二天閻羅王の息子に生まれたので久遠の落日を完遂したい(したくない) 作:HIDEMASA
水面鳥が優雅に泳いでるようにみえても実は必死に足をばたつかせてるみたいなお話
玄雲が「俺が世戯玄雲だ」と言い切った、その直後だった。
静の気を『開放』した。
気を練った状態を常に維持する——気の運用の第二段階目。生命力に溢れた肉体から迸るものが一気に凝縮し、波打つように体の周りを漂う。
『うわあああ——っ!!』
深層で悲鳴が上がった。
ちいかわは叫んでいた。頭を抱えて、膝を抱えて、見えない場所で全力で叫んでいた。
静の気の開放は玄雲の能力を格段に引き上げるがその代わり心の奥底にいる
感情のノイズを全て引き受けている器が、急激に締め付けられる感覚。
痛いとか苦しいとかそういう言葉では足りない、ただ、きつかった。
本来、暴走の危険を伴う『動』の気とは違い、『静』の気にはそのようなデメリットは一切存在しない。
しかし、玄雲は
『やだ、やだよ、ちょっと待って——!』
玄雲の意識の表層に、ちいかわの声は届かない。
届かないように作られている。
『ひえええ、もうやだ、ぜんぶやだ——!!』
弟子たちのどよめきが遠かった。
本来、現時点では成しえないちいかわが全部飲み込む。だから玄雲は平然と立っていられる。
烈華は笑いながら囃し立てていた。
小夜は眉を下げていた。笑顔ではなかった。玄雲の表情を見ていた。
(……若様)
気の開放の後、ちいかわが悲鳴を上げる。それを小夜は知っていた。玄雲の顔に出ることはないが、今夜の排熱処理が重くなることは確実だった。
ジグマリゲンが前に出てきたのは、その直後だった。
(うまく出てきた)
玄雲は内心で静かに確認した。
ミハイの弟子。金髪をソフトモヒカンに刈り込んだ少年。顎を上げ、大鎌を肩に担ぎ、真っ直ぐに玄雲を値踏みしている。
年は近いだろう。体格はいい。目に光がある。
そして何より——怒っている。
玄雲が気の開放で弟子たちを黙らせたことが気に食わなかった。頭に血が上っている。それが表情に出ていた。
(使える)
玄雲の口元が、わずかに弧を描いた。
「…いきなり来て、さぁ大将でござい。って話はないだろう」
「実力を見せなよ、筆頭」
「……いいだろう」
そこで玄雲は腰の二刀に手を伸ばさなかった。
「腰のものは抜かない」
ジグマリゲンの顔が変わった。眉が動いた。怒りがじわりと滲んだ。
(そうだ。怒れ)
侮辱だと思わせる。素手で挑まれることを屈辱だと感じさせる。その怒りが、本来の実力を歪める。
ジグマリゲンの実力は高い。ミハイの直弟子として今日まで生き残ってきたことからもそれは読み取れる。
武器は大鎌。さすがに天断島でもお目にかかったことはない
初見の武器。この条件下で正面から武器と武器でぶつかれば、どちらが勝つか分からなかった。
だから武器を抜かない。
素手で制すことに意味があった。武器組の筆頭が、武器を使わずに武器使いを制する——その事実を弟子たちの目に焼きつける。
頭に血が上ったジグマリゲンが相手を侮る。
侮ったままの実力は本来の七割にも届かない。
玄雲にはそれで充分だった。
ーーーそこからは文字通りの『圧勝劇』
何度も素手でジグマリゲンを転ばせ、最後には隠し持っていた十手で大鎌を奪った。
本来の実力差以上に感じたことだろう。それでいい、それが狙いだった。
圧倒的な実力を見せつけ筆頭としての自分を認めさせ同時に武器使い達に無手の奥深さを刻ませる。
まさに一石二鳥の策。そして今日この場でこそ意味があった。
(…『代償』は高くついたがな)
玄雲は誰にも見られぬよう小さく顔をゆがませた。
**
『うわあああ——!!もうやだ!!やだやだやだ——っ!!』
『
気の開放の締め付けがまだ残っていた。体の中を絞り上げられるような感覚が抜けていない。
さらに戦闘中ずっと、玄雲が静の気を維持していた。その全ての負荷がここに来ていた。
『ひどい、ひどいよ、ほんとにひどい——!!』
叫んでも、聞こえない。
玄雲の意識の表層には届かない。
彼はそれを知っていた。知っていて、それでも叫んだ。叫ばないと、こぼれてしまいそうだったから。
『…げんうん、どうして!どうしてーーーっ!!!』
小さな声で、呼んだ。
**
小夜は玄雲が建物に入るのを確認した瞬間、烈華の袖を引いた。
「来い」
「え、あ、今すぐ?」
「今すぐ」
小夜の顔に感情はなかった。しかし声に、わずかに急ぎの色があった。
烈華は察して頷いた。
建物の中。玄雲に割り当てられた部屋は、奥の廊下の突き当たりだった。
扉を開けた玄雲が、中に入った。
一歩。
二歩。
三歩目で、膝が折れた。
石畳ではなく、板の間だったことが辛うじて幸いだった。膝が床についた。利き手が壁を支えた。
息が乱れていた。
気の開放の消耗ではない。玄雲自身の体力は充分に残っている。
深層の問題だった。
ちいかわが悲鳴を上げ続けている。その振動が、今になってこちら側まで滲んできていた。心の奥底が、絞り切った雑巾のように軋んでいた。
(……思ったより)
深かった。
外では何も出さなかった。弟子たちの前でも、八煌断罪刃の前でも、一切を平然と通した。
だがその間、ちいかわは全部飲み込んでいた。
(…すまないな)
玄雲は思った。
声には出さなかった。届くかどうかも分からなかった。しかし思った。
謝罪ではなかった。労いとも少し違った。ただ——事実として、負担をかけた、という確認だった。
壁に背中を預け、床に座り込んだ。
呼吸を整えようとした。
扉が、静かに開いた。
「若様」
小夜だった。
続いて烈華が入ってきた。二人分の気配が、部屋を満たした。
「……早かったな」
「はい」
小夜は玄雲の傍に膝をついた。表情はいつも通り、冷静だった。しかし目に、何か静かなものがあった。
「気の開放の後、戦闘まで入りました。見えていましたから」
「……見えていたか」
「はい」
烈華が反対側に回り込んだ。膝をついた。その手が、玄雲の背中にそっと触れた。
「若様、少し楽にして」
「……」
「いいから」
玄雲は壁から背中を離し、烈華に預けた。体重を預けることへの抵抗はなかった。ここは戦場ではない。
小夜が目を閉じ自身の服に手をかけ玄雲に覆いかぶさった。
『——あ』
深層で、ちいかわの声が変わった。
叫んでいたのが、止まった。
『……さよちゃん?』
応えられないが、伝わる。小夜はそれを知っていた。
『……きてくれた』
ちいかわの声が、小さくなった。泣き声のような、安堵のような。
『ひどいんだよ、ほんとにひどくて、でも……きてくれた』
小夜が『排熱作業』に勤しんでいる間、一糸まとわぬ姿の烈華は玄雲の背中を、ゆっくりと撫でていた。
玄雲の呼吸が、少しずつ深くなっていった。
「……今日は、うまくいきましたか」
烈華が聞いた。
「ああ」
「ジグマリゲン、強そうでしたね」
「そうだ」
「実は勝てるか怪しかったり?」
玄雲は少しの間、答えなかった。
「……武器を抜けば凡そ7:3でこちらが有利だっただろう。
しかし勝負は水物。どちらが勝つか分からない勝負を、今日この場でするわけにはいかない。
だから抜かなかった」
烈華が目を丸くした。
「え、勝てるか分からないから素手にしたんですか?」
「勝てるか分からない状況を作るのは得策ではない。ならば勝てる状況を作る。
素手で挑んで怒らせれば、本来の七割にも届かない」
「……本当に怖いですねぇ、玄雲様は」
感嘆だった。非難ではなかった。
「それが筆頭の仕事だ」
「そうですか」
烈華は頷いた。それ以上は聞かなかった。
それから小一時間が経ったころ作業はようやく終わった。
「…満足しましたか」
「ああ」
小夜は玄雲のその言葉を聞き、言葉に嘘がないか確認してから服をまといなおした。
呼吸が安定していた。深層の揺れが、落ち着いていた。
玄雲はゆっくりと背筋を伸ばした。烈華がそれを見て体を離した。
「……助かった」
「はい」
小夜の顔は平静だった。
しかし一瞬だけ、何かを言いたそうな表情になった。
「……若様」
「なんだ」
「今日の消耗は、想定内でしたか」
玄雲は少しの間、小夜を見た。
「……思ったより深かった」
正直に答えた。
小夜は何も言わなかった。ただ、短く頷いた。
それ以上は問わなかった。
小夜が立ち上がった。
「今夜は休んでください」
「ああ」
「烈華」
「うん、私もそろそろ出る」
二人が部屋を出る前に、玄雲が言った。
「今日の消耗、他の者には言うな」
「八煌断罪刃のお歴々は感じているだろうがあえて弟子には言わんだろう」
小夜は頷いた。
烈華も頷いた。
扉が閉まった。
玄雲は一人になった。
窓の外に夜の海が見えた。
腰の刀に手を伸ばし、抜かずにそのまま膝に置いた。
父との対話を思い返した。
ーーー体で知らせる。頭で認める前に、体が先に知る。
今日、ジグマリゲンの体はそれを知った。
武器を持っていても、素手に殺される場面がある。
それが全員の目の前で起きた。一人の力ではなかった。
ちいかわが全部の負担を飲み込んでくれたから、気の開放ができた。静の気を維持し続けられた。
(……今夜くらいは、楽にしていろ)
声には出さなかった。
答えは返ってこなかった。
ただ、深層がほんのわずかに、静かになった気がした。
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*今日、楔は仕事をした。*
*その代償は、誰にも見えない場所で払われた。*
*そしてそれは、これからも続く。*