炎上論点スタンプラリー【TOZ】   作:Moa

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セルディア、公爵のいない首都になる

畑と水場の取水条件について報告してから、七日後。

 

公爵府から、返書が届いた。

『次回の月次報告は持参しなくてよい』

『こちらからセルディアへ行く』

 

その下に。

『住民及び滞在中の天族へ、公開で提案したい事項がある』

と書かれていた。

ユトは三度読んだ。

 

――何を提案するの?

ユイが尋ねる。

「記載されていません」

――悪い子と?

「不明です」

 

向かいに座っていたロゼが、書状を受け取った。

「この書き方で、悪いことだったら嫌だなあ」

「良いこととも書かれていません」

「そういう意味じゃないよ」

 

エドナが机の上へ頬杖をつく。

「公爵が自分から来るのね」

「はい」

「何人連れてくるって?」

「随行する役人が二名。護衛が四名。移動役所を兼ねるため、滞在は三日を予定しているとのことです」

「そこは書いてあるのね」

「受け入れ準備に必要ですので」

 

ユトは別の紙を出した。

 

『公爵来訪時確認事項』

 

一。

宿泊場所。

 

二。

公開提案を行う場所。

 

三。

人間及び天族への事前周知方法。

 

四。

発言記録の公開可否。

 

五。

警備範囲と、市場の通常利用との調整。

 

ロゼが紙を見る。

「もう作ったの?」

「はい」

「何を提案されるか分からないのに?」

「分からなくても必要な事項です」

 

エドナが言う。

「公爵の方は、ユトに何か言う前に資料を作ってきてるかしら」

「不明です」

「作ってなかったら負けね」

「何の勝敗でしょうか」

「知らないわよ」

 

***

 

来訪当日。

 

ラドヴァン公の一行は、昼前にセルディアへ着いた。

 

旗を掲げた騎兵が先触れとして走ることもなかった。

道を空けさせる長い行列もなかった。

 

護衛が四名。

役人が二名。

書類と移動役所の道具を載せた荷車が一台。

 

その中央を、公爵が馬で進んでくる。

 

南の道から入ってきた一行は、街の手前で一度止まった。

 

北へ荷を運ぶ商人の荷車が、三台続けて通り過ぎたためだった。

 

最後の荷車を引く男が、公爵だと気づいて慌てて頭を下げる。

ラドヴァンは片手を上げただけで、先に通した。

 

その間にも。

 

街の西側から来た羊の群れが、別の道へ曲がっていく。

市場から出た商人が、南へ向かう旅人へ宿の場所を教えている。

郵便所の前では、各地へ送られる袋が行き先ごとに分けられていた。

 

ラドヴァンは、しばらくそれを見ていた。

 

「増えたな」

馬を降りて、最初にそう言った。

 

ユトは答える。

「前回お会いした時点との比較であれば、恒常居住者は百三十七名増加しています」

「人数のことだけではない」

「建物は四十一棟増えました。倉庫及び共同施設を含みます」

「そういうことでもない」

「では、何が増えたのでしょうか」

 

ラドヴァンは街の入口を見る。

 

人。

荷物。

道。

行き先を尋ねる声。

それに答える声。

 

「後で話す」

「分かりました」

 

ラドヴァンは、出迎えに来た者たちを見る。

 

ユト。

ロゼ。

エドナ。

ズイフウ。

 

人間が二人。

天族が二人。

 

ラドヴァンの視線は、エドナとズイフウで一度ずつ止まった。

「見えるな」

 

ラドヴァンは、後ろにいる役人と護衛を見る。

「お前たちもか」

全員が頷いた。

 

護衛の一人は、エドナを見たまま答えるのが遅れた。

「……天族を見たのは、初めてです」

「私もです」

役人の一人が言った。

「ですが、姿も声も、はっきり分かります」

 

「現在のセルディアでは、ユイの加護によって、人間側の霊応力が上昇します」

ユトが説明する。

「加護が天族の姿を直接見せているのではありません。人間の霊応力を、天族を知覚できる水準まで引き上げています」

「元の霊応力に関係なく?」

「はい。現在確認しているセルディアの市街地全域が、ユイの加護範囲に含まれています。その範囲へ入った人間は、元の霊応力にかかわらず、全員が天族を視認及び聴取できます」

「街の外から来た者もか」

「はい。今のお二人と同様です」

 

ラドヴァンは、初めて天族を見たという二人を確認する。

それから、もう一度エドナとズイフウを見た。

 

ラドヴァンはズイフウへ向く。

「公爵府へ、古い街道の記録を送ってくれた天族だな」

「ズイフウです」

「助かった。北西部の道が、二つの時代の道を重ねて使っていたことが分かった」

「私は、残っている記録を伝えただけです」

「それで十分だ」

 

ズイフウは答えなかった。

わずかに、姿勢だけを正した。

 

エドナが小声で言う。

「似た者同士ね」

「誰と誰がでしょうか」

「聞こえてないならいいわ」

 

***

 

公開の話は午後に行うことになっていた。

 

それまでの間。

ラドヴァンは、ユトたちと研究所へ入った。

 

以前より大きくなった建物の中にも、木箱の机は残っている。

 

ただし。

公爵と役人二名。

ユト。

ロゼ。

エドナ。

ズイフウ。

 

全員で囲むには狭かった。

 

隣の集会室から長机を一つ運ぶ。

役人が持ってきた資料を広げる。

 

公国全体の地図。

主要な街道。

各部族の主な居住地。

移動役所の巡回経路。

市場の規模。

過去三年の通行人と荷の推計。

 

ユトは地図を見た。

セルディアを中心に、複数の線が交わっている。

 

「資料を作成されたのですね」

「作った」

ラドヴァンが答える。

「必要になる可能性があるものを持ってきた」

「適切です」

「何だ、その顔は」

「どのような顔でしょうか」

「少し嬉しそうに見える」

「事前に確認可能な資料があるためだと思います」

「そうか」

 

ロゼが笑いを堪えている。

エドナは堪えなかった。

 

ラドヴァンは二人を見たが、何も言わなかった。

代わりに。

持参した紙の中から、一枚を抜き取る。

 

セルディアから送った、前月の報告書だった。

水路の条件。

取水時間。

水位の標線。

緊急時の優先順位。

 

最後に。

『好意及び和解の成立は確認できず』

『双方の生活継続には、現時点で支障なし』

と書かれている。

 

「これは、本当にこのままなのか」

ラドヴァンが尋ねる。

「はい」

「今も互いを嫌っている?」

「確認した範囲では」

「だが、水路は使えている」

「はい」

「天族の住処も残っている」

「はい」

「仲直りさせなかったのか」

「求めていません」

 

ラドヴァンは報告書を置いた。

「そうか」

 

短く言って。

地図の上に指を置いた。

セルディア。

 

「この街を、スラガの首都にしたい」

 

ロゼの表情が止まった。

ズイフウも、地図へ目を落とす。

エドナだけは、驚いたようには見えなかった。

 

ユトはラドヴァンを見る。

「公爵府を移転するという意味でしょうか」

「移転しない」

「公爵ご自身が、セルディアへ恒常的に居住する?」

「しない」

「公国の役人を常駐させ、行政機能を集約する?」

「必要な連絡役は置く。だが、今ある移動役所を廃止して、全部ここへ集めるつもりはない」

「公爵家の城を建設する?」

「建てない」

「常備軍の駐屯地を設ける?」

「設けない」

 

ユトは少し考えた。

「では、首都の定義から確認する必要があります」

「そう言うと思った」

ラドヴァンは地図の上で、セルディアから伸びる道をなぞった。

「ここには、南から来る道がある。公爵領へ向かう道がある。北と西の部族へ続く道も、以前より使いやすくなった」

「はい」

「郵便が集まる。交易の荷が集まる。国外から来た客人を受け入れた実績もある」

「はい」

「そして、どの部族の本拠でもない」

 

ユトは地図を見る。

セルディアが街になる前。

ここには、どの部族の長の館もなかった。

代々受け継がれた議席もなかった。

 

「中立性を想定していますか」

「完全に中立な土地などない」

ラドヴァンは答えた。

「だが、私の城で会議を開けば、他の部族は私の場所へ呼びつけられたと感じる。別の部族の土地で開けば、今度はそこが優遇されたと疑われる」

「セルディアであれば、その可能性が比較的低い?」

「そう考えている」

 

ラドヴァンは続けた。

「私が住む場所を、国の中心と呼びたいわけではない」

「では?」

「公国全体で何かを決めなければならない時、誰もがどこへ行けばよいか分かる場所を作りたい」

部族の内部で決められることは、そこで決める。

日常の問題は、それぞれの共同体で処理する。

記録や税のため、移動役所はこれまで通り各地を巡る。

 

ただし。

複数の部族が使う道。

複数の土地を流れる水。

公国全体に関わる交易。

国外との取り決め。

一つの共同体だけでは決められないことが生じた時。

代表者が、セルディアへ集まる。

ラドヴァン自身も、その時だけ来る。

 

「普段は、公爵領で過ごされる?」

「そうだ」

「セルディアで広域会議が開かれる場合のみ、こちらへ来る?」

「必要ならな」

「会議がない期間は?」

「来ない」

 

エドナが言う。

「公爵のいない首都ね」

「不都合か」

「別に。住み着かれるよりましじゃない?」

ラドヴァンはエドナを見る。

「率直だな」

「褒めても何も出ないわよ」

「褒めてはいない」

「そう」

 

ロゼが地図を覗き込む。

「交通の便で選ぶなら、分からなくはないよ。ここからなら、どっちへ行くにも前より楽になった」

「商人がそう言うなら、資料の推計より確かだな」

「でも、人と荷がもっと増える。宿も倉庫も、今のままじゃ足りなくなるかもしれない」

「それも含めて、今日話す」

 

ズイフウが尋ねた。

「もう一つ、理由があるのではありませんか」

「何だと思う」

「ここでは、人間が天族を知覚できる」

 

ラドヴァンは頷いた。

「それが、他の候補地にはない」

エドナの目が、わずかに細くなる。

「天族を見世物にして、人を集めるつもり?」

「違う」

ラドヴァンは即答した。

「道や川の使い方を決める時。その決定で生活を変えられる天族を、見えないという理由だけで席から外さずに済む」

 

机の上に。

先ほどの水路の報告がある。

人間が畑へ水を引きたいと望んだ。

天族は、自分の住む水場を守ろうとした。

人間だけで決めれば、天族の生活は記録にも残らなかった可能性がある。

天族だけで拒めば、畑は枯れていた可能性がある。

互いを好まなくても。

同じ場所で条件を確認できたから、両方を残す形を作れた。

 

「この街には、それができる」

ラドヴァンが言った。

「しかも、会議へ出す人間を、霊応力の強さで選ぶ必要がない。部族が代表に選んだ者が、そのまま天族と同じ席で話せる」

 

生まれつき、天族を見られる者を探さなくてよい。

見える者へ、発言の伝達を頼まなくてよい。

天族を知覚できるかどうかと、部族の代表者として適切かどうかを、同じ条件にしなくてよい。

 

「それが可能なのは、現在確認できている範囲では、セルディアだけだ」

 

ユトは、すぐには同意しなかった。

 

「問題があります」

「言ってみろ」

「誰でも天族を知覚できる状態は、ユイがセルディアにいることを条件とします」

「分かっている」

「首都指定によって、ユイにセルディアへの恒常的な滞在義務を負わせる予定は?」

「ない」

「公国政府が、加護の発現または強度の維持を命じる?」

「それもない」

「ユイの外出中に、天族を当事者とする広域会議が必要になった場合は?」

「緊急でなければ、戻るまで待つ」

「緊急の場合は?」

「既存の筆談や、天族を知覚できる者による確認を使う。ただし、会議を開くためにユイを連れ戻すことはしない」

 

ユトは記録する。

「ユイの加護を、公国の設備または所有物として扱わない?」

「扱わない」

「首都であることと、ユイの居住地であることは分けて扱う?」

「そうだ」

 

ラドヴァンは、地図の上のセルディアを指した。

「天族を人間に合わせるのではない。ここでは、人間の霊応力の方が、天族へ届くところまで上がる」

 

ユトは少し考えた。

「概ね正確です」

「概ねか」

「霊応力の上昇量及び加護範囲には、継続して観測が必要です」

「なら、それも条件に入れろ」

「分かりました」

 

ユトは新しい紙を一枚出した。

 

「他にも条件があります」

「あるだろうな」

「確認してよろしいでしょうか」

「そのために、先にお前へ話している」

 

ユトの筆が止まる。

「私へ許可を求めているのではない?」

「違う」

ラドヴァンは答えた。

「お前一人がセルディアの代表ではないことくらい知っている」

「適切です」

「また嬉しそうだな」

「事実関係が正確でしたので」

 

ロゼが机へ突っ伏した。

エドナが、その背を軽く叩く。

 

ラドヴァンは額へ手を当てた。

「私は、お前に先に欠陥を探させている」

「分かりました」

「それでいいのか」

「提案内容を改善するためであれば、問題ありません」

「そうか」

 

ズイフウが、二人の間に置かれた紙を見る。

「似た者同士ですね」

「誰と誰がでしょうか」

先ほどと同じ質問を、ユトがした。

 

今度は。

エドナだけでなく、ロゼも声を出して笑った。

 

***

 

午後。

 

人間と天族が共同で使う集会所に、人が集まった。

 

全員は入れない。

そのため、扉と窓は開けたままにした。

外にも椅子と長椅子を並べる。

 

市場で働く者。

畑を使う者。

学校の教師。

研究所に出入りする者。

セルディアへ住む天族。

一時的に滞在している商人と旅人。

 

話を聞きたい者は、所属や種族を問わず入れることになった。

 

ラドヴァンは、部屋の奥に用意されていた大きな椅子を見た。

「これは何だ」

「公爵用だって」

ロゼが答える。

「誰が用意した」

「宿の人。公爵様を普通の椅子に座らせていいか分からないって」

 

ラドヴァンは大きな椅子を壁へ寄せた。

空いた場所へ、他と同じ椅子を置く。

 

そこへ座った。

 

エドナが言う。

「首都にする気がある人とは思えないわね」

「だからだ」

「何が?」

「今日は、私の城へ呼んだのではない」

 

集会所のざわめきが静まる。

 

ラドヴァンは立ち上がらなかった。

座ったまま、話し始めた。

 

「セルディアを、スラガ公国の首都にしたいと考えている」

 

静かだったのは、一瞬だけだった。

 

「首都?」

「公爵様がここへ来るのか?」

「城を建てるってことか」

「市場はどうなる」

「税が増えるんじゃないのか」

「天族が見えるから?」

 

複数の声が重なる。

 

ラドヴァンは止めなかった。

一通り言葉が出るまで待つ。

 

それから言った。

 

「先に、何を変えないかを伝える」

 

公爵府は移さない。

公爵は恒常的に住まない。

城は建てない。

常備軍を置かない。

移動役所の巡回をやめない。

セルディアの日常の取り決めを、公爵が一つずつ決める形にはしない。

 

「では、何が変わるのですか」

学校の教師が尋ねた。

 

「複数の部族で決める必要がある問題が生じた時、セルディアで会議を開く」

「毎月ですか」

「必要がなければ開かない」

「公爵様も来る?」

「公国全体の決定が必要なら、私も来る」

「普段は?」

「自分の領地にいる」

 

集まった者たちが、互いの顔を見る。

 

想像していた首都と違ったらしい。

 

一人の男が手を挙げる。

「ここは、公爵様の土地になるんですか」

「今も公国の領域ではある。だが、公爵家の私有地として取り上げるつもりはない」

「家や畑を退けることは?」

「会議のための建物と道は必要になる。その場所は、使用者と協議して決める。指定したから明日退け、とは言わない」

 

別の女性が尋ねる。

「首都税みたいなものは?」

「名称だけを理由に新しい税を取る予定はない」

「予定は、って言いましたよね」

「会議所の維持や警備に費用はかかる」

ラドヴァンは答えた。

「ただし、それをセルディアの住民だけに負担させるつもりもない。使う部族と公国政府で分担する」

 

ロゼが手を挙げる。

「人が増えた時、市場の場所を会議用に取られたら困る」

「開催日も含め、先に調整する」

「急に偉い人が来たから、宿を全部空けろっていうのもなし」

「緊急時以外はしない」

「緊急時の定義は?」

 

ラドヴァンが、少し止まった。

ユトを見る。

 

「何でしょうか」

「お前が増えた」

「私は発言していません」

「同じ質問をする顔だった」

 

集会所で笑いが起きた。

 

ラドヴァンも、わずかに口元を緩める。

「戦、災害、街道の大規模な遮断。事前に日を決められない事態だ。それ以外は、先に知らせる」

「分かった」

ロゼが頷いた。

 

今度は。

集会所の後ろにいた天族が、手を挙げた。

「首都になったら、俺たちも公爵の民になるのか」

 

周囲の人間が振り返る。

天族も、答えを待つ。

 

「その問いには、すぐに、なるとも、ならないとも答えない」

ラドヴァンが言った。

「現在の公国法は、人間の住民を前提に作られた部分が多い。天族の法的な位置づけを、首都の指定だけで一方的に決めるつもりはない」

「なら、会議には入れない?」

「そうは言っていない」

 

ラドヴァンは机の上の水路報告を持ち上げた。

 

「川の使い方を決めるなら、その川に住む者を呼ぶ。道を変えるなら、その道と土地に関わる者を呼ぶ」

「公爵の民じゃなくても?」

「決定で生活を変えられるなら、話を聞かない理由にはならない」

 

天族は、まだ納得していない顔をしていた。

「天族を、一度も見たことがない人間が来たら?」

「セルディアへ入れば、見える」

ラドヴァンが答えた。

 

天族がユトを見る。

確認を求めていると判断した。

 

ユトは立ち上がる。

「現在のユイの加護は、セルディア内にいる人間の霊応力を上昇させます。元の霊応力が低く、他の土地では天族を知覚できない人間も、加護範囲内では知覚可能な水準へ達します」

「全員?」

「現在までに確認した者は、全員です」

 

集会所の外にいる者も、エドナとズイフウを見ている。

今日初めてセルディアへ来た護衛も、天族の発言に顔を向けていた。

 

「街を出た後も、見えるようになるのか」

別の人間が尋ねた。

「いいえ。恒久的に霊応力が変化するのではありません。ユイの加護範囲を出れば、元の知覚状態へ戻ります」

「じゃあ、ユイがいない時は?」

「天族が当事者となる会議は、原則として、ユイの滞在と加護の発現を確認してから開催します」

「ユイを、ずっとここに置くのか」

「いいえ」

ユトは訂正した。

「ユイに滞在義務を負わせません。ユイが不在で、緊急性もない場合は、会議の方を延期します」

 

ラドヴァンが言う。

「首都にするのはセルディアだ。ユイを、公国の道具にするのではない」

 

エドナの表情が、少しだけ緩んだ。

「それならいいわ」

 

ユトは黒板の横へ、一枚の紙を貼った。

 

「首都指定に伴う条件案を読み上げます」

 

一。

セルディア内部の日常的な事項は、従来通り、当事者及び居住者が決定する。

 

二。

会議の対象は、複数部族、公国全体、または国外との関係に影響する事項とする。

 

三。

公爵及び公国政府は、会議開催のみを理由として、恒常的な居住、土地の収用、常備軍の駐屯を行わない。

 

四。

会議所、道路、宿泊、警備に必要な費用を、セルディア側のみに負担させない。

 

五。

決定によって生活、住処、信仰、加護その他の影響を受ける天族を、当事者として会議へ参加させる。

 

六。

天族を当事者とする会議は、ユイがセルディアに滞在し、人間側の霊応力上昇が確認できる状態で開催する。

 

七。

首都指定を理由として、ユイに滞在または加護の発現を強制しない。

 

八。

ユトを、セルディア全体または天族全体の代表者として扱わない。

 

最後の一項で。

集会所が少し静かになった。

 

ラドヴァンが言う。

「それは、今ここで必要か?」

「必要です」

「誰も、お前を代表にするとは言っていない」

「現時点では」

「今後も、勝手にはしない」

「では、条件に含めても問題はありません」

「……そうだな」

 

ロゼが手を叩いた。

「そこ、大事だよ」

「何故でしょうか」

「ユトを代表にすると、街に相談しに来た人が、まず全部の定義を確認されるから」

「必要な確認です」

「だからだよ」

 

今度の笑いは、先ほどより大きかった。

 

ユトは理由を理解できなかった。

ただし。

条件への反対ではないと判断し、説明を続けた。

 

「以上は、午前中の確認に基づく案です。追加及び修正が必要です」

 

一人ずつ。

意見を出す。

 

会議のある日も、学校を閉めないこと。

市場へ続く道を塞がないこと。

天族が見えることを、見世物として宣伝しないこと。

長期滞在者が増える場合、井戸と廃棄物処理を先に整えること。

公爵や部族長の宿泊を理由に、一般の旅人を路上へ出さないこと。

街の住民に関わる案件では、人間側と天族側の双方へ事前に知らせること。

 

すぐに答えが出ないものもあった。

 

誰が、会議の議題を選ぶのか。

どの範囲を《複数部族に関わる》と判断するのか。

参加者の数が増えすぎた場合、誰を中へ入れるのか。

急いで決めなければならない時、どこまで確認を省けるのか。

 

ユトは答えを作らなかった。

『未決定』

と書く。

 

その横へ。

決定前に確認する者と期限を書いた。

 

ラドヴァンも、分からないことを分かったとは言わなかった。

 

「今日は、首都にすると決める日ではない」

最後に言った。

「私が、そうしたいと提案する日だ」

 

セルディアの住民。

ここに暮らす天族。

公国の各部族。

 

それぞれが、条件を確認する。

 

「反対があれば?」

畑の女性が尋ねた。

「理由を聞く」

「それでも反対なら?」

「反対を消すために、兵を置くようなことはしない」

「じゃあ、首都にできない?」

「条件を変えられるか確認する。それでも両立しないなら、別の場所を探す」

 

ラドヴァンは、集まった者たちを見る。

「私は、国全体で集まる場所が必要だと考えている。だが、そのために、既にここで暮らしている者を退けるなら、セルディアを選ぶ意味がない」

 

誰も、すぐには拍手をしなかった。

 

賛成したわけでもない。

反対がなくなったわけでもない。

 

質問が続いた。

 

日が傾くまで。

 

***

 

その夜。

 

公爵は、市場に近い宿へ泊まった。

 

一番大きい部屋ではない。

護衛と連絡を取りやすく、外へ出る扉が二つある部屋だった。

 

移動役所の役人は、宿の一階に机を出した。

 

せっかく公爵府から来たのだからと、住民が相談を持ち込む。

 

税の記録。

出生の届け。

別の部族の土地へ移るために必要な書類。

交易路で壊れた橋についての報告。

 

役人は、普段の移動役所と同じように処理した。

 

公爵が来ていても。

街が公爵府になったわけではなかった。

 

研究所では。

ユトが、集会で出た質問を分類していた。

 

『首都指定前に解決が必要』

『試行期間中に確認可能』

『既存制度で対応可能』

『現時点では判断材料不足』

 

ロゼが、紙の束を見下ろす。

「結局、増えたね」

「はい」

「何枚?」

「現在、二十三枚です」

「明日も増える?」

「可能性があります」

 

エドナは、黒板に残った文字を見ていた。

 

『首都』

 

その下に。

 

『公爵の恒常居住地ではない』

『公国全体で決定を行う際の共通集合地点』

 

と書かれている。

 

「ずいぶん地味な首都ね」

「華美であることは、条件に含まれていません」

「そういう意味じゃないわよ」

 

――首都って、大きい街?

ユイが尋ねる。

 

ユトは黒板を見る。

「規模は、定義の必要条件ではないと思います」

――偉い人がいるところ?

「今回の提案では、公爵は普段ここにいません」

――じゃあ、何?

 

ユトは少し考えた。

 

昼から確認したこと。

決まったこと。

まだ決まっていないこと。

 

「みんなで決める必要がある時、集まる場所です」

 

――いつもは?

「いつもは、ここに住む人と天族の場所です」

 

ユイは、少し考えた。

 

――いつもと同じ?

「その状態を維持することが、条件の一つです」

 

――わたしが、出かけたら?

「セルディアが首都ではなくなるわけではありません。ただし、天族が関係する会議は、原則として貴方が戻るまで待ちます」

――帰ってこなきゃだめ?

「いいえ。帰還を義務にはしていません」

 

ユイは、少し長く考えた。

 

――じゃあ、いいと思う。

 

エドナが笑う。

「ユトより早いわね」

「私は反対していません」

「賛成もしてないでしょう」

「条件を確認しています」

「それを言ってるのよ」

 

***

 

提案から二十日後。

 

セルディアの人間と天族は、それぞれの方法で提案を検討した。

各部族からも、質問と修正案が届いた。

 

ただし。

文面だけでは、実際に機能するか分からない。

 

そのため。

首都指定を決める前に、一度、広域会議を試すことになった。

 

提案後、最初の広域会議が、セルディアで開かれた。

 

議題は。

セルディアを首都とするかどうかではなかった。

 

冬を前にした、南部交易路の維持についてだった。

 

道は、複数の部族の土地を通る。

利用する商人も、一つの土地の者だけではない。

崩れやすい斜面には天族が住み、迂回路の候補地には別の集落の放牧地がある。

 

一つの部族だけでは決められない。

 

そのため。

ラドヴァン公が、再びセルディアへ来た。

 

公国の各部族から、委任を受けた代表者が来る。

道を使う商人が来る。

斜面と風の状態を知る天族が来る。

迂回路の土地を使う者が来る。

 

集会所には、前回より長い机が置かれた。

 

上座は作らなかった。

 

ラドヴァンは地図が見える位置へ座る。

部族の代表者も、当事者も、同じ机を囲んだ。

 

ユイは、ユトとともにセルディアにいた。

 

それだけで。

会議へ来た人間全員の霊応力が、天族を知覚できる水準まで上がっている。

 

北の部族から来た代表者は、斜面に住む風の天族を見ていた。

 

彼は、これまで一度も天族を見たことがない。

公爵府から届いた記録で、斜面に天族がいると知らされていただけだった。

 

それでも今は。

向かいの席にいる天族の姿が見える。

声も、直接聞こえる。

 

「あなたが、あの斜面に住んでいる天族か」

「そうだ」

「記録では、風の流れを管理していると」

「管理しているわけじゃない。長く見ているから、変化が分かる」

「では、その変化を聞きたい」

 

通訳は挟まなかった。

天族を知覚できる者だけを、部族の代表に選び直す必要もなかった。

 

部族が、自分たちの事情を話せる者を選ぶ。

天族が、自分の事情を自分の言葉で話す。

 

その二人が、同じ相手を見ながら話していた。

 

「斜面へ杭を打てば、冬の風が変わる」

天族が言う。

 

人間たちが、天族へ顔を向ける。

 

「風が変わると、何が起きる?」

部族の代表者が尋ねた。

 

天族が答える。

 

「雪が、今まで落ちなかった谷側へ溜まる」

「道が埋まる?」

「道だけではない。下の水場が春まで凍る」

 

迂回路を使う予定だった集落の者が、地図を見る。

「それなら、こっちへ道を寄せるのも駄目だ。春の家畜の水がなくなる」

 

別の案を出す。

 

杭を打つ範囲を減らす。

危険な時期だけ、道を閉じる。

閉鎖中は、東側の古い道を使う。

ただし、古い道の橋を補修する。

費用は、道を通る荷へ薄く加算し、公国政府と関係部族も負担する。

 

午前中には、決まらなかった。

 

昼を過ぎても、決まらなかった。

 

途中で。

一人の代表者が言った。

「公爵が決めればいいだろう」

 

ラドヴァンは首を横へ振った。

「決めるために、ここへ来た」

「なら」

「私一人で決めるためではない」

 

ラドヴァンは地図を指す。

「道を閉じた時に困る者。迂回路を使われて困る者。工事で住処を変えられる者。その条件を並べた上で、公国として決定する」

 

ユトは会議の端で、記録を取っていた。

 

セルディアの代表としてではない。

天族の代表としてでもない。

 

午前中に合意された発言手順が、正しく使われているか。

未確認の条件が、確認済みとして扱われていないか。

 

求められた時だけ、言葉を挟む。

 

「今の案では、橋の補修完了前に降雪した場合の経路がありません」

「追加する」

 

「《危険な時期》の開始条件が不明です」

「最初の大雪では遅いか?」

「風向きと地面の凍結を見れば、その前に分かる」

天族が答える。

「では、観測条件として記載します」

 

「費用負担の割合が合計で百を超えています」

「……誰が書いた」

「全員が自分の負担を少なくしようとした結果です」

ロゼが言った。

「そこは、もう一度やり直しだね」

 

夕方。

 

ようやく、暫定条件がまとまった。

 

冬の間だけ試す。

不都合が出た場合は、春を待たず再び集まる。

工事によって予想外の変化が生じた場合、元に戻せる範囲を越えて進めない。

 

全員が、満足したわけではなかった。

 

東の道を管理する部族は、負担が増えた。

商人は、通行料の加算を嫌がった。

天族は、少数でも杭が打たれることを好まなかった。

 

それでも。

自分の知らない場所で、全部を決められることにはならなかった。

 

最後の文面を確認する。

 

以前から天族を見られた者。

セルディアへ来て、初めて見られるようになった者。

人間。

天族。

 

それぞれが、自分に関わる条件を読む。

 

合意が成立した。

 

***

 

会議の終了後。

 

ラドヴァンは、公国の各部族の代表者たちへ、改めて首都の提案を出した。

 

二十日前に作成した条件。

セルディアで追加された条件。

各部族から届いた修正案。

 

それらをまとめた文書を、全員で確認する。

 

名称については、最後まで意見が割れた。

 

「首都と呼べば、公爵府が移ると誤解される」

ある部族の代表者が言った。

 

「だが、国外へ説明するには、その方が早い」

別の者が答える。

 

「《公国共同会議地》では駄目ですか」

ユトが提案した。

 

ロゼが顔をしかめる。

「長い」

「意味は比較的正確です」

「正確だけど長い」

 

ラドヴァンは、二つの名称を紙へ書かせた。

 

公国内の制度上の名称。

 

『公国共同会議地セルディア』

 

国外への文書と、一般的な呼称。

 

『スラガ公国首都セルディア』

 

「二つにするのですか」

ユトが尋ねる。

「説明が必要な時は、正式な意味を書く。短く呼ぶ時は首都でいい」

「用語による誤解が発生する可能性があります」

「その時は、お前が定義を確認しろ」

「私は、恒常的な担当者ではありません」

「分かっている。今のは冗談だ」

「そうでしたか」

 

ラドヴァンが、小さく息を吐いた。

 

公国の各部族から委任を受けた代表者が署名する。

ラドヴァン公が、公国政府を代表して署名する。

最後に記録官が署名し、その成立を公国の記録へ残す。

 

セルディア側では。

人間側の合意確認を行った者。

天族側の合意確認を行った者。

 

それぞれが名を書く。

 

ユトの名は、代表者の欄にはなかった。

 

その下。

文面及び手続確認者の欄にだけ、記されていた。

 

ユトは、位置が正しいことを確認した。

 

こうして。

セルディアは、スラガ公国の首都になった。

 

城は建たなかった。

公爵府も移らなかった。

翌日から、すべての命令がセルディアから出るようになったわけでもない。

 

変わったのは。

公国全体で決める必要が生じた時、集まる場所が決まったことだった。

 

***

 

翌朝。

 

ラドヴァン公は、セルディアを出る準備をしていた。

 

役人が、移動役所の机を荷車へ戻す。

護衛が馬具を確かめる。

宿の者が、使用した部屋を確認する。

 

街の入口で。

ユトがラドヴァンへ尋ねた。

 

「次回の来訪予定は?」

「決めていない」

「広域会議の予定がないためですか」

「そうだ」

「では、必要が生じるまで、公爵領で過ごされる?」

「そのための首都だ」

 

ラドヴァンは馬へ乗る。

「月次報告は、これまで通り送れ」

「承知しました」

「首都になったからといって、枚数を増やす必要はない」

「必要な変化が増えた場合は増えます」

「そう言うと思った」

 

一行が、南へ向かう道へ出る。

 

来た時と同じように。

荷車を止めず、羊の群れを退けず、道を行く者の間へ入っていった。

 

市場は開いた。

学校の鐘が鳴った。

郵便所では、次の便の袋が積まれている。

 

公爵はいなかった。

 

城もなかった。

 

それでも。

国全体で決める必要が生じた時、誰もが集まる場所は決まった。

 

セルディアは、公爵のいない首都になった。

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