軽快なイントロが庭園へ響く。
リリアーナ様は目を見開いたまま動かない。
当然だ。
目の前には氷で出来た小さなステージ。
その上では。
さっきまで礼服を着ていた俺が、キラキラとしたステージ衣装に身を包み、氷のマイクを握っているのだから。
(届け。)
(今度こそ。)
(この笑顔だけは。)
(本物だ。)
「♪――」
歌い始める。
同時に体が動き出す。
ステップ。
ターン。
手を伸ばす。
笑う。
自然と。
体が覚えている。
何百回。
何千回。
前世でミリリンのライブ映像を見返した。
振り付けも。
表情も。
観客との目線の合わせ方も。
全部焼き付いている。
だから。
今の俺は迷わない。
「♪Smile again――」
アップテンポなリズム。
思わず体が揺れるようなメロディー。
落ち込んだ心を前へ押してくれる歌詞。
この曲は。
前世でも特別だった。
辛い時。
仕事で心が折れそうになった時。
何度もこの曲に救われた。
だから今。
この歌を届けたい相手は一人しかいない。
リリアーナ様。
あなたへ。
「♪大丈夫――」
「♪きっとまた笑えるから――」
歌う。
踊る。
笑う。
ただ。
一人の少女を笑顔にしたい。
その想いだけを胸に。
一切の迷いなく。
全力で。
◇
リリアーナは動けなかった。
(……なに、これ。)
目の前で踊るアルト。
いや。
本当にアルト様なの?
煌びやかな衣装。
舞うような踊り。
澄み切った歌声。
そして。
その笑顔。
(違う。)
夜会で見た笑顔とは。
まるで違う。
誰かへ媚びる笑顔じゃない。
誰かに気に入られるための笑顔でもない。
楽しそうで。
嬉しそうで。
見ているこちらまで、つられて笑ってしまいそうになる笑顔。
(この人……。)
(こんな顔で笑える人だったの?)
歌は続く。
踊りも止まらない。
一曲丸々。
アルトは全力だった。
◇
やがて。
最後の音が鳴り終わる。
「ありがとうございました!」
ぺこり。
深く頭を下げる。
肩で息をする。
「はぁ……はぁ……。」
全力だった。
一切手を抜かなかった。
汗が額を伝う。
それでも。
俺は笑った。
「これが……。」
息を整えながら顔を上げる。
「これが僕の笑顔です!」
庭園が静まり返る。
「…………」
リリアーナ様は動かない。
瞬きすらしない。
(あれ。)
(失敗した?)
(もしかして全然駄目だった?)
少しずつ不安になってきた、その時だった。
「…………ぷっ。」
え?
「ふふっ……。」
あれ?
「…………あっ。」
「あっははははははは!!」
大爆笑だった。
「えっ!?」
今度は俺が固まる。
リリアーナ様はお腹を押さえ。
涙まで浮かべながら笑っている。
「あっははは!」
「な、何ですのそれ!」
「えっ?」
「アルト様!」
「その格好!」
「あっははは!」
「な、なぜ女装してるんですの!?」
「えぇぇ!?」
思っていた反応と違う!
全然違う!
「そ、それは!」
「これは、アイドルという、人を笑顔にする職業の正装で……!」
「アイドル?」
「はい!」
「皆に笑顔と元気を届ける職業です!」
「だから!」
「これがその正装で――」
「あっはははは!」
「そんな職業聞いたことありませんわ!」
「ですよね」
「それに!その衣装!」
「可愛いらしくて、本当に女の子にしか見えないけど、アルト様ですし!」
「そう思うと、余計に面白くて!」
「あっはははは!」
笑いが止まらない。
ベンチへ座り込み。
肩を震わせ。
涙を流しながら笑っている。
「お、お腹……。」
「お腹痛い……。」
「笑い過ぎです!」
思わず少しだけムッとする。
「僕は真剣なんですよ!」
「ご、ごめんなさい!」
「でも!」
「ふふっ……。」
「何を始めるのかと思ったら……。」
「急に女の子みたいな格好で歌い始めるんですもの!」
「あははは!」
また笑い出した。
俺は頬を膨らませる。
「もう!」
「笑い過ぎです!」
「……ふふ。」
ようやく。
ようやく笑いが落ち着いてきた。
リリアーナ様は目元の涙を拭きながら。
ゆっくりと俺を見る。
その表情は。
夜会の日とはまるで違っていた。
柔らかい。
本当に嬉しそうな笑顔だった。
そして。
静かに頭を下げる。
「……謝らせてください。」
俺は目を丸くした。
「え?」
「先日のことです。」
「私は。」
「あなたのことを何も知らないまま。」
「酷いことを言いました。」
俺は何も言えなかった。
リリアーナ様は俺をまっすぐ見つめる。
「あなたの笑顔は。」
「貼り付けた作り物なんかじゃありませんでした。」
「今日見せてくれた笑顔は。」
「今まで私が見てきた、どんな人とも違う。」
「……とびきり素敵な笑顔でした。」
そう言って。
涙で少し潤んだ瞳のまま。
にこりと笑った。
その笑顔が。
あまりにも綺麗で。
思わず。
胸がドキリと鳴った。
(綺麗だ……。)
心の中で、そう呟いていた。
リリアーナ様の笑顔に。
俺は思わず見惚れてしまっていた。
先日の夜会で見た、王女としての作られた微笑みではない。
今、目の前にあるのは。
年相応の少女らしい。
心の底から笑った笑顔だった。
「……あ。」
リリアーナ様は俺が見つめていることに気付いたらしい。
少しだけ視線を逸らす。
「な、何ですの?」
「いえ。」
俺は慌てて首を振る。
「その……。」
「笑った顔の方が、ずっと素敵だなって。」
「……っ!」
ぴたり。
リリアーナ様の動きが止まる。
そして。
みるみる耳まで赤く染まっていった。
「な……。」
「ななな、何を突然言うんですの!」
「え?」
「そ、そんなことを平然と言うなんて……。」
「あっ。」
しまった。
前世の営業経験で、思ったことをそのまま口にしてしまった。
「す、すみません!」
「違うんです!」
「いや、違わないですけど!」
「……。」
「……。」
一瞬、気まずい沈黙が流れる。
その沈黙を破ったのは、リリアーナ様だった。
「……ふふ。」
「本当に変わった人ですわね。」
「皆、私には気を遣って褒めるのに。」
「あなたは思ったことを、そのまま口にするのですね。」
「そう……なんでしょうか。」
「ええ。」
少し照れ臭そうに笑う。
その笑顔は、さっきまでよりさらに柔らかかった。
「でも。」
「嫌じゃありませんでした。」
その一言に。
胸が少しだけ軽くなる。
「……良かった。」
「はい。」
リリアーナ様は一歩近付いてきた。
「アルト様。」
「先程の歌。」
「とても素敵でした。」
「ありがとうございます。」
「それに。」
「アイドル……でしたか?」
「はい!」
俺は思わず身を乗り出した。
「人を笑顔にする職業なんです!」
「歌って。」
「踊って。」
「皆に元気を届けるんです!」
熱く語る俺を見て。
リリアーナ様はまた小さく笑う。
「やっぱり変わっていますわ。」
「そうですか?」
「ええ。」
「でも。」
「その変わっているところが。」
「あなたらしいのでしょうね。」
俺は照れ臭そうに頭を掻いた。
「あ。」
「そうだ。」
「少し待っていてください。」
「?」
「着替えます。」
「この格好で戻ったら父様が卒倒します。」
「……それは確かに。」
リリアーナ様がくすっと笑う。
「では。」
「また後ろを向いていていただけますか?」
「はいはい。」
「分かりましたわ。」
少し呆れながらも。
素直に後ろを向いてくれる。
「ちゃんと前だけ向いていますから。」
「覗きませんわ。」
「ありがとうございます!」
俺は慌てて衣装を脱ぎ始めた。
ガサゴソ。
ガサゴソ。
衣擦れの音だけが静かな庭園へ響く。
着替え終わり片付けていると。
「……リリィ。」
「はい?」
突然。
リリアーナ様が小さく呟いた。
「今何か言いましたか?」
俺は思わず聞き返す。
「リリィ。」
「……?」
「私と親しい人は皆、そう呼ぶの。」
ゆっくりと振り返るリリアーナ様。
耳は真っ赤。
視線はどこか落ち着かない。
「だから。」
「あなたも。」
「特別に。」
「リリィと呼ぶことを許可します。」
ぷいっと顔を背ける。
耳だけは、真っ赤なままだった。
俺は少しだけ目を丸くしたあと。
自然と笑みが浮かぶ。
「ありがとうございます。」
「リリィ。」
「……っ!」
肩がぴくっと震える。
「あと。」
「二人きりの時は敬語も要りません。」
「そういうの、疲れるでしょう?」
「……ふふ。」
俺は思わず笑ってしまう。
「じゃあ。」
「リリィも敬語はなし。」
「僕のこともアルトで。」
「……。」
リリアーナ――いや、リリィは少しだけ躊躇ってから。
恥ずかしそうに口を開いた。
「……アルト。」
たった二文字。
なのに。
その一言が、とても嬉しかった。
俺も笑顔で応える。
「ああ。」
「よろしく、リリィ。」
リリィも、小さく微笑んだ。
その笑顔は。
最初に出会った時の王女の微笑みではない。
一人の少女として浮かべた。
とびきり自然な笑顔だった。
◇
しばらくして二人が庭園から戻ると。
待っていたアルフレッドとレオンハルトは、何事もなかったようにお茶を飲んでいた。
しかし。
二人とも内心では驚きを隠せない。
先ほど庭園へ向かった時とは、リリィの雰囲気がまるで違う。
表情が柔らかい。
自然に笑っている。
時折、アルトの方を見ては口元を緩めている。
アルフレッドは紅茶を口に運びながら、小さく微笑んだ。
(……仲直りできたようだな。)
レオンハルトも胸を撫で下ろす。
(良かった。)
(アルトの表情も晴れている。)
二人は顔を見合わせ、小さく笑った。
これが――
アルト・フォン・ルミナスと。
リリアーナ・エル・アストリア。
いや。
リリィとの本当の意味での出会いだった。