異世界アイドル道   作:ちーばば

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第34話 幕間 聖女 ― 神に愛された少女

アストリア王国西部。

 

豊かな麦畑が広がる小さな町。

 

その町で、一人の少女が暮らしていた。

 

マリアンヌ。

 

どこにでもいる、ごく普通の少女だった。

 

 

「マリアンヌ、教会へ行くわよ。」

 

「はーい!」

 

日曜日。

 

朝早くから母に呼ばれる。

 

父は一番良い服へ着替え、母は聖書を抱えている。

 

一家は毎週欠かさず教会へ通う、敬虔な信徒だった。

 

教会へ着くと、神父が優しく迎えてくれる。

 

「おはようございます、マリアンヌ。」

 

「おはようございます!」

 

小さな手を合わせる。

 

今日も家族みんなで神へ祈りを捧げる。

 

神父の穏やかな言葉。

 

教会へ響く賛美歌。

 

祈りを終えた人々の優しい笑顔。

 

その全てが、マリアンヌは大好きだった。

 

(神様って、とっても優しいんだ。)

 

幼いマリアンヌは心からそう信じていた。

 

 

そして。

 

六歳になった今年。

 

王国中の子供達が受ける儀式の日がやってきた。

 

魔力測定の儀。

 

教会で属性と魔力量を測る、大切な儀式だ。

 

「次、マリアンヌ。」

 

神父に呼ばれ、祭壇の前へ立つ。

 

少しだけ緊張しながら、水晶へ手を置いた。

 

ふわり。

 

柔らかな光が灯る。

 

最初は白い光。

 

そして次の瞬間――

 

眩い黄金色の光が教会中を包み込んだ。

 

「……っ!?」

 

神父が息を呑む。

 

修道女達も驚きの表情を浮かべる。

 

「し、神聖属性……!」

 

教会中がどよめいた。

 

神聖属性。

 

十数年に一人現れるかどうかと言われる奇跡の属性。

 

神に選ばれた者だけが授かる力。

 

「おめでとう、マリアンヌ!」

 

「神様に選ばれたのよ!」

 

両親は涙を流しながら抱き締めてくれた。

 

「すごい……。」

 

「本当に神様に選ばれたんだ……。」

 

マリアンヌも嬉しかった。

 

自分が褒められたことよりも。

 

家族があんなにも喜んでくれたことが嬉しかった。

 

 

数日後。

 

家へ豪華な馬車がやって来た。

 

王都教会本部の紋章。

 

中から現れたのは豪華な法衣を纏った司祭だった。

 

「マリアンヌ様。」

 

「教皇猊下より、お迎えに参りました。」

 

両親は驚きながらも深く頭を下げる。

 

「本部にて聖女候補として育てさせていただきます。」

 

「神に選ばれた御子には、それに相応しい教育が必要なのです。」

 

父と母は顔を見合わせる。

 

そして笑った。

 

「マリアンヌ。」

 

「立派な聖女になるんだぞ。」

 

「みんなを助けられる人になるんだ。」

 

「うん!」

 

元気よく返事をする。

 

けれど。

 

馬車へ乗り込む直前。

 

振り返った家族の姿を見た瞬間だけ。

 

胸が少しだけ締め付けられた。

 

(寂しい……。)

 

でも。

 

泣いてはいけない。

 

神様に選ばれたんだから。

 

私は頑張らなきゃ。

 

そう自分へ言い聞かせた。

 

 

王都。

 

巨大な教会本部。

 

見上げても先が見えないほど高い尖塔。

 

磨き上げられた大理石。

 

赤い絨毯。

 

全てが初めて見る景色だった。

 

案内された部屋を見て、マリアンヌは思わず声を漏らす。

 

「わぁ……。」

 

広い。

 

広すぎる。

 

家族全員が暮らせそうなほど大きな部屋だった。

 

ふかふかのベッド。

 

大きな机。

 

本棚。

 

暖炉まである。

 

「今日からここが貴女のお部屋です。」

 

修道女が微笑む。

 

(すごい……。)

 

(でも……。)

 

(みんなも一緒だったらもっと良かったな。)

 

その夜は少しだけ涙を流しながら眠りについた。

 

 

翌朝。

 

鐘の音で目を覚ます。

 

「聖女候補様、お時間です。」

 

一日の始まりは祈りだった。

 

大聖堂で神へ感謝を捧げる。

 

朝食を終えると。

 

神学。

 

歴史。

 

礼儀作法。

 

魔法学。

 

そして神聖魔法について学ぶ毎日が始まった。

 

教育係の修道女は、とても優しい人だった。

 

「マリアンヌ様。」

 

「神聖魔法とは、神に選ばれた者だけが扱える奇跡です。」

 

「はい。」

 

「ですが、その力は決して自分のためにあるものではありません。」

 

マリアンヌは真剣に耳を傾ける。

 

「悲しむ人がいれば手を差し伸べ。」

 

「苦しむ人がいれば癒やし。」

 

「困っている人がいれば救う。」

 

「神聖魔法とは、あまねく全ての人々へ神の慈悲を届けるための奇跡なのです。」

 

「……はい!」

 

マリアンヌは嬉しそうに頷いた。

 

「そして、いつか現れる勇者様。」

 

「勇者様もまた、多くの人々を救う存在です。」

 

「その時は勇者様を支え、ともに世界中の人々へ笑顔を届けてください。」

 

勇者。

 

初代勇者以来、数百年もの間現れていない伝説の英雄。

 

世界を救う存在。

 

「私……。」

 

「いっぱい頑張ります!」

 

「勇者様と一緒に、みんなを助けられる聖女になります!」

 

教育係は優しく微笑んだ。

 

「ええ。」

 

「きっと素敵な聖女になれますよ。」

 

その日から。

 

マリアンヌは毎晩、まだ見ぬ勇者へ思いを馳せるようになった。

 

「勇者様。」

 

「私、もっともっと頑張ります。」

 

「だから。」

 

「いつか、一緒にみんなを助けましょうね。」

 

その笑顔は。

 

どこまでも純粋だった。

 

しかし――。

 

その純粋な願いは。

 

この教会で。

 

少しずつ。

 

誰にも気付かれぬまま。

 

歪められていくことになる。

 

教会本部へ来てから一年。

 

マリアンヌは七歳になっていた。

 

毎朝の祈り。

 

神学。

 

礼儀作法。

 

そして神聖魔法。

 

努力家だった彼女は、誰よりも熱心に学び続けた。

 

「素晴らしいです。」

 

教育係は嬉しそうに微笑む。

 

「回復魔法も随分安定しましたね。」

 

淡い金色の光が傷付いた腕を包み込む。

 

傷は見る間に塞がっていった。

 

「できました!」

 

「ええ。」

 

「この一年で本当によく成長されました。」

 

マリアンヌは嬉しそうに笑った。

 

(もっと頑張ろう。)

 

(もっとたくさんの人を助けられるようになりたい。)

 

そんな純粋な想いだけを胸に。

 

神聖魔法を磨き続けていた。

 

 

ある日。

 

教皇の執務室。

 

「教皇猊下。」

 

教育係が深く頭を下げる。

 

「聖女候補の教育は順調ですか?」

 

「はい。」

 

「最近は回復魔法もしっかり扱えるようになりました。」

 

「浄化魔法も、まもなく習得できるかと。」

 

教皇は満足そうに頷く。

 

「ほっほっほ。」

 

「それは実に喜ばしい。」

 

白い髭を撫でながら続けた。

 

「ちょうど懇意にしている伯爵様が腰を痛められていましてねー。」

 

「腰……ですか?」

 

「明後日こちらへ来られるそうです。」

 

「その時にでも、聖女候補へ回復魔法を使わせましょう。」

 

教育係は少し困ったように答える。

 

「ですが教皇猊下。」

 

「明後日は近くの診療所へ赴き、回復魔法の実践を予定しております。」

 

「怪我や病で苦しむ方々へ治療を経験させたいと考えておりました。」

 

すると。

 

教会幹部の一人が眉を吊り上げた。

 

「何を申す!」

 

「聖女様のお力を、平民などに使わせる気か!」

 

教育係は驚く。

 

「ですが、神聖魔法は――」

 

「なりません!」

 

「そんな者達のために使うなど、聖女様のお力が穢れます!」

 

教育係は言葉を失った。

 

(そんな……。)

 

(神聖魔法は、人々を救うための力では……。)

 

そこへ。

 

教皇が穏やかに口を開く。

 

「まあまあ。」

 

「落ち着きなさい。」

 

教育係は少しだけ安堵した。

 

(ああ……。)

 

(教皇様なら分かってくださる。)

 

だが。

 

次に続いた言葉は。

 

その期待を打ち砕いた。

 

「して。」

 

「その診療所は、教会へどれほどお布施を?」

 

「……え?」

 

教育係は固まる。

 

「お布施……ですか?」

 

「はい。」

 

「いえ……こちらから伺う予定でしたので、そのようなものは……。」

 

教皇は残念そうに首を横へ振った。

 

「ああ、それはいけませんな。」

 

「神への感謝も示せぬ者へ、神の奇跡を授ける道理はありません。」

 

「ですが!」

 

教育係は思わず声を上げた。

 

「病に苦しむ方々です!」

 

「平民であろうと、人々を救うのが神聖魔法では――」

 

教皇の笑みが消えた。

 

「教育係。」

 

静かな声だった。

 

だが。

 

背筋が凍るほど冷たい。

 

「神に選ばれた聖女の奇跡とは。」

 

「神へ尽くす者。」

 

「教会を支える者。」

 

「そして国を支える高貴な方々へ授けられるものです。」

 

「その方々が豊かになれば。」

 

「結果として国も潤う。」

 

「それが神の御心なのですよ。」

 

教育係は拳を強く握り締める。

 

「ですが……。」

 

「診療所への予定は中止です。」

 

「明後日は伯爵様の治療を優先しなさい。」

 

「……かしこまりました。」

 

そう答えるしかなかった。

 

 

その会話を。

 

廊下の向こうで。

 

幼いマリアンヌは偶然耳にしていた。

 

(そうなんだ……。)

 

(神聖魔法って。)

 

(誰にでも使うものじゃないんだ。)

 

(神様に認められた人だけなんだ。)

 

幼い心は。

 

疑うことを知らない。

 

教皇の言葉こそ。

 

神の教えだと信じた。

 

翌々日。

 

豪華な馬車が教会へ到着した。

 

紋章が刻まれた扉。

 

何人もの騎士を従え、一人の伯爵が姿を現す。

 

「お待ちしておりました。」

 

教皇は満面の笑みで迎えた。

 

「ようこそお越しくださいました。」

 

伯爵は腰へ手を当てながら苦笑する。

 

「いやはや、歳は取りたくありませんな。」

 

「ぜひ聖女候補様のお力をお借りしたく。」

 

「もちろんですとも。」

 

教皇は満足そうに頷いた。

 

「マリアンヌ。」

 

「はい。」

 

幼い少女は伯爵の前へ進み出る。

 

両手を胸の前で組み。

 

静かに祈る。

 

「神よ。」

 

「どうか御加護を。」

 

黄金色の光が伯爵を包み込む。

 

「おお……!」

 

腰へ手を当てていた伯爵が驚いたように身体を動かす。

 

「痛みが消えた!」

 

「素晴らしい!」

 

「さすが聖女様だ!」

 

周囲から拍手が湧き起こる。

 

教皇も満足そうに微笑んだ。

 

「実に見事です。」

 

「神の奇跡とは、まさにこのこと。」

 

マリアンヌも嬉しそうに笑った。

 

(良かった。)

 

(特別な方のお役に立てた。)

 

その夜。

 

日記へ丁寧に書き記す。

 

『今日も特別な方を助けることができました。』

 

『神様、ありがとうございます。』

 

『もっと立派な聖女になります。』

 

 

それから四年。

 

マリアンヌは十一歳になっていた。

 

神聖魔法は飛躍的に成長した。

 

回復。

 

浄化。

 

結界。

 

その力は歴代の聖女候補の中でも群を抜いていた。

 

だが。

 

彼女が神聖魔法を使う相手は決まっていた。

 

教会へ多額のお布施をする貴族。

 

教会と懇意にする豪商。

 

高位の神官。

 

王侯貴族。

 

そして――

 

いつか現れる勇者様。

 

それが。

 

マリアンヌにとっての"当たり前"になっていた。

 

 

そんなある日。

 

久しぶりに教育係がマリアンヌを訪ねてきた。

 

「マリアンヌ様。」

 

「はい。」

 

教育係は少しだけ嬉しそうに笑う。

 

「今日は一緒に出掛けませんか?」

 

「出掛ける?」

 

「ええ。」

 

「近くの診療所です。」

 

「怪我や病気で苦しむ方々がたくさんいます。」

 

「どうか皆さんを助けていただけませんか。」

 

その言葉に。

 

マリアンヌは首を傾げた。

 

「……どうしてですか?」

 

教育係は優しく答える。

 

「神聖魔法は人々を救うための力です。」

 

「身分など関係ありません。」

 

「苦しむ方がいるなら、手を差し伸べる。」

 

「それが神の教えです。」

 

マリアンヌは静かに首を横へ振った。

 

「違います。」

 

教育係は目を見開く。

 

「え……?」

 

「神聖魔法は。」

 

「特別な方々のための力です。」

 

「神様に認められた方。」

 

「教会を支えてくださる方。」

 

「そして勇者様。」

 

「平民のために使うものではありません。」

 

教育係の表情が曇る。

 

「マリアンヌ様……。」

 

「それは違います。」

 

「誰がそんなことを――」

 

「教皇様です。」

 

マリアンヌは迷いなく答えた。

 

「教皇様のお言葉は神様のお言葉です。」

 

「だから間違いありません。」

 

「この事は教皇様にお伝えしますね。」

 

教育係は何かを言おうとした。

 

しかし。

 

その瞳を見た瞬間。

 

言葉を失った。

 

もう。

 

届かない。

 

四年前。

 

まだ七歳だった少女は。

 

純粋だった。

 

だが今は。

 

その純粋さのまま。

 

完全に歪められてしまっていた。

 

「……失礼いたしました。」

 

教育係は深く頭を下げた。

 

その日を最後に。

 

教育係がマリアンヌの前へ姿を見せることは、二度となかった。

 

左遷されたのか。

 

教会を去ったのか。

 

それとも――。

 

マリアンヌが知ることはなかった。

 

 

数日後。

 

突然、王都中に教会の鐘が鳴り響いた。

 

ゴォォォン――

 

ゴォォォン――

 

今まで聞いたこともないほど激しく。

 

何度も。

 

何度も。

 

鐘が鳴る。

 

神官達が慌ただしく廊下を駆け抜けていく。

 

「勇者様だ!!」

 

「聖剣が抜かれたぞ!!」

 

「勇者様がお現れになった!!」

 

その声を聞いた瞬間。

 

マリアンヌは思わず立ち上がった。

 

「勇者様……!」

 

胸が高鳴る。

 

ずっと。

 

ずっと夢見てきた存在。

 

神に選ばれた英雄。

 

私が支えるべき、たった一人の方。

 

ほどなくして教皇自らが部屋を訪れた。

 

「マリアンヌ。」

 

「はい!」

 

教皇は穏やかな笑みを浮かべる。

 

「ついに、その時が来ました。」

 

「勇者様がお現れになりました。」

 

「貴女は勇者様を支える聖女。」

 

「これからは勇者様のお側で、そのお力となるのです。」

 

「はい!」

 

マリアンヌは心から嬉しそうに頷いた。

 

「必ず勇者様のお役に立ってみせます!」

 

「うむ。」

 

教皇は満足そうに頷く。

 

しかし。

 

マリアンヌが部屋を出た後。

 

教皇の笑みは、すっと消えた。

 

「……まさか。」

 

誰にも聞こえぬよう、小さく呟く。

 

「本当に勇者が現れるとは。」

 

長年。

 

勇者は伝承上の存在。

 

現れることなどないと思っていた。

 

だからこそ。

 

聖女は教会にとって都合の良い存在だった。

 

神の名の下。

 

教会の権威を高め。

 

貴族達との繋がりを強める。

 

そのための切り札。

 

だが。

 

勇者が現れた今。

 

聖女は勇者に付き従う存在となる。

 

教会だけの思い通りには動かせなくなる。

 

「……面白くありませんな。」

 

教皇は静かに目を細める。

 

だが。

 

すぐに口元が歪んだ。

 

「まあ、よい。」

 

「勇者も。」

 

「聖女も。」

 

「まとめて教会へ取り込めば済む話です。」

 

「神の名の下。」

 

「教会のために働いていただきましょう。」

 

静かな笑みだけが部屋に残った。

 

 

(ああ……。)

 

(勇者様❤️)

 

(ようやく、お会いできる。)

 

胸が高鳴る。

 

勇者様。

 

神に選ばれた英雄。

 

私が生まれた意味。

 

私が神聖魔法を授かった理由。

 

勇者様❤️

 

早く。

 

早くお会いしたい。

 

私の力は。

 

私の命は。

 

全て勇者様のために。

 

私は。

 

貴方様だけの聖女になります❤️

 

少女は誰よりも美しい笑みを浮かべた。

 

その笑顔は。

 

誰よりも純粋で。

 

だからこそ。

 

誰よりも狂気に染まっていた。

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