あの日以来。
俺の日常は、少しだけ変わった。
朝は父様との剣術。
午後は母様との魔法。
そして夕方には、裏庭でのライブ。
やっていること自体は以前と同じだ。
けれど。
俺の中にあるものは、確かに変わっていた。
「アルト坊ちゃまー!」
「今日も最高でした!」
「笑顔が眩しいです!」
メイドさん達の歓声が裏庭に響く。
以前から盛り上がってはいた。
だが、最近は明らかに熱量が違う。
歌い終えた俺は、肩で息をしながら頭を下げた。
「ありがとうございました!」
拍手。
歓声。
笑顔。
それを見るたびに、胸の奥が温かくなる。
(これでいい。)
(俺は、この笑顔が見たかったんだ。)
リリアーナ様に言われた言葉は、まだ胸に残っている。
けれど、もう立ち止まってはいない。
今なら分かる。
あの言葉は、俺を壊すための言葉じゃなかった。
俺が本当の笑顔を知るために必要な一撃だったのだ。
◇
そんなある日のこと。
父様との剣術稽古を終えたあと。
「アルト。」
父様が一通の封筒を差し出してきた。
王家の紋章が刻まれた招待状だった。
「これは?」
「陛下からだ。」
「陛下から?」
父様は静かに頷く。
「数日後、王城で小さなお茶会が開かれる。」
「そこへ、お前もぜひ来てほしいとのことだ。」
「僕も、ですか?」
「ああ。」
父様は少しだけ言葉を選ぶように間を置いた。
「……先日の夜会で、姫様と庭園へ行っただろう。」
「はい。」
「その後、お前の様子が少し変だった。」
「……。」
やっぱり気付かれていた。
父様は優しい。
だから、あの時は何も聞かなかった。
けれど、気付いていなかったわけではないのだ。
「陛下も、何かあったのだろうと察しておられるのかもしれん。」
「今回のお茶会は、恐らく……」
「姫様と改めて話す機会を作ってくださったのだろう。」
父様の声には心配が滲んでいた。
俺は招待状を見つめる。
リリアーナ様。
あの人に、もう一度会える。
胸の奥が少しだけ熱くなる。
(この笑顔で。)
(もう一度、会いたい。)
(今度は、ちゃんと伝えたい。)
俺は顔を上げた。
「行きたいです。」
父様が少し驚いたように目を開く。
「本当にいいのか?」
「はい。」
「リリアーナ様に、もう一度お会いしたいです。」
父様は俺をじっと見つめたあと。
ふっと優しく笑った。
「そうか。」
「ならば、共に行こう。」
◇
数日後。
俺は父様と共に、再び王城へ向かうことになった。
屋敷の玄関前には、すでに馬車が用意されている。
俺は少し大きめの鞄を肩へ掛けた。
中には。
母様特製のステージ衣装が、大切にしまわれている。
「アルト。」
「はい?」
父様が鞄を見て、少し不思議そうに首を傾げた。
「今日は随分と大きな荷物だな。」
「あ…はい。」
一瞬、言葉に詰まる。
「少し……必要な物がありまして。」
「そうか。」
父様はそれ以上追及しなかった。
「忘れ物だけはするなよ。」
「はい。」
俺は鞄をぎゅっと抱えながら、馬車へ乗り込んだ。
◇
王城へ向かう馬車の中。
父様はいつものように落ち着いていた。
俺はというと、膝の上の鞄をちらちら見てしまう。
緊張している。
でも、怖いわけじゃない。
むしろ。
今度こそ。
ちゃんと届けたい。
そう思っていた。
「アルト。」
「はい。」
「無理はするな。」
父様が静かに言った。
「姫様と何があったのか、私は知らない。」
「だが、お前が自分で向き合おうとしていることは分かる。」
「だからこそ、無理だけはするな。」
「……はい。」
父様は本当に優しい。
俺は小さく頷いた。
「大丈夫です。」
「今度は、ちゃんと笑えますから。」
父様は少しだけ目を細めた。
「そうか。」
それ以上、何も言わなかった。
◇
王城に到着すると、前回とは違う落ち着いた雰囲気に包まれていた。
夜会のような華やかさはない。
だが、整えられた庭。
磨き上げられた廊下。
静かに控える使用人達。
そのどれもが、王城らしい品格を感じさせる。
案内されたのは、庭の見える明るい一室だった。
白いテーブルクロス。
美しく並べられた茶器。
焼き菓子の甘い香り。
そこには、アルフレッド陛下とリリアーナ様がいた。
「よく来てくれたな、レオンハルト。」
「本日はお招きいただき、ありがとうございます、陛下。」
「よせよせ。」
陛下は相変わらず気さくに笑う。
そして俺へ視線を向けた。
「アルトも、よく来てくれた。」
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。」
俺は丁寧に一礼する。
その時。
リリアーナ様と目が合った。
深紅の髪。
ルビーのような瞳。
今日も絵本から出てきたように綺麗だった。
けれど。
その表情は、先日の夜会の時より少し硬い。
「ごきげんよう、アルト様。」
「ごきげんよう、リリアーナ様。」
互いに挨拶を交わす。
けれど、その後の会話はあまり続かなかった。
お茶会は穏やかに進む。
陛下と父様は、王国軍や領地の話をしている。
俺とリリアーナ様は、時折言葉を交わすだけ。
「お菓子はお口に合いますか?」
「はい。とても美味しいです。」
「それは良かったです。」
「……。」
「……。」
会話が止まる。
気まずい。
ものすごく気まずい。
前世の営業スマイルで乗り切ろうとする自分が、一瞬だけ顔を出す。
だが。
俺はそれを押し込めた。
(駄目だ。)
(それじゃ意味がない。)
リリアーナ様も、どこか感情の読めない表情をしていた。
やがて。
アルフレッド陛下が、わざとらしく窓の外を見た。
「今日は天気も良い。」
「リリアーナ、アルトを庭園へ案内してはどうだ?」
リリアーナ様は一瞬だけ陛下を見た。
そして、すぐに微笑む。
「はい、お父様。」
父様も静かに頷いた。
「アルト。」
「行ってくるといい。」
「はい。」
たぶん。
いや、間違いなく。
二人とも気を遣ってくれている。
俺とリリアーナ様が、もう一度話せるように。
「では、参りましょう。アルト様。」
「はい。」
俺はリリアーナ様に案内され、再び庭園へ向かった。
◇
王城の庭園は、相変わらず美しかった。
整えられた芝生。
色とりどりの花。
静かに揺れる木々。
前に来た時と同じ場所。
同じ道。
けれど、俺の心境はまるで違っていた。
リリアーナ様は無言で歩き続ける。
そして、庭園の奥。
人目の少ない場所で足を止めた。
「……ここならよろしいでしょう。」
静かな声。
リリアーナ様は振り返る。
その表情は、先日のように怒っているわけではなかった。
ただ、平坦だった。
感情が見えない。
「先日は、失礼いたしました。」
「え?」
リリアーナ様は淡々と続ける。
「貴方も、あんなことを言った私と過ごすのは嫌でしょう。」
「お父様には、後で私から適当に伝えておきます。」
「しばらくここで時間を潰してから戻りましょう。」
「そうすれば、お互い気まずい思いをせずに済みます。」
その声に熱はなかった。
怒りもない。
期待もない。
ただ、もうこちらへ興味を持たないようにしている。
そんな声だった。
胸が少し痛む。
(違う。)
(そうじゃない。)
俺は、ここへ逃げに来たんじゃない。
もう一度会いたくて来た。
ちゃんと、自分の答えを見せるために来たんだ。
「リリアーナ様。」
「何でしょう。」
「少しだけ、後ろを向いていてください。」
「……はい?」
リリアーナ様の眉がぴくりと動く。
当然の反応だ。
「何をするおつもりですの?」
「すぐに分かります。」
「怪しいですわね。」
「お願いします。」
俺が真剣に頼むと、リリアーナ様は小さくため息をついた。
「……分かりました。」
「少しだけですからね。」
そう言って、リリアーナ様は背を向けた。
俺は鞄をそっと地面へ置いた。
ここからが本番だ。
(よし。)
(やるぞ。)
まずはステージ。
俺は魔力を集中させる。
「凍てつく舞台よ。」
地面に魔力が走る。
透明な氷が音もなく広がり、小さなステージを形作っていく。
続いて。
「凍てつくスピーカーよ。」
左右に氷の箱が現れる。
さらに。
「凍てつくマイクよ。」
手の中に、透き通る氷のマイクが生まれた。
次は衣装。
母様特製のステージ衣装だ。
白と淡い水色を基調にした、氷の妖精のような衣装。
キラキラ。
ひらひら。
フリルとリボン。
最初に見た時、母様とメイドさん達が目を輝かせていた。
正直、かなり恥ずかしい。
だが。
今日だけは逃げない。
(これは、俺の答えなんだ。)
素早く着替える。
髪を整える。
最後に胸元のリボンを直す。
「……アルト様?」
背後からリリアーナ様の声が聞こえた。
「まだですの?」
「もう少しです!」
「先ほどから妙な音がしていますけれど。」
「もう少しですので!」
深呼吸を一つ。
大丈夫。
メイドさん達の前では何度もやった。
母様にも見られた。
今さら怖がるな。
「リリアーナ様。」
「もう良いですよ。」
「一体何を……」
リリアーナ様が振り向く。
そして。
固まった。
「…………。」
目の前には、小さな氷のステージ。
その上に立つ、煌びやかな衣装をまとった俺。
リリアーナ様は、ぽかんと口を開けたまま動かない。
「……アルト様ですの?」
「はい。」
「……本当に?」
「はい。」
「……。」
困惑している。
ものすごく困惑している。
けれど、俺は構わずマイクを握った。
「リリアーナ様。」
「先日言われた言葉。」
「あの時、僕は何も言い返せませんでした。」
リリアーナ様の表情が少しだけ変わる。
「でも。」
「僕なりに考えました。」
「笑顔とは何か。」
「僕の笑顔は何だったのか。」
「そして。」
「これが、今の僕の答えです。」
氷のスピーカーに光が宿る。
淡い輝きが舞台を包む。
今日歌う曲は、もう決めていた。
前世。
ミリリンの2ndシングル、明るくて元気いっぱいの曲。
落ち込んだ時。
迷った時。
何度も俺の背中を押してくれた、アップテンポな応援ソング。
自然と体が動き。
自然と笑顔になれる。
そんな、大好きな一曲だった。
(この曲しかない。)
(今の僕の答えは、この歌に全部込める。)
俺は一つ、深く息を吸った。
「聴いてください。」
「――『Smile again』」
次の瞬間。
氷のスピーカーから、軽やかなイントロが流れ始めた。