炎上論点スタンプラリー【TOZ】   作:Moa

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ゼンライ、セルディアに訪れる

聞き取りを終えた後も、ユトはすぐには紙を鞄へしまわなかった。

机の上には、書き終えた十五枚の紙が並んでいる。

当時認識していたこと。

後に判明したこと。

現在も分からないこと。

分けて書いた結果、最後の項目が最も多くなっていた。

 

外はもう暗い。

イズチの家々には灯りがつき、窓の向こうから夕食の支度をする音が聞こえていた。

 

ユトは紙を揃えてから、ゼンライを見た。

「ゼンライさん」

「何じゃ」

「もう一つ、お願いがあります」

ズイフウが嫌そうな顔をした。

「まだ増えるのですか」

「聞き取りではありません」

「本当でしょうね」

「現時点では、その予定です」

「その言い方は不安になります」

 

ゼンライは二人のやり取りを見て、少し笑った。

「聞こう」

「数日間、セルディアへ来ていただけないでしょうか」

「セルディアへ?」

「はい」

 

ユトは、まとめた紙の一番上を示した。

「今回確認した《共存》について、現在の実例と比較することには意味があると思います」

「現在の実例というのは、セルディアのことか」

「比較対象の一つです」

「共存の実例だとは、まだ言わないのじゃな」

「古代の誓約術式が、現在のセルディアを《共存》と判定するかは確認できていません」

ユトは少し間を置いた。

「ただし、現在一般に使用される意味では、人間と天族が共に生活している事例だと考えています」

 

スレイが身を乗り出した。

「オレも、ジイジに見てほしい」

「スレイ」

「だって、今日ずっと昔の話を聞いただろ。ジイジが今のセルディアをどう思うのか、知りたいよ」

ミクリオも頷いた。

「僕も興味がある。当時の共存を知る者が、今のセルディアをどう見るのかは重要だと思う」

 

ゼンライは最後にズイフウを見た。

「お前はどう思う」

突然尋ねられ、ズイフウが眉を寄せる。

「どうして私に聞くのですか」

「最近は、ほとんどあの街にいるそうではないか」

「一時的な滞在です」

「そうか」

「何ですか、その顔は」

「何も言っておらん」

 

ズイフウはしばらく黙っていた。

やがて、窓の外へ目を向ける。

遠く離れたセルディアは、ここからは見えない。

それでも、街の様子を思い出しているのだと分かった。

 

「来れば、分かります」

短く言った。

 

ゼンライの表情が少し柔らかくなる。

「お前がそこまで言うなら、見てみたいものじゃな」

「私は勧めたわけではありません」

「では、今のは何じゃ」

「比較に必要な情報を伝えただけです」

「ユトみたいなこと言ってるな」

スレイが笑う。

ズイフウは答えなかった。

 

イズチを長く空けるつもりはない。

それでも数日なら問題ないと、ゼンライは言った。

出発は翌朝に決まった。

 

***

 

セルディアへ戻ったのは、その翌日の午後だった。

 

街の入口には、出ていった時と同じ道がある。

並んだ建物も、市場から聞こえる声も変わっていない。

ユトとユイがいない間、一時的に人間側の知覚状態は変化した。

それでも、街の日常は止まらなかった。

 

一行が市場へ入る。

最初に声をかけられたのは、ユトではなかった。

 

「ズイフウ、おかえり」

 

荷物を運んでいた男が、片手を上げる。

ズイフウが足を止めた。

「……戻りました」

「この前の、昔の北の道の話。今度また聞かせてくれ」

「なぜですか」

「北へ行く商人が、昔はどこを通ってたか知りたいって」

「現在使える道と同じとは限りませんよ」

「それも含めて聞きたいんだよ」

「記録が残っている範囲だけです」

「十分だ」

 

男はそれで話を終え、荷物を運ぶ作業へ戻った。

ズイフウも動き出す。

 

少し先では、店先にいた女性が声をかけた。

「ズイフウ、留守の間に頼まれてた布、届いてるよ」

「私のものではありません。学校で使う分です」

「知ってる。研究所に置いとけばいい?」

「いえ、学校へお願いします」

「分かった」

 

ゼンライが隣のズイフウを見る。

「お前、ずいぶん馴染んでおるな」

「必要な話をしているだけです」

「名を呼ばれ、帰りを待たれ、預かり物まである」

「一時的な滞在でも発生しうることです」

「おかえりと言われておったぞ」

「聞こえていました」

 

スレイが楽しそうに笑う。

「もう、戻ってくる人だと思われてるんだな」

「私は一度も移住を宣言していません」

「誰も宣言したかどうか聞いてないだろ」

「そこが問題なのです」

「問題かなあ」

 

ゼンライは何も言わなかった。

ただ、もう一度市場を見た。

 

人間がズイフウの名を呼ぶ。

ズイフウがそれに答える。

頼み事をされる。

必要なら断り、必要なら条件を伝える。

その一つ一つが、あまりにも普通だった。

 

***

 

研究所では、エドナが待っていた。

 

扉が開く音に顔を上げ、帰ってきた四人を見る。

その後ろにいるゼンライで視線が止まった。

 

「……一人増えてるわね」

「ゼンライさんです」

ユトが答える。

「それは見れば分かるわよ」

「ご存じでしたか」

「スレイとミクリオの育ての親でしょ。前に会ってるわ」

「そうでした」

「忘れてたの?」

「確認しました」

「そう」

 

エドナはもう追及しなかった。

ゼンライへ軽く挨拶をしてから、抱えていた紙の束を机へ置く。

 

「はい。留守中の記録」

ユトの目が紙へ向いた。

「《任意観察記録票》ですか」

「そうよ」

「提出があったのですね」

「思ったよりね」

 

ユトはすぐに一枚目を取った。

その横には、イズチから持ち帰った古い誓約についての記録がある。

 

何万年も前。

人間と天族が共存する未来を願った者たちの証言。

 

数日前。

ユトとユイが街を離れ、人間から天族が見えにくくなった時の記録。

 

二つが、同じ机の上へ並んだ。

 

ユトは順番に読む。

『変化なし。以前と同様に三名の天族を視認可能』

 

次。

『学校の教師が見えなくなった。板書を増やして授業継続』

 

次。

『取引相手の声が聞こえなくなったため交流帳を使用。値段交渉に問題なし』

 

次。

『デゼルは見えなくなったが、来月の護衛依頼について相談できた』

 

その次で、ユトの手が止まった。

 

『友人が急に見えなくなった』

『自分だけ嫌われたと思って怖かった』

『筆談したら違った』

『見えなくなっただけだった』

 

ユトは少し考え、紙の端へ印をつけた。

 

最後に、エドナが書いた記録を読む。

 

『対象:エドナ』

『ユト及びユイ不在後、一部の人間から視認・聴取不能となった』

『人間による差が大きい』

『筆談により意思疎通可能』

『見えなくなった人間との関係について、現時点で消失を確認していない』

 

ユトが顔を上げた。

「エドナさん」

「何」

「『関係の消失』について、どのような基準で判断しましたか」

 

エドナは目を閉じた。

「ほら来た」

「何がでしょうか」

「絶対そこを聞くと思ったのよ」

「判断基準が記載されていませんでしたので」

「知ってるわよ」

「では、補足をお願いします」

 

エドナはため息をついた。

「前と同じように話した。向こうも同じように返事した。見えなくなったからって、避けられたり、話を終わらせられたりもしなかった。それでいい?」

「返事は筆談ですか」

「人によるわ。声だけ聞こえた人もいたし、全部駄目で板を使った人もいた」

「交流頻度に変化は?」

「そこまで数えてない」

「後から確認可能でしょうか」

「自分で聞きなさい」

「同意を得た上で確認します」

「本当にするのね」

 

ゼンライが小さく笑った。

エドナがそちらを見る。

「何よ」

「いや。スレイたちの手紙に書かれていた通りだと思ってな」

「何て書いてあったの?」

「ユトは、分からないことをそのままにはせぬと」

「いい書き方ね」

エドナはユトを見る。

「実際は、分かるまで質問をやめないって意味だけど」

「質問を終了する条件はあります」

「今は聞いてない」

 

ユトは記録票を揃えた。

古代の証言とは別の束にする。

それから、ゼンライへ向き直った。

 

「セルディアを案内します」

「頼む」

「ただし、先に私の解釈を伝えると、観察結果へ影響する可能性があります」

ゼンライが少し目を細めた。

「つまり、自分で見ろということか」

「はい。安全上必要な事項と施設の用途は説明しますが、人間と天族の関係について、私から評価は伝えません」

「徹底しておるな」

「また、観察後に感想を記録してもよいでしょうか」

「構わん」

「発言の一部を研究資料として使用する可能性があります」

「それも構わん」

「後から撤回することも可能です」

「分かった」

 

エドナが横から言う。

「街を見るだけなのに、ずいぶん大変ね」

「研究記録として利用する場合は必要です」

「はいはい」

 

ゼンライは再び笑った。

「では、好きに見せてもらおう」

 

***

 

最初に訪れたのは、市場だった。

 

人間の商人が、天族の店主を相手に値段を交渉している。

「あと二枚下げてくれ」

「無理だ。昨日仕入れ値が上がった」

「一枚」

「同じ商品を三つ買うなら」

「二つだ」

「なら下げない」

「頑固だな」

「お前に言われたくない」

 

結局、商人は最初に提示された額で二つ買った。

代金を払い、商品を受け取る。

次の約束をして、別れる。

 

狭義の祈りではなかった。

天族が一方的に人間へ恵みを与えているのでもない。

人間が天族を敬って頭を下げ続けることもない。

値段が高ければ文句を言う。

天族も安くする理由がなければ断る。

 

ゼンライは何も言わず、そのやり取りを見ていた。

 

市場の端では、デゼルが商人と話している。

「デゼル、来週の羊の件なんだけど」

「日付は変わってないな」

「変わってない。三百頭。人は八人」

「若いのは何人いる」

「去年生まれが四十頭くらい」

「峠を越えるなら、途中で一度数え直せ」

「分かった」

「水場は西を使え。東は数が多いと足場が崩れる」

商人が帳面へ書く。

「護衛料は前に話した額でいいか?」

「ああ」

「じゃあ頼む」

「引き受けた」

 

話が終わる。

商人はユトを見なかった。

許可を求めない。

デゼルへ依頼し、デゼルが自分で条件を確認し、自分で引き受けた。

 

ゼンライが尋ねる。

「今の者は、人間か」

「はい」

ユトが答える。

「天族へ直接仕事を頼んでおったな」

「はい」

「お前の許可はいらぬのか」

「私の仕事ではありませんので」

 

デゼルがこちらに気づいた。

「ユトか」

「ゼンライさんへ街を案内しています」

「そうか」

デゼルはそれだけ言い、立ち去ろうとする。

 

ゼンライの視線が、近くの掲示板へ向いた。

学校の《教えられること》の板だった。

 

《この辺の虫》

《動物の足跡》

《馬の様子》

《鳥》

《危険な草》

《風が変わる前の生き物》

 

デゼルは言った。

「まあ、虫については仕方なくやってるだけだ」

ユトも続ける。

「助かります」

 

***

 

学校では、人間と天族が同じ部屋にいた。

 

教師は天族だった。

生徒には、人間も天族もいる。

 

黒板には、前回の授業で使った文字が残っていた。

ユトとユイが不在だった日のものだった。

 

《今日は私が見えない者》

《では、筆談前提に進める》

 

ゼンライが文字を見る。

「これは?」

教師が答えた。

「数日前、一部の生徒から私が見えなくなった時に書いたものです」

「授業は続けたのか」

「はい。声が聞こえない者もいたので、普段より板書を増やしました」

「困らなかったか」

「時間はかかりました」

教師は少し考える。

「ですが、誰が授業をしているかは全員知っていました。私も、誰へ教えているか分かっていました」

 

生徒の一人が口を挟む。

「先生、字が多すぎた」

「お前たちが静かなら減らせた」

「無理だよ」

「なら次も増える」

 

教室に笑いが起きた。

教師も怒ってはいない。

 

別の机では、天族の子供が人間の子供へ、この地域で使う道具の名前を教わっていた。

その隣では、人間の子供が天族から古い地形について聞いている。

 

教える者と教わる者は固定されていない。

知っていることを話す。

知らないことを聞く。

相手が人間か天族かより、何を知っているかの方が先に扱われていた。

 

ゼンライは教室の端に立ち、長い間見ていた。

 

やがて子供の一人が近づく。

「おじいさんも天族?」

「そうじゃ」

「何を知ってるの?」

「何を、と言われてもな」

「教えられることある?」

ゼンライが少し困った顔をした。

「今来たばかりじゃ。まだ決めてはおらん」

「じゃあ、決まったら板に書いてね」

「ワシも書くことになっておるのか?」

「知ってることがあるなら」

 

子供はそれだけ言い、授業へ戻った。

 

ズイフウが小さく息を吐く。

「目をつけられましたね」

「お前も同じだったのか」

「私は違います」

「板に名があったぞ」

「一度話した内容を、勝手に追加されたのです」

「消してはおらぬのじゃな」

ズイフウは答えなかった。

 

***

 

学校を出た後も、ゼンライは街を見て回った。

 

研究所では、ユトが不在の間に進められた調査の報告が行われていた。

担当者はユトへ許可を求めるのではなく、結果だけを共有する。

不備を指摘されれば修正するが、次の作業を一からユトに決めてもらうことはない。

 

市場では、二つの店が荷車を置く場所について話し合っていた。

意見がまとまらないと、決められた市場担当者を呼ぶ。

すぐそばにユトがいても、誰もユトへ判断を求めなかった。

 

ロゼの店では、南へ送る荷物が積まれていた。

仕入れも価格も、ロゼと店員が決めている。

ユトは店先で道を塞いでいると言われ、一歩横へ移動しただけだった。

 

学校の時間割は教師たちが組む。

隊商の出発日は商人たちが決める。

共同設備の修理には担当者が呼ばれる。

困ったことがあれば、そのことを知っている者へ聞く。

 

ユトへ聞く者もいる。

しかし、それはユトが街の所有者だからではなかった。

誓約術式ならユトへ。

交易ならロゼへ。

地形ならミクリオへ。

動物ならデゼルへ。

古い時代ならズイフウへ。

 

役割が分かれていた。

 

夕方近く。

ゼンライがユトへ尋ねた。

「この街のことは、お前が決めているのではないのか?」

「いいえ」

答えは短かった。

 

「始まりには関わったのじゃろう」

「はい」

「最初の調査拠点を作り、人を集めたのもお前だと聞いた」

「人と天族が集まった理由は複数あります。私一人が集めたわけではありません」

「だが、何もなかった場所であったことは確かじゃ」

「はい」

「ならば、なぜ皆がお前へ聞かぬ」

 

ユトは少し考えた。

質問の意図ではなく、事実をどこまで説明すべきか考えている顔だった。

 

「私へ聞く必要のない事項だからです」

「必要がなければ、始めた者へも聞かぬのか」

「はい」

「不満はないのか」

「望ましい状態です」

 

ゼンライがユトを見る。

ユトは続けた。

 

「私が不在であることを理由に、街の機能が停止するのであれば、安定した運用とは言えません」

「お前がいなくても、この街は動く」

「今回、実際に確認できました」

「嬉しいか」

「はい」

 

今度の答えには、迷いがなかった。

 

少し離れたところで、ズイフウが二人を見ていた。

 

誰か一人が、全員を繋いでいるわけではない。

昨日、ズイフウがイズチで話したこと。

それが説明ではなく、街の動きとしてゼンライの目の前にあった。

 

***

 

その夜。

 

セルディアの外れにある低い丘で、ズイフウとゼンライは街の灯りを見ていた。

 

公共灯の光。

店先の灯り。

家の窓から漏れる光。

道を歩く人間と天族の声。

 

遠くから見ると、一つの街だった。

近くへ行けば、そこにいる者は何一つ同じではない。

 

食べるものが違う。

眠る時間が違う。

見えるものが違う。

生きる長さも違う。

 

それでも、同じ道を使っていた。

 

ゼンライが言う。

「お前がここにいる理由が、少し分かった」

ズイフウは街を見たまま答える。

「勝手に分かったようなことを言わないでください」

「違ったか?」

「……知りません」

「否定はせぬのじゃな」

「あなたは昔から、そういうところだけ見逃しませんね」

 

ゼンライは静かに笑った。

 

しばらく、二人とも何も言わなかった。

灯りの間を歩く人影を見ていた。

 

「ワシらが願っていたものとは、ずいぶん違う」

「そうですね」

ズイフウはすぐに認めた。

 

昔、希望は聖主の契約者にあると考えた。

人間と天族の双方へ届く力を持ち、まっすぐな意志で両者を繋ぐ人間。

その一人が現れれば、天界の門が開かれる日へ近づけると信じた。

 

「ここには、聖主の契約者はおらぬ」

「はい」

「導師はいる」

「ですが、スレイもユトも、全員の関係を一人で維持しているわけではありません」

「ユイの加護は、人間が天族を見る助けになっておる」

「それも事実です」

 

ズイフウは、数日前の街を思い出す。

ユトとユイが離れ、人間から天族の姿が見えにくくなった。

声が届かなくなった者もいた。

 

それでも、授業は続いた。

商売も続いた。

仕事の依頼も、友人との会話も終わらなかった。

 

「見えなくなっても、いなくなったことにはしなかった」

「聞いた」

「誰か一人の力が弱くなっただけで、すべての関係が消える街ではありません」

 

ゼンライは目を細めた。

「ワシらは、人間と天族がひとつになることを願った」

「はい」

「だが、あれらはひとつにはなっておらぬ」

 

市場の方から笑い声が聞こえた。

何かの値段を巡って、人間と天族がまだ言い合っている。

学校では、明日の授業に使う板を運んでいる者がいる。

天族には必要のない食事を、人間のために用意している店もある。

人間には見えないものについて、天族同士で話している者もいる。

 

同じものにはなっていない。

同じになろうともしていない。

 

ズイフウが言う。

「違うまま、共に暮らしているのです」

 

ゼンライはゆっくり頷いた。

「違うもの同士が、違うことを知ったままか」

「知らないことも多いでしょう」

「それでも、分からぬ時は聞く」

「聞かずに決めつける者もいます」

「喧嘩もする」

「毎日のように」

「ずいぶん不完全じゃな」

「完全なものなど、見たことがありません」

 

ゼンライは、また街を見る。

 

何万年も願い続けた。

何度も失敗した。

人間が天族を恐れたこともある。

天族が人間を見限ったこともある。

 

ここでも、すべてが解決したわけではない。

人間と天族の全員が互いを好いているわけではない。

街の外では、今も多くの者が相手の存在を知らない。

 

それでも。

「ワシは、これを共存と呼びたい」

ゼンライが言った。

 

ズイフウはすぐには答えなかった。

市場の男に「おかえり」と言われたことを思い出す。

学校の板へ、知らないうちに自分の名が追加されていたことを思い出す。

見えなくても会話をやめなかった者たちを思い出す。

 

「古代の誓約が、そう判断するとは限りませんよ」

「今は、ワシがどう呼ぶかの話じゃ」

「……そうでしたね」

 

ズイフウは少しだけ目を伏せた。

「私も、そう思います」

 

二人は、それ以上何も言わなかった。

同じ灯りを見ていた。

 

***

 

翌朝。

 

ゼンライは研究所の机の前に座っていた。

向かいにはユトがいる。

昨日の観察について、記録を取るためだった。

 

ズイフウ、スレイ、ミクリオも同席している。

 

「では、現時点での評価をお願いします」

ユトが言った。

「評価と言われてもな」

「見た範囲と、その理由を分けていただければ充分です」

「昨日一日しか見ておらぬぞ」

「観察期間の短さも記録します」

「本当に何でも書くのじゃな」

「必要ですので」

 

ゼンライは少し考えた。

それから、はっきりと言う。

 

「ワシには、ここは人間と天族が共存しているように見える」

 

ユトの筆が動いた。

「ありがとうございます。証言として記録します」

「お前自身は、どう考えておる」

 

ユトは筆を止めた。

 

「私も、現在一般に使用される意味では、共存状態に近いと考えています」

スレイが少し笑う。

ズイフウも、わずかに表情を緩めた。

 

しかし、ユトは続けた。

 

「ただし、セルディアが望ましい事例であることと、古代の誓約術式がセルディアを《共存》と判定することは同義ではありません」

 

ズイフウの表情が戻った。

「あなたは本当に、いい話をそのまま終わらせませんね」

「区別が必要です」

「昨日の街を見て、ゼンライが共存だと言った。それで一度くらい終わってもいいでしょう」

「現在の語義に基づく評価としては終了できます」

「そういうところです」

 

ミクリオが記録を覗き込む。

「でも、ユトの言う通りだ。これを古代の誓約が求めた答えだと決めれば、昨日までの聞き取りを分けた意味がなくなる」

「はい」

「分かっていますよ」

ズイフウはため息をついた。

「分かっているから、余計に腹が立つのです」

 

ゼンライは楽しそうに笑った。

「変わらぬな、お前たちは」

「何がでしょうか」

「何でもない」

 

ユトは少し考えたが、具体的な説明は求めなかった。

 

***

 

ゼンライの滞在は、予定通り数日続いた。

 

二日目の午後には、学校の子供たちに捕まった。

 

「ゼンライって何歳?」

「正確には覚えておらん」

「ズイフウより上?」

「さてな」

「友達なの?」

ゼンライが少し考える。

「古い知り合いじゃ」

「友達じゃないの?」

「どうでしょうね」

ズイフウが横から答えた。

「ズイフウに聞いてないよ」

「では、ゼンライに聞いてください」

「友達?」

「昔から共に、人間と天族のことを考えてきた相手ではある」

子供は頷いた。

「じゃあ友達だね」

「そうなるのか?」

「なるよ」

 

別の子供が尋ねる。

「昔のこと知ってる?」

「知っておることもある」

「昔、この辺はどうだったの?」

「この辺りと言われても、どこまでを指すかによるな」

「セルディアの周り」

「セルディアはなかった」

「知ってる。その前」

 

質問が増える。

昔の道。

昔の集落。

昔の人間と天族。

空の色まで今と同じだったのか。

 

ゼンライは一つずつ答えた。

覚えていないことは、覚えていないと言った。

後から聞いたことは、自分で見たことと分けた。

 

ユトが近くで記録している。

イズチでの聞き取りで、何度も求めた分け方だった。

 

やがて、一人の子供が《教えられること》の板を持ってきた。

 

《昔の地上》

《昔の人間と天族》

 

新しい項目が二つ増えている。

その横には、ゼンライの名が書かれていた。

 

ゼンライが板を見る。

「これはワシが教えることになっているのか?」

「知ってるんでしょ?」

「知っておることもある」

「じゃあ教えられるよ」

 

ユトが頷く。

「証言可能範囲を明確にすれば、有用だと思います」

「お前まで勧めるのか」

「強制ではありません」

「断ったら消すのか?」

「はい」

「まあよいじゃろう。この街は、悪くない」

 

その日から、学校の板には二人の古い天族の名が並んだ。

 

***

 

三日目の朝。

 

ゼンライはイズチへ戻る支度をしていた。

長く留守にするつもりはないと、最初から決めていた。

 

街の入口には、見送りに来た者が何人か集まっている。

学校の子供たち。

市場で話をした商人。

天族の教師。

数日の間に、ゼンライへ昔の道を尋ねた者もいた。

 

「また来てね」

「次は昔の北の道の話、聞かせて」

「今度は授業、一日分ね」

「一日分とは聞いておらんぞ」

「じゃあ半日」

「そういう問題ではない」

 

子供たちが笑う。

 

ゼンライは困った顔をしながらも、断らなかった。

 

出発の前に、ユトを見る。

「また来てもよいか?」

「もちろんです。入域制限はありません」

「そういう意味ではないのじゃが」

ズイフウが横で言う。

「諦めてください」

「お前も同じことを言われたのか」

「似たようなことは」

 

ユトは二人を見た。

「入域以外について確認が必要でしょうか」

「いや。もうよい」

「分かりました」

 

ゼンライが、今度はズイフウへ向く。

「お前は戻らぬのか」

「私は、セルディアで確認することが残っています」

「そうか」

「何ですか」

「何も言っておらん」

「その顔で言われても信用できません」

 

ゼンライは笑った。

 

スレイとミクリオが、途中まで同行することになっている。

三人が街を離れる。

 

子供たちが手を振る。

市場の人間も声をかける。

 

ゼンライは一度振り返った。

 

人間と天族が暮らす街。

誰か一人の夢だけで保たれているわけではない街。

完全ではなく、答えでもない。

 

それでも、ゼンライが共存と呼びたいと思った場所。

 

手を上げてから、イズチへ向かう道を歩いていった。

 

ズイフウはセルディアに残った。

 

***

 

見送りを終えた後、ユトは研究所へ戻った。

 

机の上に、二つの記録を置く。

 

一つは、古代の証言。

ズイフウとゼンライが、当時《共存》をどのように理解していたか。

 

もう一つは、現在の記録。

ユトとユイが不在だった間、セルディアで何が起きたか。

見えなくなっても続いた授業。

声が聞こえなくなっても成立した取引。

姿を失っても終わらなかった仕事と友人関係。

そして、ゼンライ自身による評価。

 

ユトは新しい紙を出した。

 

上部に、《共存》と書く。

 

その下へ、確認できたことを並べる。

 

『常時、互いを知覚できることは必須ではない可能性』

『常時、同一の生活空間を共有することは必須ではない可能性』

『一名の強い仲介者が、全関係を維持することは必須ではない』

『同一の文化、生活様式を持つことは必須ではない』

『すべての人間と天族が、互いに好意を持つことは必須ではない』

書いてから、ユトは止まった。

 

共存とは何か。

直接答えようとすると、古代の言葉と現在の言葉が混ざる。

理念と術式の条件が混ざる。

 

ならば。

必須ではないものから除外する。

違っていても残ったものを探す。

 

見えなくても。

同じ場所にいなくても。

同じ考えを持っていなくても。

 

何が残れば、相手をいないことにせずに済むのか。

何が残れば、人間と天族の双方が存在し続けられるのか。

 

ユトは最後に、一行だけ書いた。

『相手が存在し続ける可能性を、互いに失わせないこと――?』

 

疑問符は消さなかった。

まだ、結論を出す段階ではない。

 

ただ。

何を調べればよいのかは、以前より少しだけ明確になっていた。

 

 

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黒幕系種族に転生した(作者:野竜先輩)(原作:FINAL FANTASY XII)

FF12は今年で20周年だそうです。▼オキューリアという厄ネタ種族に転生した主人公(原作知識無し)が、結婚数日で未亡人になってしまった王女の背後から歴史を動かすお話です。▼※原作プロローグから介入が始まるため、メインヒロインのアーシェのキャラ崩壊が著しいです。序盤のアーシェ王女が好きな方はご注意ください


総合評価:1269/評価:8.76/連載:8話/更新日時:2026年08月17日(月) 22:03 小説情報

槍の聖女の軌跡を超えて(作者:アマシロ)(原作:英雄伝説)

鋼の聖女、アリアンロード。彼女が探していた相手を見つけた時、運命が動き出す。槍の聖女の子として生まれ変わった転生者は、どん詰まりの世界で生き抜く術を見つけるための『足掻き』として。あるいは己の求める欲望のため、トールズ士官学院に入学する。なお本人は両親に気づいていない模様。


総合評価:3823/評価:8.96/連載:27話/更新日時:2026年09月23日(水) 19:03 小説情報

はーい、マユで~す! でもごめんなさい、いまマユは生体CPUになってるのでお話しできません(作者:何を書けばいいんだ)(原作:ガンダム)

CE71年、大西洋連合が実施したオーブ解放作戦によって発生した激しい戦闘の最中、マユ・アスカは流れ弾によって吹き飛ばされ絶命したかに思えた。▼だが彼女は死んでいなかった、瀕死の重傷を負いつつも生き残った彼女はブルーコスモスによって加工され、生体CPUメリー・ゴーランドとして生まれ変わったのだ。▼しかし、過去の記憶を抹消された彼女の脳内にはなぜかガンダムSEE…


総合評価:10283/評価:8.68/完結:32話/更新日時:2026年07月07日(火) 12:07 小説情報

【本編完結】転生したらヘラクレスの双子の妹でDie(作者:セロ弾きのゴーシュ)(原作:Fate/)

古代ギリシャ、それは偉大なる神々と鮮烈なる英雄が歴史を綴る、ロマン溢れる時代____▼に見せかけた超男尊女卑社会、かつ神々の癇癪で英雄はバタバタ死に、神々のムラムラとイライラで女性は何処かへ連れ去られる修羅の世界である▼そんな時代に、オレは大英雄ヘラクレス(死亡フラグ①)の双子の妹(死亡フラグ②)として生まれてしまった▼死んだんじゃないか?▼☆▼本編は完結い…


総合評価:12814/評価:8.68/完結:31話/更新日時:2026年08月09日(日) 21:00 小説情報

“パエトーン”に過剰反応する系の偽旅人(作者:融合好き)(原作:ゼンレスゾーンゼロ)

ゼンゼロの世界で何故か旅人になってしまった元原神プレイヤーが、世界任務のノリで初手からヤバいことをやらかす話


総合評価:8323/評価:8.92/完結:22話/更新日時:2026年10月23日(金) 15:36 小説情報


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