異世界アイドル道   作:ちーばば

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7話

アイドルがいない。

 

その事実を知ってから三日。

 

俺はしょんぼりしていた。

 

本を開いても、なんだか文字が頭に入ってこない。

 

勉強も少しだけやる気が出ない。

 

ご飯はちゃんと食べている。

 

夜も眠れている。

 

だけど。

 

胸の中がもやもやしていた。

 

推しがいない。

 

ライブがない。

 

アイドルがいない。

 

そんな世界が本当にあるなんて。

 

前世の俺には信じられなかった。

 

「はぁ……」

 

ため息をひとつ。

 

すると。

 

コンコン。

 

控えめなノックが聞こえた。

 

「アルトちゃん?」

 

母様だった。

 

「入ってもいいかしら?」

 

「どうぞ……」

 

元気のない返事をすると、母様は部屋へ入ってきた。

 

そして隣にちょこんと座る。

 

しばらく何も言わない。

 

「最近元気がないわね」

 

やがて母様が言った。

 

図星だった。

 

でも。

 

アイドルがいないから落ち込んでいます。

 

なんて言えるはずもない。

 

「そんなことないです」

 

「嘘」

 

即答だった。

 

「母親ですもの」

 

ぐうの音も出ない。

 

母様はくすっと笑った。

 

そして。

 

いきなり俺の脇腹をつんつんした。

 

「ひゃっ」

 

「ほら、やっぱり元気ない」

 

「それ関係あります?」

 

「あるわ」

 

母様は真面目な顔で言った。

 

「元気なアルトちゃんはもっと変な声が出るもの」

 

「出ません」

 

「今のはなかなか良かったわよ?」

 

少しだけ。

 

本当に少しだけだが。

 

気持ちが軽くなった。

 

母様はさらに俺の頭をわしゃわしゃ撫でる。

 

「それにね」

 

「落ち込んでいる時は、お空を見たり、お菓子を食べたり、変な顔をしたりすると少し元気になるのよ」

 

「変な顔?」

 

「こう」

 

母様は頬をふくらませた。

 

ものすごく変な顔だった。

 

思わず吹き出す。

 

「ふふっ」

 

「あら、笑った」

 

「母様が変な顔するからです」

 

「大成功ね」

 

母様は嬉しそうだった。

 

それから優しく言う。

 

「悲しいことがあってもね」

 

「ずっと悲しいままじゃなくていいのよ」

 

「今日はお菓子を食べて」

 

「明日はお散歩して」

 

「その次の日は何か面白いことを探せばいいの」

 

面白いこと。

 

その言葉に。

 

俺は少し考えた。

 

アイドルはいない。

 

ライブもない。

 

推しもいない。

 

でも。

 

歌はある。

 

踊りもある。

 

劇団もある。

 

歌姫もいる。

 

みんなを楽しませるものはちゃんとある。

 

足りないのは。

 

アイドルだけだ。

 

そこまで考えた瞬間。

 

頭の中で何かがぴこんと鳴った。

 

待て。

 

本当にずっと落ち込んでいる必要があるのか?

 

アイドルがいない。

 

だから何だ。

 

前世のアイドルだって最初からいたわけじゃない。

 

誰かが始めた。

 

誰かが作った。

 

だから今がある。

 

なら。

 

答えは簡単だ。

 

「ないなら……」

 

思わず呟く。

 

母様が首を傾げた。

 

「アルトちゃん?」

 

俺はゆっくり立ち上がる。

 

胸の奥が少しわくわくしていた。

 

そうだ。

 

この世界にアイドルがいないなら。

 

「作ればいい」

 

「え?」

 

母様が目をぱちくりさせる。

 

「何を作るの?」

 

「秘密です」

 

そう答えると、母様は困ったように笑った。

 

「ふふっ。そういうことにしておくわ」

 

だが今は説明している暇などない。

 

推しがいないなら作る。

 

ライブがないなら作る。

 

アイドルがいないなら――

 

俺がなる。

 

その瞬間。

 

中村有人のしょんぼりは終わった。

 

そして。

 

アルト・フォン・ルミナスの夢が始まったのだった。

 

「母様」

 

「なあに?」

 

「ありがとうございます」

 

そう言うと、母様は少し驚いた顔をした。

 

それからふわりと微笑む。

 

「どういたしまして」

 

「元気になったみたいで安心したわ」

 

そう言って優しく頭を撫でてくれる。

 

その手はとても温かかった。

 

気分が軽くなった俺は大きく伸びをする。

 

そこでようやく周囲が目に入った。

 

「……あれ?」

 

何かおかしい。

 

部屋の隅を見る。

 

勇者の絵本。

 

英雄譚。

 

木剣。

 

木製の盾。

 

赤いマント。

 

聖剣の模型。

 

何故か増えていた。

 

「増えてる」

 

しかも一つや二つではない。

 

明らかに増えている。

 

よく見ると。

 

昨日まで無かった物もある。

 

いや。

 

待て。

 

木剣は前からあった気がする。

 

だが。

 

盾は確実に無かった。

 

英雄譚も増えている。

 

つまり。

 

日に日に増えている。

 

怖い。

 

「母様」

 

「なあに?」

 

「これ何ですか?」

 

母様は困ったように苦笑した。

 

まるで、

 

『もう、言ってもあの人は聞かないでどんどん買っちゃうんだから』

 

とでも言いたげな顔だった。

 

怪しい。

 

ものすごく怪しい。

 

「父様ですか?」

 

「……」

 

「父様ですね」

 

「昨日は勇者の兜と聖剣の模型で悩んでいたわ」

 

犯人確定だった。

 

俺は思わず天井を見上げる。

 

いや。

 

嬉しい。

 

嬉しいんだけど。

 

違うんだ父様。

 

俺が欲しいのは剣じゃない。

 

マイクなんだ。

 

そんなことを思っていると。

 

「ちなみに今日は勇者の鎧を注文するか悩んでいたわ」

 

「まだ増えるんですか!?」

 

思わず叫んでしまった。

 

母様は楽しそうに笑う。

 

どうやら父様は。

 

息子が勇者に憧れて落ち込んでいると思っているらしい。

 

違う。

 

盛大に違う。

 

だけど。

 

その勘違いが少しだけ嬉しかった。

 

心配してくれているのが伝わってきたからだ。

 

「……ありがとうございます、父様」

 

聞こえない場所へ向かって小さく呟く。

 

しばらくして母様は立ち上がった。

 

「でも無理は駄目よ?」

 

「分かってます」

 

本当は分かっていない気もする。

 

これからアイドル計画を始める気満々なのだから。

 

母様はくすりと笑った。

 

そして扉へ向かう。

 

扉を開く直前。

 

母様はこちらを振り返った。

 

「アルトちゃん」

 

「はい?」

 

「大好きよ」

 

そう言い残して母様は部屋を出ていった。

 

パタン。

 

静かに扉が閉まる。

 

「……反則だろ」

 

思わず呟く。

 

前世でそんなことを言われた記憶はない。

 

なんというか。

 

愛情表現がストレートすぎる。

 

少しだけ照れながら窓の外を見る。

 

勇者にはならない。

 

賢者にもならない。

 

聖女にもならない。

 

もちろん魔王でもない。

 

俺が目指すのは――

 

世界初のアイドルだ。

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