頭を下げ続ける俺。

 

そして。

 

そんな俺を。

 

少し離れた場所から、もう一人の俺が黙って見つめていた。

 

まるで他人を見るように。

 

冷めた目で。

 

――気持ち悪い。

 

誰かの声が響く。

 

違う。

 

あれは。

 

リリアーナ様の声だ。

 

『その貼り付けたような笑顔。』

 

『……気持ち悪いわ。』

 

「っ!!」

 

勢いよく飛び起きた。

 

「はぁ……っ、はぁ……っ……。」

 

荒い息。

 

額には汗が滲んでいる。

 

胸が苦しい。

 

夢だったはずなのに。

 

まるで胸の奥を抉られたような痛みだけが残っていた。

 

「……夢、か。」

 

そう呟いても。

 

苦しさは消えなかった。

 

 

翌朝。

 

体が重い。

 

熱はない。

 

それなのに、心まで鉛になったようだった。

 

朝食の席。

 

母様が心配そうに顔を覗き込む。

 

「アルトちゃん?」

 

「顔色が悪いですよ?」

 

優しく額へ手を当てられる。

 

「熱はありませんね……。」

 

父様も静かに俺を見つめていた。

 

「……すみません。」

 

「今日は少し休ませてください。」

 

その言葉に。

 

父様と母様は驚いたように目を見開く。

 

毎朝欠かさなかった剣術。

 

午後の魔法。

 

一日たりとも休んだことがなかった俺が、自分から休みたいと言ったのは初めてだった。

 

父様は少しだけ考え、

 

静かに頷いた。

 

「……分かった。」

 

「今日はゆっくり休め。」

 

母様も優しく微笑む。

 

「何か悩みがあるなら、いつでも相談してくださいね。」

 

「……はい。」

 

その優しさが。

 

今は少しだけ苦しかった。

 

朝食を終え、部屋へ戻ろうと廊下へ出る。

 

すると。

 

ちょうどリズが歩いてきた。

 

「アルト坊ちゃま。」

 

「おはようございます。」

 

いつもの明るい笑顔。

 

その笑顔を見るだけで胸が締め付けられる。

 

「……リズ。」

 

「はい。」

 

「今日は……裏庭ライブもお休みにします。」

 

その一言に。

 

リズは目を丸くした。

 

毎日欠かさず続けてきたライブ。

 

雨の日も。

 

風の日も。

 

少し体調が悪い日でさえ、

 

「皆が待っていますから。」

 

そう笑って歌い続けてきたアルトが、自ら休むと言ったのは初めてだった。

 

しかし。

 

リズはすぐにいつもの優しい笑顔へ戻る。

 

「かしこまりました。」

 

「皆には私からお伝えいたします。」

 

「ありがとうございます。」

 

「坊ちゃま。」

 

「どうか、ご無理だけはなさらないでください。」

 

「……はい。」

 

小さく頷き、俺は部屋へ戻った。

 

その背中を見送りながら。

 

リズは小さく呟く。

 

「坊ちゃま……。」

 

「何があったのでしょう。」

 

その表情には、隠しきれない心配が滲んでいた。

 

 

その日。

 

俺は部屋へ籠もった。

 

ベッドへ寝転び。

 

ただ天井を見つめる。

 

(笑顔って……何なんだ。)

 

(俺は笑っていたつもりだった。)

 

(でも。)

 

(あれは全部。)

 

(愛想笑いだったのか?)

 

思い返す。

 

前世。

 

会社員時代。

 

上司。

 

取引先。

 

クレーム対応。

 

嫌でも笑わなければならなかった毎日。

 

怒られても笑う。

 

理不尽でも笑う。

 

心なんて関係ない。

 

笑っていれば。

 

その場は丸く収まる。

 

そうやって生きてきた。

 

(笑っていれば怒られない。)

 

(笑っていれば嫌われない。)

 

(笑っていれば仕事は回る。)

 

気付けば。

 

笑顔は感情じゃなくなっていた。

 

ただの技術。

 

処世術。

 

自分を守るためだけの仮面。

 

(……俺は。)

 

(本当に。)

 

(心から笑ったことなんて、あったのか?)

 

考える。

 

考える。

 

何度考えても。

 

答えは出なかった。

 

窓の外では夕日が沈み。

 

部屋はゆっくりと夜の色へ変わっていく。

 

それでも。

 

俺の中の答えだけは、最後まで見つからなかった。

 

翌日。

 

結局、一晩考えても答えは見つからなかった。

 

「……はぁ。」

 

ため息が漏れる。

 

(駄目だ。)

 

(考えれば考えるほど分からなくなる。)

 

(でも。)

 

(皆をいつまでも心配させる訳にもいかない。)

 

俺はいつものように身支度を整えた。

 

朝は父様との剣術。

 

午後は母様との魔法。

 

どちらも休まずこなした。

 

父様も母様も何も言わない。

 

けれど。

 

時折こちらへ向けられる視線には、心配が滲んでいた。

 

申し訳ない。

 

そう思いながらも。

 

俺の心だけは晴れなかった。

 

 

夕方。

 

裏庭。

 

毎日続けているメイド達へのライブ。

 

舞台の準備をしていると。

 

リズがそっと近付いてきた。

 

「アルト坊ちゃま。」

 

「昨日はゆっくり休めましたか?」

 

「はい。」

 

「それなら良かったです。」

 

リズは少しだけ安心したように笑う。

 

そして。

 

「ですが……。」

 

「今日もライブはお休みになさいますか?」

 

「皆も坊ちゃまのことを心配しております。」

 

優しい声音だった。

 

俺は少しだけ俯く。

 

(……そうか。)

 

(皆、心配してくれてたんだ。)

 

自然と口元が緩む。

 

「……いえ。」

 

顔を上げる。

 

「やります。」

 

リズも柔らかく微笑んだ。

 

「かしこまりました。」

 

「皆、とても喜びます。」

 

(こんなことで何日も休んでたら。)

 

(ミリリンに笑われる。)

 

ふと。

 

前世で何度も見た、あの最高の笑顔が頭に浮かぶ。

 

(もういい。)

 

(考えても分からない。)

 

深呼吸を一つ。

 

(今は――。)

 

(思いっきりライブだ!!)

 

 

「皆さん!」

 

「今日も来てくださってありがとうございます!」

 

「それでは聴いてください!」

 

歌う。

 

踊る。

 

飛び跳ねる。

 

全力で。

 

誰よりも楽しむように。

 

誰よりも本気で。

 

考えることなんて忘れて。

 

ただ。

 

目の前の皆へ届けることだけを考えて。

 

一曲。

 

また一曲。

 

気付けばライブは終わっていた。

 

「きゃああああ!」

 

「アルト坊ちゃまー!」

 

「今日も最高でした!」

 

「可愛いー!」

 

「また明日もお願いします!」

 

拍手。

 

歓声。

 

笑い声。

 

裏庭いっぱいに広がる笑顔。

 

その笑顔を見た瞬間だった。

 

アルトの中で。

 

何かが繋がった。

 

(……あ。)

 

(そうか。)

 

脳裏に蘇る。

 

前世。

 

ライブ会場。

 

眩しい照明。

 

大歓声。

 

ステージの真ん中では。

 

ミリリンが笑っていた。

 

俺は夢中でペンライトを振る。

 

喉が枯れるほど叫ぶ。

 

「ミリリーーーン!!」

 

全身が熱かった。

 

ライブが終わっても興奮は冷めない。

 

仲間と感想を語りながら歩く夜道。

 

「今日も最高だったな!」

 

「あの新曲ヤバかった!」

 

自然と笑い合う。

 

家へ帰る道でも。

 

一人になってからも。

 

足取りは軽く。

 

鼻歌まで歌っていた。

 

その時の俺は――

 

ずっと笑っていた。

 

笑おうなんて。

 

一度も考えなかった。

 

営業スマイルでも。

 

愛想笑いでもない。

 

ただ。

 

楽しかったから。

 

嬉しかったから。

 

自然と笑っていた。

 

(そうだ……。)

 

(ミリリンは。)

 

誰かに好かれようとして笑っていたんじゃない。

 

誰かに媚びるために笑っていたんじゃない。

 

誰かを笑顔にしたくて。

 

誰かへ幸せな時間を届けたくて。

 

本気で歌い。

 

本気で踊り。

 

本気でライブをしていた。

 

だから。

 

その想いが俺に届いた。

 

だから俺も笑った。

 

心の底から。

 

自然と。

 

(そうか……。)

 

(笑顔って。)

 

(作るものじゃない。)

 

(誰かを笑顔にしたい。)

 

(その想いの先に、生まれるものなんだ。)

 

 

ライブを終えた俺は、自室へ戻った。

 

鏡の前へ立つ。

 

ゆっくりと。

 

いつものように口角を上げる。

 

営業スマイル。

 

……違う。

 

どこかぎこちない。

 

鏡の中で笑っているのは。

 

笑顔なんかじゃなかった。

 

誰かに嫌われないため。

 

誰かに気に入られるため。

 

本心を隠し続けるために貼り付けた――仮面。

 

「……。」

 

思わず目を逸らす。

 

(今なら分かる。)

 

(リリアーナ様が『気持ち悪い』と言った意味が。)

 

あの人は。

 

俺を嫌ったんじゃない。

 

笑顔を嫌ったんでもない。

 

心のない笑顔。

 

誰かへ媚びるためだけの笑顔。

 

前世で身に付けてしまった、その仮面を見抜いていたんだ。

 

(……悔しいけど。)

 

(全部、その通りだった。)

 

ゆっくりと目を閉じる。

 

思い浮かべる。

 

ミリリンを。

 

ライブで笑ってくれたメイド達を。

 

楽しそうに手を叩いていた皆を。

 

俺も。

 

あんな笑顔にしたい。

 

俺も。

 

誰かを笑顔にしたい。

 

その想いだけを胸に。

 

もう一度。

 

鏡を見る。

 

「……。」

 

にこっ。

 

鏡の中に映っていたのは。

 

誰かに好かれるための笑顔ではなかった。

 

誰かへ媚びるための笑顔でもなかった。

 

ただ。

 

見る人まで笑顔にしてしまいそうな。

 

温かく。

 

優しく。

 

自然な笑顔。

 

思わず。

 

自分まで笑ってしまう。

 

「……これか。」

 

小さく呟く。

 

「これが、本当の笑顔なんだ。」

 

鏡の中の少年は。

 

もう。

 

誰かに気に入られるためではなく。

 

誰かを笑顔にしたい。

 

その想いを、そのまま表情に乗せて笑っていた。

 

(この笑顔で。)

 

(もう一度、リリアーナ様に会いたい。)

 

(今度は。)

 

(気持ち悪いなんて言わせない。)

 

この日。

 

アルト・フォン・ルミナスは――

 

人を笑顔にするための、本当の笑顔を知った。

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