福も災い 転ずれば 尊き龍の 世は巡り いまぞ変革 訪れぬ
『雲霞のごとく世を覆い、』
「我々がすべてを掌握するのだ」「我が家は天を治める器。けして人の下になどと…」「我らが名は天より上に在る!世のすべては雲霞の影にひれ伏すべきだ!」「支配こそ正義だ。我らが歩む道を拒む者は、皆、踏み潰せばよい!」「雲霞の名に従わぬ者など、世に存在する価値すらないわ!!」
『穢れを寄せず、』
「穢れた血を入れるなど断じて赦さぬ!」「尊き龍の血を物の怪の血で穢す気か!?」「英吉利の血を入れるのすらなんと屈辱的であったことか…」「血を濁すな!我らの血脈は選ばれしもの、混ざり物など……恥をしれ!!!!」
『大義を継ぐべし』
「龍の血を継ぐのだ!!永遠に!!!」「すべては我らが祖の御心のままに…」「栄光を絶やすな!血を絶やすな!“理”を永遠に継げ!」
雲霞は止む。
流転の理は──いま断たれる」
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雲霞家の屋敷に、紙を擦る音だけが響いていた。双子は机に向かい、白い札に筆を走らせている。今日の宿題は「呪いを込めた札を三枚」───これがなかなか面倒くさいのである────それを兄に見せ、印をもらわなければならない。本来なら父・隼水が見るはずだが、彼は今日も家の会議と外務で戻らない。改革の渦中にある当主に、子どもの宿題を見る時間はないのである。
広い座敷の空気は冷え、墨の匂いが静かに漂っている。障子越しの光は薄く、夕刻の影が床に長く伸びていた。
双子の兄、
札を乾かし終えたアサヒは、墨で汚れた手をぱっと払う。その動きには、いつもよりわずかに軽さがあった。──ホグワーツに行ける。その期待が胸の奥で静かに膨らんでいる。
墨まみれにした手を洗った双子は、いつものように長兄・
廊下の奥、海雄の部屋の前まで来ると、アサヒは一度だけ小さく息を吸った。普段なら無表情のまま立つだけだが、今日は胸の奥がわずかにざわついている。
──ホグワーツ。その言葉が、静かに、しかし確かに彼の心を乱す。常に彼は冷静でなければならない。心を安らかに保たなければならない。それでも、憧れをとめられない。
アサヒは指先で襖を軽く、とん、と叩いた。その音は、静まり返った廊下に小さく吸い込まれていく。
「兄上、今、入ってもいい?宿題を見てほしいんだ」
声はいつも通り落ち着いている。だが、ほんのわずかにだけ、語尾が軽い。自分では気づかない程度の変化──けれどヨヅキは、片割れの高まり続ける興奮を感じる。
襖の向こうで、紙を置く微かな音がした。海雄がこちらに意識を向けた気配が、静かに伝わってくる。
「───入れ」
低く、よく通る声だ。感情を大きく揺らすことはないが、弟妹に向けるときだけ、その声音にはどこか柔らかい“余白”が生まれる。
襖を開けると、海雄は机に向かったまま、筆を置いた姿勢でこちらを見ていた。深い海の底のような静かな眼差しが、双子を迎える。
海雄の部屋は雲霞家の他の部屋とはまるで違う空気をまとっていた。広さはあるのに、どこか落ち着いている。余計な装飾はほとんどなく、必要最低限の家具だけが整然と置かれていた。物欲の薄い彼らしい、静かな空間だ。
だが、その中でひときわ目を引くものがある。机の端に置かれた、小さな折り紙の龍──よく折ったな?──幼い弟妹が折ったものだ。色は少し褪せているが、海雄は捨てずにずっと置いている。棚の上には、拙い字で「かいゆうにいさまへ」と書かれた手紙────本棚には絵本や『子どもの育て方』なんて名前の本───わざわざ買うほど?────小さな手で編んだ不格好なミサンガ。
いつも通りの光景ながら若干ほっこりしつつアサヒは札を胸に抱え、一歩前へ出る。その足取りは、やはりいつもよりわずかに軽い。
アサヒは胸に抱えていた6枚の札を、そっと両手で持ち直した。白い紙の端には、乾ききらない墨の匂いがまだ残っている。
海雄の机の前まで進むと、そのまま妹のものと一緒に札を差し出す。その動作は、今日はどこか、ほんのわずかにだけ軽い。
「兄上。……宿題の札、見てくれる?」
淡々とした声。だが、海雄には分かる。アサヒの声の奥に、いつもより少しだけ“揺れ”があることを。
ヨヅキは兄の背中に影のように寄り添っている。彼女は何も言わない。部屋に入れてくれる時の海雄が宿題を見ないことはなかったからだ。
海雄は筆を置き、ゆっくりと手を伸ばした。その手つきは、雲霞家次期当主候補───絶対になれないのだが───としての厳しさではなく、弟妹を扱うときだけ見せる柔らかさだった。
「見せろ」
短い言葉。しかしその声音には、確かな温度がある。アサヒは6枚の札を両手で差し出した。
海雄の指先が札に触れた瞬間、アサヒの胸の奥で、期待がひとつ跳ねた。
手紙が届いたのは、一週間ほど前のことだ。
その日は、少し特別な日だったけど、アサヒとヨヅキはいつも通り自室に戻った。ただ一つ違っていたのは──机の上に、見慣れない封筒が一通、ぽつんと置かれていたことだ。何やら分厚い、重い、黄色みがかった羊皮紙の封筒。切手は無い。
表には、エメラルド色のインクの、流れるような筆致でこう記されていた。
炎墨道壱ノ結界裏
雲霞家本邸・夕映の間
旭氷・ペンドラゴン=雲霞 様』
その瞬間、アサヒの胸の奥で、何かがはっきりと音を立てて弾けた。
ずっと遠くにあると思っていた扉の取っ手に、急に手が届いてしまったような感覚。ヨヅキは封筒とアサヒの顔を交互に見つめるだけだったが、片割れの興奮が、皮膚を通して伝わってくるのをはっきりと感じていた。
興奮で震える手で封筒を裏返す。あんなにも焦がれた、紋章入りの紫色の蝋で封印がしてあった。真ん中には大きく"H"と書かれ、その周りをライオン、鷲、穴熊、ヘビが取り囲んでいる。
「……ホグワーツだ」
アサヒはそう呟いたきり、しばらく封を切れなかった。
開けてしまえば、もう戻れない気がしたからだ。───それでも、指先は震えながらも確実に、封を切る方向へと動いていった。
──────海雄がお札を確認するほんの僅かな時間に生まれた、思考の隙間。たった少しの隙に、ホグワーツはあっさりと入り、大きなって、アサヒの心を、思考を埋めていく。多くの人間が一堂に介しているというのに、家族以外からの祝福はない、いつもの誕生日。ホグワーツの手紙が届いたあの夜のことが、少し目を閉じただけでアサヒの脳裏に浮かぶ。
あの日の興奮を思い出して熱を帯び出す体を、そっと抑える。すると、海雄が札から顔を上げてこちらを見た。
「良くできている。父上が見ていたら額縁に入れていただろうな」
「ありがとう、これほど父上が居なくてよかったと思ったことはないよ」
「俺が入れてもいいが」
「やめて」
軽い冗談を交えながら札を返してもらう。───差し出したのは札だけではない。札の間にこっそりとメモを仕込んでいた。内容は…『ホグワーツに行きます』それだけで優秀なこの兄は理解してくれるという確信があった。ペラペラとめくってみるが…いつの間にか、きちんとメモは回収されていた。兄が手品上手なのかそれとも俺の気がそぞろだったのか…後者だろう。
「冗談だ。しかし、本当に良くできていた。父上に報告しておこう」
「うーん…兄上に褒められると照れるな──あ、一緒に手紙を送るように伝えといて?」
「了解した。要件はこれで終わりか?」
「ああ…うん、多分そう。早めによろしくね、兄上。おやすみ」
「おやすみなさい、兄上」
「おやすみ、二人とも」
決して足音を立てないように気をつけながら、はんば走ってるみたいな速度の早歩きでシャカシャカ部屋に戻る。ホグワーツに行くための最大のミッションが完了した。
「ふう…もう喋って良いよ」
「…ホグワーツに行くための準備を父上に頼むよう言わなくてよかったの?」
「壁に耳あり障子にメアリーってよく言うだろ?それに兄上との冗談、あれが頼みごとさ」
「そうなんだ」
「……もうちょっと詳しく聞いておくれよ。スパイみたいな会話ができて楽しかったのに」
「じゃあ聞くね」
「うん…まず父上への報告っていうのは宿題の出来に対してじゃなくてホグワーツに俺たちが行くということの報告。それで手紙は、俺達宛に送るんじゃなくて入学を希望するという返事をホグワーツに送ってほしい、て感じ」
「へえ」
「後はまあ、父上が準備してくれるだろうから俺たちはそれまでマホウトコロにステイだな。どうせ4カ月後にはホグワーツに行けるからサボってもいいけど」
「そう。じゃあ、おやすみ」
「…もうちょっとさぁ〜…感想とかさぁ〜…なんかないの〜?」
「…………すごい?」
「……お前がそういうのに疎いのは知ってるけどさ…まあ、うーん、ズレてはないか…」