異世界アイドル道 ~アイドルのいない世界に転生した大公爵令息、歌と笑顔で世界を救います!~ 作:ちーばば
アルトが十歳になった春。
ついに、その日がやってきた。
王立学園への入学の日だ。
王立学園。
アストリア王国最高峰の教育機関であり、王国中の貴族の子供達が十歳になると通い始める学び舎。
平民であっても、厳しい入学試験を突破すれば通うことができる。
身分にかかわらず、等しく学ぶ機会が与えられる場所。
……というのが、王立学園の建前だ。
実際には、貴族と平民の間にある身分の差まで消えるわけではない。
全寮制ではあるものの、与えられる部屋の広さや設備は家格によって異なり、貴族であれば二、三人ほどの使用人を連れて入寮することも認められている。
平等なのは、あくまで学ぶ権利。
その先にある生活まで同じというわけではないらしい。
その辺りは、やはり貴族社会ということなのだろう。
そして、ルミナス大公爵家の嫡男である俺も。
二人のメイドと共に、今日から王立学園の寮へ入ることになっていた。
◇
屋敷の玄関前。
荷物を積み終えた馬車が、出発の時を待っている。
父様と母様。
メイド長のリズ。
そして屋敷で働く使用人達が、俺を見送るために集まってくれていた。
新しい生活への期待で胸が高鳴る。
……はずだったのだが。
「うぅぅぅ……。」
「アルトちゃぁぁぁん……!」
目の前では、母様が朝から大号泣していた。
「母様。」
「そんなに泣かないでください。」
「週末になれば帰って来られますから。」
王都までは馬車で二時間ほど。
決して気軽な距離ではないが、週末に帰省することは十分可能だ。
しかし、母様の涙は止まらない。
「でもぉ……。」
「今日から毎日、アルトちゃんの顔を見られないのよぉ……。」
「朝も一緒に食事ができないし……。」
「おやすみなさいも言えないし……。」
「うぅぅ……寂しいわぁ……。」
母様は俺の身体をぎゅっと抱き締める。
苦しい。
ちょっとだけ苦しい。
けれど。
それだけ俺との別れを寂しがってくれているのだと思うと、嫌な気持ちはしなかった。
「母様。」
「僕も寂しいです。」
「でも、学園でしっかり勉強してきますから。」
「うぅ……。」
母様は涙に濡れた顔を上げる。
「本当に、毎週帰ってきてくれる?」
「できる限りは。」
「絶対よ?」
「約束です。」
俺が笑いかけると、母様はようやく少しだけ表情を和らげた。
「セレスティア。」
父様が母様の肩へそっと手を置く。
「アルトも困っている。」
「分かっているわ。」
「分かっているのだけれど……。」
母様は名残惜しそうに、もう一度俺を抱き締めた。
「アルトちゃん。」
「身体には気を付けるのよ。」
「食事はきちんと取って。」
「夜更かしも駄目。」
「無理な魔法の練習も禁止よ。」
「はい、母様。」
「それから――」
「セレスティア。」
父様が苦笑しながら止める。
このままでは、日が暮れるまで出発できそうにない。
母様を宥めた父様は、改めて俺へ向き直った。
「アルト。」
「はい、父様。」
「王立学園には、王国中から多くの者が集まる。」
「剣や魔法だけではない。」
「礼儀や学問。」
「そして、人との関わり方も学んでくるといい。」
父様は俺の肩へ手を置いた。
「困ったことがあれば、一人で抱え込むな。」
「お前には家族がいる。」
「離れていても、それは変わらん。」
「……はい。」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「しっかり学んできます。」
「もちろん、楽しむことも忘れるな。」
父様は穏やかに笑った。
「行ってこい、アルト。」
「はい!」
「行ってまいります、父様!」
◇
少し離れた場所では、リズが二人のメイドを前に立たせていた。
「エマ。」
「リナ。」
「はい。」
「はいっ!」
名前を呼ばれた二人が、揃って背筋を伸ばす。
エマは十八歳。
リズの右腕とも呼ばれるほど優秀なメイドで、何事にも冷静に対応する万能型。
屋敷内でも厚い信頼を得ており、今回の同行者として真っ先にリズから推薦された人物だ。
リナは十六歳。
明るく人懐っこい性格で、屋敷の雰囲気をいつも盛り上げているムードメーカー。
そして、ライブとなれば誰よりも大きな声で熱狂する古参ファンでもある。
今回の同行も。
『坊ちゃまと一緒に王都へ行きたいです!』
と、誰よりも熱く立候補したらしい。
リズは二人を真っ直ぐに見つめた。
「今日から貴女達には、王立学園でアルト坊ちゃまのお側に仕えていただきます。」
「坊ちゃまは大変優秀なお方です。」
「ですが、剣術や魔法……特にライブのこととなると、周囲が見えなくなることがあります。」
「生活面では、貴女達がしっかりお支えしてください。」
「お任せください。」
エマが落ち着いた声で答え、深く一礼する。
「アルト坊ちゃまが学園生活に集中できるよう、誠心誠意お仕えいたします。」
「私も頑張ります!」
リナも勢いよく胸へ手を当てた。
「坊ちゃまのお世話も!」
「ライブのお手伝いも!」
「王都で美味しいお菓子を探すのも!」
「全部お任せください!」
「最後のものは、お仕事ではありませんよ。」
エマが冷静に指摘する。
「えへへ。」
「でも、坊ちゃまも甘い物がお好きでしょう?」
「それは否定できないけど……。」
俺が苦笑すると、リズが小さく息を吐いた。
「リナ。」
「浮かれる気持ちは分かりますが、王立学園は遊びに行く場所ではありません。」
「はい!」
「気を引き締めます!」
返事だけは完璧だった。
リズは少しだけ不安そうにリナを見つめた後、改めて二人へ告げる。
「くれぐれも。」
「アルト坊ちゃまのことを、よろしくお願いいたします。」
その声には、メイド長としての厳しさと。
俺が生まれた頃から見守ってくれたリズ自身の心配が滲んでいた。
「はい。」
「お任せください!」
二人が力強く答える。
俺も三人へ笑いかけた。
「エマ。」
「リナ。」
「これからよろしくね。」
「はい、アルト坊ちゃま。」
「よろしくお願いします、坊ちゃま!」
◇
いよいよ出発の時が来た。
俺は馬車へ乗り込み、窓から屋敷の方を振り返る。
父様。
母様。
リズ。
そして、使用人のみんな。
長い間暮らしてきた屋敷の人達が、揃って手を振ってくれている。
「行ってきます!」
「行ってらっしゃい、アルト!」
「アルトちゃぁぁぁん!」
「毎週帰ってくるのよぉぉぉ!」
「行ってらっしゃいませ、アルト坊ちゃま!」
母様の泣き声と。
みんなの温かな声に見送られながら。
馬車はゆっくりと屋敷を離れていった。
◇
王都までの道のりは、およそ二時間。
馬車の窓から流れていく景色を眺めながら、俺はこれから始まる生活へ思いを馳せる。
王立学園。
これまでリリィに会うため、王都には何度も足を運んできた。
その途中で、学園の前を通ったことも一度や二度ではない。
高い外壁。
歴史を感じさせる石造りの校舎。
遠くからでも目に入る大きな時計塔。
前を通るたびに。
いつか自分もここへ通うのだと思っていた。
そして。
その日が、とうとうやってきたのだ。
(いよいよ学園生活か。)
前世でも学生生活は経験している。
けれど、あの頃はアイドルに出会うよりもずっと前。
特別な夢もなく。
何となく授業を受け。
何となく友人と過ごし。
気付けば卒業していた。
今思えば。
もっと色々なことを楽しんでおけばよかったと思う。
でも。
今世では違う。
剣術もある。
魔法もある。
リリィもいる。
そして。
世界初のアイドルを目指すという夢もある。
自然と胸が高鳴っていた。
◇
やがて馬車が王都へ入り。
しばらく進んだ先に、王立学園の正門が見えてきた。
「うわぁ……。」
近付くにつれて、その大きさがはっきりと分かる。
何度も外から見てきたはずなのに。
実際に今日から通う場所だと思うと、今までとはまるで違って見えた。
「やっぱり大きいな……。」
広大な敷地。
立派な正門。
その奥に並ぶ、複数の校舎や寮。
整備された庭園。
剣術や魔法の訓練に使うと思われる広い演習場まで見える。
王国最高峰の教育機関。
そう呼ばれるのも納得だった。
「少し早めに出発して正解でしたね。」
向かいに座るエマが窓の外を確認する。
俺達が到着した直後。
一台。
また一台と。
家紋を掲げた豪華な馬車が、次々と正門前へ集まり始めた。
馬車から降りてくる、緊張した面持ちの子供達。
大勢の使用人を連れた高位貴族。
家族と別れを惜しむ者。
新しい生活への期待から、目を輝かせる者。
少し離れた場所には、家族と共に徒歩で訪れた平民らしい子供達の姿もあった。
立場も。
育った環境も。
きっと全く違う。
それでも。
ここにいる子供達は全員。
今日から同じ王立学園の新入生なのだ。
(みんな、緊張してるんだな。)
そう思うと。
俺の緊張も少しだけ和らいだ。
「アルト坊ちゃま。」
馬車を降りたところで、エマが書類を手に取る。
「私が入寮手続きを済ませてまいります。」
「お願い。」
「かしこまりました。」
エマは一礼すると、迷いのない足取りで受付へ向かっていく。
「坊ちゃま!」
一方のリナは、荷台から大きな鞄を二つ同時に抱え上げた。
「お荷物は私にお任せください!」
「それ、重くない?」
「全然平気です!」
「ライブで鍛えていますから!」
「ライブで荷物を持ち上げる場面、あったかな……。」
「気合いです!」
満面の笑みで言い切られてしまった。
何とも頼もしい。
◇
入寮手続きを終えた後。
学園の職員に案内され、俺達は貴族用の学生寮へ向かった。
同じ敷地内にある建物だが。
平民用の寮や下級貴族用の寮とは、建物の造りからして違うらしい。
さらに同じ貴族用の寮でも、家格によって階層や部屋の広さが分けられている。
身分を問わず学べるとはいっても。
やはり、完全な平等というわけにはいかないようだ。
「こちらが、アルト・フォン・ルミナス様のお部屋になります。」
案内された扉を開ける。
そして。
俺は思わず足を止めた。
「……広い。」
学生寮。
そう聞いて想像していたものとは、随分違う。
前世の感覚で言えば。
寮というより、高級ホテルの一室だ。
大きな寝台。
勉強用の机と椅子。
本棚。
衣装棚。
来客を迎えるための応接用テーブルまで備えられている。
窓も大きく、春の日差しが部屋の中へ明るく差し込んでいた。
さらに。
主室の奥には、三つの扉が並んでいる。
一つは洗面や入浴に使う部屋。
残る二つは。
「こちらは、同行される使用人の方々の私室となっております。」
職員が説明しながら扉を開く。
それぞれに寝台と机。
小さな衣装棚も用意されている。
決して豪華ではないが、一人で生活するには十分な広さだ。
「エマとリナの部屋もあるんだ。」
「はい。」
「こちらで二十四時間、主人の身の回りをお世話できる造りとなっております。」
なるほど。
大公爵家の嫡男ともなると、この辺りの待遇も別格らしい。
「すごいですね!」
リナが自分の部屋を覗き込み、目を輝かせる。
「これなら坊ちゃまが夜中にライブをしたくなっても、すぐに駆け付けられます!」
「夜中にライブはしないよ。」
「してはいけません。」
俺とエマの声が重なった。
リナは少しだけ頬を膨らませる。
「冗談です。」
「半分くらいは。」
「半分は本気だったんだ……。」
◇
職員が退室すると。
エマとリナは、早速荷解きを始めた。
エマは持参した荷物を一つずつ確認しながら、必要な物を適切な場所へ収めていく。
本棚には教本。
机には筆記用具。
衣装棚には制服や普段着。
無駄のない、見事な仕事ぶりだ。
一方のリナも、明るい性格に反して仕事は手際が良い。
衣類を素早く整え。
寝台を確認し。
持参した茶器や菓子まで、きちんと棚へ並べていく。
「リナ。」
「お菓子が少し多くありませんか?」
「成長期の坊ちゃまには、糖分が必要です!」
「持ってきた物の大半が、リナの好物に見えますが。」
「偶然です!」
二人のやり取りを眺めているうちに。
先ほどまで何もなかった部屋が、あっという間に生活できる空間へ変わっていった。
(さすがプロだな……。)
俺が手伝おうとしても。
『坊ちゃまはお休みください』
と二人に止められてしまったため。
仕方なく、窓辺へ移動する。
窓を開けると。
春の心地よい風が部屋の中へ吹き込んできた。
眼下には、広い中庭が見える。
新入生らしい子供達が、期待と不安の入り混じった顔で歩いている。
その向こうには。
これから通う校舎。
訓練場。
図書館。
まだ足を踏み入れていない場所が、いくつも広がっていた。
(今日から、ここで暮らすんだ。)
王立学園での新しい日々。
剣術。
魔法。
学問。
新しい友人。
そして。
王都でのアイドル活動。
忙しい毎日になるのは、間違いない。
それでも。
前世から数えれば。
これが、二度目の学生生活だ。
前世では何となく過ぎてしまった時間。
今度こそ。
勉強も。
友達も。
青春も。
全部、思いっきり楽しもう。
俺は窓から広がる学園を見渡し。
自然と笑みを浮かべた。
「よし。」
「頑張るぞ!」
明日は、入学式。
いよいよ。
俺の王立学園での生活が始まる。