その後。
俺は違う意味でふらふらになりながら部屋へ戻っていた。
隣を歩くメイドが心配そうに声を掛けてくる。
「坊ちゃま、大丈夫でございますか?」
「だ、大丈夫です……」
大丈夫ではない。
足元がおぼつかないのは怪我のせいではなく、精神的ダメージのせいだ。
(なんなんだあの顔……)
思い出す。
さっき覗き込んだ鏡。
磨き上げられた鏡面の向こうには、見慣れた自分などどこにもいなかった。
そこに映っていたのは、銀糸を束ねたような髪を肩口で揺らし、澄み切った湖のような碧眼でこちらを見返す少年。
いや。
あれはもう美少年というか、ほぼ美少女だった。
(いやいやいや)
(反則だろ……)
前世の俺はごく普通の会社員だった。
朝の洗面台で見慣れた顔は、特徴らしい特徴もない平凡そのもの。
イケメンでもなければモデルでもない。
街ですれ違っても誰の記憶にも残らない、どこにでもいる普通の男だった。
それが今や。
鏡の前に立った瞬間、思わず息を呑んでしまうような顔面である。
意味が分からない。
(ミリリンは別格だぞ?)
それだけは強調しておく。
ミリリンは神だ。
世界最高だ。
宇宙一可愛い。
だが。
それを差し引いても、客観的に見て今の俺の顔面はやばい。
(もし前世でこの顔だったら人生変わってたぞ……)
学生時代。
彼女いない歴=年齢。
会社では空気。
休日は推し活。
そんな人生だった。
それが今は。
少女漫画の表紙から飛び出してきた王子様そのものだ。
神様。
ステータス配分おかしくないですか?
極振りしすぎでは?
しかもだ。
ただ整っているだけではない。
あの顔には妙な破壊力があった。
鏡越しに目が合った瞬間、本気で思考が停止した。
銀色の髪は窓から差し込む光を受けるたびに淡く煌めき、まるで月光を編み込んだようだった。
長い睫毛は影を落とし、その奥の碧眼は宝石どころか磨き抜かれたサファイアそのもの。
透き通るように白い肌は陶器めいていて、頬から顎にかけての線は驚くほど繊細だった。
鏡の中の少年は現実感がなく、絵画かゲームの立ち絵でも見ているようだった。
前世の俺なら確実に二度見している。
いや。
振り返って確認するレベルだ。
実際、さっき鏡を見た時も心の中では大絶叫だった。
転生ものの主人公って。
もっとこう。
最初から順応しているイメージがあった。
だが現実は違う。
急に別人の顔になったら混乱するに決まっている。
しかも超絶美形だ。
慣れるわけがない。
「坊ちゃま?」
「はっ!?」
気付くとメイドが不思議そうにこちらを見ていた。
どうやら無意識に立ち止まっていたらしい。
「お疲れなのでしょう。お部屋へ戻りましょう」
「そ、そうですね……」
歩き出す。
だが。
頭の中は別のことでいっぱいだった。
(この顔でアイドルやったら無双できるんじゃ……)
そこまで考えて。
俺は首を振った。
何を考えているんだ俺は。
異世界転生したばかりだぞ。
普通は魔法とか。
貴族生活とか。
そういうことを考えるべきだろう。
なのに。
真っ先に思い浮かんだのはライブ会場だった。
ステージ。
歓声。
ペンライト。
そして。
キラキラと輝くアイドル。
「……重症だな、俺」
転生しても治らなかったらしい。
そんなことを考えながら。
俺は部屋への扉を開いた。