リリアーナ――いや、リリィと仲良くなってから。
王城で開かれる二人きりのお茶会は、すっかり恒例になっていた。
王女と大公爵家の嫡男。
本来なら堅苦しい時間になるはずなのに。
今では気を遣わず話せる、俺にとっても楽しみな時間になっている。
「ねえ、アルト。」
「うん? どうしたの、リリィ?」
俺は紅茶を一口飲み、目の前に置かれたケーキをもぐもぐと頬張る。
……うまい。
ふわっとしたスポンジに、甘すぎないクリーム。
口の中でほどける感じがたまらない。
(この苺もいい仕事してるな……)
そんなことを考えながら、幸せな気分でケーキに思いを馳せていると。
「前から少し気になっていたのだけれど。」
「んー?」
もぐもぐしながら適当に相槌を打つ。
リリィは俺の手元をじっと見つめながら言った。
「貴方のテーブルマナー、中途半端なのよね。」
「ぶふっ!」
思わず紅茶を吹きそうになった。
「げほっ……えぇ!?」
「基本はちゃんと出来ているの。」
「でも、所々おかしいのよ。」
「フォークの持ち方とか。」
「ナイフの使い方とか。」
「姿勢も時々崩れるし。」
「え、そうなの?」
「ええ。」
リリィは真剣な顔で頷く。
「ルミナス大公爵家では、マナーもしっかり教わっているのでしょう?」
「うーん……。」
俺はフォークを持ったまま首を傾げる。
(そういえば……。)
前世の記憶を思い出す前までは、家庭教師に教わっていたような気がする。
でも。
記憶を取り戻してからは、
朝は父様との剣術。
午後は母様との魔法。
夕方はライブ。
空いた時間は歌や踊りの練習。
完全にそっちへ時間を使っていた。
(……やった記憶がない。)
「貴方、もしかして……。」
リリィが半目になる。
俺はケーキを飲み込みながら苦笑いした。
「あはは……。」
「笑って誤魔化さない。」
じとーっ。
「すみません。」
素直に頭を下げる。
「もう。」
リリィは小さくため息をついた。
「私達も、もうすぐ王立学園へ入学するでしょう?」
「うん。」
「学園では貴族も平民も、一応同じ教室で学ぶことになるわ。」
「貴族として恥ずかしくない振る舞いは身につけておかないと。」
「確かに。」
そこは完全に俺が悪い。
ライブばかり考えていて、貴族として必要な教養を後回しにしていた。
「もし良ければ。」
リリィが少し嬉しそうに微笑む。
「私のマナーの先生へお願いして、一緒に習わない?」
「えっ。」
「いいの?」
「もちろん。」
「先生も優秀な方だもの。」
「アルトもきっと気に入るわ。」
俺はぱっと顔を明るくした。
「じゃあお願いしようかな!」
「決まりね。」
リリィも嬉しそうに笑った。
◇
数日後。
再び王城を訪れる。
「来たわね、アルト。」
「リリィ、今日はよろしく。」
「ええ。」
リリィは満足そうに頷く。
「それじゃあ、まずはこれに着替えて。」
そう言って差し出されたのは。
綺麗に畳まれた純白のドレスだった。
「…………。」
「…………。」
俺はドレスを見る。
もう一度見る。
そしてリリィを見る。
「……ねぇ、リリィ。」
「なぁに?」
「これは?」
「私のドレスだけど?」
「うん、それは分かる。」
「分かるんだけど。」
「何で僕が着るの?」
リリィは悪戯っぽく笑った。
「もちろん。」
「絶対面白いもの。」
「そんな理由!?」
「ほら、早く!」
「先生が来てしまうわ!」
「いやいやいや!」
抵抗する暇もなかった。
「アルト様、失礼いたします。」
王家のメイド達まで加勢してくる。
「右腕を失礼します。」
「左もお願いします。」
「ちょ、待っ――」
あれよあれよという間に。
俺は着替えさせられてしまった。
◇
「できました。」
「アルト様、とってもお可愛らしいですよ。」
鏡の前へ立たされる。
そこに映っていたのは。
白を基調とした可憐なドレスを身にまとった、小柄な少女。
……少女?
「…………。」
俺だ。
どう見ても俺だった。
「うん。」
リリィは満足そうに頷く。
「やっぱり貴方、可愛いわね。」
「いや、可愛いって。」
「男なんだけど?」
「そこがいいのよ。」
「よくないよ!」
「でも。」
リリィは顎へ指を当てる。
「まだ上を目指せるわね。」
嫌な予感しかしない。
「メイド。」
「はい、お嬢様。」
「例の物を。」
「かしこまりました。」
数人のメイドが嬉しそうに箱を抱えて戻ってくる。
箱の中には。
紅。
化粧筆。
香油。
粉。
鏡。
「……ねぇ。」
「まさか。」
リリィは満面の笑みだった。
「そのまさかよ。」
「さあ、アルト。」
「覚悟はいいわね?」
「そんな覚悟した覚えないよ!?」
「いいから、いいから。」
「わっ!?」
俺は椅子へ座らされる。
「動かないでくださいね。」
「少しだけですよ。」
「目を閉じてください。」
二人がかり。
いや三人がかりで。
次々とメイクが施されていく。
「はい、少し上を向いて。」
「髪はこちらでまとめます。」
「前髪を少しだけ整えて……。」
「リボンはこちらですね。」
「もう少しだけ頬へ色を。」
「はい、完成です。」
「…………。」
恐る恐る鏡を見る。
そして。
俺は言葉を失った。
銀糸のように輝く髪。
雪のように白い肌。
ほんのりと色付いた頬。
宝石のように澄んだ碧眼。
長いまつ毛がその美しさを際立たせている。
そこにいたのは。
少年ではない。
まるで物語の中から抜け出してきた妖精のような、一人の令嬢だった。
「…………。」
俺です。
信じられないけど。
俺です。
リリィは思わず息を呑んだ。
「……貴方。」
「しっかりメイクすると反則ね。」
王家のメイドも胸へ手を当てる。
「お嬢様。」
「女性である私でも、思わず見惚れてしまうほどお美しいです。」
「そうでしょう?」
「ええ。」
二人はうっとりしている。
俺だけが。
「…………。」
シクシクシク。
静かに心の中で泣いていた。
その時だった。
コンコン。
「お嬢様。」
「マーサ先生がお見えになりました。」
部屋の外からメイドの声が響く。
「お通しして。」
「かしこまりました。」
ガチャリ。
ゆっくりと扉が開いた。
年配の女性が優雅な所作で一礼する。
「ごきげんよう、リリアーナ姫殿下。」
「ごきげんよう、マーサ先生。」
マーサ先生は、ふと俺へ視線を向けた。
「あら?」
「こちらの可愛らしいお嬢様は……?」
リリィは、何事もないような笑顔で答えた。
「先生。」
「以前お話ししたルミナス大公爵家のアルト様なのですが、急なご都合で来られなくなってしまいましたの。」
「そこで、折角ですので、ご親戚のアリア様に代わりにお越しいただきました。」
(ちょっ!?)
(誰!?)
(アリアって誰!?)
驚いてリリィを見る。
しかし。
リリィはにこやかな笑みを崩さない。
そのまま。
肘で俺をつついた。
(合わせなさい。)
その笑顔の裏から、確かな圧力が伝わってくる。
(はい……。)
俺は観念した。
「ア、アリアと申します。」
「よろしくお願いいたします、マーサ先生。」
マーサ先生は優しく微笑んだ。
「あらあら。」
「そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ。」
「本日はリリアーナ姫殿下とご一緒に、楽しく学んでまいりましょう。」
「はい……。」
(アルトとしてじゃなくて、アリアとしてだけどね……。)
◇
「では、まずはテーブルマナーから参りましょう。」
マーサ先生は二人の前へ美しく食器を並べていく。
「貴族の食事は、お腹を満たすだけのものではありません。」
「所作一つ一つが、その人の品格を表します。」
俺とリリィは真剣に耳を傾ける。
「まずは姿勢です。」
「背筋を伸ばし。」
「肩の力は抜く。」
「肘は机へ乗せません。」
「はい。」
「はい。」
続いて。
ナイフ。
フォーク。
スプーン。
パンの取り方。
スープの飲み方。
紅茶のいただき方。
一つ一つ丁寧に教えてくれる。
「アリア様、とても飲み込みがお早いですね。」
「え?」
「一度申し上げたことを、すぐに実践できています。」
「あ、ありがとうございます。」
(いや、先生が教えるの上手なんだよなぁ。)
説明が分かりやすい。
理由まで丁寧に教えてくれるから、自然と頭へ入ってくる。
「ですが。」
マーサ先生は優しく微笑んだ。
「手首は、もう少し柔らかく。」
「淑女は優雅さも大切です。」
「はい。」
「そうです。」
「その調子ですよ。」
リリィが横でくすっと笑った。
「アリア様、とてもお上手ですわ。」
(絶対わざと言ってる……。)
◇
午後になると。
今度は立ち居振る舞いの授業だった。
「歩く時は視線を真っ直ぐ。」
「裾を踏まないよう、小さく歩幅を。」
「お辞儀はこの角度です。」
「椅子へ座る時は、静かに。」
「立ち上がる時も慌てず。」
マーサ先生がお手本を見せる。
その動きは、まるで一つの舞のようだった。
「では、お二人も。」
「はい。」
リリィは慣れた様子でこなしていく。
俺も真似をする。
「素晴らしいです。」
「アリア様は姿勢がお綺麗ですね。」
「ありがとうございます。」
「ですが。」
「もっと指先まで意識すると、さらに美しくなりますよ。」
「はい!」
(……なんか、すごく褒められるな。)
気付けば。
俺は夢中になって授業を受けていた。
◇
気が付けば夕方になっていた。
「本日はここまでです。」
マーサ先生は優雅に一礼する。
「お二人とも、大変よく頑張りました。」
「ありがとうございました。」
「ありがとうございました。」
マーサ先生が退室すると。
部屋には静寂が戻る。
そして。
リリィが堪えきれず吹き出した。
「ふふっ……。」
「アリア様。」
「もうやめて!」
「最後までその名前で呼ばないで!」
「だって。」
「本当に似合っていたんですもの。」
「似合わなくていいんだよ!」
「ふふふ。」
リリィは楽しそうだった。
本当に。
心の底から。
◇
帰宅後。
「おかえり、アルト。」
父様と母様が笑顔で迎えてくれる。
「今日はリリアーナ様とマナーのお勉強だったのでしょう?」
母様が少し申し訳なさそうに笑った。
「アルトちゃんが毎日色々頑張っていたから。」
「マナーのお勉強、すっかり後回しになってしまっていたわね。」
「ごめんなさい。」
「いえ。」
「今日はしっかり学んできました。」
(アリアちゃんとしてだけど……。)
心の中でだけ付け加える。
父様が嬉しそうに頷いた。
「では見せてもらおう。」
「はい。」
母様は両手を握る。
「アルトちゃん、頑張って!」
「えぇ……。」
逃げられない。
覚悟を決める。
マーサ先生に教わった通り。
一礼。
歩き方。
椅子へ腰掛ける。
ティーカップを持つ。
紅茶をいただく。
全て丁寧に披露する。
静まり返る応接室。
やがて。
「おお……。」
父様が感心したように頷く。
「素晴らしい。」
「短期間とは思えん。」
母様も嬉しそうに拍手した。
「頑張ったわね、アルトちゃん!」
その時だった。
メイド長のリズが、そっと近寄ってくる。
「坊ちゃま。」
小声だった。
「はい?」
「大変申し上げにくいのですが……。」
「?」
「全て。」
「完璧でございます。」
「……はい。」
「ですが。」
「歩き方。」
「座り方。」
「ティーカップの持ち方。」
「視線。」
「指先。」
「全て、淑女としての作法になっております。」
「…………。」
一瞬。
時が止まる。
そして。
「ですよねぇぇぇぇぇーーーっ!!」
俺の悲鳴が屋敷中へ響き渡った。
父様は思わず吹き出し。
母様はお腹を抱えて笑っている。
「ふふっ!」
「ご、ごめんなさい!」
「でもアルトちゃん、本当にお嬢様みたいよ!」
「笑い事じゃないよ、母様!」
◇
結局。
その後もう一度。
今度はアルトとして、マーサ先生から正式に男性貴族の作法を学び直すことになった。
……そして。
それとは別に。
リリィとのお茶会には、新たな『お約束』が増えてしまった。
「アルト!」
「今日はこのドレスを着てみましょう!」
「こちらのお色もお似合いになります!」
「髪型も変えてみませんか?」
「逃がしませんよ、アルト様。」
「やだぁぁぁぁーーーっ!!」
今日もまた。
王城には。
一人の少年の悲鳴と。
王女とメイド達の楽しそうな笑い声が、いつまでも響き渡るのだった。