異世界アイドル道 ~アイドルのいない世界に転生した大公爵令息、歌と笑顔で世界を救います!~ 作:ちーばば
王立学園への入学を数週間後に控えた、ある日のこと。
私はお父様に呼ばれ、王城の執務室を訪れていた。
「失礼いたします、お父様」
「ああ、来たか、リリィ」
机へ向かっていたお父様――アストリア王国国王アルフレッド・エル・アストリアが、顔を上げる。
その表情には、いつもの穏やかさがなかった。
眉間には深い皺が刻まれ、机の上には王立学園や教会から届いたと思われる報告書が、うず高く積み上げられている。
室内にいたのは、お父様だけではない。
長椅子には、エドガーお兄様が座っていた。
その向かいには、一人の少年がいる。
ユリウス・ベルン。
幼い頃より王国の麒麟児と呼ばれ、現在はお父様から正式に賢者の称号を授けられている人物だ。
年齢だけを見れば、まだ十六歳。
けれど、その知識と実績を侮る者は王城内にはいない。
政治。
経済。
軍事。
外交。
内政。
どの分野においても、大人の文官達が彼の意見を求めるほどだった。
「お父様」
私は空いている席へ腰を下ろしながら、机の上の報告書へ視線を向ける。
「何か問題でもございましたか?」
「少々、頭の痛い問題があってな」
お父様が、深く息を吐く。
「勇者ルークと、聖女マリアンヌについてだ」
その名なら、私も当然知っている。
聖剣に選ばれた勇者と、強力な神聖属性を持つ聖女。
いずれ魔王討伐の旅へ出る、人類の希望。
少なくとも、世間ではそのように呼ばれている二人だった。
「二人が、何か?」
「学園から、連日のように報告が届いている」
お父様が机上の書類を一枚取り上げる。
「授業への無断欠席」
一つ。
「教師の指示への反抗」
二つ。
「訓練場の無断使用」
三つ。
「他の生徒との私闘」
読み上げるたびに、お父様の眉間の皺が深くなっていく。
「先日は、ルークが上級生三人を相手に決闘を行い、二人が治療院へ運び込まれたそうだ」
「決闘の許可は?」
「出ていない」
「では、決闘ではなく、ただの私闘ではありませんか」
「そうなるな」
お父様が苦々しげに頷く。
「本人は、相手が先に挑発したと主張している。もっとも、相手側もルークを侮辱したこと自体は認めているようだが」
「原因がどちらにあるかと、学園の規則を破ったかどうかは別の問題です」
それまで報告書へ目を通していたユリウス様が、淡々と告げた。
「挑発を受けたのであれば、教師へ申し出るべきでした。決闘を行う場合にも、学園側の許可と監督者が必要です」
「分かっている」
「であれば、規則に従って処分すべきでしょう」
「それが簡単にできれば、苦労はせん」
お父様が額へ手を当てる。
勇者は、ただの一生徒ではない。
聖剣に選ばれた、人類の切り札。
その背後には、ルークを神に選ばれた者として積極的に支援している教会が存在する。
学園がルークへ処分を下そうとすれば、教会は必ず反発するだろう。
それだけではない。
聖剣に選ばれたルークの戦闘能力は、既に並の教師を大きく上回っているという。
規則に従わせようにも。
本人が従う気を見せなければ、力ずくで止められる者が学園内にはほとんどいない。
教師達が及び腰になるのも、理解できなくはなかった。
「マリアンヌについては?」
私が尋ねると、お父様は別の報告書を手に取った。
「彼女自身が暴力を振るったという報告はない」
「では、問題はないのですか?」
「いや。ルークの行動を、全て正しいものとして擁護している」
「全て、ですか?」
「全てだ」
お父様の声が、さらに重くなる。
「教師がルークを注意した際には、『勇者様を妨げることは、神の御意思に背くことです』と言ったらしい」
思わず言葉を失う。
「それは……注意ではなく、脅迫に近いのではなくて?」
「本人にそのつもりはないのでしょう」
答えたのは、ユリウス様だった。
「だからこそ厄介なのです」
「どういう意味でしょう?」
「悪意のある人間は、自らの利益に反すると理解すれば、行動を改める可能性があります」
ユリウス様は、感情の見えない顔で説明を続ける。
「しかし彼女は、自分の行いが絶対的に正しいと信じている。自身の言葉が相手への圧力になっていることすら、理解していない可能性が高い」
「説得が通じない、ということですか?」
「正確には、自らが信じる教えに反する言葉を、説得として認識しません」
ユリウス様は何でもないことのように言った。
けれど、その内容には薄ら寒いものを感じた。
自分の行いが間違っていると知りながら、悪事を働く者。
それも、もちろん恐ろしい。
けれど。
自分は絶対に正しいと信じ。
笑顔のまま他人を追い詰める者は。
もしかすると、それ以上に恐ろしいのかもしれない。
「エドガー」
お父様が、お兄様へ目を向ける。
「実際の学園での様子はどうだった?」
「そうですね……」
エドガーお兄様が腕を組む。
普段の快活な表情とは違い、今日は真剣な顔をしていた。
「俺も、勇者になる前のルークについては、ほとんど知りません」
「同じ時期に在学していたのでしょう?」
「あの頃の俺は上級生で、あいつは入学したばかりでしたから。それに、当時のルークは目立つ生徒ではありませんでした」
お兄様は、少し言いづらそうに続ける。
「正直に言えば、平民の下級生一人一人まで気に掛けてはいませんでした。ルークの名前を知ったのも、聖剣に選ばれてからです」
それは恐らく、エドガーお兄様だけではない。
当時の多くの生徒がそうだったのだろう。
何者でもなかった、平民の少年。
その存在を、誰も気に留めなかった。
そして聖剣に選ばれた瞬間。
今まで彼を知らなかった者までが、その名を口にし始めた。
「勇者になったばかりの頃は、まだ大人しかったと思います」
お兄様は、当時を思い返すように視線を伏せる。
「突然周囲から持ち上げられて、本人も戸惑っているように見えました。ただ、俺が卒業する頃には……かなり変わっていました」
「具体的には?」
「訓練場を使っている生徒を、邪魔だからという理由で追い出す。授業中に気に入らないことがあれば、教師を無視して出ていく。自分を侮った生徒を、訓練と称して一方的に叩きのめす」
お兄様の表情が険しくなる。
「止めようとした教師に、聖剣を見せつけたこともあります。抜きはしませんでしたが……あれは明らかな威圧でした」
「教師へ、聖剣を……」
聖剣は、人類を守るためのもの。
教師を黙らせるために使われるようなものではない。
「お兄様は、注意しなかったのですか?」
「したさ」
エドガーお兄様は即答した。
「俺だけじゃない。生徒会や、何人かの上級生も注意した。だが、あいつは言った」
お兄様の口調が低くなる。
「『俺より弱い奴の言うことを、どうして聞かなければならない』とな」
部屋の中が静まり返った。
お父様が額へ手を当てる。
「学園長からの報告とも一致しているな」
「はい。俺が卒業した後、さらに酷くなったのだと思います」
「ルークを虐げていた生徒や、それを見て見ぬふりしていた教師にも責任はあるのでしょう」
私は静かに口を開く。
「けれど、それは今の振る舞いを許してよい理由にはなりません」
「その通りだ」
お父様も頷いた。
「だが、まだ十三歳の子供でもある」
その言葉には、僅かな迷いが滲んでいた。
国王ではなく。
一人の父親としての感情が。
「陛下」
それまで黙って話を聞いていたユリウス様が、報告書を机へ置いた。
「現状、ルークは学園へ真面目に通っていません」
「……そうだな」
「通常の授業にはほとんど参加せず、参加しても教師の指示に従わない。既に一般生徒と同じ教育課程へ在籍させる意義は失われています」
「何が言いたい?」
「いっそのこと、飛び級で卒業させてはいかがでしょう」
あまりにも淡々とした提案だった。
「卒業、ですか?」
「はい」
ユリウス様が私を見る。
「必要な卒業試験だけを受けさせ、基準に達していることを確認したうえで、学園から切り離します。その後は、勇者としての訓練を本格化させるべきです」
「しかし――」
「学園へ籍だけを置き、授業へ出席せず、問題を起こし続けるよりも効率的です」
ユリウス様は表情一つ変えない。
「ルークには一般教養よりも、戦闘訓練、魔物に関する知識、野外行動、部隊指揮を優先して学ばせる必要があります」
「待て、ユリウス」
お父様が、低い声で遮る。
「ルークは確かに勇者だ。だが、その前に一人の子供でもある」
「事実です」
「学園は、知識だけを得る場所ではない」
お父様は積み上げられた報告書へ視線を落とした。
「同年代の友人を作り、共に学び、失敗を重ねる場所でもある。こちらの都合だけで、子供から学ぶ機会や、友と過ごす時間を奪うのは……」
「陛下。お言葉ですが」
ユリウス様は、国王を前にしても少しも怯まなかった。
「聖剣に選ばれた時点で、ルークは単なる一個人ではありません」
その声に冷たさはない。
同情も。
怒りも。
ただ事実だけを並べている。
「彼は、王国の剣です」
お父様の眉が、僅かに動く。
「ならば剣は、必要な時に振るえるよう、鋭く研いでおかねばなりません」
「まだ十三歳の子供を、王国の剣として扱えと言うのか?」
「聖剣に選ばれた以上、それが勇者の責務です」
ユリウス様は、迷うことなく答えた。
「既に王国も教会も、彼を勇者として扱っています。勇者という名誉と特権を与え、莫大な費用を投じている。それでいて、都合のよい時だけ一人の子供として扱うのは矛盾しています」
「…………」
「友人との生活が本人の成長に寄与しているのであれば、残す価値はあります。しかし現状では、ルークは他の生徒と友好関係を築くどころか、恐怖によって従わせている」
残酷なほど、正しい指摘だった。
「感情ではなく、実利でお考えください」
ユリウス様は、真っ直ぐにお父様を見る。
「学園にとっても、他の生徒にとっても、そして勇者本人にとっても。早期卒業と専門教育への移行が、最も損失の少ない選択です」
お父様は、すぐには答えなかった。
長い沈黙が流れる。
やがて。
お父様が深く、重いため息をついた。
「……卒業試験を受けさせよう」
「お父様」
「ただし、形だけの卒業は認めん。必要な学力を備えているか、厳正に判断させる」
「合理的な判断です」
「お前に褒められても、少しも嬉しくないな」
「そうですか」
本当に理由が分かっていないような顔で、ユリウス様は首を傾げた。
その様子に、エドガーお兄様が苦笑する。
けれど。
お父様の表情が晴れることはなかった。
恐らく。
正しい判断であることと。
心から納得できることは、同じではないのだろう。
その時の私はまだ。
お父様が抱える迷いを、完全には理解できていなかった。
◇
そして。
王立学園へ入学した、その日の夜。
自室へ戻った私は、窓辺の椅子へ腰を下ろしていた。
昼間の入学式で起きた出来事を思い返す。
在校生代表の挨拶へ勝手に割り込み。
当然のように壇上を奪った勇者ルーク。
学園の制度を表面だけで批判し。
貴族と平民の平等を語りながら。
平民のために王国が負担している学費や生活費には、一切触れなかった。
そして最後には。
『力こそが、全てだ』
そう、大講堂中へ言い放った。
その主張を、無条件に称賛した聖女マリアンヌ。
『勇者様は正しい』
『勇者様は素晴らしい』
まるで。
ルークが口にした言葉ならば、どんな内容であっても、神の教えになると信じているようだった。
「はあ……」
思わず、ため息が漏れる。
「確かにこれは、お父様も頭を悩ませるわね」
あの場で教師達が動けなかった理由も、今ならよく分かる。
ルーク個人の力。
聖剣に選ばれた勇者という立場。
そして、教会の後ろ盾。
一人の生徒を注意するだけで。
学園と教会。
場合によっては、王国と教会の対立にまで発展しかねない。
卒業試験を受けさせ。
必要な成績を収めたなら、飛び級で卒業させる。
あの時は、随分と冷たい判断に聞こえた。
けれど今日の姿を見た後では。
学園へ残す方が危険だと思えてしまう。
ルークはもう、生徒として学ぶために学園へ通っているのではない。
自分の力を示し。
誰も自分には逆らえないのだと確かめるために、そこにいる。
(ユリウス様の判断は、正しかった)
少なくとも。
理屈の上では。
「王国の剣、か……」
私は窓の外へ目を向ける。
夜の学園は静かだった。
昼間、あれほどの騒ぎがあったことなど、まるで嘘のように。
王国の剣。
その言葉から、私は一人の人物を思い浮かべる。
レオンハルト・フォン・ルミナス大公爵。
アルトのお父様であり。
王国軍の頂点に立つ御方。
お父様は、レオンハルト様のことを何度もこう評していた。
『彼こそ、我が王国の剣だ』と。
レオンハルト様は、その圧倒的な力を王国のために振るう。
魔物や敵国の脅威から民を守り。
兵を率い。
自ら最前線へ立ち。
王国の平和を支えている。
力を持たない者を守るために。
自らの力を使う。
だからこそ、お父様はレオンハルト様を信頼し。
敬意を込めて、王国の剣と呼ぶのだろう。
一方。
ユリウス様もまた、ルークを王国の剣と呼んだ。
けれど。
今日のルークが振るっていた力は、誰かを守るためのものではなかった。
自分の主張を通すため。
他人を黙らせるため。
誰も自分には逆らえないのだと示すため。
ルークは、与えられた力を自分自身のために使っている。
「同じ王国の剣でも……随分と違うものね」
思わず、独り言が漏れた。
レオンハルト様は、王国と民を守るために振るわれる剣。
ルークは、王国によって研ぎ上げられながら、自分のために力を振るう剣。
前者は、誰かを守るために、自ら刃を向ける相手を選ぶ。
後者は、自分へ逆らう者全てを敵と見なす。
剣は、鋭く研がなければならない。
それは分かる。
けれど。
どれほど鋭く。
どれほど強い剣であっても。
守るべきものへ刃を向けるのなら。
それは本当に、王国の剣と呼べるのだろうか。
(ユリウス様は、ルークを王国の剣だと言った)
恐らく、あの方にとって大切なのは。
その剣が必要な時に、必要な敵を斬れるかどうかなのだろう。
魔王を討つ。
魔物を倒す。
王国へ迫る脅威を排除する。
その目的さえ果たせるのなら。
ルークがどのような人格を持っているかは、優先順位が低いのかもしれない。
けれど。
どれほど優れた剣でも。
握る者の意志に従わず。
自ら振るわれるようになってしまえば。
いつか敵だけでなく、味方や民まで傷つける。
そして最後には。
その剣を握る王国自身へ、刃を向けるかもしれない。
「お父様が頭を悩ませるのも、当然ね……」
ルークは間違いなく強い。
人類にとって必要な力を持っている。
だからこそ。
誰も彼を簡単には切り捨てられず。
誰も彼の横暴を止められない。
力を持つ者が、その力を何のために使うのか。
レオンハルト様とルーク。
二人を分けているものは、持っている力の大きさではない。
きっと。
守りたいものが、自分の外にあるかどうかなのだ。
レオンハルト様は。
王国を守る。
民を守る。
家族を守る。
そのために剣を振るう。
では。
ルークが守りたいものは、何なのだろう。
今のルークが守ろうとしているのは。
自らの誇りと。
勇者としての立場と。
誰にも屈しない自分自身だけに見える。
同じ王国の剣と呼ばれながら。
二人は、あまりにも違っていた。
私はもう一度、静かな夜空を見上げる。
レオンハルト様の背中を見て育ったアルトは。
もし、今以上に大きな力を手に入れたとしても。
決して、ルークのようにはならない。
不思議と、そう信じることができた。
アルトは昔から、自分の力をひけらかすことに興味がない。
誰かに認められるためではなく。
自分がやりたいと思ったことへ、真っ直ぐに力を使う。
そして。
本人には、その自覚がほとんどないけれど。
アルトがやりたいことは、いつも誰かの笑顔へ繋がっている。
歌も。
踊りも。
魔法も。
誰かを楽しませるために使われる。
(剣ではないけれど)
アルトは、レオンハルト様とは違う道を歩んでいる。
それでも。
力を自分だけのために使わないという点では、よく似ているのかもしれない。
「……考えても仕方がないわね」
小さく首を振る。
明日から、本格的な学園生活が始まる。
勇者が何を考えていようと。
聖女が何を信じていようと。
私には、王女として守らなければならないものがある。
王家が積み重ねてきたもの。
この学園で学ぶ生徒達。
そして――。
(アルトも、きっと何かに巻き込まれるでしょうし)
本人には、まるで自覚がないけれど。
アルトは昔から、妙な出来事を引き寄せる。
それなのに。
自分の興味があること以外には、とことん無頓着だ。
私が見ていなければ、何をしでかすか分からない。
「まったく……」
そう呟きながら。
自分の頬が僅かに緩んでいることに気付き、慌てて表情を引き締める。
今考えるべきは、アルトのことではない。
勇者と聖女のことだ。
そう自分へ言い聞かせながらも。
明日の教室でアルトに会えることを。
私は、ほんの少しだけ楽しみにしていた。