古い記録を年代順に並べる作業は、一日では終わらなかった。
人間と天族の契約に関する資料。
導師の活動記録。
従士の記録。
宗教文書。
古い術式書。
保存状態の悪いものも多い。
セルディアだけでは足りず、各地の寺院や文書庫にも写しを依頼した。
スレイとミクリオからも、遺跡で見つけた碑文や古い導師記録の転写が送られてくる。
ユトは年代ごとに仕分けた。
およそ千年前。
人間と天族が契約する記録は存在する。
しかし、人間側へ真名を与えたという記述は見つからない。
八百年前。
まだない。
六百年前。
一部の資料に、人間へ古代語による名を与える記録が現れ始める。
五百年前ごろ。
記述が増える。
四百年前。
かなり一般的になる。
三百年前。
導師と従士の契約手順として、ほぼ当然のように記載されている。
ユトは机の上に年代表を広げた。
サイモンが向かいから覗き込む。
「随分増えたな」
「はい」
「結論は?」
「約五百年前ごろを中心として、人間の従士へ真名を付与する運用が定着し、その後標準化した可能性が高いです」
「それ以前は?」
「少なくとも、必須手順であったとは確認できません」
ロゼも資料を見る。
「じゃあ、アイゼンが『なんで人間に真名を付けるんだ』って言ったの、普通だったんだ」
「千年前の知識としては不自然ではありません」
「スレイは?」
「現代の導師実務として正しいことを言っています」
「二人とも合ってる?」
「それぞれが知る時代の運用については、はい」
ロゼが笑った。
「それであんなに噛み合わなかったんだ」
ユトは笑わなかった。
資料をもう一度見る。
「ただし、年代表から確認できるのは運用の変化です。真名そのものの成立機構が異なることまでは証明できません」
「まだ結論じゃないんだ」
「はい」
ユトは二枚の紙を並べた。
一枚目。
《天族》
本人が自分で認識する場合がある。
本人以外が先に認識する場合がある。
契約以前に認識される場合がある。
契約時に他者から与えられる場合がある。
契約相手が変わっても、同一の真名が維持される――仮説。
二枚目。
《人間の従士》
現代では契約時に導師が付与する。
約五百年前ごろより前には、必須ではなかった可能性が高い。
導師が任意に作る場合と、対象の存在から読み取る場合を区別できていない。
ロゼが二枚を見比べる。
「違うね」
「観測されている運用は異なります」
「じゃあ、別物?」
「まだ断定できません」
ユトは新しい分類を書こうとした。
《天族固有真名》
そこで、筆が止まる。
「どうしたの?」
「『固有』と呼ぶためには、同一の天族に対して唯一であり、関係が変わっても不変であることを確認する必要があります」
「確認してないの?」
「現在は仮説です」
言い終わるのとほとんど同時に、研究所の扉が叩かれた。
各地へ依頼していた写しの追加分だった。
ユトは封を開ける。
一枚目には、古い時代の聖隷―天族の古い呼び方―ビエンフーについて記されていた。
《契約者――マギルゥ》
《真名――フューシィ=カス》
別の記録。
《契約者――エレノア》
《真名――イジューム=ハイ=リィ=エジャム》
「同じやつ?」
「同じ個体です」
「真名は違うけど」
「はい」
ユトは二つの記録を並べた。
容姿。
言動。
契約時期。
契約相手が変わった経緯。
前後の記録は連続している。
別個体に同じ通称が用いられた可能性は低い。
サイモンが一枚目の紙を指す。
「仮説に反例が出たな」
「はい」
ユトは、
《契約相手が変わっても、同一の真名が維持される》
という行へ二重線を引いた。
さらに、もう一通の手紙が届いていた。
差出人はマオテラスだった。
『アイゼンから、真名を知らない天族が人間と契約したいと聞いたよ。
僕には、エレノアと契約する前にも、ヴォルデュ=スニーという真名があった。ただの番号だけどね。
でも、エレノアと契約した時には、その名を使ってない。
エレノアが僕をマオテラスと呼んだ時、僕にも、それが今の僕を示す名だと分かった。
だから、契約する前から今の真名を知っていなくても大丈夫な場合があると思う。
ただ、どうして分かったのかと聞かれると、うまく説明できないんだ。
あの時は、ただ、分かった』
ユトは最後まで読んだ。
もう一度読む。
「どう?」
ロゼに、ユトは答えた。
「同一個体に異なる真名が成立した事例を確認しました」
「じゃあ、『天族固有真名』は?」
ユトは、書いたばかりの文字を見る。
《天族固有真名》
《固有》へ二重線を引いた。
代わりに書く。
《天族側真名》
《人間従士側真名》
「以後、研究上はこの二つへ分けます」
「結局、別物ってこと?」
「いいえ。誰に対して用いられた真名かを区別するための仮称です。成立機構が二種類あるという意味ではありません」
「面倒だね」
「非常に」
ユトは注意書きを加える。
『現代語及び史料中では、天族側真名と人間従士側真名の双方が「真名」と記載される場合がある。年代、対象及び契約関係を確認すること』
『本分類は使用対象による便宜上の区分であり、成立機構の差を示すものではない』
サイモンが資料へ視線を落とした。
「天族側も、付ける場合と気づく場合がある。人間側も同じ可能性がある、ということか」
「はい。私自身の真名についても、スレイさんは、任意に作ったというより私という存在から読み取った可能性があると説明しています」
「ユイの真名もか?」
「はい。前回、私はユーゼクスを『以前のスレイさんが付けた名前』と説明しました。しかしユイは、その名を初めて聞いた時、『知っている気がする』と答えています。『付けた』だけでは現象を説明できません」
「綺麗には分けられないな」
「はい」
ロゼが机へ肘をついた。
「でも、人間の方の真名って、なんで五百年前ごろから付けるようになったの?」
「不明です」
「契約が安定するとか?」
「可能性はあります」
「従士が何人もいる時に区別しやすいとか」
「可能性はあります」
「じゃあ、それでいいんじゃない?」
「確認できていません」
「だよね」
ユトは仮説欄へ、
『契約安定化』
『複数従士識別』
『霊力経路指定』
と書いた。
いずれにも、
《未確認》
を付ける。
「約五百年間定着している以上、有用性が存在する可能性は高いです。ただし、後から追加されたことだけを理由に不要と判断することもできません」
「昔なくてもできたから、今もいらないとは限らない?」
「はい」
ここまで調べて、元の問題は少しだけ形を変えた。
青年と契約を希望している天族は、現在、自分へ向けられる真名を知らない。
だが、契約以前から唯一の正解を探し当てなければならないとは限らない。
一方で、適当な呼び名を付ければ真名になるわけでもない。
ユトは、それまでの資料を取り出した。
《契約成立条件候補》
《対象天族の真名が事前に判明していること》
二重線を引く。
その下へ書き直す。
《契約成立過程において、当事者間で天族側真名が認識又は成立すること――仮説》
さらに注記する。
『事前認識を必須としない可能性が高い』
『同一個体に複数の真名が成立した事例あり』
『差異の要因が、契約相手、本人の在り方、当事者間の関係又はその他の条件のいずれであるかは未確認』
『既存の名を認識する現象と、新たな名が成立する現象を現時点では判別できない』
ロゼが言った。
「じゃあ、あの二人は契約できる?」
「試行するための仮説は立てられます」
「解決?」
「いいえ」
「また?」
「マオテラスさんたちの事例から確認できるのは、真名が唯一不変とは限らないことと、契約前から現在の真名を知る必要がない場合があることです。真名が成立する条件は分かっていません」
ユトは新しい見出しを書いた。
《天族側真名の命名方法》
そこまで書いて、止まる。
二重線で消した。
《天族側真名の成立、認識及び変化の条件》
ロゼがそれを見る。
「質問が増えたね」
「はい」
「答えは?」
「現時点では、再現可能な共通手順を確認できていません」
「じゃあ授業では?」
「そのように説明します」