あり得たかもしれない世界線   作:alc

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響け!ユーフォニアム最終楽章前編の冒頭シーンをいろんな人の視点に立って描きました。
久美子本人は気づいていないと思いますが、みんな彼女が演奏する「響け!ユーフォニアム」をいつも聴いていたんだと思うんですよね。
映画の冒頭でそう読み取れるシーンが描かれたので、合宿でのソリ交代がより大きい衝撃を部員に与えたんだな、と感じました。

初出:https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=28268644


響くユーフォニアムの音色

 新年度が始まるまであと1週間となった春休みのある日。ここ、京都府立北宇治高等学校では教員、生徒、ともにせわしなく活動していた。

 教員は新入生200人超を受け入れる準備を。在校生も、新入生を迎え入れる体制の準備をどの部活動も一生懸命に行っていた。去年関西大会で金賞を受賞したものの、全国大会に進むことがかなわなかった、吹奏楽部もそのうちの一つだ。

 現在はパート練習や個人練習の時間なのだろうか。敷地内の様々なところから、バラバラにいろんな楽器の音が響いて聞こえてくる。この1、2年で着実に実力を伸ばした吹奏楽部が練習している音は、同じ時間帯に活動している運動部員たちにとっても心地の良いものとして定着していた。

 そんな中、心地の良い丸みを帯びた中低音が、まだ少し凉さの残る空に響きわたった。一人。また一人と、手を止めてその美しい音色に耳を傾ける。北宇治高校で、1年程前からたまに響きわたる優しいメロディー。誰が演奏をしているか。口にする人は少ないが、吹奏楽部員は誰が演奏しているか、全員が知っていた。

 

 高坂麗奈は、親友が吹く曲を聴きながら空を見上げていた。この曲を吹き始めてから、彼女の奏者としての実力が目に見えて上がったと感じている。ユーフォニアムを演奏するにあたり、必要な技術力のエッセンスが詰め込まれた楽曲のようだ。演奏している奏者の技術が上がるのは自明の理だと、麗奈は考えていた。

 知らない曲だったので、彼女に「誰の曲なの?」と聞いたことがある。しかし「先輩に教わった曲だよ」という答えしかもらえなかった。その後、様々な方法で曲の正体を探ってみたが、正解はわからなかった。

 いや、曲の正体など麗奈にとってはどうでもいいのだ。大事なのは、彼女が――親友が、北宇治で屈指のユーフォ奏者でいてくれること。ただの肩書だけでなく、技量も兼ね備えた長として、自分と一緒に全国大会金賞に向けて活動してくれること。

 今の彼女なら、全く問題ないだろう。空を見上げる麗奈の口元には笑みが浮かんでいた。

 

 低音パートの練習教室では、チューバの3人が練習の手を止めていた。今は個人練習の時間だが、この3人はよく一緒に練習している。二年間コンクールメンバーとしてチューバを支えた先輩方が卒業し、演奏技術の底上げが急務なのだ。個別で練習することも大切だが、互いに客観的に演奏を聴くこともまた、技術力向上には大切なのである。

 そんな彼女たちの元にも、ユーフォニアムの柔らかな音が聞こえてきていた。

「これ、黄前先輩ですよね。やっぱり上手ですよね」

「本人は『まだまだ』って思っているみたいだけどねー」

「えー!こんなに上手なのに……去年のこの時期にあった立華との合同演奏の時も、立華の1学年上の先輩を押しのけてソロに選ばれたっていう話じゃないですかー!」

 そういえばそんなこともあったな……と加藤葉月は思い出す。確かに、彼女は1年生の時から上手だった。どんどん上手になっているのも間違いない。

 でも、彼女が目指しているのは、私たちを吹奏楽部に導いたあの人。あの、まだ怠惰な空気にあふれていた吹奏楽部の中にいても屈指の演奏技術を持っていた頭脳明晰な先輩。あの先輩の音楽が、彼女の目標としてずっと残っているのだろう。

 「私たちもそんなことばかり言ってないで練習するよ!みんなを、ちゃんと支えられるようにね!」

 ――チューバは陰で支えるのが仕事なのだよ……!

 いつか、自分の寂しさをごまかすために強がって言った言葉を葉月は思い出した。今年こそは。彼女のことも、彼のことも。陰ではなく同じステージの上で支えることができるよう、葉月は決意をするのだった。

 

「歓迎演奏は、たぶんホルンは2人くらい。日によってローテで演奏担当変える予定だから、いつ自分が任されても平気なようにしっかり練習やるよー!」

「はい!」

 中庭では、ホルンパートが吹奏楽編曲された昨年流行したJ-POP曲の練習をしている。パートリーダーである森本美千代がパートのメンバーを鼓舞していた。

 ホルンでコンクールのステージに乗れるのは、例年通りなら4人。新三年生と二年生でもすでに6人いる。オーディション後に禍根を 残さないためにも、今のうちに少しでも全員の技術力の底上げをしなくては、と彼女は毎日試行錯誤していた。

 どうしたものか、と悩んでいるところで。最近聞こえてくる頻度が上がってきた気がするユーフォニアムの曲が美千代の耳にも入ってきた。「は~い!じゃぁ休憩!」と、持っていたホルンをおろす。やったー!と、パートメンバーは一目散に近くに置いていたマイお菓子に手を伸ばすのだった。

「最近よくこの曲聴きますよね。こんな旋律ある曲やったことありましたっけ?」

「実はララ、この曲の正体を聴いちゃったんだよね~」

「そうなんですか?!教えてくださいよー!」

 これは秘密にしておいた方がいいやつだからね、とララはいつもなら簡単に開いてしまう口にチャックをした。

 「やるときはやる!遊ぶときは全力で遊ぶ!」がモットーのホルンパート。普段ならお菓子を食べながらワイワイガヤガヤおしゃべりをしているのだが、みんなユーフォニアムの音に聴き惚れている。

 この曲にどんな秘密があるのかはわからないが、同じ部活の中にこれほど上手に演奏する人がいるのだ。我らホルン隊も彼女に負けず劣らず上手になりたい。

 美千代はそう思いながら、お菓子を持っていない方の手を強く握りしめたのだった。

 

 トロンボーンパートの練習教室から、塚本秀一はユーフォニアムの音を聴いていた。また、あの曲を吹いているな。そう思い、すぐに “彼女” の元へ向かおうかと思ったが、すぐにその考えを振り払った。

もう、そういう関係ではないのだから。

 あの日、マンションを出た先で受け取ったヘアピン。秀一はそれをいつも持ち歩いている。部長に専念するためと決心した彼女を応援するため。支えるため。その自分の決意の証として。

 あいつを全力で支える。秀一が副部長になった理由はただそれだけだ。

 演奏面では困ることはないだろう。助けが必要なのは、きっと息抜きや事務仕事だ。その点で、彼女が無理なく部長をこなせるよう、支えていこう。

 開け放たれた窓から吹き込んでくる春を予感させる暖かな風を感じながら、秀一は決意するのだった。

 

 剣崎梨々花は集中して基礎練習に取り組んでいた。それが、尊敬する先輩の教えだったから。

 もっといろいろなことを教えてくれてもいいのに。そう思っていた時期もあったけれど。昨年の夏を通して先輩と仲を深めた結果、『全ては基礎練習の積み重ねである』ということを教わり、そして今実感もしている。

 周りの人たちが、美しいユーフォニアムの演奏に聴き惚れている間も、彼女は練習の手を止めなかった。なぜなら、他の人達よりも彼女はうまくなる努力をしなければならない立場にあるからだ。

 今年の三年生にはダブルリードパートの先輩はいない。そのため、梨々花は繰り上げでパートリーダーを務めることになった。学年が違うということはもちろん、滝の指導を受けた年数も違う。楽器が違うから単純な比較はできないが、技量で他のパートリーダーの先輩たちと同じラインに立てていると彼女は感じていなかった。

 だからこそ。基礎練、基礎練、基礎練。

 オーボエを教えてくれた先輩に。能力を信頼してパートリーダーや新入生指導係を任せてくれた部長に。寄せられた期待に応えるために、遠くで響くユーフォニアムの旋律を背中に受けながら、梨々花は今日も基礎練習を繰り返すのだった。

 

 久石奏は、ユーフォニアムを机の上に置き、教室の窓の縁に体を預けながら敬愛する先輩の演奏に耳を傾けていた。

 春の心地よい風と共に教室の窓辺に吹き込んでくる音楽はとても心地よいものだ。普段から隣で演奏しているのだから、彼女の演奏技術がかなり高い水準にあることはわかる。わかってはいるのだが――。

「私と一緒に吹いているときは、ここまで優しい音にはなってくれませんよね……」

 ユーフォニアムは、丸みを帯びた響きが特徴な楽器だ。優しい音色がする、という言い方もできる。ただ、今聞えてきているのは、いつも奏と一緒に吹いている時よりも優しさにあふれた音だ。自分と一緒の時は、なかなかこの音色を魅せてくれることがなく、奏は嫉妬していた。

 いつか、先輩と一緒にこの曲を吹きたい。そう思い続けてはいるものの、先輩にとって大切な曲なのだと思うと、奏はその一言がなかなか言い出せない。

 奏は目を閉じて、優しいメロディーに心をゆだねた。

――もう少し、心地よいこの音楽は聴いている側で堪能しよう。

 そのまま曲の演奏が終わるまで、奏は自分の楽器は置いたまま、音楽に身をゆだねるのだった。

 

§

 

「……こんなものかな」

 あすか先輩から受け継いだ「響け!ユーフォニアム」を吹き終え、私は一息ついた。

 もう何度も吹いたこの曲は、もちろん楽譜を見なくても演奏できるようになっている。それでも。いつもあすか先輩から引き継いだ、楽譜が書かれた古いノートをお守りのように持ち歩いていた。

『今度は黄前ちゃんが後輩に聴かせてあげてよ。その曲』

 そう言われて託されたこの楽譜。まだちゃんと奏ちゃんにはこの曲のことを伝えることができていない。

 私は、ちゃんとあすか先輩みたいな奏者になれているだろうか。後輩の手本になれるような先輩になっているだろうか。

 晴香先輩や、優子先輩のように、部長としてみんなリードしていけるだろうか。

 アンコン、定期演奏会、他にも地域の演奏会と、いろいろな行事をすでに部長として過ごしてきたけれども。どうしてもまだ自分に自信が持てない。なんというか、「こういう部長でいよう」という芯がつかめていない。

 つかめなくても、あと1週間で新入生は見学にやってきてしまう。少なくとも、緊張して声が上ずってしまうのだけは直さないと。

 ふう、と息を吐きながら、私はユーフォニアムをケースに戻そうとして――ふと手を止めた。

 ケースを閉じてもなお、さっきまで吹いていた旋律が頭の中に残っている。

 あすか先輩は、どんな気持ちでこの曲を吹いていたんだろう。

 あの頃の私は、きっと何もわかっていなかった。

 ……いや、今だって、わかってないことばかりかもしれない。

 それでも。

 私はゆっくりと立ち上がる。

 春の風が、まだ少し冷たい。

 遠くから聞こえてくる部員の個人練習の音に背中を押されるように、私はユーフォニアムのケースを抱え直した。

「さて、部長の仕事に戻りますか」

 誰に言うでもなくそう呟いて、私は音楽室へ向かった。

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