二天閻羅王の息子に生まれたので久遠の落日を完遂したい(したくない)   作:HIDEMASA

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本日2話目です。まだ前話を見ていない方はお戻りください。


殺人剣『玄雲』

「これより鍛練を始める」

 

修練場の高みから、父・世戯煌臥之助が見下ろしている。

 

暗く冷たい石造りの修練場。

 

空調の音すらしない密閉された空間で、玄雲は五人の屈強な男たちに囲まれていた。

いずれも闇に仇なして捕らえられた者たちである。生き残れば自由を与えると告げられた彼らの眼には、獰猛な殺意が宿っていた。

 

そしてそれは玄雲も同じこと。玄雲の両手には刀と脇差がそれぞれ握られていた。

 

側近4人との訓練では()()()殺してしまうために無手での対応が基本だ。

 

しかし、この場では問題ない。

 

ーーー玄雲は相手を殺す気だった。

 

「始めい」

 

煌臥之助の低く重い声が響いた瞬間、五人の男が一斉に玄雲へと襲いかかった。

四方八方から迫る、大太刀、槍、槌といった凶器の嵐。

 

しかし、玄雲の顔には何の感情も浮かんでいない。

彼の周囲には、すでに不可視のドーム——『制空圏』が展開されていた。

 

(……右斜め後方より刃渡り八十、軌道は首。左前方より突きの刺突。頭上より槌の質量——)

 

深層で震え上がる『弟』の悲鳴を分厚い防壁で完全に遮断し、玄雲は純粋な戦闘機械として機能していた。

玄雲の身体は、極限まで脱力していた。筋肉の緊張を一切解いた、限りなく水に近い状態。

 

 【技10・力0】

 

これが、玄雲が導き出した絶対防御の理だった。

無駄な力みを完全に排した玄雲は、迫り来る五つの凶器の軌道を正確に読み切り、紙一重の動作で躱していく。

槍の突きを半歩の身捌きで透かし、大太刀の凶刃を自身の刀の鎬(しのぎ)で滑らせて受け流す。力で逆らわず、相手の運動エネルギーをそのまま利用していなすその防御は、まさしく「暖簾に腕押し」。

男たちは、まるで幻影を斬らされているかのような錯覚に陥り、徐々に焦りと疲労で体勢を崩していった。

 

「チィッ! ちょこまかと……!」

 

大柄な男が苛立ち任せに、大太刀を大上段から力任せに振り下ろした。

玄雲の足元が止まる。防御の型が、わずかに崩れたように見えた。

 

「もらったァ!!」

 

男の刃が玄雲の脳天を割るかに見えた、その刹那。

 

——チッ、と。

玄雲の体内で、何かのスイッチが切り替わる音がした。

 

極限まで脱力していた玄雲の全身の筋肉が、爆発的なバネとなって一瞬で収縮する。

【技10・力0】の絶対防御から、一切の前兆なく【力10】の攻撃への急激な移行。

0から100への異常なまでの出力の切り替えは、相手の視覚と認識のタイミングを完全に置き去りにする。

 

 「——世戯流二刀剣術」

 

玄雲の身体が、弾かれたように男の懐へ潜り込んだ。

先ほどの柳のような動きは消え失せ、そこに在るのは圧倒的な剛と重さ。

 

 「『斜め十字開門斬り』」

 

下から上への逆袈裟、そして即座に反転しての上から下への袈裟斬り。

【力10】に乗せられた二刀の重撃が、男の大太刀を容易く弾き飛ばし、その巨体を文字通り十字に斬り裂いた。

鮮血が十字の軌道を描いて空間に咲き誇る。

 

男が崩れ落ちる前に、玄雲はすでに残る四人へ向き直っていた。

再び【技10・力0】の脱力状態へと戻り、相手の攻撃を誘っては紙一重でいなし、体勢が崩れた瞬間に【力10】の剛剣で部位を断つ。

柔と剛、技と力。その両極端を行き来する玄雲の剣は、予測不能の死神の鎌であった。

 

わずか数十秒後。

石畳の上には、五つの肉塊が転がっていた。

 

「……ふむ」

 

高みから見ていた煌臥之助が、満足げに髭を撫でる。

 

「完全なる脱力からの一撃必殺。成長途中の筋力を補うだけでなく、

敵の拍子を完全に狂わせる極端なる移行。見事な殺人剣じゃ。我が子、玄雲よ」

 

血振るいをし、刀を鞘に納める玄雲。

 

「御意」

 

冷たく平坦な声。

 

ーーー殺人剣の悦楽。

 

転生者が自分の身を守るために生み出した『空の心』。

それを『殺人剣』として成立させるために『玄雲』が唯一、持っている感情、悦びだった。

 

敵を殺し、刀に血を吸わせる。

 

この瞬間は静かな達成感が玄雲の脳内を満たしていた。自分は強い。誰よりも完璧に、敵を排除できる。

 

だが——。

 

『ヒィ……ッ、イヤァア……! アァアアアッ!!』

 

分厚い『静の気』が凝縮され覆われた超人ですら見通せぬ魂の奥底。

 

ーーー肉を断ち、骨を砕く瞬間の、生々しく重たい感触。

 

防壁越しにそれを「間接的に」味わわされた『弟』は、血の海の中でパニックを起こし、泣き叫んでいた。

 

玄雲はその悲鳴を、ただの「耳障りなノイズ」として認識する。

 

12歳にして玄雲の戦闘スタイルは完成の域に達しつつあった。

絶対の柔から繰り出される、暴虐の剛。

 

生き残り、父に認められる。それこそが魂の消滅という絶対的危機に立ち向かうために生み出された『玄雲(さつじんけん)』の至上命題。

 

玄雲は心の奥底を見つめ、しかし冷徹に目を細めた。

 

(…今は苦しいかもしれんな『弟』よ。だがその代償として今日も生き延びた。ならば安いものだろう?)

 

訓練は続く。玄雲を真の達人として育てあげるために。

 

しかし、その鍛練の日々は『玄雲』を殺人剣として練磨していったが

その代償として『転生者(ちいかわ)』の心の平穏を守るための防護機構としての在り方を急速に破壊していった。

 

***

 

別の日、天断島、地下特別修練場。

 

分厚い石畳が幾筋もひび割れ、空気が悲鳴を上げる中、四つの影が中央のひとつの標的へ向かって殺到していた。

 

「オラァッ!! 砕け散れ!!」

 

先陣を切るのは神崎烈火。

爆発的な『動の気』を乗せた上段からの剛剣。分厚い日本刀が、空気を叩き割るような轟音と共に玄雲の脳天へ振り下ろされる。力と速度を極限まで乗せた、受ければ骨ごと断たれる必殺の一撃。

 

その暴風のような一太刀とコンマ数秒のズレもなく、烈火の死角から滑り出るように現れたのは九条小夜。

 

「……穿ちます」

 

烈火の剛剣を陽動とするかのように、小夜は中段から極端に低い下段へと沈み込み、音もなく日本刀を突き出す。狙うは玄雲の大腿動脈。

烈火の『動の剛剣』と小夜の『静の突き』。上と下、動と静が完璧に噛み合った死の十字砲火(クロスファイア)。

 

さらに上空からは伊藤雹護が小太刀で退路を塞ぐように跳躍し、地を這うような低い姿勢から狭山結が音もなく接近し、玄雲の背後の死角を完全に封鎖していた。

 

(──速い。そして、重い)

 

四位一体の絶殺陣の中心で、世戯玄雲の全身からどっと汗が噴き出した。

 

現在の玄雲の実力は、弟子級上位から最上位の領域にある。

 

だが、次世代の『闇/YOMI』を担うべく鍛え上げられた四人の連携は、すでに個の足し算では

ない。

 

(先日の奴らとは雲泥の差だな。連携の練度によって強さはこうも跳ね上がる)

 

同格の弟子クラス単体であれば一瞬で細切れにされ、遥か格上の『妙手』クラスであっても、()()()()()()確実に重い負傷と手痛い消耗を強いられるであろう超高密度の包囲網。

 

今の玄雲にとって、己の命が真に脅かされるこの四人との組手こそが、この島における数少ない己の成長を実感させてくれる『砥石』だった。

 

『空の心』を展開する玄雲の知覚が、四本の凶刃をギリギリの「データ」として処理していく。

わずかでも判断が遅れれば死ぬ。普通の人体であれば、四方から致死の刃が迫る『死の恐怖』によって筋肉が硬直し、コンマ数秒の遅れが生じる。

このギリギリの攻防において、その硬直は即ち「死」を意味する。

 

『──ヒッ!? ァ、アァアアアッ!? 斬られるッ、痛い、いやだァァッ!!』

 

玄雲は、四本の刃が迫る生物学的な恐怖、全身の筋肉が発する疲労の悲鳴、焦燥感といったあらゆる「生理的ノイズ」を、精神空間の底で震える『弟(ちいかわ)』へと完全に強制転送(バイパス)した。

玄雲の極限の生存本能をすべて押し付けられ、過呼吸を起こして精神を破壊されかける半身。

それを極上の「クッション材」として消費することで、玄雲は限界を超えた状況下でも、意識を絶対零度に保ち続けていた。

 

恐怖がないからこそ踏み込める、死線のその先。

 

「──シッ!」

 

無手。

結の小太刀が玄雲の首の皮一枚を掠めて一筋の血が滲み、烈華の剛剣が頭髪を数本断ち切る瞬間。玄雲は練り上げられ異常発達した深層筋を爆発させ、極小の隙間へと身体を捻り込んだ。

 

振り下ろされる烈華の剛剣。その刃の『平』を、玄雲は指先で正確に弾く。

恐るべき力で放たれた剛剣は軌道をわずかに狂わされ、下段から正確無比な突きを放っていた小夜の日本刀の側面へと激突する。

 

ガァンッ!!と火花が散り、烈火と小夜の体勢が同時に崩れた。

 

「しまっ──」

 

「ぐっ……!?」

 

己の刃を盾にされた形となった二人の隙間を縫うように、玄雲の巨体が滑り込む。

 

同時に、空中の雹護と地を這う結衣の死角を取り、制空圏の最内殻での神速の連撃を叩き込む──

 

 ドンッ!!

 

一拍の間に放たれた、四つの重い打撃音。

4人それぞれの急所に的確な掌底と手刀がめり込んだ。

 

「がッ……ぁ……!」

「あ……う……」

「くそ、が……」

「……(気絶)」

 

四人が同時にもんどり打って床に沈む。カラン、と主を失った日本刀と小太刀が石畳に転がった。

 

「……ふぅーっ」

 

玄雲は深く長く呼気を吐き出した。

 

その息は熱を帯び、額からは止めどなく汗が流れ落ちている。

服のあちこちには刃が掠めた裂け目ができており、あと一歩でも見切りを誤っていれば、致命傷を負っていたのは間違いなく自分の方だった。

 

「……素晴らしい連携だ。俺が対応できたのは

常日頃からお前たちと鍛練し連携を磨いていたからに他ならない。

でなければ俺は死んでいた」

 

玄雲は荒い息を吐きながらも言葉を止めない。

 

「だが、烈華は斬撃に一瞬の『タメ』が生じている。

小夜、突きの引き際がわずかに遅い。

俺の制空圏内を突破するには、さらなる研鑽が必要だ」

 

厳しいながらも、そこには確かな賞賛が含まれていた。

 

四人は地を這い、肺から空気を絞り出しながらも、激闘を制した玄雲の威容に、畏怖と熱烈な忠誠の視線を向けた。

 

そして訓練を蔭から見守っていた武器組最高幹部八煌断罪刃の一人、來濠 征太郎が弟子である雹護と結の前にゆくっりた立ち、口を開いた

 

「雹護。玄雲が烈華の刃を弾いた瞬間の『制空圏のブレ』を、読み取れなかったな。

そして結。位置取りは完璧だったが、最後のコンマ一秒、殺気を読ませた」

 

「げほっ……マジっすか……」

 

「ゆえに次回からは、さらに負荷を増やした稽古をつける。お前たち二人は視覚を封じた状態での連携を前提とする」

 

「……相変わらず、きびしー!」

 

雹護が石畳に突っ伏したまま情けない声を上げ、その横で結衣が無言のまま、真剣な眼差しでこくりと深く頷いた。

 

玄雲は四人に休息を命じると、己の精神の深淵へと意識を向ける。

そこには、先ほどの四本同時の白刃による「死の恐怖」と、玄雲が限界まで動いたことによる「精神的負荷」をすべて押し付けられ、白目を剥いて痙攣する『弟』の姿がある。

 

(……良い『触媒』だ。こいつの容量(キャパシティ)がある限り、俺は限界を超えられる)

 

パチパチパチ、と。

静寂に包まれた修練場に、ゆっくりとした拍手の音が響いた。

 

「素晴らしい組手でしたわ、玄雲様。四人も、よくやりましたね」

 

少し離れた暗がりから歩み出てきたのは、雨宮静華だった。

柔らかな笑みを浮かべた彼女の腕には、真新しいタオルと水差しが抱えられている。

彼女は倒れる四人へ労いの言葉をかけながら水を配り、最後に玄雲の前に立って、その汗ばんだ額をタオルで優しく拭った。

 

「…ありがとう、静華」

 

「……お見事でした。ですが、玄雲様」

 

静華はタオルで汗を拭いながら、その声色に微かな、しかし確かな『憂い』を滲ませた。

 

彼女の長年の鍛練と実戦によって研ぎ澄まされた感覚は、玄雲の放つ気の奥底にある、歪な淀みを察知していた。

 

(玄雲様の気の中に……微かにですが、悲鳴のようなものが混じっている。……これは、ご自身の精神の最も弱い部分を、無理やり切り離してすり潰しているのでは……?)

 

かつては『もう一つの自分』を庇うように立ち回っていたはずの玄雲が、今は明確にそれを『犠牲』にして武を成り立たせている。それはあまりにも危険な綱渡りだった。

 

いつか必ず、根本から精神が破綻する。

 

生みの親として、そして彼を愛する者としての純粋な心配から、静華はたまらず口を開いた。

 

「玄雲様……あまり、ご自身のお心に無理を強いてはなりません。己の内の弱い部分に全てを背負わせるような戦い方は、いつか必ず貴方自身を壊してしまいます。どうか、もう少し……」

 

「問題ない」

 

静華の懇願するような言葉を、玄雲は冷徹な、しかし確固たる意志を持った声で遮った。

 

「これはシステムの問題だ、静華。実戦において、恐怖や感情といったノイズは死に直結する。

ならば、それを隔離し、処理するための『機構』を酷使するのは、武人として当然の合理だ」

 

「ですが……それでは……」

 

「それに、この強さが必要なのだ」

 

玄雲の瞳の奥に、暗く、重い熱が灯る。

 

「この絶対の理こそが、煌臥之助(ちちうえ)の求める武の形。

……これで俺は、あの人に認められる。世戯の、真の『後継者』として」

 

「っ……」

 

その言葉を聞いた瞬間、静華は息を呑み、絶句した。

 

『世戯煌臥之助』──その絶対的な存在の影。

 

玄雲がこれほどまでに己を追い込み、自らの魂を歪めてまで強さを求める理由。

それはひとえに、あの冷酷無比な父親の期待に応え、存在を認められるためだった。

それを知っているからこそ、静華は何も言えなくなった。

 

代理母にすぎない自分が、玄雲の『世戯としての在り方』を否定することはできない。

もしこの無理な戦い方を止めさせれば、玄雲は煌臥之助から「失敗作」の烙印を押されることになる。

それは玄雲にとって、死よりも恐ろしい(魂の抹消)ことなのだ。

 

「…………はい」

 

静華は悲しげに目を伏せ、小さく頷くことしかできなかった。

行き場のない母性と純粋な心配を胸の奥に押し殺し、彼女はせめて今の彼の体を少しでも休ませようと、ただ静かに、優しくその額の汗を拭い続けるのだった。

 

そして、その強さが研ぎ澄まされるほどに内なる『(ちいかわ)』の精神が限界へと張り詰めていくことになる。

 

***

 

更に1年がたった。

 

天断島に吹き荒れる血の風の中、13歳となった玄雲の武は、恐るべき次元へと到達しつつあった。

 

防御においては、櫛灘流柔術と雨宮流捕手小具足術による『技10』の絶対的な『柔』。

攻撃においては、世戯煌臥之助の超人の剣、世戯流二刀剣術と

かつて世戯煌臥之助が数百年前、宮本武蔵(にんげん)だったころに遺した人としての武、二天一流の理を統合した暴虐の『剛』。

 

玄雲は、極限の脱力から生み出される『柔』の受け流しから、瞬時に致死の『剛』たる斬撃へと転ずる「剛柔の完璧な切り替え」を完全に己のものとしていた。

 

彼を囲む4人の側近たちもまた、その背中を追うように劇的な進化を遂げている。

 

烈華は、上段からの太刀の振り下ろしを主軸とした、圧倒的な破壊力と速度を誇る『動』の攻めを完成させつつあった。

 

小夜は、中段、下段の構えから、相手の死角と急所を容赦なく、かつ冷徹に穿つ『静』の突きを極めようとしている。

 

玄雲と同い年の13歳となった雹護は、空間を縦横無尽に飛び回るアクロバティックな体術と果断な連続攻撃を武器とする『動』タイプの武術家として開花。

 

同じく13歳の結は、まるで闇に溶け込む暗殺者のように、気配を絶ち、静かに確実に標的の命を刈り取る小太刀術の『静』としての側面を研ぎ澄ませていた。

 

この5人の連携は、もはや一つの完全な殺戮陣形を形成していた。

 

日常的に行われていた天断島の若衆たちによる襲撃訓練も、

今や「単なる数では彼らの稽古相手にすらならない」と判断され、頻度は激減。

 

代わりに、年に数度、確実に彼らを仕留めるための周到な準備と罠を張り巡らせた「不定期な大規模襲撃」へと形を変えていたが、それすらも玄雲たちの歩みを止めるには至らなかった。

 

――だが、その絶対的な完璧の中に、微かな、しかし致命的な「歪み」が生じ始めていた。

 

それに最も早く気付いたのは、玄雲の武を誰よりも間近で、冷徹な『静』の眼差しで見つめ続けていた小夜だった。

 

ある日の木刀による組手でのこと。

 

玄雲は個々の練度の確認として1対1での組み手を側近たちと頻繁に行っていた。

 

棟梁たるもの率いる者達が個々人に出来ることを常に正確に掌握する必要がある。

 

故に有効かそうでないかを考慮することなく常に自分にできることの全てを

1対1での訓練の際に自分に見せることを申し付けていた。

 

小夜は言われた通り、戦術の一環として、ふとした身のこなしで己の袴の裾を乱し、豊かな太ももを、そして道着の隙間から白磁のような乳房の谷間を意図的に晒す「視線誘導」による隙を作ろうとした。

 

本来の玄雲であれば、そのような物理的な情報など『空の心』によって即座に無価値なノイズとして切り捨て、最短距離で小夜の喉元を砕いているはずだった。

 

しかし。

 

玄雲の視線が、ほんの一瞬、小夜の肉体に吸い寄せられ呼吸が乱れたのだ。

その致命的な遅滞を突き、小夜の木刀が玄雲の首筋にピタリと止められた。

 

「……玄雲様」

 

小夜の声には、勝利の歓喜はなく、底知れぬ戦慄が混じっていた。

 

玄雲の表情は能面のままだったが、その内側では、かつてないシステムエラーが吹き荒れていた。

 

原因は明白であった。

 

度重なるストレスによって『転生者(ちいかわ)』が『玄雲の肉体』その情動を受け止められなくなってきたのである。

 

そもそも、玄雲の精神構造は極端な役割分担の上に成り立っている。

魂の原型である『転生者』が、煌臥之助の精神破壊(マインドクラッシュ)から生き延びるために生み出した防壁であり、完璧な殺人剣のペルソナが『玄雲』だ。

 

『玄雲』にとっての悦びとは、妖刀として敵を屠り、武の高みへと至ることのみ。

 

生きるため、戦うために矢面に立つ『玄雲』が『空の心』を維持できるよう、あらゆる感情のゴミを『転生者(ちいかわ)』が深淵で受け止めてきた。

 

だが、この共生関係のバランスは崩壊の危機に瀕していた。

 

殺人剣としての鍛練によって頻繁に命の危険を迎えたことによる大きなストレスによる摩耗。

 

順調な肉体の成長による情動の肥大化を摩耗した魂が対処しきれなくなってきている。

 

内分泌系から絶え間なく湧き上がる凄まじい熱量は、もはや『転生者(ゴミ箱)』の許容量をオーバーフローし、『玄雲』の澄み切った『空の心』へと逆流し始めていたのだ。

純粋な殺人剣であるはずの刃が、生物としての「雌を求める本能」によって錆びつこうとしている。

 

その夜。

 

小夜は、玄雲の私室を一人で訪れた。

 

「後ほど一人で来い」

 

その主君の言葉に従ったからだ。今のところ、烈華にも静華にも告げていない。

 

静寂の中、月明かりに照らされた玄雲は、自身の掌を見つめながら淡々と事実を告げた。

 

「……肉体の成長に伴う、生理的ノイズの増大。致命的な欠陥だ。このままでは、俺は完璧な剣でなくなる」

 

己の欲求すらも、まるで他人の肉体の不具合のように冷徹に分析する玄雲。

だが、その奥底で、処理しきれない熱情に怯え、泣き叫んでいる『転生者(ちいかわ)』の気配を、小夜は確かに感じ取っていた。

 

(ああ……なんという、痛ましいほどに純粋な剣)

 

小夜は静かに歩み寄り、その場に端座すると、深く頭を下げた。

 

「その『熱』……私がお引き受けいたします」

 

「……小夜?」

 

「武術家としての高みを目指す玄雲様にとって、その生物としての欲求は不要な『ノイズ』。ならば、私が玄雲様の『鞘』となり、その穢れを全て吸い上げ、浄化いたしましょう」

 

それは、女としての誘惑ではなく、狂信的なまでの忠義から出た「提案」だった。

小夜は静かに道着の帯を解き、滑らかな肌を月光に晒す。

玄雲の眼に、再びノイズが走る。

 

玄雲は、一切の躊躇なく、その提案を「合理的な解決策」として受諾した。

 

     * *

 

儀式が終わった時。

小夜の白い肌は、吸収しきれないほどの熱を帯びて汗に濡れ、荒い息を吐いていた。

対照的に、玄雲の瞳からは一切の迷いが消え去っていた。

 

「……ノイズ、消失。気の遅滞、クリア。……完璧だ」

 

自身の肉体を見下ろす玄雲の心は、再び曇りなき『空の心』を取り戻していた。

それは、純粋な殺人剣を維持するために、彼らが踏み入れた禁断の共依存。

以後、小夜による『排熱処理』は、玄雲の武を支える不可欠な「儀式」、神聖なものとして

組み込まれていくこととなる。

 

世戯煌臥之助による精神破壊(マインドクラッシュ)の恐怖から

「魂の原型」を守るため、防衛機構として産み落とされた疑似人格。

それが『世戯玄雲』の始まりであった。

 

しかし、幼少期から肉体の主導権を握り、地獄の鍛錬を越え、人を斬り、

死線を潜り抜ける中で、ひとつの明確な「自我」が確立されていた。

 

──剣を振るう悦び。

──殺人剣として敵の命を刈り取る瞬間の、あの背筋が凍るような全能感。

──武の頂(いただき)へ向かって己の肉体が進化していく圧倒的な高揚。

 

玄雲は今や、防衛機構などという受動的な存在ではない。

この練り上げられた肉体の、そしてこの人生の「真の主人」は己であるという確固たる自覚があった。

 

玄雲は、研ぎ澄まされた水鏡のような精神空間の底を見下ろしていた。

 

意識の深淵、厚い氷の壁の向こう側。

そこには、無理やり押しつけられ限界まで膨れ上がった情動を

先ほどの儀式(メンテナンス)で排熱処理され安らかに眠る「もう一つの魂」がうずくまっている。

 

元の魂。

 

玄雲は冷徹な思考の中で、その存在に『利用価値』があると判断した。

 

「……愚かで、脆弱な半身。だが、無価値ではない」

 

玄雲の思考には、一切の感情が交じっていなかった。あるのは純粋な武術家としての恐るべき合理性のみ。

 

かつては「『弟』を守護する」という目的が、玄雲を動かす基盤であり生み出された目的だった。

 

しかし、今の『玄雲』は武術家として鍛え上げられ成長し、その自我を確立させた。

 

武の極致を目指す今の玄雲にとって、弟の存在はもはや「足枷」になりつつあった。

 

弟が抱える恐怖、痛み、凡人としての倫理観──それらが微小なノイズとなって、完全なる殺人剣

の軌道をわずかに鈍らせるからだ。

 

ならば、どうするか。

殺すか? 完全に消滅させるか?

 

否。玄雲の冷酷なる知性は、より高次元の解答(エゴイズム)へと到達する。

 

「俺の研鑽の為に、『弟』は徹底的に利用する。限界まで搾取する」

 

玄雲は、自身の内なるシステムを再構築する青写真を練り始めた。

弟は、『守る対象』でありその為に『空の心』を振るっていた。

 

()()()()()()()()()()()

 

『玄雲』がより高みに立つため、『空の心』を維持し使う為の『触媒』として利用する。

武術的リソースとして積極的に『酷使』するのだ。

 

恐怖、苦痛、躊躇その他の戦闘中にノイズとなるものは全て『弟』に押し付ける。

 

そして()()()()()()()先ほどのように()()()()を行い『弟』をメンテナンスする。

 

そうすれば玄雲は煩わしい肉欲にも感情にも左右されることなく常に澄み切った『空の心』で剣を握ることができる。

 

「お前はそこで、永遠に泣き、怯え、苦しみ、快楽に喘いでいればいい。俺が武の頂きに至るための、最高の『触媒(イケニエ)』として」

 

精神空間の底で眠る弟へ向け、玄雲は冷酷極まりない宣告を落とす。

 

「案ずるな。この肉体は俺が完璧に御してやる。お前の苦痛を代償に、俺は神仏すら断ち切る剣となるのだから」

 

自らを産み出した本来の魂を、単なる「ブースター兼デコイ」へと貶めた瞬間。

世戯玄雲という人格は、完全なる「肉体の主」としてのエゴを獲得した。

それは同時に、彼が父・世戯煌臥之助の狂気と冷徹さを真に受け継いだ、本物の『魔人(殺人剣の申し子)』へと羽化し始めたことを意味していた。

 

…人間の心がそのように上手く回るはずもないのに

 

 

 

 

 




ちいかわ(ちいさくて哀れな魂)、自分が作った妖刀に裏切られてて草

小夜との儀式はそのうちどこか別の場所でお出しするかも?
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