ハリー・ポッターと龍の終焉   作:葵野原

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新しい家

2ヶ月後。海雄にメモを渡してから、季節がひとつ変わろうとしていた。その間、俺たちの生活は何一つ変わらなかった。つまらないマホウトコロ──腫れ物扱い──陰湿な大人。早く、イギリスに行きたかった。ホグワーツに行きたかった。俺の居場所に行きたかった。ここは少し……息が詰まる。

別に、ホグワーツに行ったからといって俺たちがこんな扱いを受ける原因は消えない。それでも、何か変わるだろうと──大きな期待を抱いていた。

 

それなのに、この2ヶ月、父親からは何のアクションもない。

ちゃんと伝わっていたのか?

手紙は届けてくれたのか?

イギリスにはいつ行けるのか?

期待が膨らむにつれて、不安もどんどん大きくなる。落ち着け。体の中からあふれ出しそうになった魔力を押しとどめる。皮膚の下で、熱い水が泡立つように蠢く。──この体は、前世に比べて実に不便だ。

人の身には余る強力な力は、精神に密接して最悪な事態を引き起こす。精神が乱れると、子どもの癇癪のように暴走してしまう。だが、その規模は子どもの癇癪では済まない。

 

俺は……他の兄妹に比べて、力が精神に影響を受けやすいらしかった。そして暴走した力が、さらに精神状態を悪化させる。クソみたいな相互作用だ。海雄が言うには、俺の心が龍よりも人に近いかららしい。

そりゃそうだろ。俺は前世から何一つ変わっていない。龍の精神になれない。なりたくない。魔力を押し込めていると、襖の向こうから声がした。

 

「お坊ちゃま、当主様がお呼びです」

 

その瞬間、胸の奥で何かが跳ねた。期待か、不安か、それとも──。

 

 

案内役の家人に続いて歩く廊下は、いつもより静かに感じた。胸の奥で、熱いものが脈打っている。

抑えろ。抑えろ。

魔力が皮膚の下で泡立つように揺れるのを、必死に押しとどめる。襖の前で家人が膝をつき、静かに告げた。

 

「当主様。お連れいたしました」

 

「入れ」

 

その声は低く、澄んでいて、どこか水面のような静謐さを帯びていた。威圧ではない。───だが、逆らえない“深さ”がある。襖を開けると、父・隼水が座していた。

白い指先で茶碗を持ち、ゆっくりと湯気を払う仕草は、まるで雅楽の一節のように滑らかだった。海雄が一歩前に出て、深く頭を下げる。俺とヨヅキもそれに倣った。

 

「顔を上げなさい」

 

静かだが、よく通る声だった。

 

「アサヒ。ヨヅキ。

 お前たちの英国行きの手配は、すべて整えたよ」

 

その一言で、胸の奥が跳ねた。

抑えろ。抑えろ。

魔力が喉元までせり上がる。瞳孔が細くなるのを感じる。

 

「ホグワーツ魔法魔術学校への入学許可証は確認した。渡航の許可も降りた。向こうでの生活基盤も整えてある」

 

淡々と告げる声は、まるで雨上がりの水面のように静かだった。

 

「案内には海雄をつけよう。クィディッチの試合で英国魔法界に土地勘があるからね。あれから何年か経つが…まあ、そんなに変わってないだろう」

 

横に立つ海雄は、わずかに目を伏せた。誇りでも謙遜でもない。

ただ、事実として受け止めている静かな姿勢──兄上が、イギリスに───兄上が、俺たちを。胸の奥が熱くなる。

抑えろ。抑えろ。

魔力が指先を震わせる。

隼水は茶碗を置き、こちらをまっすぐ見た。

 

「長期休暇には必ず帰ってきなさい。雲霞家の者としての務めは、どこにいても変わらない」

「……はい」

「それはそれとして家族との時間は大事だからね。忙しくしてる私が言えたことではないけれど」

 

声が震えそうになるのを、必死に押し殺した。隼水の視線が、ヨヅキへと移る。

 

「ヨヅキ。お前も、分かっているね」

 

ヨヅキは瞬きを一度だけして、ぼんやりとした声で答えた。

 

「……入学許可証が届いたから、行く。それだけ、です」

 

隼水は微かに目を細めた。叱責でも失望でもない。ただ、ヨヅキという存在を“そのまま”受け止める静かな眼差し。

 

「それでいい」

 

短い言葉だったが、ヨヅキの肩がほんのわずかに緩んだのを、俺は見逃さなかった。隼水は最後に、俺たちをゆっくりと見渡した。

 

「……行きなさい。龍の血を継ぐ者として、恥じぬように」

 

その声音は、静かで、深く、そしてどこか遠かった。胸の奥で、熱が爆ぜた。

抑えろ。抑えろ。

今ここで暴走するわけにはいかない。海雄がそっと俺の肩に触れた。その一瞬で、魔力がすっと引いていく。

 

「行こう、アサヒ」

「……ああ」

 

こうして、俺たちの世界は、静かに動き始めた。

 

 

───────────────

 

 

 

 

霧の匂いがした。

飛行機を降りた瞬間、肌に触れる空気が日本とはまるで違う。乾いているのに、どこか冷たくて、重い。────イギリスだ。胸の奥が跳ねた。空気が違う。冷たく乾いた風が頬を撫で、遠くで車のクラクションが短く鳴る。日本の湿った空気とはまるで別の世界だ。ここでは、呼吸が少しだけ軽い。

抑えろ。抑えろ。

魔力が皮膚の下でざわつく。海雄はそんな俺の様子を横目で見て、いつもの静かな声で言った。

 

「深呼吸しろ、アサヒ。魔力が漏れている」

「……してる」

「していない。ほら」

 

海雄の指先が肩に触れた瞬間、暴れかけていた魔力が、まるで潮が引くように静まった。兄上は、俺の“境界”をいつも正しく見ている。

ヨヅキはというと、スーツケースを引きながらぼんやりと空を見ていた。

 

「……曇ってる」

「イギリスはだいたいこんなものだ、ヨヅキ」

 

海雄が答えると、ヨヅキは「ふうん」とだけ返した。空港の外に出ると、黒い車が一台、静かに待っていた。運転手は無言で頭を下げ、俺たちを乗せる。車はロンドン郊外へ向かって走り出した。窓の外に広がる石造りの家々、赤いバス、古い街並み。どれも見たことのない景色で、胸の奥が熱くなる。

抑えろ。抑えろ。

魔力がまた震える。海雄が小さく笑った。

 

「そんなに興奮するな。まだ家に着いていないぞ」

「……無理だよ。兄上、俺、ずっと……」

 

言葉が喉で詰まる。

“ここに来たかった”

その一言が、どうしても言えない。海雄は窓の外を見ながら静かに言った。

 

「分かっている。お前たちは……日本では、あまり良い扱いを受けなかったからな」

 

その言葉に、胸の奥が少しだけ痛んだ。

 

「雲霞家は格式が高い。だが同時に、龍の血以外を受け入れないあの家は……日本魔法界では恐れられ、疎まれる」

 

雲霞家は格式だけなら日本魔法界でも指折りだ。だが“龍の血”という異質さは、敬意よりも恐れを呼ぶ。他の貴族がマグルを受け入れ、最低限の純血だけを保つ方向に向かっているのに、ただ龍の入った純血しか受け入れない雲霞家は排他的すぎた。俺たちはいつだって、遠巻きにされていた。

 

「……知ってるよ」

「だからこそ、ここでは気を張りすぎるな。お前たちは“良家の子”として扱われる。日本とは違う」

 

その言葉に、胸の奥で何かがほどけた。

車が止まった。目の前に広がったのは、古い石造りの小さな屋敷だった。美しく蔦が絡まり、庭には手入れされた芝生。────まるで絵本の中の家だ。

 

「……ここ、が……?」

「そうだ。ホグワーツに通う間、お前たちが住む家だ」

 

 

海雄が鍵を取り出し、扉を開ける。中は広く、静かで、どこか懐かしいような温かさがあった。胸が、また跳ねた。

抑えろ。抑えろ。

魔力が爪先からつむじまで震える。海雄が振り返り、静かに、しかし確かな声で言った。

 

「アサヒ。ヨヅキ。ここから先は、俺が“秘密の番人”になる。お前たちの居場所を守るのが、俺の役目だ。といっても、ここに住むことはあまりないだろうがな。」

 

その言葉に、胸の奥が熱くなった。確かに、俺たちは長期休みには日本に帰るから、ここに住むことは少ないだろう。それでも…

 

ヨヅキはぼんやりとした声で言った。

「……ここが…私たちの家…」

 

「そうだ、ヨヅキ」

海雄が微笑む。

「ここが、お前たちの“家”だ」

 

俺は、抑えきれずに小さく息を吸った。──やっと、来た。

 

 

「秘密の番人が名を記した家は、その名を知らぬ者には“存在しない家”になる。地図にも、魔法にも、探知にも映らない」

 

海雄の声は静かだが、確かな重みがあった。

 

「だから、お前たちにこの家の住所を書いたメモを渡す。魔法の意味がかなり薄くなるがな」

「そっか、友達とかも俺じゃ家に呼べないのか…。うん、なくさないように気をつけるね」

「くれぐれも、落としたりいたずらに人に見せるな。分かっていると思うが」

「別にバレても、問題無い…襲ってくる奴、みんな殺す」

「やめろ。くれぐれも、いいか、本当に、くれぐれも、無くしてくれるなよ。大事な妹を殺人鬼にしたくない」

 

 

絶対に無くせなくなってしまった。ヨヅキは本当にやりかねない。

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