二天閻羅王の息子に生まれたので久遠の落日を完遂したい(したくない) 作:HIDEMASA
「敵は昼間だけ攻めてくるとは限らん」
——凛がそう告げた翌日の夜、四人は再び廃墟の演習場に立っていた。
月は薄い。崩れたコンクリートの稜線が、辛うじて空との境を作っているだけの闇。昼間とまったく同じ地形が、まったく別の場所に変わっていた。
「ルールは昨日と同じだ。旗の奪取。制限三十分」
拡声器の凛の声だけが、闇の中で唯一の座標だった。
「開始」
サイレン。そして——十二分後、四人は全員「戦死」していた。
最初に落ちたのは烈華だった。闇の中で唯一見えた銃口の発光に向かって突っ込んだ——それは囮の発光装置だった。飛び込んだ先は三方向からの射線の交差点。判定弾の電流が立て続けに走り、烈華は瓦礫の上に膝をついた。
次が小夜。いつもの屋根に上った瞬間、稜線に浮かんだ彼女の輪郭は、暗視装置を着けた兵士たちにとって夜空を背にした的だった。着弾判定の発光が、闇の中で彼女の位置だけを皮肉に照らした。
不二巌は昼間の観察が通じなかった。陣形が見えない。交代が見えない。手掛かりを探して動きを止めたところを、静かに包囲された。
そして玄雲。制空圏は闇の中でも機能した。圏内に入る者の動き、銃口、指
——すべて読めた。だが兵士たちは、誰一人として圏内に入ってこなかった。無線の号令一つで、狙いもつけずに区画ごと薙ぐ斉射。「撃つ体」を読ませない、姿勢の予兆なき盲目射撃。読むべき人体が、そこになかった。
三発目の判定弾が肩口を捉えたとき、深層で『弟』が小さく跳ねた。
『……ぱんぱんって、どこから来るか、わかんない……』
戦死判定のブザーが鳴り、演習場に投光器の白い光が満ちた。
瓦礫の陰から、兵士たちが立ち上がる。その先頭に、ひときわ背の高い女がいた。183cm。暗視装置を額に跳ね上げ、金髪が投光器の光に透ける。昨日の演習からずっと十二名を率いていた、あの小隊の指揮官だった。
「レイラ・ドノヴァン。小隊長をやってる」
女は判定装置のランプが点いたままの四人を順に眺め、にっと笑った。
「先に言っとくが、アタイは気ってやつを一切発せない。お前らの言う『才能』は爪の先ほどもな。
で、その アタイの隊が、今夜お前らを十二分で全滅させた」
烈華が悔しさを隠しもせずに立ち上がる。
「……囮の発光、あんたの指示ですか」
「そうだ。お前は昨日の昼、光るものに真っ先に反応してた。一日観りゃ分かる。強いやつは、自分の強さが通る場所に自分から歩いてくるんだよ」
レイラはしゃがみ込み、瓦礫の粉の上に指で図を描いた。三本の線が、一点で交わる。
「お前の突進は看板だ。小夜、お前の屋根も看板。巌、お前の『まず観る』も、夜には観るものがなきゃただの停止だ。
玄雲——お前の圏は本物だ。だから入らなきゃいい。それだけだ」
監視塔から降りてきた凛が、その横に立った。
「昨日言った総評を覚えているな。烈華は初動、小夜は決めた直後、巌は想定外への対応、玄雲は圏の外。
——今夜からの数ヶ月、その四つとそれ以外にも数多ある弱点をこの女の隊が削る。俺は理を教えた。ここからは、理を体に刻む段階だ」
レイラが立ち上がり、四人を見渡した。
「達人候補さんたちに、地べたの兵隊が教えられることは一つだけだ。——死なない方法。それだけは、アタイらの方が詳しい」
「…面白い」
玄雲の口もとに笑みが浮かべ仲間達に振り返った。
「烈華、小夜、巌。お前たち三人をどう動かすべきか、掴んだ」
烈華と小夜は頷く。今は雹護と結はおらず、巌がいる。
天断島で連携の訓練はたっぷりと積んできた。しかし、体が既に五人での戦いに慣れきっていたのだ。
ーー故にこその醜態。二人が抜けただけでいつの間にか群ではなく個として動くようになっていた。
「俺が指揮を取る。従え」
三人は無言で頷き目に闘志を抱いた。
その様をみてレイラが獰猛に笑う。
「面白ぇ。アタイらもより本気でいかしてもらう」
2組の間に火花が散った。
それから演習を幾度となく繰り返し互いに容赦なく攻めぎあう展開となった。
戦いは伯仲し、実戦に近い形の演習は両者の実力を引き上げていく。
レイラ・ドノヴァンの十二名小隊は、七度目の演習開始と同時に散開した。
遮蔽物を取り、射線を重ね、退路に見える場所へ罠を置く。
気を持たない兵たちで構成された小隊でありながら、その動きには隙がない。
彼らは個人の武で玄雲たちに勝ろうとしているのではない。
数、射線、遮蔽、誘導、時間差。
それらを積み重ね、武器術使いを戦場ごと封じに来ていた。
だが、玄雲はそれを一人で突破しようとはしない。
彼はすでに、武器組の筆頭として戦っている。
「烈華、正面を割れ。だが踏み込みすぎるな」
「分かってます、若様!」
烈華が金棒を担ぎ、瓦礫の前線へ飛び出す。
銃口が一斉に彼女へ向く。
だが烈華は突撃役であって、単独突破の駒ではない。
彼女の役目は、敵の射線を集め、岩を砕き、砂と破片で視界を乱すことだった。
金棒が岩を砕き、砕けた瓦礫が周囲へ跳ねる。
レイラ小隊の射線が一瞬だけ乱れた。
その瞬間、小夜が動く。
「右、二名。射線が開いた」
玄雲の短い指示に、小夜は答えない。
答えるより早く、彼女の身体はもう遮蔽物の影へ滑り込んでいる。
直刀を低く構え、苦無を指に挟み、射手の死角から死角へ渡る。
小夜は正面から撃ち合わない。
撃たせる前に消える。
撃たせた後に刈る。
立華凛の対銃戦闘理論を、もっとも静かに実行するのが彼女だった。
「巌」
玄雲が呼ぶ。
不二巌は頷いた。
巌の役割は、敵の意図を読むこと。
射手の配置。
遮蔽物の選び方。
増援を伏せるならどこか。
そして、レイラがどの瞬間に予備兵力を投入するか。
巌は声を張らない。
だが、必要な情報だけを玄雲へ渡す。
「左後方。まだ二名いる」
「予備か」
「多分。小夜を待っている」
玄雲は即座に判断する。
「小夜、そこへは入るな。烈華、二歩下がれ。巌、予備を押さえろ」
「了解」
烈華が一歩ではなく二歩下がる。
その動きに、レイラ小隊の射手が反応した。
誘い込むはずだった射線が、逆に空振りする。
小夜は本来の侵入経路を捨て、別の瓦礫の影へ消える。
もし巌の観察がなければ、彼女は伏兵二名の射線に入っていた。
玄雲は前線で剣を振るいながらも、仲間の位置を失わない。
烈華が派手に敵を揺さぶる。
小夜が細い隙間へ差し込まれる。
巌が敵の配置と増援の意図を読む。
玄雲はそれらを束ね、必要な瞬間に必要な場所へ動かす。
それは一人の達人による突破ではない。
武器組の戦いだった。
部隊として死なない。
部隊として敵を崩す。
部隊として勝つ。
玄雲はその中心にいる。
レイラもまた、玄雲の指揮を見ていた。
「正面の女を狙いすぎるな! 金棒は囮だ!」
レイラの声が飛ぶ。
小隊はすぐに射線を組み直す。
烈華へ集中していた銃口の一部が、玄雲の動線と小夜の侵入経路へ振り分けられる。
「三番、五番、下がれ! 八番は右を塞げ! あの大槌使いを自由にさせるな!」
レイラは巌を警戒している。
巌は派手な攻撃をしない。
だが、彼を放置すると布陣の意味を読まれる。
増援の投入位置を見抜かれ、伏兵を潰され、指揮官自身の癖まで暴かれる。
だからレイラは、巌をただの前衛として扱わない。
玄雲チームの観測手であり、敵陣の歪みを探す刃として計算する。
それに対し、玄雲もまたレイラをただの小隊長とは見ない。
彼女は気を発せない。
だが、戦場全体を動かす。
兵士一人一人の心理を読み、射線を重ね、玄雲たちの連携を分断しようとする。
玄雲は理解していた。
これは個人戦ではない。
指揮官同士の戦いでもある。
「烈華、撃たせろ。ただし受けるな」
「注文が細かいです!」
「小夜、二射目の後に入れ」
「承知」
「巌、レイラの位置は」
「左奥。だが、誘いだ」
玄雲の目が細くなる。
「なら、乗らない」
玄雲は即断した。
レイラが自らの位置を薄く見せたのは、玄雲を誘導するためだった。
玄雲を釣り出し、側面から射線を重ねる。
その意図を巌が読み、玄雲が採用する。
玄雲は、巌の観察を信じている。
巌もまた、玄雲がその情報を使い切ると分かっている。
それは即席の連携ではない。
これまで玄雲が指揮官として磨いてきた連携の延長だった。
---
演習中盤、レイラ小隊は玄雲チームを三方向から包囲しようとしていた。
烈華の正面突破を抑えるために四名。
小夜の侵入を警戒して二名。
玄雲の進路を塞ぐために三名。
残りは予備として伏せられている。
配置は堅い。
だが、その堅さゆえに、レイラ自身が一瞬だけ前へ出た。
無線で予備兵力を動かし、射線の角度を修正する。
その瞬間、彼女の左後方が薄くなる。
巌はそこを見ていた。
ただし、彼は勝手に動かない。
玄雲チームの一員として、玄雲の指揮系統の中で動く。
「玄雲」
「見えたか」
「レイラの左後方が薄い」
玄雲は一瞬で全体を見た。
烈華はまだ正面を支えられる。
小夜は伏兵二名を避けて移動中。
自分が動けば、敵の射線が集中する。
ならば、巌を通す。
「烈華、音を作れ」
「しゃあ!!」
烈華の金棒が瓦礫を叩き砕く。
砂塵が上がり、敵兵の視界が一瞬だけ奪われる。
「小夜、右の二名を止めろ」
「はい」
苦無が飛ぶ。
訓練用の刃が射手の手元を弾き、銃口が逸れる。
玄雲はその中央で二刀を構え、敵の注意を自分へ引きつけた。
あえて一歩踏み込み、レイラ小隊に「玄雲が来る」と思わせる。
だが、本命は玄雲ではない。
巌だった。
巌は瓦礫の影を滑るように移動する。
烈華の砂塵。
小夜の牽制。
玄雲の誘導。
その三つが重なった一瞬だけ、レイラの左後方へ通る細い道が開く。
巌はそこへ入った。
レイラの隙を埋めるためではない。
敵として、その隙を突くために。
「――ヒット」
訓練用の武器の穂先が、レイラの背に触れた。
判定装置が赤く点滅する。
レイラは一瞬だけ目を見開き、それから舌打ちした。
「やられた。……玄雲、お前が来ると思わせたな」
玄雲は刀を下ろす。
「巌が見つけた隙だ。俺は通しただけだ」
レイラは巌を見る。
「で、お前はいつからアタイの左後ろを見てた?」
巌は短く答える。
「三度目の演習から」
「言えよ、そういうのは」
「演習中は敵だ」
レイラは一拍置いて、笑った。
「正しい。敵なら隙は塞がねぇ。突くもんだ」
そこでレイラは玄雲へ視線を戻す。
「けど、今のは巌だけの手柄じゃないな。金棒、苦無、指揮官の誘導。全部噛み合ってた」
玄雲は静かに頷く。
「武器組は、一人で戦う組織じゃない」
「だろうな。今のでよく分かった」
レイラは赤く点滅する判定装置を指で弾いた。
「こっちも組み直す。次は簡単に左後ろは取らせない」
巌は頷く。
「なら、次の隙を見る」
「嫌な奴だな」
レイラは笑った。
そこに馴れ合いはない。
だが、敵として鍛え合う者同士の敬意は確かに生まれていた。
そしてその様子を二人の客人が音もなく観察していた。
廃墟を模した演習場の縁、崩れかけた瓦礫の上に、櫛灘美雲は音も立てずに座っていた。
長い黒髪が風に揺れ、露出度の高い巫女装束の裾がわずかに舞う。
その隣に、小さな影がひとつ。
重心を見抜く天賦の才を与えられた神童にして櫛灘流柔術の後継者
——櫛灘千影が、膝を抱えるように腰を下ろし、遠くの戦場を見つめている。
この時、齢にして十歳。しかしその眼、立ち姿には既に武人の貫禄が滲み出ていた。
演習場の中央では、玄雲・烈華・小夜・不二巌の四人が、統制された射撃を放つ分隊と対峙していた。
瓦礫の合間を縫うように動く烈華の巨躯。屋根の上から苦無を投げ、着弾の瞬間に姿を消す小夜。
制空圏で弾道を読み切り、間合いの内側へ吸い込まれるように踏み込む玄雲——。
千影は瞬きもせず、その一連の動きを眺めていた。感情を表に出さない。ただ観察している。
「——どうだ」
立華凛が、二人の背後から声をかけた。2m近い巨躯が瓦礫の隙間からゆっくりと歩み寄る。籠を背負ったその姿には、隙がない。
「美雲殿の目に、この演習はどう映る」
美雲は視線を動かさず、しばらく黒目だけで戦場を追った。烈華が一撃を外し、身を翻す。
小夜が着弾直後にわずかに硬直し、次の一手が遅れる。
「——緩いのう」
一言だった。凛が片眉を上げる。
「もっと言葉を貰えるかと期待していたが」
「望むなら言葉をやろう」
美雲の唇に、妖しい笑みが浮かぶ。
「……訓練用の弾など、当たっても痛いだけであろう。
それでは伸びぬ。真剣で殺し合いをさせよ。
互いの命を賭けさせれば、あの程度の反応の遅れなど、すぐに削れて消える。
死の淵に立った者だけが、次の一段へ進める。儂ならばそうする」
千影は表情を変えず、ただ視線だけを師のほうへわずかに動かした。
凛は、それを聞いて苦笑した。
(……一影九拳は仲間などではなく不可侵同盟。闇の無手組の中ですらも積極的に殺し合いでの比武をしていると聞く)
——棟梁め。もっと言って聞かせてやれば良いものを。
本当に玄雲を通じて互いを利用し合う関係でしかないのだろう。しかしこれでは意思疎通に支障が出る。
(……面倒な役割を押し付けられたものだ)
長い息を吐き、頷く。
「——真剣試合による練磨そのものは、決して否定しない。
我々とて他流相手であれば合意のもと真剣勝負は行なっている。
故に死線でしか削れない癖があり、死線でしか開かない目があることは、俺も知っている。
それをより突き詰めた無手組のやり方は、個としての人間を極限まで研ぎ澄ませる。それは認める」
そこで、凛の目が細くなる。
「しかし——八煌断罪刃は一つの組織であり、いわば同門だ。
そしてあの兵士達はその下部組織。故に殺し合いは出来ん」
「……仲間意識での殺しの禁止かえ?」
美雲が喉の奥で笑う。
「甘いのう」
「甘さで禁じているのではない。むしろ逆だ」
凛の声は、静かなまま温度を下げた。
「武器組は二天閻羅王を頂点とする、上意下達の軍だ。
この掟は弟子の命を惜しんで置かれたものではない。
錬磨の名目で内輪の殺し合いを許せば、失われるのは個人の命ではなく——『部隊の頭数』だ。連携を組み上げた戦力が、敵と刃を交える前に一つ減る。どちらが勝とうと、軍としては敗北している。
それが許容できないから、殺すなと命じている。
情ではなく、勘定の掟だ」
そして一つ、凛はため息をつき頭を掻いた。
「それに殺人剣の申し子達が真剣で殺し合えば、生き残ったとしても以後は互いを敵視し憎み合うだろう。それでは連携など夢のまた夢だ」
「ほう」
美雲の頬杖がわずかに傾く。値踏みするような視線が、初めて戦場から凛へ移った。
「では訊こう。死線を踏ませずに、何を研ぐ」
「『戦場の理』への理解だ」
凛は即答し、それから続けた。
「久遠の落日が成った後、この世に何が待つか——武人の世だ。
だが武人の世とは、達人が悠々と歩ける平和な世ではない。
戦場そのものが、当たり前の景色になるということだ」
凛は演習場に視線を戻す。烈華の踏み込みが一瞬遅れ、小夜がそれを庇うように前へ出て、苦無を投げる。二人の呼吸が、微妙に噛み合っていない。
「戦場では『個』では立てない。己一人の技をどれだけ磨いても、いつか必ず数に押される瞬間が来る。
だからこそ武器組は、実戦を想定した訓練を弟子に叩き込む。
銃を持つ雑兵一人になら勝てる。だが分隊、小隊、増援——それらに対応するには、己の弱点と長所を仲間に開示し、仲間の弱点と長所をこちらも把握し、互いに補い合わなければ生き残れない」
凛の声に、初めて教師としての熱がわずかに滲む。
「今、美雲殿の目に映った『緩さ』——烈華の遅れを小夜が庇った、あの噛み合わない呼吸。あれは殺し合うことでは噛み合わない。
あの誤差を削るのは、死線ではなく反復だ。
同じ隊で、同じ弾の下を、何百回とくぐらせる。
無手組のやり方は、個人としての強さでは武器組を上回るかもしれない。それは否定しない。だが——協調性は育たない。
一人で完成された強者を並べたところで、それは軍にはならない。
戦場で仲間を信じ、仲間のために己の隙を晒せる者だけが、久遠の落日後の世界で生き延びる」
美雲は、しばらく黙っていた。瓦礫の上で膝に頬杖をつき、遠くの戦場——弾道の下を駆ける四人の弟子を見つめる。
「……一理あるのう」
短く、それだけ言った。認める言葉としては、美雲にしては珍しく素直だった。
そして、美雲の視線が、演習場の中央——制空圏を纏い、複数の射手の狙いを読み切りながら間合いを詰めていく少年へ、静かに向けられる。
「千影」
美雲が、隣の少女に声をかけた。千影は、師の視線の先を追う。
「あれが、お前の兄じゃ」
千影は、それに対して何も言わなかった。ただ、玄雲が射手の懐へ踏み込み、無力化していく様子を、少しだけ長く見つめた。
表情はほとんど変わらない。だが、その黒い瞳の奥に、何かをそっと書き留めるような、静かな観察の色が浮かんでいた。
凛は、その様子を見て、口の端をわずかに緩める。
「後継者にも、見せておく価値のある場だろう」
美雲は答えなかった。ただ、風に舞う黒髪を押さえながら、再び戦場へ視線を戻す。演習はまだ終わっていない。
美雲たちが去って、さらに数ヶ月。
凛が課した演習回数は昼夜を問わず三百回を超えていた。
烈華の突入、小夜の援護。同じ局面、同じ弾の下。
その日、変化は前触れなく訪れた。
烈華が踏み込む。半瞬遅れる——はずだった呼吸のその半瞬前に、小夜の苦無はすでに宙にあった。烈華の遅れを「庇う」のではない。
烈華が遅れる瞬間そのものを、小夜が先に知っていた。
三百回の反復が、二人の身体の中に互いの拍を刻み込んでいた。
烈華は敵射手の懐で金棒を止め、判定を取り、それから屋根の上を振り仰いだ。
「……今の、合ったよね?」
「はい」
小夜は静かに頷いた。それだけだった。それで十分だった。
観測壕からその一部始終を見ていたレイラは、隣の凛に言った。
「兄さん。あいつら、もううちの隊じゃ止められねぇわ」
「止められる部隊になれ。それがお前の隊の課題だ」
「言うと思った」
レイラは笑い、無線に手をかけた。
「全隊に通達——明日は想定を一段上げる。あの化け物どもに、もう一回だけ地獄を見せるぞ」
数ヶ月にわたる近代戦演習の最終日、廃墟を模した演習場には、いつもとは違う空気が流れていた。
最後の総合演習——玄雲、烈華、小夜、不二巌の四人と、闇の兵士小隊複数隊が入り乱れての模擬戦。訓練弾の乾いた発射音、瓦礫を蹴る足音、指示の怒号が飛び交い、演習終了の合図と共に、それらすべてが止んだ。
「——終わりだ!」
小隊複数を統括するレイラ・ドノヴァンが声を張る。
荒い息を吐きながら、被弾判定のランプが点いたままの自分の胸元を見下ろして苦笑した。
「クソ、また烈華にやられた。何回目だ、これで」
「数えてないっスけど、多分五十回は超えてますね」
烈華が肩をすくめる。最初は単体では歯牙にもかけられなかった兵士たちが、いつの間にか烈華の動きを読み、かすりながらも「生き延びる」ようになっていた。数ヶ月前とはまるで別人の動きだった。
小夜は屋根から降り立つと、苦無の投擲を避け続けた兵士に静かに頭を下げる。
「最初は、あなたの回避が読めませんでした。今は、読めても外されます。それは、あなたが伸びたということです」
「小夜さんにそう言われると、でかい勲章をもらった気分だな」
玄雲は瓦礫の縁に腰かけ、対峙していた射手たちと意見を交わしていた。
「俺たちが連携を始めてから勝率はこちらに傾いたが今はほぼ互角。
お前らの連携が精密になった証拠だ」
「そりゃどうも」
不二巌は少し離れた場所で、大鎚を担いだまま空を見上げていた。その傍らに、レイラが歩み寄る。
「お前、最初はほんと会話にならなかったよな」
レイラが笑いながら肩をぶつける。不二巌は小さく頷いた。
「観てた」
「知ってる。ずっと観察されてる感じがして、最初は薄気味悪かった。でもな」
レイラは、瓦礫の向こうで談笑する双方の面々を見渡した。
「お前が観てたのは、アタイたちの動きの『理由』だ。癖じゃなく、その癖がどこから来てるのか。だからお前と当たるたびに、アタイたちは自分でも気づいてなかった弱点を突きつけられた。お前は、アタイたちの一番いい教官だったよ」
不二巌は黙って頷くが、その目には確かな敬意が浮かんでいた。
夜、演習場の外れの野営地で、最後の宴が開かれる。
焚き火を囲み、兵士たちが酒を、玄雲たちは水と薄めた果実水を酌み交わす。兵士のひとりが立ち上がり、声を張った。
「俺たちは、闇に拾われるまで、社会のどこにも居場所がなかった連中だ。戦災孤児、スラムの捨て子、そういうのばっかりだ。武人の才能はないと判定されて、それでも拾われて、鍛えられて、兵士になった。正直、劣等感がなかったわけじゃない」
彼は焚き火の向こうの四人を見る。
「超一流の素質を持った達人の弟子と並んで戦うなんて、想像もしてなかった。でも、この数ヶ月、俺たちはお前らと互角に渡り合った。
数を頼り、頭を使い、連携して、お前らにカマしてやった。
これは——俺たちが積んできた訓練の成果の、何よりの証明だ」
拍手と歓声が上がる。レイラが続けて立ち、コップを掲げた。
「才能で選ばれなかったアタイたちが、才能の塊どもと同じ土俵に立った。誇っていい。だが浮かれるな
——次に会う時は本物の戦場だ。そこで恥をかいたら、この数ヶ月が全部嘘になる」
「「「応!」」」
玄雲が立ち上がり、応える。
「お前らの動きは、俺たちにとっても得難いものだった。久遠の落日の後、武人の世が来ても——ここで学んだことは絶対に忘れない」
烈華がコップを突き上げる。
「今度戦場で会う時は、お前らの背中を守れる位置に立ってやるよ!」
「上等だ!」
小夜も静かに、確かな声で言葉を継いだ。
「戦場で、また一緒に駆けましょう」
焚き火の火の粉が舞い上がり、誓いの言葉が夜空へ溶けていく。
宴が落ち着いた頃、レイラは巌を見つけ、隣にどかりと腰を下ろした。
「明日で終わりだ。次にお前と会うのは、多分本物の戦場になる」
不二巌は答えず、隣のレイラの横顔を見た。
「怖くはないのか」
珍しく、巌が先に言葉を発する。レイラは小さく笑った。
「怖いさ。当たり前だろ。でも、怖いから動かないんじゃ、スラムじゃ生き残れなかった。ここでも同じだ。怖さは、いつも連れて歩くもんだ」
彼女は焚き火の炎を見つめながら続けた。
「忘れないでくれよ。闇にもアタイらみたいな地を這う兵隊がいるってことを」
「……覚えておく。お前の隊の、動き方を」
「それでいい。お前は嘘をつかない」
レイラは豪快に笑い、拳を不二巌の肩に軽く当てた。焚き火の音と兵士たちの笑い声が、夜の底に静かに広がっていった。
翌朝、野営地の撤収が始まる中、レイラは小隊を率いて出発の準備を整え、最後に不二巌の元へ歩み寄った。
「また会おうな。今度は、アタイの背中、お前が守ってくれ」
巌は小さく頷いた。
「ああ」
「それだけか」
レイラは笑い、拳を不二巌の胸に当てる。
「上等だよ。それがお前だ」
小隊が隊列を組んで演習場を後にする。玄雲、烈華、小夜、不二巌の四人は、その背中が見えなくなるまで見送り続けた。
見送る四人の後ろに、いつの間にか凛が立っていた。
「——同じ弾の下を、何百回とくぐった仲だ」
凛は、遠ざかる隊列を見ながら静かに言った。
「あれが、殺し合いでは決して手に入らないものだ。覚えておけ」
誰も答えなかった。答える必要がなかった。
玄雲の深層で、『弟』がぽつりと呟く。
(『……また、あえるかな』)
玄雲は答えず、ただ短く息を吐いた。数ヶ月の演習で結ばれた絆は、次に彼らが戦場で顔を合わせる日まで、確かにそこに残り続ける。
人物紹介…
レイラ・ドノヴァン…
普通にオリキャラ。原作だと最終決戦時梁山泊に蹂躙された名もなき兵隊のうちの一人。
幼少期に両親を抗争で失い、ギャングの縄張り争いが日常の環境で育つ。生き延びるために盗みと喧嘩を繰り返していたところを、戦災孤児や社会的弱者を収容する「闇」の関係者に拾われる。
武人としての適性検査では、気の素養・技の伸びしろ共に凡庸と判定された。
しかし、極限状況でも崩れない胆力、瞬時の状況判断力、そして「仲間のために己を張れる」統率者の資質を見出され、兵士としての訓練を受ける。
苛烈な訓練に食らいつき、若干20歳で小隊長にまで登り詰めた。闇の兵士部隊でも最速級の昇進であり、彼女自身の密かな誇りである。