異世界アイドル道 ~アイドルのいない世界に転生した大公爵令息、歌と笑顔で世界を救います!~ 作:ちーばば
新しいことを学ぶのは楽しい。
王国史。
法学。
算術。
地理。
礼法。
そして、魔法理論。
王立学園での授業が始まり、午前中は主に教室で座学を受けることになった。
どの教科も、全く知らない内容というわけではない。
魔法理論は、幼い頃から母様に教わっている。
王国史についても、前世の記憶を取り戻した頃、この世界のアイドルについて調べる過程で一通り目を通した。
この世界にアイドルは存在するのか。
人々は、どのような娯楽を楽しんでいるのか。
歌や踊りは、歴史の中でどのように扱われてきたのか。
そんなことを調べるため、大書庫で歴史書や各地の文化に関する本を読み漁ったのだ。
礼法は、八歳の頃からマーサ先生に教わっている。
最初の授業では、リリィの悪戯によってドレスを着せられ。
アリアという架空の令嬢として、淑女の作法を徹底的に仕込まれてしまった。
帰宅後。
完璧な淑女の所作を父様と母様の前で披露してしまい、屋敷中へ俺の悲鳴が響き渡ったのは、今でも忘れられない。
その後。
改めて男性貴族としての作法をマーサ先生から教わり。
家でも繰り返し学び直してきた。
今では貴族として必要な、基本的な礼法は身に付いている。
……たまに。
気を抜くと淑女の所作が混ざるけれど。
それ以外の算術や地理、法学についても、大公爵家の跡継ぎとして必要になるため、家庭教師から基礎的な教育を受けてきた。
だから、授業の内容は復習に近いものも多い。
それでも。
(楽しいな)
俺は教師の話を聞きながら、自然と笑みを浮かべていた。
王国がどのように生まれ。
どのような歴史を歩んできたのか。
国を成り立たせている法律。
王家や貴族が持つ権利と、果たすべき義務。
各地の地形や気候。
そこに暮らす人々の生活や文化。
教科書を開くたび。
教師の説明を聞くたび。
この世界が、俺の中で少しずつ広がっていく。
俺は確かに、この世界で十年間生きてきた。
けれど、知っているのはルミナス領や王都、それに両親から教わった範囲が中心だ。
この国について。
この世界について。
まだ知らないことは、山ほどある。
それを一つずつ知ることが、たまらなく楽しかった。
(有人だった頃とは、随分違うな)
前世の学生生活を思い返す。
正直。
勉強はあまり得意ではなかった。
嫌いというほどではないけれど、授業中はいつも眠気との戦いだった。
教師の声が心地よい子守唄に聞こえ。
黒板へ並ぶ文字を眺めているうちに、瞼がだんだんと重くなっていく。
特に昼食後の授業は危険だった。
机へ伏せないよう耐えているだけで、一時間が終わったこともある。
それが今では。
「アルト様」
隣の席から、小さな声が聞こえた。
「何?」
「随分と楽しそうですね」
リリィが、僅かに呆れたような目で俺を見ていた。
「そう見える?」
「先ほどからずっと、目を輝かせているもの」
「だって、面白いじゃないか」
俺は開いている地理の教科書へ視線を落とす。
「同じ王国内でも、土地によって暮らし方が全然違うんだよ」
「それはそうでしょうけれど……」
「北部には、雪や氷を利用したお祭りがあるらしいよ」
「ええ」
「氷で舞台を作って、その上でライブをしたら面白そうじゃない?」
「結局、そこへ行き着くのね」
リリィが小さくため息をつく。
「貴方、本当に何でもアイドルやライブへ結び付けるわね」
「大切なことだからね」
「今は地理の授業よ?」
「将来の遠征先について学ぶ授業とも言える」
「言わないわよ」
小声でそんなやり取りをしていると。
教壇に立っていた教師が、こちらへ顔を向けた。
「ルミナス君、リリアーナ殿下」
「はい」
「申し訳ございません」
二人で慌てて前を向く。
教師は一度だけ咳払いをすると、何事もなかったように授業を再開した。
(気を付けよう)
学ぶことが楽しいのはいい。
そこからライブのアイデアを得ることも大切だ。
ただし。
授業中のお喋りは、また別の話だった。
◇
午前中に座学を行い。
午後からは、剣術や魔法などの実技授業が始まる。
最初に行われたのは、剣術の実力確認だった。
訓練場へ集められた一年一組の生徒達は、一人ずつ教師の前で木剣を振り、基本動作を確認される。
その後。
教師を相手に、短い模擬戦を行うことになった。
貴族の子供の多くは、入学前から剣術を学んでいる。
一方で、平民出身の生徒には、剣を握ること自体が初めての者もいた。
そのため、この授業は勝敗を競うものではない。
あくまで現在の実力を確認し、今後の指導方針を決めるためのものだった。
そんな中。
「まずは僕から、お見せしましょう」
カイルが、優雅な動作で前へ出た。
風に靡く鮮やかな金髪。
自信に満ちた笑顔。
木剣を持っているだけなのに、何故か立ち姿まで計算されているように見える。
「カイル様、素敵!」
「頑張ってくださいませ!」
いつもの女子生徒達から声援が飛ぶ。
カイルは、それに応えるように金髪を掻き上げた。
「ふっ。美しい薔薇は、どこへ咲こうとも皆の視線を集めてしまうものだね」
(訓練場に薔薇はないけど)
カイルは教師へ一礼すると、木剣を構えた。
キザったらしい態度ではあるものの。
その構えに、大きな隙はない。
教師が打ち込む。
カイルは木剣で受け流し、素早く横へ回り込んだ。
続く一撃を避け。
鋭い踏み込みから、教師の胴を狙う。
もちろん、教師には簡単に防がれた。
それでも。
同年代としては十分に速い。
剣筋も素直で、基礎がしっかりと身に付いていることが分かった。
「そこまで」
教師の声で、カイルが木剣を下ろす。
「リフィル君。よく鍛えられています。基本動作にも、大きな問題はありません」
「ありがとうございます」
カイルが優雅に一礼する。
「この程度、リフィル侯爵家の嫡男として、当然の嗜みでございます」
「きゃあ!」
「さすがカイル様!」
再び黄色い歓声が上がる。
本人は少し鬱陶しいけれど。
実際、すごい。
十歳でこれだけ動けるなら、日頃から真面目に鍛錬しているのだろう。
ただのキザな美少年ではないらしい。
カイルは満足そうな笑みを浮かべると。
こちらへ振り返った。
「さて」
俺を見る。
「次はアルト殿の番かな?」
「名簿順だと、そうみたいだね」
「武の象徴たるルミナス大公爵家。その嫡男の剣、楽しみにしているよ」
「期待に応えられるか分からないけど、頑張るよ」
俺は木剣を手に取り、教師の前へ出た。
父様と剣術の稽古を始めたのは、五歳の頃。
それから今日まで、ほとんど毎日のように剣を振り続けてきた。
向かい合った教師が木剣を構える。
「始め」
合図と同時に、一歩踏み込む。
教師の剣が、上段から振り下ろされた。
それを正面から受けず、身体を半歩ずらして受け流す。
父様の剣は。
速く。
重く。
鋭い。
父様との稽古に比べれば、教師の動きは随分とゆっくり見えた。
だからといって、油断はしない。
相手は、俺の実力を測るために速度を調整している。
一度距離を取り。
再び踏み込む。
木剣同士がぶつかり、乾いた音が訓練場へ響いた。
教師の攻撃を受け流し。
隙を見て、こちらから打ち込む。
数度の攻防を繰り返したところで、教師が木剣を引いた。
「そこまで」
俺も木剣を下ろし、一礼する。
「ありがとうございました」
教師は、少し考えるように俺を見る。
「ルミナス君。非常によく鍛えられています。動きに迷いがなく、受け流しも正確です」
「ありがとうございます」
「さすが、武のルミナス家ですね」
周囲から、感心したような声が聞こえてくる。
「すごい……」
「今の動き、見えた?」
「カイル様より強いのかしら?」
褒めてもらえるのは、素直に嬉しい。
ただ。
俺自身は、自分が剣術において特別な天才だとは思っていない。
小さい頃から、父様という最高の剣士に教えられ。
毎日欠かさず鍛錬を続けてきた。
だから、同年代より先へ進んでいるだけだ。
俺と同じ環境で。
同じだけの努力を重ねた者がいれば。
いずれ追いつかれることもあるだろう。
現に、カイルも十分に強かった。
俺より動きは荒いけれど。
これから努力を続ければ、その差は縮まっていくかもしれない。
「なるほど……」
カイルが顎へ手を添え、真剣な表情で俺を見ていた。
「現時点では、アルト殿が僅かに先を行っているようだね」
(僅かかな?)
「だが、勝負は始まったばかり」
カイルが木剣を高く掲げる。
「いずれ僕の華麗なる剣が、君を追い越してみせよう!」
「うん。お互い頑張ろうね」
「余裕でいられるのも、今のうちだよ。アルト殿!」
何故か。
勝手に勝負が始まっていた。
◇
翌日。
午後から行われたのは、魔法実技だった。
広い魔法訓練場には、魔法を受け止めるための的や、頑丈な防護壁が設置されている。
訓練場の周囲には結界も張られており、多少魔法が逸れても、外へ被害が及ばないようになっていた。
まずは一人ずつ。
自分の属性と、現在使用できる魔法を教師へ申告する。
その後。
指定された的へ魔法を放ち。
威力。
精度。
発動速度。
魔力制御。
それらを確認するらしい。
剣術の時と同じく。
最初に前へ出たのは、カイルだった。
「カイル・ド・リフィル」
カイルは胸へ手を当て、堂々と名乗る。
「属性は、火と風。二つの属性を扱うことができます」
クラスの中から、感心する声が上がる。
カイルが火と風の複合属性を持っていることも、貴族の子供達の間では知られているらしい。
二つの属性を持って生まれる者は、それほど多くない。
希少属性ほどではないにしても、十分に優れた才能と言える。
「まずは火属性から、お見せしましょう」
カイルが片手を前へ突き出す。
その手のひらの先に、赤い炎が集まった。
炎は少しずつ形を整え。
拳ほどの大きさを持つ火球となる。
「行け!」
放たれた火球が、真っ直ぐに的へ飛んでいく。
次の瞬間。
小さな爆発音と共に、的の中心が黒く焦げた。
「おお!」
周囲から歓声が上がる。
「続いて、風属性」
今度は、カイルの周囲へ風が集まる。
金髪が風を受けて揺れ。
制服のマントが大きく靡いた。
「ふっ……風すらも、僕の美しさを引き立ててしまうのだね」
「カイル様!」
「素敵です!」
(自分で風を起こしてるんだけどな)
カイルが腕を振る。
圧縮された風の刃が飛び、別の的へ命中した。
的の表面へ、斜めの傷が走る。
「二属性とも、年齢を考えれば十分な威力です」
教師が評価を告げる。
「属性ごとの制御にも、大きな乱れはありません」
「ありがとうございます。ですが――」
カイルが笑みを深める。
「僕の本領は、ここからです」
右手に炎。
左手に風。
二つの魔法を同時に発動させる。
風が炎を包み込み。
やがて、渦を巻く火炎へ変わっていく。
「二属性複合魔法――炎風!」
炎を纏った風の渦が、的へ向かって放たれた。
火炎が的を包み込み。
風が炎の勢いをさらに強める。
ゴオッ、と大きな音が響き。
魔法が消えた後には、真っ黒に焼け焦げた的が残されていた。
「すごい!」
「二つの魔法を同時に!」
「さすがカイル様ですわ!」
女子生徒達から、昨日以上の歓声が上がる。
カイルは額に浮かんだ汗を拭いながら、満足そうに微笑んだ。
複合魔法は、ただ二つの属性を同時に出せばいいわけではない。
それぞれの魔力を制御し。
互いの長所を活かすよう、組み合わせる必要がある。
十歳で形にできているのなら、カイルの魔法適性は本当に高いのだろう。
「リフィル君。見事です」
教師も素直に称賛する。
「威力は申し分ありません。ただし、複合時に魔力制御が僅かに乱れています。実戦で使用する際は、周囲を巻き込まないよう注意してください」
「承知いたしました」
カイルは一礼すると。
待っていましたと言わんばかりの顔で、こちらへ振り返った。
「さあ、アルト殿」
「次は僕みたいだね」
「昨日の剣術では、君の方が一歩先を行っていた。それは認めよう」
「一歩でいいの?」
「だが!」
俺の言葉を無視して、カイルが指を突きつける。
「君が氷と光の希少属性を持つことは、貴族ならば誰もが知っている!」
カイルの声に、何人もの生徒が頷いた。
俺が氷と光の希少属性を持っていることは、六歳の魔力測定の儀を受けた際、王城へ正式に報告されている。
希少属性同士の複合持ちが現れたという話は。
当時の貴族社会でも、随分と話題になったらしい。
先生達は、事前に提出された資料で当然把握している。
貴族出身のクラスメート達も、俺の属性自体は知っていた。
それでも。
希少属性の魔法を、実際に目にする機会は滅多にない。
「いよいよ見られるのね……」
「氷と光の魔法なんて、初めて見る」
「噂には聞いていたけれど、どれほど使えるのかしら?」
周囲から、期待に満ちた声が聞こえる。
平民出身の生徒達の中には、ここで初めて詳しい話を知った者もいるらしく、驚いたように俺を見ていた。
「しかし!」
カイルの演説は続く。
「属性が珍しいことと、それを使いこなせることは別の話!」
言っていること自体は正しい。
珍しい属性を持っていても、魔力を制御できなければ意味がない。
「魔法ならば、僕にも勝機がある!」
カイルが胸へ手を当てる。
「火と風の複合魔法を操る、この僕にね!」
「僕達、何か勝負してたっけ?」
「今からするのだよ!」
「授業なんだけど」
「ならば、授業でどちらが高い評価を得られるか勝負だ!」
どうやら、逃げ道はないらしい。
「分かった。じゃあ頑張るよ」
「その余裕が、いつまで続くかな?」
カイルが金髪を掻き上げる。
俺は前へ出ると、教師へ一礼した。
「アルト・フォン・ルミナスです。属性は、氷と光です」
「ええ。事前に提出された資料でも確認しています」
教師が頷く。
「それでは、まず氷属性から見せてください」
「はい」
俺は的へ手を向ける。
氷魔法については。
氷属性の権威であるグランお祖父様から教わり。
その後も母様と共に、何度も練習を重ねてきた。
氷を生み出す。
ただそれだけなら、もう難しくはない。
問題は。
どの程度までやればいいのだろう。
(的を凍らせればいいのかな?)
周囲を巻き込まないように。
それでいて、制御が伝わるように。
魔力を練り。
的の中心へ狙いを定める。
次の瞬間。
的の中心から、白い霜が一気に広がった。
一瞬にして、的全体が氷へ覆われる。
けれど。
氷は、的から外へ一切広がっていない。
地面も。
隣の的も。
何一つ凍らせることなく。
指定された的だけが、巨大な氷塊の中へ完全に閉じ込められていた。
訓練場が静まり返る。
「……あれ?」
誰も反応しない。
(やりすぎた?)
「ルミナス君」
教師が、凍りついた的へ近付いていく。
表面を確認し。
周囲の地面へ視線を向ける。
「この魔法は、的の中心から広げましたか?」
「はい。周りまで凍らせないよう、範囲を調整しました」
「…………」
教師が黙り込む。
やはり、何か失敗したのだろうか。
「せ、先生?」
「いえ。問題ありません」
問題ないと言いながら、声が少し震えていた。
「威力だけでなく、範囲制御も極めて正確です」
周囲から、遅れて歓声が上がる。
「何だ、今の……」
「一瞬だったぞ」
「地面は全然凍ってない」
「噂は本当だったのね……」
カイルも、目を見開いていた。
「ま、まあ、見事な氷魔法だったよ」
僅かに声が上擦っている。
「しかし、まだ光属性が残っている。二つの希少属性を、同じように扱えるとは限らないからね」
「うん。じゃあ、次は光だね」
「続けてお願いします」
教師の指示を受け、俺は別の的へ向き直る。
光魔法は、俺にとって最も馴染み深い属性だ。
ライブの照明。
スポットライト。
光の演出。
これまで何度も研究し、練習してきた。
(でも、的に当てるだけなら……)
光を一つ飛ばせば、それで終わってしまう。
それでは、少し味気ない。
せっかくなら、魔力制御の確認も兼ねて。
俺は頭上へ、六つの光球を生み出した。
白く輝く光の球が、円を描くように浮かび上がる。
「六つ……」
誰かが呟いた。
それぞれの光量を調整し。
六つの光球を、別々に動かす。
光球は俺の周囲を一度旋回すると。
訓練場に並べられた六つの的へ向かって、一斉に飛んでいった。
眩い光が走る。
ほぼ同時に。
六つの的の中心へ、小さな穴が開いた。
光球は、そのまま消えず。
それぞれの的の前で静止する。
(最後に、少しだけ)
俺が指を鳴らす。
六つの光球が砕け。
細かな光の粒となって、訓練場へ降り注いだ。
まるで。
舞台を彩る、光の雨のように。
光を受けた氷の的が、きらきらと輝く。
「おお……」
誰かが、感嘆の声を漏らした。
「綺麗……」
女子生徒達が、空から降る光へ手を伸ばしている。
魔法の確認だったはずが。
少しだけ、ライブの演出のようになってしまった。
教師は、六つの的を順番に確認していく。
全て。
ほぼ同じ位置に穴が開いていた。
「ルミナス君」
「はい」
「六つの光球を、それぞれ個別に操作していたのですか?」
「はい。同時に当てた方が早いかと思って」
「それぞれの威力も調整して?」
「的を壊さない程度にしました」
「最後の光は?」
「そのまま消すのは勿体なかったので、演出に使いました」
「演出……」
教師が、遠い目をする。
「先生?」
「いえ。もう結構です」
「評価は?」
「評価……」
教師が、もう一度穴の開いた六つの的を見る。
続いて。
一つだけ、完全に凍りついた的を見る。
「現時点で、一年生へ求める水準を大幅に超えています」
「ありがとうございます」
「いや、少し超えているという意味ではありません」
何故か訂正された。
「威力」
「はい」
「発動速度」
「はい」
「精度」
「はい」
「複数の魔法を同時に制御する能力」
「はい」
教師は、ほんの少し言葉を選ぶように間を置いた。
「全てが、同年代としては異常です」
褒められているのだろうか。
「さすが武のルミナス家……」
誰かが呟いた。
しかし。
すぐ隣から、別の声が返る。
「いや、今のは武なのか?」
「魔法だよな?」
「ルミナス家って、魔法もあんなにすごいのか?」
クラス中がざわめいている。
俺はカイルを見る。
「カイル」
「…………」
「僕の評価の方が高かったみたいだけど」
返事がない。
「カイル?」
「まだだ」
「え?」
カイルが俯いたまま、小さく呟く。
「まだ、威力が高いだけかもしれない」
「先生、精度と制御も評価してたよ?」
「聞こえていたとも!」
勢いよく顔を上げる。
「ならば、魔力量!」
カイルは、自分を鼓舞するように胸へ手を当てた。
「そう! 魔力量ならば、僕にも――」
「リフィル君」
教師が、静かに告げる。
「ルミナス君は、恐らく今の魔法に全魔力の一割も使用していません」
カイルの動きが止まった。
「…………一割?」
「周囲へ漏れた魔力の量から判断すれば、それ以下でしょう」
「…………」
「複合魔法を使用した君の方が、大きく消耗しています」
「…………」
カイルが、ゆっくりと空を見上げる。
「カイル?」
「綺麗な空だね……」
「屋内訓練場だけど」
見えるのは、天井だけだ。
「僕は今、果てしなく遠い空を見ているのだよ……」
昨日までは。
努力次第で追いつけると思っていたのだろう。
剣術では、確かにその可能性がある。
けれど。
魔法に関しては。
相手が、少しばかり悪すぎた。
「アルト様」
実技を見ていたリリィが、俺の近くへやって来る。
「相変わらず、容赦がありませんね」
「普通に魔法を使っただけなんだけど」
「それであのような結果になるから、容赦がないと言っているのです」
「加減はしたよ?」
「余計に残酷だわ」
何故だろう。
◇
そんな俺達の様子を。
訓練場の外から、じっと見つめる者がいた。
校舎の柱の陰。
いかにも怪しい黒い外套に身を包み。
壁から顔を半分だけ覗かせている、一人の男。
その両手は。
小刻みに震えていた。
「す、素晴らしい……」
男の口から、掠れた声が漏れる。
「氷属性の出力と範囲制御……対象だけを選び、周囲へ一切影響を及ぼしていない」
震えが、少しずつ大きくなる。
「さらに、六つの光球を同時に操作……それぞれの威力、速度、軌道を個別に調整しただと……?」
男の目が、怪しく輝く。
「しかも、役目を終えた光を消さず、細かな光の粒へ再構築した……?」
身体の震えは。
恐怖によるものではない。
歓喜だった。
「見たい……」
男は、懐から手帳を取り出す。
「もっと見たい!」
素早く文字を書き込んでいく。
「魔力量を測定したい! 術式を確認したい! 氷と光を同時に発動させた場合の相互作用も調べたい!」
手帳へ走るペンが、さらに速くなる。
「できることなら一日……いや、一週間! 研究室でじっくりと観察を!」
「何をしているのですか?」
「うひゃあっ!?」
突然、背後から声を掛けられ。
男が飛び上がった。
振り返ると。
そこには、呆れた表情を浮かべた学園長が立っていた。
「が、学園長……驚かせないでいただきたい」
「驚いたのはこちらです」
学園長が、大きくため息をつく。
「王国の宮廷魔術師長ともあろう御方が、訓練場の柱へ隠れて何をしているのですか」
そう。
この不審者こそ。
アストリア王国の魔術師達を束ねる、現宮廷魔術師長だった。
「視察です」
「その黒い外套で?」
「身分を隠すためです」
「顔は隠れておりませんが」
「…………」
「それに、アルト君達が入学する前から、何度も学園へ来ていましたね?」
「宮廷魔術師長として、王国の将来を担う若者達の教育環境を確認する義務があります」
「その割には、アルト君の授業日程ばかり尋ねていましたが」
「偶然です」
「魔法実技の日程を聞いた瞬間、手帳へ大きな丸を付けていたようですが」
「偶然です」
「今朝は、授業開始の二時間前からこの柱の陰にいましたね?」
「…………視察です」
学園長が、疲れ切った表情で額を押さえる。
宮廷魔術師長がアルトの存在を知ったのは、四年前。
アルトが六歳で受けた、魔力測定の儀の報告書が王城へ届けられた時だった。
氷属性と光属性。
二つの希少属性を併せ持つ、前例のほとんどない少年。
それ以来。
宮廷魔術師長は、国王へ何度も面会の許可を求め続けてきた。
『陛下! どうか、アルト・フォン・ルミナス君と面会する許可を!』
『何をするつもりだ?』
『もちろん、研究です!』
『却下だ』
『まだ何も説明しておりませんが!?』
『研究と言った時点で十分だ』
『危険なことはいたしません! 魔力量と術式を測定し、可能であれば血液と毛髪を少々――』
『却下だ』
『解剖などは決していたしません!』
『当たり前だ!』
そんなやり取りが、一度や二度ではなく繰り返されていた。
アルトが八歳で社交界デビューを果たした夜会でも。
国王自ら、その話を本人へしていたほどだ。
国王アルフレッドにとって。
アルトは、最も信頼する友人であるレオンハルトの大切な息子だ。
それ以前に、まだ幼い子供である。
珍しい属性を持っているからといって。
研究へ付き合わせるつもりはなかった。
ただ。
宮廷魔術師長も、決して悪人ではない。
魔法の発展を心から願い。
研究成果を王国や民のために役立ててきた、優秀な魔術師だ。
純粋に。
あまりにも純粋に。
魔法が好きすぎるだけだった。
そのため、国王も強く叱りつけることはせず。
『いずれな』
『まだ早い』
『本人が望んだら考えよう』
そう言って、のらりくらりとかわし続けてきた。
しかし。
そのアルトが、ついに王都へやって来る。
王立学園へ入学すれば、魔法実技の授業を受ける。
必ず、人前で魔法を使う。
それを知った宮廷魔術師長は。
アルト達が入学するよりも前から学園へ足を運び。
学園長から一年一組の予定を聞き出し。
今日という日を、今か今かと待ち続けていたのである。
「学園長」
宮廷魔術師長が、真剣な顔で振り返る。
「私は今、確信いたしました」
「何をですか?」
「あの少年は、魔法史を変えます」
先ほどまでの怪しさが嘘のような、真っ直ぐな声だった。
「氷と光を使えるからではありません」
手にした手帳を、強く握り締める。
「魔力が多いからでもない。制御が優れているからでもない」
宮廷魔術師長の視線の先では。
アルトがリリィと話しながら、凍りついた的を元へ戻そうとしていた。
「ただ威力が高いだけではない」
指定された対象だけを凍らせ。
周囲の地面や、別の的には一切影響を及ぼさなかった。
氷を生み出すだけならば、氷属性を持つ魔術師なら誰にでもできる。
しかし。
あれほどの出力を維持しながら、効果範囲を寸分違わず制御することは、熟練の魔術師でも容易ではない。
さらに。
六つの光球を、それぞれ異なる軌道で同時に操り。
全てを的の中心へ命中させた。
そして。
役目を終えた光を、そのまま消すのではなく。
細かな光の粒へ変え、美しい光景を作り出した。
「あの少年は、魔法を放って終わりとは考えていない」
攻撃に使用した魔力すら。
最後の一欠片まで、別の形で活用する。
それは、効率だけを求めた結果ではない。
周囲にいる者を驚かせ。
楽しませ。
笑顔にするための魔法。
「我々とは、魔法を見る視点そのものが違う……」
宮廷魔術師長の身体が、再び震え始める。
「素晴らしい……!」
「師長?」
「素晴らしいぞ、アルト・フォン・ルミナス!」
両手を広げ。
天を仰ぐ。
「希少属性を二つ持つだけでも奇跡だというのに、その発想まで常識の外にあるとは!」
「声が大きいです!」
訓練場にいた生徒達が、一斉に振り返る。
「何か聞こえなかった?」
俺が、声のした方を見る。
けれど。
そこには既に、誰の姿もなかった。
「気のせいかしら?」
リリィも、不思議そうに首を傾げる。
柱の裏では。
学園長に口を塞がれた現宮廷魔術師長が、必死に訓練場へ戻ろうともがいていた。
「んんーっ!」
「落ち着いてください!」
「んんんーっ!」
「授業が終わるまで、絶対に出てはいけません!」
こうして。
俺の知らないところで。
新たな騒動の種が、元気いっぱいに芽を出していた。