二天閻羅王の息子に生まれたので久遠の落日を完遂したい(したくない) 作:HIDEMASA
ケンイチ世界の標準装備です
演武場の板張りに、朝の光が斜めに差し込んでいる。
「若様! できました、新しい衣装っす!」
烈華が先に飛び出してきた。黒の防弾レオタードが胸元から腰までを覆い、その上から袖の広い黒羽織を纏っている。腰には灰色の帯を締め、裾は動きやすいよう大きく割れている。背には金棒を担ぎ、腰に日本刀と脇差を差している。
「布地は立華さんの伝手で用意してもらったんです。小口径の銃弾は通さないけど、思いっきりダメージ受けたら破れるらしくて
……まあ、破れる前に敵を沈めるので問題なしです!」
歯を見せて笑い、金棒を肩に乗せ直す。露出した肩と腹の筋肉が朝日に照らされて陰影を刻んでいる。
「私も」
続いて小夜が姿を見せる。黒地に紫の帯を締めた同系のレオタードに、羽織を着ている。腰には短い直刀、逆手に苦無を一本携えている。烈華とは対照的に、無駄な動きも表情も一切ない。
「烈華のと違い、私のは苦無を全身に仕込めるようにしています。基本的に投擲武器として扱う場合は消耗品なので」
淡々と説明しながら、試すように直刀を抜き、袖口から取り出した苦無を構える。
玄雲は縁側に近い柱に背を預けたまま、二人を一通り見た。表情はいつもと変わらず平坦だが、視線だけが上から下まで一度、正確に往復する。武器の位置、可動域、縫製、破れやすい箇所——値踏みするような目だった。
「……問題ない」
短くそれだけ言った。
「えー、それだけですか!? もっとなんか、あるでしょ若様!」
烈華が頬を膨らませる。玄雲はわずかに視線を逸らし、少し考えるような沈黙を置いてから続けた。
「金棒の重心、羽織の裾に引っかからない。刀の抜きも阻害されていない。……悪くない仕立てだ」
「うぐ……それ褒め言葉なんすかね、微妙に分かんないです……」
小夜が横で小さく息を吐いた。
「烈華、それは十分褒めています。若様の基準では最上級評価に近いです」
「そうなの!? じゃあ喜んでいいやつ!?」
烈華がぱっと表情を輝かせ、金棒を担いだまま玄雲の方へ距離を詰める。無防備に近づいてくる巨躯と、レオタードの上からでも分かる筋肉の隆起——玄雲は僅かに半歩、間合いを調整するように下がった。技10の防御反応が、意識するより先に体を動かしている。
『わっ、わっ! れっかちゃん近い近い!』
深層でもう一つの人格が小さく騒ぐ。表情には出ない。玄雲の顔は変わらず平坦なままだが、内側では『
だがその動きは本気ではなく感情が緩んでいるのを感じる。
淀んだ感情の処理の為、何度も側仕えたちと肌を重ねる中、『弟』が徐々に縋る対象として烈華と小夜に依存していっているのを玄雲は静かに掌握していた。
(ーーー狙い通りだな)
ただ利用されるだけであれば消耗し摩耗するのみ。辛い戦いの日々の中の一時の癒しと快楽を与えてくれる縋れるものとして『弟』が二人を定義し依存すればより制御しやすくなる。
だが、それは同時にある弱点を抱えることにもなった。
(『でもれっかちゃんの服、なんか強そう! さよちゃんのも、かっこいい……あ、でも、破れるって言ってた……』)
一瞬、感情の奥に小さな緊張が走る。「防弾」「破れる」という言葉の連想が二人の危険や死を彷彿とさせ不安や恐怖が生まれる。
玄雲はその微かな揺れを感知して、一瞬だけ目を細めた。誰にも気づかれない程度の、ほんの僅かな変化だった。
二人の側仕えの存在によって『弟』は安定しつつあるがそれは同時に二人を失えば急速に安定を失うことにつながる。
恐怖を感じず、死地に平然と踏み込み相手を死に至らしめる殺人剣としての理想、即ち『空の心』を維持し続けるには感情の押し付け先として『弟』を利用し続けなければならない。
そして、徐々に『弟』の抱える鬱屈や怒りが大きくなってきているのを玄雲は感じ取っていた。
玄雲が完璧な殺人剣として存在し続けるためには二人の存在が必要不可欠になってきている。
「……小夜」
「はい」
「苦無の逆手抜き、もう一度見せろ」
「承知しました」
小夜が羽織の袖を軽く落とし、逆手で苦無を抜く動作を一度だけ流れるように見せる。刃が朝の光を切って止まる。玄雲はその軌道と、レオタードの肩の生地が全く突っ張らないことを確認し、小さく頷いた。
「――良い。小太刀術の入り方を取り込んだな」
「はい。雨宮流の小具足の扱い方を再度、学びなおし雹護様と結様の小太刀術の動きを取り込みました」
「若様、私は! 私の動きも見てほしいです!」
烈華が金棒を大きく振り上げようとして、玄雲が無言で半歩下がる。振り下ろされた金棒が空を叩き、板張りに重い震動が伝わった。
羽織の裾が舞い、レオタードの布地がその衝撃にぴたりと追従して破れることなく持ちこたえる。
「……悪くない」
玄雲がもう一度、同じ言葉を繰り返す。烈華が満面の笑みで金棒を担ぎ直した。
「えへへ! 若様に『悪くない』二回言われた! 今日いい日です!」
小夜が呆れたように、しかし僅かに口角を上げて烈華を見る。
「烈華、それは喜ぶところではないと思います」
「いいの! 若様基準だと最上級なんでしょ!?」
玄雲は二人のやり取りには特に反応せず、視線を朝の庭へ向けた。
(『……れっかちゃんとさよちゃん、今日も元気だね』)
ちいかわの声が深層で静かに、少しだけ嬉しそうに響く。玄雲はそれに何も答えず、ただ短く息を吐いた。
「訓練に戻る。……両者とも、その装備で巌と一戦組め」
「はいです!」
「承知しました」
二人の返事が重なり、朝の演武場に響いた。
…二人の格好に度肝を抜かれた香坂流武器術の継承者、不二巌はその日大きく精神の均衡を乱すことなった。
**
それから暫くたち、烈華と小夜の戦闘スタイルが確立されつつあった頃。
いつもの演武場の隅に、いつの間にか鉄の匂いが混じっていた。
木刀や金棒とは違う、油と火薬の匂い。
玄雲がそれに気づいた時には、立華凛は既に台の上に何丁もの銃を並べ終えていた。
拳銃、自動小銃、散弾銃——用途も口径も異なるそれらが、朝の光の下で無機質に整列している。
「今日からお前たちに教えるのは、剣でも槍でもない」
凛は一丁の自動小銃を無造作に持ち上げ、掌の上で軽く弾ませた。あまりに手慣れた動きだった。
「銃だ」
烈華が金棒を担いだまま眉を寄せる。
「銃ですか? でも私ら、武器術を教わりに来てるんすけど」
「武器術の一環だ。むしろこれ以上に重要な課目はない」
凛は小銃を台に戻し、四人——玄雲、烈華、小夜、そして片隅で無言のまま佇む不二巌を、順に見渡した。
「歴史の話をしよう。闇は古くからあった。だが今の規模に膨れ上がったのは先の大戦の時代以降の話だ。戦火の中で消えていく達人と武術を保護することを大義名分としてな
では戦火の中でなぜ達人と武術は消えようとしたのか?」
一拍置いて、凛は続けた。
「達人の命を最も多く奪ったのは何か——刀ではない。拳でもない。小銃と大砲。即ち近代兵器だ」
小夜が僅かに目を細めた。
「……一対一なら、達人は銃弾を見切れる。だが乱戦では違う。
無数の弾が、あらゆる方向から飛んでくる。
どれほどの達人でも、全方位からの弾幕を永遠に躱し続けることはできない。
そうして雑兵を何十人か、もしくは何百人か。その程度をたいらげる代わりに
——蜂の巣になって死んだ」
淡々とした声だが、その言葉には重みがあった。誇張ではなく、事実を並べているだけの重み。
「達人といえど、銃弾を無数に浴びれば死ぬ。それが現実だ。
刀を極めた者ほど、その現実を認めたがらない。だから死んだ。
今の闇はその戦訓を集め、学び、実戦では『銃こそが本当の敵』という前提の下で弟子を鍛える。そうでなければ、お前たちのような弟子級の実力では、名も無い雑兵の銃弾によって早晩終わる」
玄雲は僅かに視線を動かし、台の上の銃を一通り見た。表情は変わらないが、その目は既に銃身の形状、口径、想定される反動と初速を計算しているようだった。
「……凛殿は、それを扱えるのでしょうか」
「香坂流武器術の一環として、銃も一通り極めている」
凛は事も無げに言った。
「だが実戦では使わない。理由は単純だ
現代において達人といえるほどに武を極め戦場を生き残ってきたものであれば
銃弾を躱し相手を仕留める術を完璧に備えているのは当然のことであり
余程極めた真の銃器の達人といえる射手でなければ、達人に対して有効打にはならない。
今も昔も銃は雑兵が達人を『数』で殺すための道具だ。達人が達人を殺すための道具ではない」
「じゃあ、なんで私らに教えるんですか?」
烈華が首を傾げる。凛はその問いに、初めてかすかに笑みを見せた。
「お前たちはまだ達人ではないからだ」
言葉は静かだったが、否定の余地のない断定だった。
「弟子級の実力では、雑兵の弾幕に呑まれて死ぬ。それが現実だ。
剣を極めても、拳を極めても、銃口の前では等しく無力になる瞬間がある。
だから今日から、お前たちには銃口から弾道を読む術、銃弾を躱す術、銃を持つ相手との戦闘法——生き残り、勝つための術を、徹底して叩き込む」
凛はまず、一丁の拳銃を不二巌に向けた。
弾は入っていない。空の銃口が、朝の光の中で静かに巌の眉間を指す。
「銃口の向きを見ろ。次に、握り手の筋肉の緊張を見ろ。引き金にかかる指の第一関節の色が変わる瞬間——それが発射の予兆だ」
凛の指がわずかに動く。カチリ、と乾いた音が鳴った。
「今、俺は撃った。お前は死んでいる」
不二巌は僅かに眉を寄せた。分かっていた。反応できなかったことも、分かっていた。彼は無言のまま、自分の右足の位置と重心を確認し、次に凛が銃を構え直すのを待った。
「良い目だ」
凛はその沈黙の中の分析を見抜いたように言った。
「言葉より先に体で理解しようとする。それがお前の強みだ」
二度目。凛の指が動いた瞬間、不二巌は僅かに体を右へ傾け、想定される弾道から外れていた。完璧ではない。だが一度目より、確実に速い。
「悪くない」
小夜には、投擲物との対比で教えられた。
「お前は苦無を投げる。相手はお前に向けて弾を放つ。原理は同じだ——直線の軌道を、いかに外すか」
凛は小夜に空の拳銃を持たせ、彼女自身に「撃つ側」を経験させた。
「撃つ側に立って初めて分かることがある。引き金を引く直前、必ず一瞬、手首と肩に力みが生まれる。お前が苦無を投げる時にも同じことが起きているはずだ。それを自覚すれば、相手の力みも読めるようになる」
小夜は静かに頷き、拳銃を構えた。狙いは正確だった。凛が「今だ」と言う直前、僅かに肩の筋肉が動いたのを、小夜は見逃さなかった。
「……見えました。撃つ直前の、肩の起点」
「その通りだ。次はお前が躱す側に回れ」
模擬の弾道——凛が指し示す線を、小夜は幾度も読み、幾度も外し続けた。表情は変わらないが、集中の密度は明らかに増していた。
烈華には、また違う課題が課せられた。
「お前は重量武器を選んだ。金棒は速さより衝撃で殺す武器だ。だが銃相手には、その特性が仇になる」
凛の言葉に、烈華は金棒を抱えたまま首を傾げる。
「撃たれる前、先にぶっ叩けば勝てそうなんですけど」
「金棒の間合いに入るまでに、お前は何発の弾を受ける? 銃口から弾道までの距離、その間の躱し続ける体力——お前の得意は近距離での圧殺だ。
だが銃を持つ相手にとって、お前が近づいてくる数秒は、ただの的が近づいてくる数秒に過ぎない」
烈華の顔から笑みが消える。初めて理解した、という顔だった。
「だからこそ、躱す術を身につけろ。躱しながら距離を詰める。
詰めた瞬間、お前の得意な一撃が生きる。躱せなければ、お前の強みは発揮される前に終わる」
凛は模擬弾道——木の棒を使った疑似的な射線を、烈華に向けて幾度も繰り出した。
最初の十数回、烈華は棒に当たり続けた。動きは速いが、避けるべき軌道の「先」を読めていない。
「見るのは今の弾道じゃない。次の弾道だ。銃口はまだそこにあるが、狙いはもう次の場所に移っている」
「うぐ……」
だが二十回を超えたあたりから、烈華の反応が変わり始めた。金棒使いとして培った重心感覚——凛から教わったばかりの「体の延長として振る感覚」が、今度は躱しの動きにも生きていた。
「――そう、それだ。今の動き、悪くない」
「若様基準の『悪くない』と同じ意味ですか!」
「同じだ。喜んでいい」
烈華が歓声を上げる横で、小夜が小さく息を吐いた。
最後に、凛は玄雲に向き直った。
「お前には多くを教える必要はないかもしれん」
「……理由を聞きます」
「制空圏だ。お前は既に、相手の間合いと動きを感知する術を極めている。
銃口の向き、指の動き、呼吸の変化——それらは全て『動き』の一種に過ぎない。
お前の制空圏の
凛は空の拳銃を構え、玄雲に向けた。
「試してみろ」
指が引かれる。玄雲は、動かなかった。ただ、僅かに——数センチだけ、上体を傾けていた。想定される弾道から、正確に外れる位置に。
「……見えています。当然のこと」
短く、それだけ言った。
凛は僅かに口の端を上げた。
「達人であれば躱すのは当然。俺が言った通りだ。
だが問題は——お前がまだ達人ではないと、お前自身が理解しているかどうかだ」
玄雲は視線を凛に固定したまま、僅かに沈黙した。
「……理解しています。制空圏で読める範囲の外。
実戦では常に俺の主観の外側にある不確定要素に脅かされる。
乱戦、複数の銃口、視界の外からの一発。全てを拾い切れるとは思っていない」
「その通りだ」
凛は満足そうに頷いた。
「だから訓練する。一つの銃口を躱すのではない。無数の銃口の中で、生き残る術を体に刻む」
「必死に学べよ。でなければ死ぬぞ」
ーーーその後の訓練の日々は苛烈を極めた。銃弾こそ実弾ではないがゴム弾等を実際に撃たれ、銃弾の軌道を読むことに失敗すれば容赦なく体を抉った。
しかしそれでも4人は折れず倒れなかった。
「……もう一度、頼みます」
玄雲が処理しきれず体を捉えたゴム弾の痛みに堪えながら立ち上がり構える。
「それでこそだ」
玄雲につられ立ち上がる他3人の弟子たちを見て凛は笑みを浮かべ銃を構え直す。
その後の数ヶ月は近代戦という新時代の戦いに対応する為の新しいステージに移行していた。
--
演習場は、廃墟を模した巨大な施設だった。
崩れたコンクリートの建物、放置された車両、瓦礫の山——闇が実戦データを基に再現した、近代戦を想定した訓練環境。その中央に、迷彩服に身を包んだ一個小隊、十二名が整列していた。
自動小銃を手にした彼らは、達人ではない。だが雑兵でもない。闇が金と技術を惜しみなく投じて育て上げた、正規の戦闘員だった。
「今日から、お前たちの訓練相手はこの十二名だ」
立華凛は、監視塔の上からそれを見下ろしながら告げた。
「彼らは達人には敵わない。それは事実だ。だが最新の装備、実戦的な訓練、統制された連携——これらを備えた『兵士』だ。一人の腕は達人に及ばずとも、十二人が組織として動けば、脅威の質は変わる」
玄雲、烈華、小夜、巌の四人は、演習場の入り口に立っていた。木刀に見えるが実際には打撃力を殺した特殊な模擬武器——それぞれの得意武器を模した練習用具を手にしている。
「ルールを説明する」
凛の声が拡声器を通して響いた。
「使用弾は全て特殊な訓練用弾——直接当たれば電流が流れ、強い痛みと痺れを伴うが、命に別状はない。しかし当たれば当たったと分かる。誤魔化しは許さん」
「兵士十二名の任務は、施設内に設置された旗の防衛。お前たちの任務は、その旗の奪取。時間制限は三十分。それだけだ」
烈華が金棒——訓練用に重量を落とした模擬金棒を担ぎ直し、笑った。
「なんかシンプルっすね!」
「シンプルだからこそ、油断すれば死ぬ」
凛の声は変わらず平坦だった。
「開始する」
サイレンが鳴った。
---
最初に動いたのは烈華だった。
正面の瓦礫の陰から、廃墟の建物へ向けて全力で駆ける。金棒の重さを感じさせない速さ——だが視界の端で、複数の銃口が一斉にこちらへ向いたのが見えた。
「――っ!」
反射的に瓦礫の裏に身を投げる。直後、頭上を無数の弾が通過する音。訓練用弾特有の乾いた破裂音が連続した。
(近い……! 躱すだけじゃ、押し切られる……!)
凛の言葉が脳裏に響く。躱しながら距離を詰める。詰めた瞬間、お前の得意な一撃が生きる——。
烈華は瓦礫を利用しながら、僅かな隙を見て次の遮蔽物へ移動した。一人、二人と兵士の位置を確認する。射線の死角、次の遮蔽までの距離、そこまでにかかる秒数——凛から叩き込まれた計算が、自然と体を動かしていた。
---
小夜は屋根の上を移動していた。
苦無を手に、地上の兵士たちの陣形を見下ろす。三人が一つの班を作り、互いの死角を補い合う連携——訓練された配置だった。
(隙がある。あの班の、右端の一人だけ、味方との連携距離が僅かに開いている)
苦無を投げる。着弾ではなく、着弾寸前に発する高音で兵士の注意を逸らす牽制用の一投——凛から「投擲は急所狙いより牽制の確実性を先に立てよ」と教えられた通りの一投。
兵士の一人が反射的に音の方向へ振り向いた、その瞬間。
小夜は屋根から飛び降り、開いた死角へ吸い込まれるように入り込んでいた。直刀の突き——訓練用の柔らかい先端が、兵士の胸部に軽く触れる。
「――ヒット」
判定を告げる小さな発光装置が、兵士の胸元で点滅した。
一人、脱落。
だが小夜の頬に、僅かな緊張が浮かんでいた。地上に降りた瞬間の数秒、自分は完全に無防備だった。もし他の兵士が気づいていたら——。
(詰めが甘い。まだ、足りない)
自己分析は淡々としていたが、決して満足げではなかった。
---
巌は、正面から突っ込むことを選ばなかった。
彼は建物の外周を回り、旗の位置を静かに観測していた。師の指導方針——「言葉より、まず見る」を、この演習でも忠実に実践していた。
兵士たちの陣形、交代のタイミング、視界の重なりと死角。それらを黙々と記録するように見つめる。
やがて、彼は一つの結論に達した。
正面突破は無理だ。烈華や小夜のような機動力も、玄雲のような制空圏もない自分には、正面から十二人を相手にする術がない。
(――ならば、待つ)
不二巌は、旗を守る班の交代の瞬間を静かに待った。数分の観察の末、彼はその一瞬の隙——防衛陣形が組み替わる僅かな空白を見出した。
槊——訓練用の重量武器を担いだまま、彼はその隙に向けて一直線に走り出した。
---
玄雲は、全てを見ていた。
絶えず移動しながら二刀の剣を中心とする制空圏の中に演習場全体を落とし込むことで演習場全体の動きが緩やかに浮かんでいる。
烈華の位置、小夜の位置、不二巌の意図、そして十二人の兵士の配置と射線——全てが静かな水面のように、玄雲の意識の中で流れていた。
(……銃口の向きは、動きの延長に過ぎない。読める)
だが同時に、深層で『弟』の緊張が僅かに強まっていた。
(『……ぱん、って音、こわい……でも……』)
だが崩壊には至らない。立花凛の数ヶ月の訓練を通じて恐怖を感じても、それに呑まれることはなかった。ただ小さく縮まりながら、玄雲の「空の心」を支え続けていた。
(恐怖に慣れさせるか…)
玄雲は訓練の結果による思わぬ副産物に目を細めた。
ーーーこれでより『殺人剣』としての純度を高めることができる
玄雲は正面の兵士三名に向けて、あえて姿を見せた。
複数の銃口が一斉に向く。訓練された連携射撃——だが、玄雲の体は既にその弾道の外にあった。
一発、二発、三発。全て空を切る。
「――問題ない」
短く呟き、玄雲は兵士たちの間合いへ踏み込んでいく。二天一流の「身先入り」——身体が先に、太刀が後から届く理——銃口が再び玄雲を捉えるより早く、彼はもう間合いの内側にいた。
模擬の刀が兵士の得物を叩き落とす。一人、また一人。
抵抗する暇もなく、三人の兵士が脱落した。
---
監視塔の上から、凛はその様子を無言で見つめていた。
(悪くない。だが、まだ甘い)
小夜が地上に降りた瞬間の無防備さ。烈華の初動の判断の遅さ。巌の観察力は評価できるが、実行の踏み込みには迷いがまだ残っている。玄雲は既に別格——だが、それは織り込み済みだ。
凛は拡声器を取った。
「――増援を入れる」
その一言に、演習場の外で待機していた別の一個小隊が、新たに突入を開始した。
烈華が声を上げる。
「増援って言いました!? ルール違反っすよ!」
「実戦にルールはない」
凛の声は冷徹だった。
「敵の増援を想定していなかった時点で、お前たちの作戦は既に破綻している。今からそれを立て直せ。それが訓練の意味だ」
烈華は舌打ちしながらも、金棒を構え直した。
(――ちくしょう、だけど確かにその通り!!)
新たな射線が増え、遮蔽物の意味が変わる。烈華は瓦礫の裏で素早く状況を再計算し、次の突入経路を組み直した。
---
三十分の演習は、結局旗の奪取には至らなかった。
不二巌が旗まで数メートルの距離に迫ったところで、増援の兵士に側面を突かれ、模擬武器を弾き落とされた。玄雲は敵の半数を無力化したが、時間内に旗までは到達できなかった。
サイレンが鳴り、演習終了が告げられた。
兵士たちは倒れたまま、あるいは膝をついたまま、荒い息を整えていた。彼らも決して無力ではない。訓練され尽くした連携と装備は、達人候補である弟子級の四人を、時間内に完全制圧させないだけの実力を確かに持っていた。
凛が監視塔から降りてくる。
「総評だ」
四人が並ぶ。汗と埃に汚れた顔で、それぞれが凛の言葉を待った。
「烈華。初動の判断が遅い。躱しながら距離を詰める理論は理解しているが、実行の一歩目に迷いがある。迷いは死に直結する」
「うぐ……はい」
「小夜。突入後の無防備な瞬間、お前自身も気づいていたはずだ。詰めが甘い。一撃を決めた直後の次の動きまで、常に描いておけ」
「……申し訳ありません」
「巌」
凛の視線が長身の弟子に向く。
「観察は良い。判断も悪くなかった。だが増援を読めなかった。敵の増援を想定しない実戦は、絵に描いた餅に過ぎん」
不二巌は無言で頷いた。悔しさというより、次に活かすべき情報として受け取っている——そんな静かな表情だった。
最後に、凛は玄雲を見た。
「お前は、及第点だ」
「……それだけか」
「それだけだ。及第点に留まっているということは、お前もまだ完成していないということだ。銃口だけを相手にするなら、お前はもう十分だろう。だが今日見せたのは複数の敵、増援、統制された連携——お前の制空圏がまだ捉えきれていない領域が確かにあった」
玄雲は僅かに沈黙した後、短く答えた。
「……承知しました」
凛は演習場全体を見渡し、最後にもう一度告げた。
「闇が今の規模に膨れ上がったのは、達人が近代兵器に斃れた経験、即ちに近代戦をえて武を次の段階に進める必要ができたからだ。
銃を持つ雑兵一人なら、お前たちはもう十分に対応できるだろう。だが戦場は常に、想定を超えてくる。増援、伏兵、統制された部隊——その全てに対応できて初めて、お前たちは達人と呼ばれる資格を得る」
兵士たちが静かに立ち上がり、次の演習の準備を始める。凛はその様子を一瞥し、四人へ向き直った。
「今日はここまでだ。明日は夜戦を行う」
烈華が肩を落とした。
「夜ですか……」
「敵は昼間だけ攻めてくるとは限らん」
凛の声には、それ以上の説明は不要だった。
四人は疲れた体を引き寄せながら、それでも次の課題を静かに受け入れていた。演習場の向こうで、崩れた廃墟の輪郭が夕暮れの光に染まり始めていた。