畑と水場の取水条件について報告してから、七日後。
公爵府から、返書が届いた。
『次回の月次報告は持参しなくてよい』
『こちらからセルディアへ行く』
その下に。
『住民及び滞在中の天族へ、公開で提案したい事項がある』
と書かれていた。
ユトは三度読んだ。
――何を提案するの?
ユイが尋ねる。
「記載されていません」
――悪い子と?
「不明です」
向かいに座っていたロゼが、書状を受け取った。
「この書き方で、悪いことだったら嫌だなあ」
「良いこととも書かれていません」
「そういう意味じゃないよ」
エドナが机の上へ頬杖をつく。
「公爵が自分から来るのね」
「はい」
「何人連れてくるって?」
「随行する役人が二名。護衛が四名。移動役所を兼ねるため、滞在は三日を予定しているとのことです」
「そこは書いてあるのね」
「受け入れ準備に必要ですので」
ユトは別の紙を出した。
『公爵来訪時確認事項』
一。
宿泊場所。
二。
公開提案を行う場所。
三。
人間及び天族への事前周知方法。
四。
発言記録の公開可否。
五。
警備範囲と、市場の通常利用との調整。
ロゼが紙を見る。
「もう作ったの?」
「はい」
「何を提案されるか分からないのに?」
「分からなくても必要な事項です」
エドナが言う。
「公爵の方は、ユトに何か言う前に資料を作ってきてるかしら」
「不明です」
「作ってなかったら負けね」
「何の勝敗でしょうか」
「知らないわよ」
***
来訪当日。
ラドヴァン公の一行は、昼前にセルディアへ着いた。
旗を掲げた騎兵が先触れとして走ることもなかった。
道を空けさせる長い行列もなかった。
護衛が四名。
役人が二名。
書類と移動役所の道具を載せた荷車が一台。
その中央を、公爵が馬で進んでくる。
南の道から入ってきた一行は、街の手前で一度止まった。
北へ荷を運ぶ商人の荷車が、三台続けて通り過ぎたためだった。
最後の荷車を引く男が、公爵だと気づいて慌てて頭を下げる。
ラドヴァンは片手を上げただけで、先に通した。
その間にも。
街の西側から来た羊の群れが、別の道へ曲がっていく。
市場から出た商人が、南へ向かう旅人へ宿の場所を教えている。
郵便所の前では、各地へ送られる袋が行き先ごとに分けられていた。
ラドヴァンは、しばらくそれを見ていた。
「増えたな」
馬を降りて、最初にそう言った。
ユトは答える。
「前回お会いした時点との比較であれば、恒常居住者は百三十七名増加しています」
「人数のことだけではない」
「建物は四十一棟増えました。倉庫及び共同施設を含みます」
「そういうことでもない」
「では、何が増えたのでしょうか」
ラドヴァンは街の入口を見る。
人。
荷物。
道。
行き先を尋ねる声。
それに答える声。
「後で話す」
「分かりました」
ラドヴァンは、出迎えに来た者たちを見る。
ユト。
ロゼ。
エドナ。
ズイフウ。
人間が二人。
天族が二人。
ラドヴァンの視線は、エドナとズイフウで一度ずつ止まった。
「見えるな」
ラドヴァンは、後ろにいる役人と護衛を見る。
「お前たちもか」
全員が頷いた。
護衛の一人は、エドナを見たまま答えるのが遅れた。
「……天族を見たのは、初めてです」
「私もです」
役人の一人が言った。
「ですが、姿も声も、はっきり分かります」
「現在のセルディアでは、ユイの加護によって、人間側の霊応力が上昇します」
ユトが説明する。
「加護が天族の姿を直接見せているのではありません。人間の霊応力を、天族を知覚できる水準まで引き上げています」
「元の霊応力に関係なく?」
「はい。現在確認しているセルディアの市街地全域が、ユイの加護範囲に含まれています。その範囲へ入った人間は、元の霊応力にかかわらず、全員が天族を視認及び聴取できます」
「街の外から来た者もか」
「はい。今のお二人と同様です」
ラドヴァンは、初めて天族を見たという二人を確認する。
それから、もう一度エドナとズイフウを見た。
ラドヴァンはズイフウへ向く。
「公爵府へ、古い街道の記録を送ってくれた天族だな」
「ズイフウです」
「助かった。北西部の道が、二つの時代の道を重ねて使っていたことが分かった」
「私は、残っている記録を伝えただけです」
「それで十分だ」
ズイフウは答えなかった。
わずかに、姿勢だけを正した。
エドナが小声で言う。
「似た者同士ね」
「誰と誰がでしょうか」
「聞こえてないならいいわ」
***
公開の話は午後に行うことになっていた。
それまでの間。
ラドヴァンは、ユトたちと研究所へ入った。
以前より大きくなった建物の中にも、木箱の机は残っている。
ただし。
公爵と役人二名。
ユト。
ロゼ。
エドナ。
ズイフウ。
全員で囲むには狭かった。
隣の集会室から長机を一つ運ぶ。
役人が持ってきた資料を広げる。
公国全体の地図。
主要な街道。
各部族の主な居住地。
移動役所の巡回経路。
市場の規模。
過去三年の通行人と荷の推計。
ユトは地図を見た。
セルディアを中心に、複数の線が交わっている。
「資料を作成されたのですね」
「作った」
ラドヴァンが答える。
「必要になる可能性があるものを持ってきた」
「適切です」
「何だ、その顔は」
「どのような顔でしょうか」
「少し嬉しそうに見える」
「事前に確認可能な資料があるためだと思います」
「そうか」
ロゼが笑いを堪えている。
エドナは堪えなかった。
ラドヴァンは二人を見たが、何も言わなかった。
代わりに。
持参した紙の中から、一枚を抜き取る。
セルディアから送った、前月の報告書だった。
水路の条件。
取水時間。
水位の標線。
緊急時の優先順位。
最後に。
『好意及び和解の成立は確認できず』
『双方の生活継続には、現時点で支障なし』
と書かれている。
「これは、本当にこのままなのか」
ラドヴァンが尋ねる。
「はい」
「今も互いを嫌っている?」
「確認した範囲では」
「だが、水路は使えている」
「はい」
「天族の住処も残っている」
「はい」
「仲直りさせなかったのか」
「求めていません」
ラドヴァンは報告書を置いた。
「そうか」
短く言って。
地図の上に指を置いた。
セルディア。
「この街を、スラガの首都にしたい」
ロゼの表情が止まった。
ズイフウも、地図へ目を落とす。
エドナだけは、驚いたようには見えなかった。
ユトはラドヴァンを見る。
「公爵府を移転するという意味でしょうか」
「移転しない」
「公爵ご自身が、セルディアへ恒常的に居住する?」
「しない」
「公国の役人を常駐させ、行政機能を集約する?」
「必要な連絡役は置く。だが、今ある移動役所を廃止して、全部ここへ集めるつもりはない」
「公爵家の城を建設する?」
「建てない」
「常備軍の駐屯地を設ける?」
「設けない」
ユトは少し考えた。
「では、首都の定義から確認する必要があります」
「そう言うと思った」
ラドヴァンは地図の上で、セルディアから伸びる道をなぞった。
「ここには、南から来る道がある。公爵領へ向かう道がある。北と西の部族へ続く道も、以前より使いやすくなった」
「はい」
「郵便が集まる。交易の荷が集まる。国外から来た客人を受け入れた実績もある」
「はい」
「そして、どの部族の本拠でもない」
ユトは地図を見る。
セルディアが街になる前。
ここには、どの部族の長の館もなかった。
代々受け継がれた議席もなかった。
「中立性を想定していますか」
「完全に中立な土地などない」
ラドヴァンは答えた。
「だが、私の城で会議を開けば、他の部族は私の場所へ呼びつけられたと感じる。別の部族の土地で開けば、今度はそこが優遇されたと疑われる」
「セルディアであれば、その可能性が比較的低い?」
「そう考えている」
ラドヴァンは続けた。
「私が住む場所を、国の中心と呼びたいわけではない」
「では?」
「公国全体で何かを決めなければならない時、誰もがどこへ行けばよいか分かる場所を作りたい」
部族の内部で決められることは、そこで決める。
日常の問題は、それぞれの共同体で処理する。
記録や税のため、移動役所はこれまで通り各地を巡る。
ただし。
複数の部族が使う道。
複数の土地を流れる水。
公国全体に関わる交易。
国外との取り決め。
一つの共同体だけでは決められないことが生じた時。
代表者が、セルディアへ集まる。
ラドヴァン自身も、その時だけ来る。
「普段は、公爵領で過ごされる?」
「そうだ」
「セルディアで広域会議が開かれる場合のみ、こちらへ来る?」
「必要ならな」
「会議がない期間は?」
「来ない」
エドナが言う。
「公爵のいない首都ね」
「不都合か」
「別に。住み着かれるよりましじゃない?」
ラドヴァンはエドナを見る。
「率直だな」
「褒めても何も出ないわよ」
「褒めてはいない」
「そう」
ロゼが地図を覗き込む。
「交通の便で選ぶなら、分からなくはないよ。ここからなら、どっちへ行くにも前より楽になった」
「商人がそう言うなら、資料の推計より確かだな」
「でも、人と荷がもっと増える。宿も倉庫も、今のままじゃ足りなくなるかもしれない」
「それも含めて、今日話す」
ズイフウが尋ねた。
「もう一つ、理由があるのではありませんか」
「何だと思う」
「ここでは、人間が天族を知覚できる」
ラドヴァンは頷いた。
「それが、他の候補地にはない」
エドナの目が、わずかに細くなる。
「天族を見世物にして、人を集めるつもり?」
「違う」
ラドヴァンは即答した。
「道や川の使い方を決める時。その決定で生活を変えられる天族を、見えないという理由だけで席から外さずに済む」
机の上に。
先ほどの水路の報告がある。
人間が畑へ水を引きたいと望んだ。
天族は、自分の住む水場を守ろうとした。
人間だけで決めれば、天族の生活は記録にも残らなかった可能性がある。
天族だけで拒めば、畑は枯れていた可能性がある。
互いを好まなくても。
同じ場所で条件を確認できたから、両方を残す形を作れた。
「この街には、それができる」
ラドヴァンが言った。
「しかも、会議へ出す人間を、霊応力の強さで選ぶ必要がない。部族が代表に選んだ者が、そのまま天族と同じ席で話せる」
生まれつき、天族を見られる者を探さなくてよい。
見える者へ、発言の伝達を頼まなくてよい。
天族を知覚できるかどうかと、部族の代表者として適切かどうかを、同じ条件にしなくてよい。
「それが可能なのは、現在確認できている範囲では、セルディアだけだ」
ユトは、すぐには同意しなかった。
「問題があります」
「言ってみろ」
「誰でも天族を知覚できる状態は、ユイがセルディアにいることを条件とします」
「分かっている」
「首都指定によって、ユイにセルディアへの恒常的な滞在義務を負わせる予定は?」
「ない」
「公国政府が、加護の発現または強度の維持を命じる?」
「それもない」
「ユイの外出中に、天族を当事者とする広域会議が必要になった場合は?」
「緊急でなければ、戻るまで待つ」
「緊急の場合は?」
「既存の筆談や、天族を知覚できる者による確認を使う。ただし、会議を開くためにユイを連れ戻すことはしない」
ユトは記録する。
「ユイの加護を、公国の設備または所有物として扱わない?」
「扱わない」
「首都であることと、ユイの居住地であることは分けて扱う?」
「そうだ」
ラドヴァンは、地図の上のセルディアを指した。
「天族を人間に合わせるのではない。ここでは、人間の霊応力の方が、天族へ届くところまで上がる」
ユトは少し考えた。
「概ね正確です」
「概ねか」
「霊応力の上昇量及び加護範囲には、継続して観測が必要です」
「なら、それも条件に入れろ」
「分かりました」
ユトは新しい紙を一枚出した。
「他にも条件があります」
「あるだろうな」
「確認してよろしいでしょうか」
「そのために、先にお前へ話している」
ユトの筆が止まる。
「私へ許可を求めているのではない?」
「違う」
ラドヴァンは答えた。
「お前一人がセルディアの代表ではないことくらい知っている」
「適切です」
「また嬉しそうだな」
「事実関係が正確でしたので」
ロゼが机へ突っ伏した。
エドナが、その背を軽く叩く。
ラドヴァンは額へ手を当てた。
「私は、お前に先に欠陥を探させている」
「分かりました」
「それでいいのか」
「提案内容を改善するためであれば、問題ありません」
「そうか」
ズイフウが、二人の間に置かれた紙を見る。
「似た者同士ですね」
「誰と誰がでしょうか」
先ほどと同じ質問を、ユトがした。
今度は。
エドナだけでなく、ロゼも声を出して笑った。
***
午後。
人間と天族が共同で使う集会所に、人が集まった。
全員は入れない。
そのため、扉と窓は開けたままにした。
外にも椅子と長椅子を並べる。
市場で働く者。
畑を使う者。
学校の教師。
研究所に出入りする者。
セルディアへ住む天族。
一時的に滞在している商人と旅人。
話を聞きたい者は、所属や種族を問わず入れることになった。
ラドヴァンは、部屋の奥に用意されていた大きな椅子を見た。
「これは何だ」
「公爵用だって」
ロゼが答える。
「誰が用意した」
「宿の人。公爵様を普通の椅子に座らせていいか分からないって」
ラドヴァンは大きな椅子を壁へ寄せた。
空いた場所へ、他と同じ椅子を置く。
そこへ座った。
エドナが言う。
「首都にする気がある人とは思えないわね」
「だからだ」
「何が?」
「今日は、私の城へ呼んだのではない」
集会所のざわめきが静まる。
ラドヴァンは立ち上がらなかった。
座ったまま、話し始めた。
「セルディアを、スラガ公国の首都にしたいと考えている」
静かだったのは、一瞬だけだった。
「首都?」
「公爵様がここへ来るのか?」
「城を建てるってことか」
「市場はどうなる」
「税が増えるんじゃないのか」
「天族が見えるから?」
複数の声が重なる。
ラドヴァンは止めなかった。
一通り言葉が出るまで待つ。
それから言った。
「先に、何を変えないかを伝える」
公爵府は移さない。
公爵は恒常的に住まない。
城は建てない。
常備軍を置かない。
移動役所の巡回をやめない。
セルディアの日常の取り決めを、公爵が一つずつ決める形にはしない。
「では、何が変わるのですか」
学校の教師が尋ねた。
「複数の部族で決める必要がある問題が生じた時、セルディアで会議を開く」
「毎月ですか」
「必要がなければ開かない」
「公爵様も来る?」
「公国全体の決定が必要なら、私も来る」
「普段は?」
「自分の領地にいる」
集まった者たちが、互いの顔を見る。
想像していた首都と違ったらしい。
一人の男が手を挙げる。
「ここは、公爵様の土地になるんですか」
「今も公国の領域ではある。だが、公爵家の私有地として取り上げるつもりはない」
「家や畑を退けることは?」
「会議のための建物と道は必要になる。その場所は、使用者と協議して決める。指定したから明日退け、とは言わない」
別の女性が尋ねる。
「首都税みたいなものは?」
「名称だけを理由に新しい税を取る予定はない」
「予定は、って言いましたよね」
「会議所の維持や警備に費用はかかる」
ラドヴァンは答えた。
「ただし、それをセルディアの住民だけに負担させるつもりもない。使う部族と公国政府で分担する」
ロゼが手を挙げる。
「人が増えた時、市場の場所を会議用に取られたら困る」
「開催日も含め、先に調整する」
「急に偉い人が来たから、宿を全部空けろっていうのもなし」
「緊急時以外はしない」
「緊急時の定義は?」
ラドヴァンが、少し止まった。
ユトを見る。
「何でしょうか」
「お前が増えた」
「私は発言していません」
「同じ質問をする顔だった」
集会所で笑いが起きた。
ラドヴァンも、わずかに口元を緩める。
「戦、災害、街道の大規模な遮断。事前に日を決められない事態だ。それ以外は、先に知らせる」
「分かった」
ロゼが頷いた。
今度は。
集会所の後ろにいた天族が、手を挙げた。
「首都になったら、俺たちも公爵の民になるのか」
周囲の人間が振り返る。
天族も、答えを待つ。
「その問いには、すぐに、なるとも、ならないとも答えない」
ラドヴァンが言った。
「現在の公国法は、人間の住民を前提に作られた部分が多い。天族の法的な位置づけを、首都の指定だけで一方的に決めるつもりはない」
「なら、会議には入れない?」
「そうは言っていない」
ラドヴァンは机の上の水路報告を持ち上げた。
「川の使い方を決めるなら、その川に住む者を呼ぶ。道を変えるなら、その道と土地に関わる者を呼ぶ」
「公爵の民じゃなくても?」
「決定で生活を変えられるなら、話を聞かない理由にはならない」
天族は、まだ納得していない顔をしていた。
「天族を、一度も見たことがない人間が来たら?」
「セルディアへ入れば、見える」
ラドヴァンが答えた。
天族がユトを見る。
確認を求めていると判断した。
ユトは立ち上がる。
「現在のユイの加護は、セルディア内にいる人間の霊応力を上昇させます。元の霊応力が低く、他の土地では天族を知覚できない人間も、加護範囲内では知覚可能な水準へ達します」
「全員?」
「現在までに確認した者は、全員です」
集会所の外にいる者も、エドナとズイフウを見ている。
今日初めてセルディアへ来た護衛も、天族の発言に顔を向けていた。
「街を出た後も、見えるようになるのか」
別の人間が尋ねた。
「いいえ。恒久的に霊応力が変化するのではありません。ユイの加護範囲を出れば、元の知覚状態へ戻ります」
「じゃあ、ユイがいない時は?」
「天族が当事者となる会議は、原則として、ユイの滞在と加護の発現を確認してから開催します」
「ユイを、ずっとここに置くのか」
「いいえ」
ユトは訂正した。
「ユイに滞在義務を負わせません。ユイが不在で、緊急性もない場合は、会議の方を延期します」
ラドヴァンが言う。
「首都にするのはセルディアだ。ユイを、公国の道具にするのではない」
エドナの表情が、少しだけ緩んだ。
「それならいいわ」
ユトは黒板の横へ、一枚の紙を貼った。
「首都指定に伴う条件案を読み上げます」
一。
セルディア内部の日常的な事項は、従来通り、当事者及び居住者が決定する。
二。
会議の対象は、複数部族、公国全体、または国外との関係に影響する事項とする。
三。
公爵及び公国政府は、会議開催のみを理由として、恒常的な居住、土地の収用、常備軍の駐屯を行わない。
四。
会議所、道路、宿泊、警備に必要な費用を、セルディア側のみに負担させない。
五。
決定によって生活、住処、信仰、加護その他の影響を受ける天族を、当事者として会議へ参加させる。
六。
天族を当事者とする会議は、ユイがセルディアに滞在し、人間側の霊応力上昇が確認できる状態で開催する。
七。
首都指定を理由として、ユイに滞在または加護の発現を強制しない。
八。
ユトを、セルディア全体または天族全体の代表者として扱わない。
最後の一項で。
集会所が少し静かになった。
ラドヴァンが言う。
「それは、今ここで必要か?」
「必要です」
「誰も、お前を代表にするとは言っていない」
「現時点では」
「今後も、勝手にはしない」
「では、条件に含めても問題はありません」
「……そうだな」
ロゼが手を叩いた。
「そこ、大事だよ」
「何故でしょうか」
「ユトを代表にすると、街に相談しに来た人が、まず全部の定義を確認されるから」
「必要な確認です」
「だからだよ」
今度の笑いは、先ほどより大きかった。
ユトは理由を理解できなかった。
ただし。
条件への反対ではないと判断し、説明を続けた。
「以上は、午前中の確認に基づく案です。追加及び修正が必要です」
一人ずつ。
意見を出す。
会議のある日も、学校を閉めないこと。
市場へ続く道を塞がないこと。
天族が見えることを、見世物として宣伝しないこと。
長期滞在者が増える場合、井戸と廃棄物処理を先に整えること。
公爵や部族長の宿泊を理由に、一般の旅人を路上へ出さないこと。
街の住民に関わる案件では、人間側と天族側の双方へ事前に知らせること。
すぐに答えが出ないものもあった。
誰が、会議の議題を選ぶのか。
どの範囲を《複数部族に関わる》と判断するのか。
参加者の数が増えすぎた場合、誰を中へ入れるのか。
急いで決めなければならない時、どこまで確認を省けるのか。
ユトは答えを作らなかった。
『未決定』
と書く。
その横へ。
決定前に確認する者と期限を書いた。
ラドヴァンも、分からないことを分かったとは言わなかった。
「今日は、首都にすると決める日ではない」
最後に言った。
「私が、そうしたいと提案する日だ」
セルディアの住民。
ここに暮らす天族。
公国の各部族。
それぞれが、条件を確認する。
「反対があれば?」
畑の女性が尋ねた。
「理由を聞く」
「それでも反対なら?」
「反対を消すために、兵を置くようなことはしない」
「じゃあ、首都にできない?」
「条件を変えられるか確認する。それでも両立しないなら、別の場所を探す」
ラドヴァンは、集まった者たちを見る。
「私は、国全体で集まる場所が必要だと考えている。だが、そのために、既にここで暮らしている者を退けるなら、セルディアを選ぶ意味がない」
誰も、すぐには拍手をしなかった。
賛成したわけでもない。
反対がなくなったわけでもない。
質問が続いた。
日が傾くまで。
***
その夜。
公爵は、市場に近い宿へ泊まった。
一番大きい部屋ではない。
護衛と連絡を取りやすく、外へ出る扉が二つある部屋だった。
移動役所の役人は、宿の一階に机を出した。
せっかく公爵府から来たのだからと、住民が相談を持ち込む。
税の記録。
出生の届け。
別の部族の土地へ移るために必要な書類。
交易路で壊れた橋についての報告。
役人は、普段の移動役所と同じように処理した。
公爵が来ていても。
街が公爵府になったわけではなかった。
研究所では。
ユトが、集会で出た質問を分類していた。
『首都指定前に解決が必要』
『試行期間中に確認可能』
『既存制度で対応可能』
『現時点では判断材料不足』
ロゼが、紙の束を見下ろす。
「結局、増えたね」
「はい」
「何枚?」
「現在、二十三枚です」
「明日も増える?」
「可能性があります」
エドナは、黒板に残った文字を見ていた。
『首都』
その下に。
『公爵の恒常居住地ではない』
『公国全体で決定を行う際の共通集合地点』
と書かれている。
「ずいぶん地味な首都ね」
「華美であることは、条件に含まれていません」
「そういう意味じゃないわよ」
――首都って、大きい街?
ユイが尋ねる。
ユトは黒板を見る。
「規模は、定義の必要条件ではないと思います」
――偉い人がいるところ?
「今回の提案では、公爵は普段ここにいません」
――じゃあ、何?
ユトは少し考えた。
昼から確認したこと。
決まったこと。
まだ決まっていないこと。
「みんなで決める必要がある時、集まる場所です」
――いつもは?
「いつもは、ここに住む人と天族の場所です」
ユイは、少し考えた。
――いつもと同じ?
「その状態を維持することが、条件の一つです」
――わたしが、出かけたら?
「セルディアが首都ではなくなるわけではありません。ただし、天族が関係する会議は、原則として貴方が戻るまで待ちます」
――帰ってこなきゃだめ?
「いいえ。帰還を義務にはしていません」
ユイは、少し長く考えた。
――じゃあ、いいと思う。
エドナが笑う。
「ユトより早いわね」
「私は反対していません」
「賛成もしてないでしょう」
「条件を確認しています」
「それを言ってるのよ」
***
提案から二十日後。
セルディアの人間と天族は、それぞれの方法で提案を検討した。
各部族からも、質問と修正案が届いた。
ただし。
文面だけでは、実際に機能するか分からない。
そのため。
首都指定を決める前に、一度、広域会議を試すことになった。
提案後、最初の広域会議が、セルディアで開かれた。
議題は。
セルディアを首都とするかどうかではなかった。
冬を前にした、南部交易路の維持についてだった。
道は、複数の部族の土地を通る。
利用する商人も、一つの土地の者だけではない。
崩れやすい斜面には天族が住み、迂回路の候補地には別の集落の放牧地がある。
一つの部族だけでは決められない。
そのため。
ラドヴァン公が、再びセルディアへ来た。
公国の各部族から、委任を受けた代表者が来る。
道を使う商人が来る。
斜面と風の状態を知る天族が来る。
迂回路の土地を使う者が来る。
集会所には、前回より長い机が置かれた。
上座は作らなかった。
ラドヴァンは地図が見える位置へ座る。
部族の代表者も、当事者も、同じ机を囲んだ。
ユイは、ユトとともにセルディアにいた。
それだけで。
会議へ来た人間全員の霊応力が、天族を知覚できる水準まで上がっている。
北の部族から来た代表者は、斜面に住む風の天族を見ていた。
彼は、これまで一度も天族を見たことがない。
公爵府から届いた記録で、斜面に天族がいると知らされていただけだった。
それでも今は。
向かいの席にいる天族の姿が見える。
声も、直接聞こえる。
「あなたが、あの斜面に住んでいる天族か」
「そうだ」
「記録では、風の流れを管理していると」
「管理しているわけじゃない。長く見ているから、変化が分かる」
「では、その変化を聞きたい」
通訳は挟まなかった。
天族を知覚できる者だけを、部族の代表に選び直す必要もなかった。
部族が、自分たちの事情を話せる者を選ぶ。
天族が、自分の事情を自分の言葉で話す。
その二人が、同じ相手を見ながら話していた。
「斜面へ杭を打てば、冬の風が変わる」
天族が言う。
人間たちが、天族へ顔を向ける。
「風が変わると、何が起きる?」
部族の代表者が尋ねた。
天族が答える。
「雪が、今まで落ちなかった谷側へ溜まる」
「道が埋まる?」
「道だけではない。下の水場が春まで凍る」
迂回路を使う予定だった集落の者が、地図を見る。
「それなら、こっちへ道を寄せるのも駄目だ。春の家畜の水がなくなる」
別の案を出す。
杭を打つ範囲を減らす。
危険な時期だけ、道を閉じる。
閉鎖中は、東側の古い道を使う。
ただし、古い道の橋を補修する。
費用は、道を通る荷へ薄く加算し、公国政府と関係部族も負担する。
午前中には、決まらなかった。
昼を過ぎても、決まらなかった。
途中で。
一人の代表者が言った。
「公爵が決めればいいだろう」
ラドヴァンは首を横へ振った。
「決めるために、ここへ来た」
「なら」
「私一人で決めるためではない」
ラドヴァンは地図を指す。
「道を閉じた時に困る者。迂回路を使われて困る者。工事で住処を変えられる者。その条件を並べた上で、公国として決定する」
ユトは会議の端で、記録を取っていた。
セルディアの代表としてではない。
天族の代表としてでもない。
午前中に合意された発言手順が、正しく使われているか。
未確認の条件が、確認済みとして扱われていないか。
求められた時だけ、言葉を挟む。
「今の案では、橋の補修完了前に降雪した場合の経路がありません」
「追加する」
「《危険な時期》の開始条件が不明です」
「最初の大雪では遅いか?」
「風向きと地面の凍結を見れば、その前に分かる」
天族が答える。
「では、観測条件として記載します」
「費用負担の割合が合計で百を超えています」
「……誰が書いた」
「全員が自分の負担を少なくしようとした結果です」
ロゼが言った。
「そこは、もう一度やり直しだね」
夕方。
ようやく、暫定条件がまとまった。
冬の間だけ試す。
不都合が出た場合は、春を待たず再び集まる。
工事によって予想外の変化が生じた場合、元に戻せる範囲を越えて進めない。
全員が、満足したわけではなかった。
東の道を管理する部族は、負担が増えた。
商人は、通行料の加算を嫌がった。
天族は、少数でも杭が打たれることを好まなかった。
それでも。
自分の知らない場所で、全部を決められることにはならなかった。
最後の文面を確認する。
以前から天族を見られた者。
セルディアへ来て、初めて見られるようになった者。
人間。
天族。
それぞれが、自分に関わる条件を読む。
合意が成立した。
***
会議の終了後。
ラドヴァンは、公国の各部族の代表者たちへ、改めて首都の提案を出した。
二十日前に作成した条件。
セルディアで追加された条件。
各部族から届いた修正案。
それらをまとめた文書を、全員で確認する。
名称については、最後まで意見が割れた。
「首都と呼べば、公爵府が移ると誤解される」
ある部族の代表者が言った。
「だが、国外へ説明するには、その方が早い」
別の者が答える。
「《公国共同会議地》では駄目ですか」
ユトが提案した。
ロゼが顔をしかめる。
「長い」
「意味は比較的正確です」
「正確だけど長い」
ラドヴァンは、二つの名称を紙へ書かせた。
公国内の制度上の名称。
『公国共同会議地セルディア』
国外への文書と、一般的な呼称。
『スラガ公国首都セルディア』
「二つにするのですか」
ユトが尋ねる。
「説明が必要な時は、正式な意味を書く。短く呼ぶ時は首都でいい」
「用語による誤解が発生する可能性があります」
「その時は、お前が定義を確認しろ」
「私は、恒常的な担当者ではありません」
「分かっている。今のは冗談だ」
「そうでしたか」
ラドヴァンが、小さく息を吐いた。
公国の各部族から委任を受けた代表者が署名する。
ラドヴァン公が、公国政府を代表して署名する。
最後に記録官が署名し、その成立を公国の記録へ残す。
セルディア側では。
人間側の合意確認を行った者。
天族側の合意確認を行った者。
それぞれが名を書く。
ユトの名は、代表者の欄にはなかった。
その下。
文面及び手続確認者の欄にだけ、記されていた。
ユトは、位置が正しいことを確認した。
こうして。
セルディアは、スラガ公国の首都になった。
城は建たなかった。
公爵府も移らなかった。
翌日から、すべての命令がセルディアから出るようになったわけでもない。
変わったのは。
公国全体で決める必要が生じた時、集まる場所が決まったことだった。
***
翌朝。
ラドヴァン公は、セルディアを出る準備をしていた。
役人が、移動役所の机を荷車へ戻す。
護衛が馬具を確かめる。
宿の者が、使用した部屋を確認する。
街の入口で。
ユトがラドヴァンへ尋ねた。
「次回の来訪予定は?」
「決めていない」
「広域会議の予定がないためですか」
「そうだ」
「では、必要が生じるまで、公爵領で過ごされる?」
「そのための首都だ」
ラドヴァンは馬へ乗る。
「月次報告は、これまで通り送れ」
「承知しました」
「首都になったからといって、枚数を増やす必要はない」
「必要な変化が増えた場合は増えます」
「そう言うと思った」
一行が、南へ向かう道へ出る。
来た時と同じように。
荷車を止めず、羊の群れを退けず、道を行く者の間へ入っていった。
市場は開いた。
学校の鐘が鳴った。
郵便所では、次の便の袋が積まれている。
公爵はいなかった。
城もなかった。
それでも。
国全体で決める必要が生じた時、誰もが集まる場所は決まった。
セルディアは、公爵のいない首都になった。