異世界アイドル道 ~アイドルのいない世界に転生した大公爵令息、歌と笑顔で世界を救います!~ 作:ちーばば
王都西部の噴水広場で、初めてのライブを成功させた翌日。
俺は、いつもより少しだけ軽い足取りで教室へ向かっていた。
いや。
少しだけ、というのは嘘かもしれない。
気を抜けば鼻歌まで漏れそうになるほど、俺は上機嫌だった。
「なんや、アルト君。今日はずいぶんご機嫌やね?」
席へ着くなり、マリウスが不思議そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「そうかな?」
「そうやで。教室へ入ってきてから、ずっとニコニコしとるやん」
「うん。ちょっと良いことがあってね」
「ほう? なんやなんや? わてにも教えてえな」
「それは秘密」
「なんやそれ! 余計に気になるやん!」
マリウスが身を乗り出してくる。
もちろん、昨日のライブについて話すわけにはいかない。
マリウスは、アリアの正体を知らないのだから。
そんなやり取りをしていると、教室の入り口から見慣れた少女が歩いてきた。
「おはよう、リリアーナ様」
「おはようございます、リリアーナ様!」
「おはようございます。アルト様、マリウス君」
リリィは、王女らしい優雅な微笑みを浮かべる。
こうして聞くと、俺は『様』で、マリウスは『君』なんだよな。
まあ、大公爵家の嫡男と平民という立場を考えれば、表向きはこれが普通なのだろう。
「リリアーナ様、聞いてくださいな」
マリウスが待っていましたとばかりにリリィへ訴える。
「なんや今日は、アルト君が朝からご機嫌なんですわ。せやのに、理由を教えてくれへんのです」
「あら、そうなのですか?」
リリィがこちらを見る。
その瞳が僅かに細められた。
そして、マリウスへ聞こえないよう顔を寄せてくる。
「……あなたがそこまでご機嫌になる理由なんて、アイドルくらいしか思いつかないのだけれど?」
小声で囁かれ、思わず笑ってしまう。
「正解。昨日、広場でライブをしてきたんだ」
「……初めての?」
「うん」
「私も見たかったのに」
リリィが笑顔のまま、じろりと俺を睨む。
こ、怖い。
「ごめんって。また週末にやる予定だから」
「必ず教えなさい」
「分かった。今度はちゃんと教えるよ」
「約束よ?」
「約束する」
「ちょ、ちょっと待ってくださいな!」
俺達の間へ、マリウスが割り込んでくる。
「なんや、二人だけでひそひそ話して! ずるいやないですか! わてにも教えてくださいな!」
「駄目」
「ごめん、これだけは秘密なんだ」
「息ぴったりで断らんといて!」
三人で、思わず笑い合う。
その時だった。
「ああ、姫! おはようございます!」
教室の入り口から、妙に張りのある声が響いた。
振り返らなくても分かる。
カイルだ。
「今朝も姫の美しい声が聞こえてきたもので。まるで小鳥のさえずりに導かれるように、気付けば僕の足は――」
「きゃあ! カイル様よ!」
「今日も素敵です!」
いつもの女子生徒達から、黄色い歓声が上がる。
カイルは鮮やかな金髪をかき上げると、歓声へ応えるように微笑んだ。
「おはようございます、カイル様」
「おはよう、カイル」
「おはようさん、カイル君」
「ああ、おはよう。アルト殿、マリウス君」
俺達への挨拶を手早く済ませたカイルは、すぐにリリィへ向き直る。
相変わらず、男子への関心は驚くほど薄い。
「姫。実は昨夜、夜空に輝く星々を眺めながら、新しい詩を思いつきまして。姫の美しい瞳を宝石と星空に例えた、僕としても会心の――」
「皆さん、席に着いてください」
絶妙なタイミングで、オスカー先生が教室へ入ってきた。
「間もなく授業を始めます」
カイルの動きが止まる。
女子生徒達も慌てて自分の席へ戻っていった。
「……続きは、また後ほど」
カイルは爽やかな笑みを残し、優雅に踵を返す。
そして席へ戻る直前。
なぜか俺を、きっと睨んできた。
(いや、僕は何もしてないだろ)
どうやら今日も、俺は理不尽に恋敵認定されているらしい。
◇
午後。
実技場では、剣術の授業が行われていた。
「はあっ!」
「甘い!」
鋭く踏み込んできたカイルの木剣を、俺は半歩身を引いて受け流す。
体勢を崩した隙を狙い、その肩口へ木剣を寸止めした。
「そこまで! アルトの勝ち!」
「くっ……!」
カイルが悔しそうに唇を噛む。
入学してからというもの、カイルは事あるごとに俺へ剣術勝負を挑んでくる。
どうやら、剣術で俺に勝てばリリィから認めてもらえると考えているらしい。
今のところ負ける気はしない。
だが。
「もう一度だ、アルト殿!」
木剣を構え直したカイルの目からは、以前までの軽さが消えていた。
負けるたびに、自分の欠点を見直しているのだろう。
踏み込みも。
剣筋も。
僅かずつではあるが、確実に鋭くなっている。
このまま成長すれば、うかうかしてはいられない。
(カイルとの剣術は楽しいんだよな)
俺にとって、同年代の相手と高い水準で剣を交えられるのは貴重な経験だ。
剣を持っている時のカイルは、普段のキザな言動が嘘のように真剣だった。
「ふっ。次こそは、華麗なる僕の剣技を姫へ捧げてみせよう」
(前言撤回。やっぱりカイルはカイルだ)
周囲の生徒達も、俺達の立ち合いへ感嘆の眼差しを向けている。
「二人とも、すごいな……」
「同じ十歳とは思えないぞ」
「カイル様、素敵……!」
そんな声が聞こえる中。
実技場の入り口から、場違いなほど大きな声が響いた。
「今日は、このクラスにするか!」
「はい、ルーク様♡」
その声を聞いた瞬間。
実技場の空気が変わった。
授業中にもかかわらず、二人の生徒が堂々と中へ入ってくる。
一人は、腰に聖剣を下げた茶髪の少年。
勇者ルーク。
その後ろには、腰まで届く金髪を揺らしながら、聖女マリアンヌが付き従っている。
「喜べ、後輩達!」
ルークが実技場の中央まで歩いてくると、両手を広げた。
「勇者であるこの俺が、直々に剣術ってものを教えてやる!」
一部の生徒達から、歓声が上がる。
「勇者様だ!」
「本物の剣を見せてもらえるぞ!」
特に喜んでいるのは、平民出身の生徒達だった。
彼らにとって、同じ平民から勇者へ上り詰めたルークは憧れの存在なのだろう。
一方で。
入学式での演説を聞いていた貴族の生徒達は、警戒するように二人を見ていた。
リリィなど、完璧な王女の微笑みが一瞬だけ崩れている。
笑顔は保っている。
保ってはいるのだが。
その背後に、陽炎が立ち上りそうなほどの不機嫌な気配が漂っていた。
「ルーク君!」
剣術担当の先生が、慌てて二人の前へ立つ。
「今は一年生の授業中です。許可なく立ち入られては困ります!」
「だから?」
ルークが先生を見下すように笑う。
「この俺が剣術を教えてやるって言ってるんですよ?」
「しかし、授業には授業の進行というものが――」
「後輩達にとっても、良い経験になるでしょう?」
ルークは腰の聖剣へ手を置く。
「まさか先生は、歴代でも最高の才能を持つと言われた勇者の指導より、自分の授業の方が価値があるって言うんですか?」
「そういう問題ではありません!」
「それとも」
ルークの口元が、にやりと歪む。
「俺を支援してくださっている教会に、何か文句でも?」
「……っ!」
先生が言葉を詰まらせた。
勇者という絶対的な肩書き。
聖剣に選ばれた、人族の希望。
そして、教会からの全面的な支援。
ルーク自身も、教師や上級生では止められないほどの力を持っている。
これまでも、同じように立場と力を盾に無理を通してきたのだろう。
先生の握った拳が震えている。
それでも、軽々しく手を出すことはできない。
リリィの笑顔が、さらに冷たくなった。
今にも口を開きそうになった、その時。
「では、僕がお願いします!」
一人の少年が、元気よく手を挙げた。
平民出身の生徒だ。
「僕、勇者様に憧れていたんです!」
「おお! いいぞ、いいぞ!」
ルークが満足そうに笑う。
「そういう素直な奴は嫌いじゃない。相手をしてやるよ」
「よろしくお願いします!」
少年は緊張しながら木剣を握った。
まだ剣術を習い始めたばかりなのだろう。
先生から教えられた通り、両手で木剣を持ち、ぎこちなく正眼に構える。
対するルークは。
木剣を片手に下げたまま、構えようとすらしなかった。
顔には、相手を見下すような笑みが浮かんでいる。
(教えるって言っていたよな?)
あんな態度で、何を教えるつもりだ?
「待ちなさい!」
先生が止めようとする。
「彼は、まだ剣術を始めたばかりです。立ち合いをするのであれば、十分に手加減を――」
「分かってますよ」
ルークが面倒そうに答える。
「さっさと始めてください」
先生は迷っていた。
だが、期待に満ちた目で勇者を見つめている少年を前に、強引に中止させることもできなかったのだろう。
「……決して無理はしないように」
先生が二人の間に立つ。
「それでは――始め!」
「やああああっ!」
少年が元気いっぱいに駆け出した。
教えられた型の通り、真っ直ぐ木剣を振り下ろそうとする。
その瞬間。
ルークの木剣が、横薙ぎに振るわれた。
「――っ!?」
少年は反応すらできなかった。
防御も間に合わないまま、木剣が脇腹へ叩き込まれる。
鈍い音が響いた。
小さな身体が地面から浮き上がり、数歩先まで弾き飛ばされる。
少年は地面を転がると、そのまま動かなくなった。
「なっ……!」
実技場が静まり返る。
俺は考えるより先に駆け出していた。
「大丈夫か!?」
少年の傍らへ膝をつく。
呼吸はある。
だが、呼び掛けても反応がない。
完全に意識を失っていた。
「おいおい」
そんな俺達を見ながら、ルークが笑う。
「防御はどうしたんだよ?」
木剣で自分の肩を軽く叩きながら、倒れている少年を見下ろす。
「次からは、ちゃんと防御の仕方も覚えろよ。まあ、これも良い勉強になっただろ?」
「あなた……!」
先生が怒りに顔を歪める。
「マリアンヌさん! 治療をお願いします!」
先生の言葉に、マリアンヌはきょとんと首を傾げた。
「どうしてですか?」
「どうしてって、彼は意識を失っているんですよ!」
「ですが」
マリアンヌは、天使のような笑顔を浮かべたまま答える。
「私の癒やしは、神に選ばれた尊き方々と、勇者様のために授けられたものです」
その声には、本当に一片の悪意も感じられない。
「その方へ使うものではありませんね」
「な……!」
「だってよ!」
ルークが声を上げて笑う。
「残念だったな!」
胸の奥が、熱くなる。
怒りで。
目の前が赤く染まりそうだった。
「誰か、医務室の先生を呼んできて!」
「は、はい!」
「急いで!」
二人の生徒が、慌てて実技場から駆け出していく。
俺は立ち上がり。
ルークとマリアンヌを、きつく睨みつけた。
ルークは、むしろそれを楽しむように口元を歪める。
「さあ、次はどうする?」
集まった生徒達を見回し、挑発するように木剣を掲げた。
「勇者様に稽古をつけてもらえるんだぞ?」
「どうした?」
「今ので怖くなっちまったか?」
誰も答えない。
先ほどまで目を輝かせていた平民の生徒達でさえ、怯えた顔でルークを見ている。
「情けねえなあ!」
ルークが嘲笑う。
「そんなんだから、いつまで経っても弱いままなんだよ!」
「では」
俺が木剣を握り直すよりも早く。
一人の少年が、前へ進み出た。
「次は、僕がお相手願おう」
カイルだった。
「おっ?」
ルークが面白そうに眉を上げる。
「今度は、お貴族様の坊ちゃんか」
「カイル、ここは僕が!」
思わず呼び止める。
だが、カイルは前髪を優雅にかき上げると、いつものキザな笑みを浮かべた。
「ふっ。アルト殿」
「僕が先に申し込んだのだから、君は次にしたまえ」
「でも――」
「なに」
カイルの笑みから、一瞬だけ軽さが消える。
「やられっぱなしが面白くないのは、僕も同じさ」
その青い瞳は、真っ直ぐルークを見据えていた。
先ほどの少年のために。
そして、怯えているクラスメート達のために。
カイルは、自分が前へ出たのだ。
「おーい、早くしろよ」
ルークが欠伸をする。
「何なら、二人がかりでもいいぞ?」
「ふっ」
カイルは木剣を正眼に構える。
「騎士を志す者として、正々堂々、一騎打ちといこう」
「その澄ました顔、いつまで続くかな?」
先生は倒れた少年の救護に当たっている。
代わりにマリアンヌが、楽しそうに二人の間へ立った。
「それでは――」
胸の前で両手を合わせ、可憐に微笑む。
「始めです♡」
合図と同時に。
カイルが地面を蹴った。
「はあっ!」
踏み込みは鋭い。
低い姿勢から放たれた一閃が、真っ直ぐルークの胴を狙う。
しかし。
「遅えよ」
ルークは片手で木剣を振るい、カイルの剣を容易く弾いた。
「くっ!」
体勢を崩しながらも、カイルは素早く足を踏み替える。
続けて二撃。
三撃。
右から左へ。
上段から下段へ。
角度を変え、狙いを散らしながら斬り込んでいく。
カイルは強い。
少なくとも、十歳の子供が扱う剣ではない。
だが。
「だから、遅えって!」
ルークは、その全てを片手で弾き返した。
技術だけではない。
速度も。
力も。
反応も。
何もかもが違いすぎる。
「今度は、こっちから行くぞ!」
ルークが初めて前へ出た。
大雑把に振るわれた木剣を、カイルが両手で受け止める。
「ぐっ……!」
木剣同士がぶつかったとは思えない、重い音が響く。
カイルの靴が地面を滑った。
さらに二撃目。
三撃目。
ルークは技も何もなく、力任せに木剣を叩きつけている。
それでも、一撃があまりにも速く、重い。
カイルは歯を食いしばり、必死に受け流していた。
肩。
脇腹。
太腿。
防ぎ切れなかった攻撃が、少しずつカイルの身体を捉え始める。
「どうした、お貴族様!」
「自慢の剣術は、そんなもんかよ!」
「まだ……だ!」
カイルが反撃する。
ルークの右肩を狙った一撃。
しかし、僅かに身体を傾けただけで避けられた。
代わりに、ルークの蹴りがカイルの腹へ突き刺さる。
「がっ……!」
カイルが地面を転がる。
「カイル!」
それでも。
木剣を杖代わりにしながら、カイルは立ち上がった。
「ふ、ふっ……」
震える足で立ちながら、前髪をかき上げる。
「その程度かい?」
「僕を倒すには、少々……美しさが足りないね」
「はっ!」
ルークの顔から笑みが消えた。
「ムカつく野郎だな!」
大きく踏み込む。
振りかぶった木剣が、横薙ぎに放たれた。
あまりにも大振りな一撃。
本来なら、避けることは難しくない。
だが、勇者の身体能力から放たれる剣は、大振りでありながら凄まじく速かった。
カイルは避け切れない。
木剣を両手で構え、どうにか受け止める。
次の瞬間。
バキッ!
乾いた音と共に、カイルの木剣が真っ二つに折れた。
衝撃を殺し切れず、その身体が地面へ叩きつけられる。
「ぐあっ!」
地面を転がったカイルは、それでも立ち上がろうとしていた。
だが。
腕に力が入らない。
何度手をついても、身体を起こせない。
「まあ」
ルークが、倒れたカイルへ歩み寄る。
「少しは楽しかったぜ」
木剣を両手で握り。
無防備なカイルへ向けて、大きく振りかぶった。
「これで終わりだ!」
考えている暇はなかった。
俺は二人の間へ飛び込む。
そのまま木剣を掲げ。
同時に、木剣の芯へ沿わせるよう、薄い氷を瞬時に纏わせた。
直後。
ルークの木剣が、俺の剣へ叩きつけられる。
凄まじい衝撃が両腕へ走った。
「ぐっ……!」
足元の土が抉れる。
普通の木剣で受けていたら、カイルの剣と同じように折られていただろう。
氷で強化していても、表面には細かな亀裂が走っている。
「おいおい」
ルークが不機嫌そうに俺を睨む。
「楽しくなってきたところだったのに、何してくれてんだよ」
「勝負は、もうついています」
押し込まれる剣を、両手で必死に支える。
「これ以上は、ただの暴力です」
「ああ?」
「まだ続けたいのなら」
正面からルークを睨み返す。
「今度は、僕が相手になります」
ぎりぎりと。
重なった木剣から、圧力が増していく。
強い。
単純な力だけなら、父様やお祖父様にも迫るかもしれない。
いや。
まだ、そこまでではない。
だが少なくとも、今の俺がまともに力比べをして勝てる相手ではなかった。
「アルト……殿……」
背後から、掠れた声が聞こえる。
「カイル、無理に動くな!」
「まだ……」
倒れたまま。
カイルが、折れた木剣を握り直す。
「僕の勝負は……終わっていないよ」
「やめろ、カイル!」
「ふっ……」
カイルは弱々しく笑う。
「騎士が……背中を向けたままでは……終われないからね」
折れた木剣が伸びる。
力のほとんど残っていない、弱々しい一撃。
それでも。
木剣の先は、ルークの脛を確かに叩いた。
「……てめえ」
ルークの顔が、真っ赤に染まる。
「ぶっ殺す!」
俺の剣へ掛かる力が、一気に増した。
「ぐっ――!」
氷で補強した木剣から、嫌な音が鳴る。
このままでは。
そう思った時。
「何をしている!」
「全員、武器を下ろせ!」
実技場の入り口から、何人もの教師が駆け込んできた。
先ほど医務室へ向かった生徒達が、応援を呼んできたのだろう。
教師だけではない。
学園の警備を担当する騎士達もいる。
「ちっ!」
ルークが舌打ちし、俺から木剣を離した。
「あーあ、つまんなくなった」
木剣を地面へ投げ捨てる。
「行くぞ、マリアンヌ」
「はい、ルーク様♡」
二人は、倒れている生徒達へ目を向けようともしなかった。
教師や騎士達の間を堂々と通り抜け、そのまま実技場から去っていく。
「カイル!」
俺はすぐに振り返る。
「……ふっ」
カイルは地面へ倒れたまま、かすかに笑った。
「最後の一撃は……僕の方が美しかっただろう?」
「そんなことを言っている場合か!」
意識を失った少年とカイルは、急いで医務室へ運ばれた。
幸い。
二人とも命に別状はなかった。
だが。
もし教師達の到着が、あと僅かでも遅れていたら。
カイルが、あの一撃をまともに受けていたら。
どうなっていたかは分からない。
◇
この日の事件は、学園内で大きな問題となった。
ルークが授業へ無断で乱入したこと。
剣術を習い始めたばかりの下級生へ、意識を失うほどの一撃を加えたこと。
勝負が決した後もカイルへ攻撃を続けようとしたこと。
そしてマリアンヌが、負傷した生徒への治療を拒否したこと。
これまでも二人の言動については、学園内で何度も問題視されていたらしい。
だが。
聖剣に選ばれた勇者という立場。
聖女を擁する教会の影響力。
そして何より、教師や騎士ですら容易には止められない二人の力。
それらが壁となり、学園も強硬な対応を取れずにいた。
しかし。
今回ばかりは、見過ごすことができなかった。
多くの生徒と教師が目撃している。
被害者も出た。
王女であるリリィも、その場にいた。
学園は王家や教会を交えた協議の末。
以前から持ち上がっていた、ルークとマリアンヌの飛び級による卒業を正式に決定した。
表向きの理由は。
『勇者と聖女が、その使命へ専念するため』
類いまれな力を持つ二人を、通常より早く卒業させる。
世間には、そのように発表された。
だが。
実際には、これ以上二人を学園へ置いておけないという、事実上の追放だった。
後に聞いた話では。
二人が受けた飛び級試験の結果は、とても卒業を認められるような成績ではなかったらしい。
それでも。
勇者と聖女は、王立学園を卒業した。
権力と。
力と。
そして、誰も逆らえない肩書きによって。
この日の出来事は。
俺に、嫌というほど思い知らせた。
強い力を持っていることと。
その力を、正しく使えることは。
決して、同じではないのだと。