不可視性豪雨の調査から、六日後。
セルディアが首都に指定されてから、複数の部族にまたがる相談は、以前よりこの街へ集まりやすくなっていた。
その日。
公国政府の連絡所で処理できなかった婚姻の記録が、研究所へ持ち込まれた。
持ってきたのは、セルディアに置かれた公国政府の連絡役だった。
その後ろに、若い男女が立っている。
「結婚はします」
女が言った。
「でも、同じ場所には住みません」
ユトは二人を見る。
「婚姻後も別居するという意味でしょうか」
「冬は一緒に住む」
男が答えた。
「春から秋は別だ。俺は東の道を移動する。こいつは北の群れから離れられない」
「北の部族では、春に羊の出産があります」
女が補足する。
「夏は高地へ移ります。私は群れの管理を任されているので、婚姻を理由に辞める予定はありません」
「俺も、交易を辞める気はない」
「所属する部族は変更されますか」
「しない」
「しません」
二人の返事が重なった。
連絡役が、机の上へ一枚の紙を置く。
婚姻を公国政府と双方の部族へ残すための記録だった。
当事者の氏名。
婚姻後の所属部族。
婚姻後の居所。
世帯が所有する家畜。
所属部族と居所の欄は、一つずつしかない。
「どちらを書けばよいのか、決まらなくてな」
連絡役が言った。
「東の部族を書けば、彼女が移ったことになる。北の部族を書けば、今度は彼が移ったことになる」
「どちらも事実ではありません」
「だから困っている」
ユトは二人へ尋ねる。
「双方の部族は、婚姻へ同意していますか」
「ああ」
「話は終わっています」
「財産については?」
「俺の家から馬が二頭。こいつの家から羊が十二頭出る」
「冬営地で一緒に飼います。ただし、今持っている群れはそれぞれのものです」
「婚姻後に生まれた家畜は、すべて共同所有となりますか」
男と女は顔を見合わせた。
「そこまでは決めてないな」
「子供が生まれた場合、どちらの部族へ所属しますか」
「それも、まだです」
「どちらかが負傷し、移動または労働を継続できなくなった場合は?」
「……それもだ」
連絡役が額へ手を当てた。
「欄が足りないだけだと思っていたんだが」
「不足しているのは、欄だけではない可能性があります」
「話を大きくするな」
「婚姻後に問題となり得る条件を確認しています」
「今、この二人が書ける紙を作ってくれればいい」
「そのためには、婚姻によって何を記録する必要があるのか確認しなければなりません」
連絡役は、しばらくユトを見た。
それから、二人へ向き直る。
「急ぐか?」
「冬までには」
男が答えた。
「まだ二か月ある」
「では、調査可能です」
「二か月全部使うなよ」
「必要な期間は、現時点では予測できません」
女が少し笑った。
「この人に頼めば、こうなると聞いていました」
「誰からでしょうか」
「市場の人たちです」
ユトは、未記入の記録用紙を受け取った。
「分かりました。スラガにおける恋愛、婚姻、所属、居所及び財産の関係を確認します」
「恋愛まで調べるのか?」
連絡役が聞く。
「恋愛感情が婚姻の成立条件であるか、現時点では確認できていません」
「普通は、好きだから結婚するんじゃないか」
「常に一致するとは限りません」
連絡役は何か言おうとして、やめた。
「……分かった。終わったら呼んでくれ」
「はい」
三人が出ていく。
ユトは新しい紙を出した。
『スラガ公国における恋愛及び婚姻慣習の調査』
その下へ、確認事項を書く。
婚姻当事者の意思。
親族及び部族の関与。
婚姻後の所属。
季節ごとの居所。
家畜、家屋及び道具の所有。
扶養。
相続。
子供の所属。
離婚時の財産分割。
最後に。
『婚姻当事者の人数』
と書いた。
――誰と調べるの?
ユイが尋ねる。
「ライラさんへ、協力を依頼します」
――ライラ、詳しい?
「古い時代の婚姻慣習を複数確認している可能性があります。また、私より聞き取りに適した質問ができると思います」
――ユト、質問下手?
「回答者が不快に感じる質問を、事前に判別できない場合があります」
――下手なんだね。
「はい」
ユトは、ライラへ送る手紙を書き始めた。
***
ライラがセルディアへ来たのは、七日後だった。
研究所の扉が開く。
「こんにちは、ユトさん」
「こんにちは、ライラさん」
ライラは、手に小さな鞄を持っていた。
中には筆記用具と、古い婚姻儀礼について記された本が二冊入っている。
「ご依頼のお手紙を拝見しました。もう調査項目が十四個もあるのですね」
「送付後に三項目追加しました」
「まあ」
「多すぎますか」
「いいえ。ユトさんからのご依頼ですもの。このくらいは予想しておりましたわ」
ユトは椅子を引いた。
ライラが座る。
机の端には、ライラが使う杯が置かれていた。
来訪の知らせを受けた後、ユトが用意したものだった。
ライラは杯を見て、少し笑った。
「覚えていてくださったのですね」
「以前、こちらを使用されていましたので」
「はい」
ユトは調査計画を渡した。
「ライラさんへ確認したいことがあります」
「何でしょう?」
「過去に確認した婚姻慣習について、記憶している範囲で教えていただけますか」
「構いません。ただし、私が知っているのは、別の土地や古い時代のことも含まれます。今のスラガで有効な慣習とは限りませんわ」
「比較資料として記録します。現在の慣習を示す根拠には使用しません」
「それでしたら」
ライラは本を開いた。
同じ氏族との婚姻を禁じる土地。
同じ共同体の中で婚姻することを望ましいとする土地。
親族が相手を選ぶ場合。
本人たちが相手を選び、親族が婚資や居所を決める場合。
婚姻後、夫側の土地へ移る場合。
妻側へ移る場合。
どちらにも移らず、新しい世帯を作る場合。
一つずつ、条件が違っていた。
「共通する形式はありますか」
「すべてに共通すると言えるものは、ほとんどありません」
ライラが答える。
「婚姻は当事者同士の関係であると同時に、家族や共同体の間へ新しいつながりを作るものでもありました。ですが、そのつながり方は土地によって異なります」
「恋愛感情は?」
「ある場合も、ない場合もありましたわ」
「婚姻後に生じる場合も?」
「ええ。反対に、恋をしていても婚姻しなかった方々もいます」
ユトは記録する。
『恋愛感情と婚姻の成立は、常に一致するとは限らない』
ライラが、その文字を見る。
「以前のお手紙と、少しつながっていますね」
「はい」
「恋愛感情を判別する基準は、見つかりましたか?」
「まだです」
「そうですか」
ライラは、それ以上尋ねなかった。
「では、今のスラガについて伺いに参りましょう」
「はい」
ユトは調査用紙を取った。
ライラも立ち上がる。
「ところで」
「はい」
「私へご依頼くださった理由は、古い慣習を知っているからでしょうか」
「それもあります」
「他にも?」
「ライラさんは、回答者が話した内容と、話していない内容を区別できます」
ライラの目が、わずかに細くなる。
「ユトさんご自身が、私の言葉へ余分な意味を加えなかったように?」
「はい」
「それから?」
「私よりも、回答者が話しやすい質問方法を選べます」
「それは、褒めてくださっているのでしょうか」
「はい」
ライラは、嬉しそうに笑った。
「では、ご期待に添えるよう努めますわ」
***
最初に話を聞いたのは、婚姻記録を持ち込んだ二人だった。
男はトルガ。
東の交易隊に属し、馬と革製品を運んでいる。
女はサラン。
北の部族に属し、羊の群れを管理している。
二人は、セルディアの春の市場で知り合った。
「毎年、同じ時期に来ていたのですか?」
ライラが尋ねる。
「はい」
サランが答えた。
「最初の年は、馬を羊の囲いへ入れられました」
「入れたんじゃない。逃げたんだ」
トルガが言う。
「二年目は、干していた毛織物を踏まれました」
「あれも馬だ」
「三年目は?」
ライラが聞く。
「馬が逃げる前に、本人が囲いを直しに来ました」
サランは、トルガを見る。
「それで、少しは信用してもよいと思いました」
「少しか」
「今も、馬の管理については信用していません」
トルガは何か言い返そうとした。
サランが少し笑う。
それを見て、言うのをやめた。
ユトが尋ねる。
「婚姻を決定した時期は?」
「去年の冬だ」
「恋愛感情が生じた時期は?」
二人が黙った。
トルガが言う。
「それを、役所に言う必要があるのか?」
「婚姻の成立条件を確認するためです」
「条件なら、両方が結婚すると決めた。それでいいだろ」
ライラがユトを見る。
「ユトさん。少しよろしいですか」
「はい」
ライラは二人へ向き直る。
「離れている間、相手のことで何を一番気にかけますか?」
先に答えたのは、サランだった。
「東の道は、春に川が増えます。荷車が渡れるか、毎年気になります」
「俺は、北の雪だな。羊が春まで足りるか」
「それは、婚姻を決める前から?」
「はい」
「いつからか、覚えていますか?」
二人は少し考えた。
「分かりません」
サランが答えた。
「気づいた時には、知らせを待つようになっていました」
ライラは頷いた。
「ありがとうございます」
研究所へ戻る途中、ユトは尋ねた。
「先ほどの回答は、恋愛感情が生じた時期を示しますか」
「その可能性はあります」
「記録してよいでしょうか」
「推測としてなら。ですが、あのお二人は恋愛感情だとはおっしゃっていません」
「では、事実としては記録しません」
ユトは調査用紙へ書く。
『互いの移動及び生業の安全を、婚姻決定前から継続して気にかけていた。感情の分類及び発生時期は、当事者にも判別不能』
ライラが覗き込む。
「とても正確ですわ」
「はい」
「でも、それだけではないことも、分かりますか?」
ユトは、先ほどの二人を思い出す。
トルガが言い返すのをやめたこと。
サランが笑ったこと。
互いが移動する道と、飼っている家畜の状態を覚えていたこと。
「記録されていない情報があることは分かります」
「今は、それで十分です」
***
二人は、セルディアへ来ていた者たちへ話を聞いた。
婚姻して四十二年になる夫婦は、今も一年の半分を別々の群れと過ごしていた。
「一緒にいない期間が長くても、婚姻は継続しますか」
ユトが尋ねる。
「当たり前だ」
夫が答えた。
「春から秋まで顔を見ないくらいで、妻でなくなるものか」
「離れていて、寂しくはありませんか?」
ライラが聞く。
妻は少し考えた。
「静かすぎるとは思うね」
「私がうるさいと言いたいのか」
「帰ってきたその日に喧嘩を始める男が、静かなわけないだろう」
二人は、そのまま去年の冬の喧嘩について話し始めた。
別の夫婦は、婚姻時に双方の親から家畜を受け取り、どちらの一族にも属さない新しい群れを作っていた。
「親が相手を決めたのですか?」
ライラが尋ねる。
「違うよ」
妻の母親が答えた。
「相手は本人たちが決めた。私たちが決めたのは、羊を何頭持たせれば冬に飢えずに済むかだ」
ある部族では、同じ父系氏族に属する者との婚姻が禁じられていた。
別の部族では、同じ部族の中で相手を選ぶことが望ましいとされていた。
ある土地では、婚姻後の子供は父の部族へ所属した。
別の土地では、実際に子供を養育する側の部族へ所属した。
季節によって両方の土地を移動する子供もいた。
離婚時に、婚姻時の家畜を元の家へ返す慣習。
増えた家畜だけを分ける慣習。
子供の養育を担当する側へ、多く残す慣習。
どれも、スラガの一部では行われていた。
どれも、公国全体に共通する規則ではなかった。
三日目の夕方。
二人は研究所へ戻った。
机の上へ、聞き取り記録を地域ごとに並べる。
ライラが言う。
「スラガの婚姻慣習を、一つだけ書くことは難しそうですね」
「はい」
「無理に一つへ揃えれば、今まで成立していた婚姻を、記録の方が否定することになります」
「適切ではありません」
ユトは、最初の記録用紙を見る。
婚姻後の所属部族。
婚姻後の居所。
どちらも、一つの答えを前提としている。
「婚姻することと、どちらか一方の生活様式を放棄することは別です」
「ええ」
「この用紙では、その二つが同一のものとして扱われています」
「では、分けましょう」
ライラは新しい紙を取った。
『婚姻関係』
『所属部族』
『季節ごとの居所』
『共同財産』
『個人財産』
『扶養及び緊急時の対応』
『子供が生まれた場合の協議方法』
「これでしたら、婚姻関係を記録しても、お二人の所属や暮らしを一つにする必要はありません」
「はい」
ユトは、その案を書き写した。
ライラが尋ねる。
「恋愛感情の欄は作らないのですか?」
「作りません」
「理由を伺っても?」
「当事者が婚姻を望んでいるかは、個別に確認できます。しかし、恋愛感情が存在するかを、政府が客観的に確認する方法はありません」
「そうですわね」
「また、恋愛感情がない婚姻を一律に無効とする根拠も確認できませんでした」
「心の内を役人へ証明できなければ結婚できない制度は、困りますもの」
ライラは、少しだけ笑った。
「ですが」
「はい」
「私自身が婚姻するのであれば、相手を好きでありたいと思います」
ユトの手が止まる。
「それは、婚姻制度への意見ではなく、ライラさん個人の希望ですか」
「はい」
「意中の男性と婚姻する場合も?」
今度は、ライラが止まった。
以前の手紙で。
自分には、意中の男性がいると答えている。
名前は伝えていない。
「ええ」
ライラは答えた。
「できることなら、その方と」
「現在の生活を変更する予定はありますか」
「……もう少し、順番があると思いますわ」
「何の順番でしょうか」
「まずは、その方へ気持ちをお伝えすることです」
「まだ伝えていないと書かれていました」
「はい」
「その後、相手の意思を確認する?」
「そうです」
「双方が婚姻を希望した場合に、生活条件を確認する?」
「ええ」
ユトは頷いた。
「適切だと思います」
「ありがとうございます」
ライラは、自分の前にある杯を両手で持った。
「ユトさんは、もし婚姻なさるとしたら、ご自身の生活を変えられますか?」
ユトは少し考えた。
「相手が現在の生活の継続を希望する場合、一方のみが生活を放棄しなくてもよい方法を検討します」
「ご自身の生活については?」
「変更可能な部分と、継続する必要がある部分を確認します」
「研究をやめてほしいと言われたら?」
ユトは、先ほどより長く考えた。
「理由を確認します」
「そこからなのですね」
「理由によって、必要な対応が異なります」
「そうですわね」
ライラは笑った。
「では、一緒にいてほしいと言われたら?」
「必要な期間及び場所を確認します」
「ユトさん」
「はい」
「その時は、ご自身も一緒にいたいか、確認してくださいね」
ユトは答えなかった。
質問の意味が分からなかったわけではない。
相手の希望を満たせるかではなく。
自分が、その相手と共にいることを望むか。
それを確認する必要がある。
「分かりました」
少し遅れて、答えた。
ライラは、それ以上何も言わなかった。
ユトも、今の会話を調査記録へは書かなかった。
***
次に確認したのは、公国の成文法だった。
移動役所が保管している法令集。
公爵府からセルディアへ送られた写し。
各部族の代表者が提出した慣習記録。
過去の婚姻をめぐる紛争の裁定例。
ユトとライラは、一つずつ調べた。
婚姻可能な年齢。
本人の意思に反する婚姻の扱い。
親族間婚姻を制限する部族慣習。
婚姻時に渡された家畜の所有。
相続。
離婚。
一夫一妻を前提として書かれた記録は多かった。
だが。
『一名の者が婚姻できる相手は一名に限る』
そう定めた法令は見つからなかった。
古い裁定例の中には、一人の夫と二人の妻について、三名を一つの婚姻世帯の当事者として記録し、財産と扶養を三名間で定めた例が一件あった。
別の地域の記録には、戦で配偶者を失った二つの世帯が、後に一つの婚姻世帯として扱われた例があった。
いずれも珍しい。
現在の慣習を示すには、数が少なすぎる。
それでも、存在しなかったことにはできない。
連絡役が、資料を見て眉を寄せる。
「今、相談されているのは男一人と女一人だろう」
「はい」
「ここまで調べる必要があるのか?」
「婚姻当事者を二名に限定する根拠があるかを確認せず、記録欄を二名分だけにすることはできません」
「普通は二人だ」
「一夫一妻が一般的であることは確認しています。ただし、スラガの現行法上、複数名との婚姻を禁止する明文規定は確認できませんでした」
連絡役は、古い裁定例を見る。
「一人の男に、二人の妻か」
「はい」
「逆はないぞ」
「一名の女性に、複数の夫がいる場合は禁止されていますか」
「聞いたことがない」
「前例がないことと、禁止されていることは同義ではありません」
連絡役が黙った。
ライラが、穏やかに言う。
「人数を制限する規定がないのでしたら、性別によって扱いを変える根拠も、別に確認する必要がありますわ」
「ライラさんまで」
「大切な区別ですもの」
連絡役は、二人を交互に見た。
「では、複数いれば全部認めるのか?」
「いいえ」
ユトは答える。
「人数と、婚姻が適切に成立しているかは別の問題です」
本人たちの意思。
既に配偶者がいる場合、その者へ秘匿していないこと。
全当事者が、関係を理解して同意していること。
財産、扶養、相続及び子供の扱いについて、一部の者に不利益となる条件が本人の理解及び同意なく設定されていないこと。
複数名であるほど、確認すべき条件は増える。
「二人なら、確認しなくてもよいわけではありません」
ユトが言う。
「サランさんとトルガさんにも、同じ項目を確認します」
連絡役は、机の上に積まれた資料を見る。
「記録用紙が、ずいぶん厚くなりそうだな」
「必要な情報がないより適切です」
「持ち歩く役人のことも考えてくれ」
「では、通常使用する部分と、必要な場合のみ添付する部分を分けます」
「それで頼む」
ユトは新しい用紙の上部へ、『婚姻当事者』と書いた。
その下に、氏名を書く欄を二つ作る。
三人目以降については、追加用紙を使うことにした。
ライラが、その欄を見る。
「随分先まで確認なさいましたね」
「記録を作り直すために必要でした」
「ええ。そういうことにしておきましょう」
「他に理由があるのでしょうか」
「いいえ。今はありませんわ」
ユトは、次の項目へ進んだ。
***
調査を始めてから、九日後。
トルガとサランが、もう一度研究所へ来た。
公国政府の連絡役も一緒だった。
机の上には、新しい婚姻記録がある。公爵府が暫定様式として承認したものだ。
婚姻当事者。
婚姻前後の所属部族。
季節ごとの主な居所。
共同生活を予定する期間。
婚姻前から所有している個人財産。
婚姻時に双方から出される共同財産。
緊急時に連絡する相手。
負傷または病気によって移動できなくなった場合の対応。
子供の所属については、今決めることを求めなかった。
ただし、出生した場合に、双方の部族と当事者が協議することを記録した。
「婚姻後の所属は?」
連絡役が確認する。
「トルガさんは東の交易隊及び現在の部族に所属を継続。サランさんは北の部族に所属を継続」
「居所は?」
「春から秋は別々です」
サランが答える。
「冬は、北の冬営地に近い共同家屋で暮らします」
「馬二頭と羊十二頭は?」
「共同所有とします」
トルガが答えた。
「そこから増えた家畜も、共同のものだ」
「元の群れと、交易用の馬は?」
「それぞれの所有を継続します」
連絡役が一つずつ書く。
最後に、婚姻の意思を別々に確認した。
先にトルガ。
次にサラン。
どちらも、婚姻を望んでいると答えた。
二人が署名する。
それぞれの部族へ送る写しにも、同じ内容を残す。
「これで、どちらかが相手の部族へ移ったことにはなりません」
ユトが言った。
「婚姻関係と、所属及び居所を分けて記録しています」
サランは、書かれた内容を読み返した。
「結婚しても、今の群れを続けていいんですね」
「それは、公国政府が許可することではありません」
「え?」
「婚姻のために仕事を辞めるという合意を、貴方はしていません。辞めなければならないという法令及び部族慣習も、確認されませんでした」
サランは少し考えた。
それから、頷いた。
「はい」
トルガが言う。
「冬以外は、今までとほとんど変わらないな」
「変えると合意した部分だけが変わります」
「それで結婚したことになるのか?」
連絡役が答えた。
「なる。そのための記録を、今作った」
トルガは、自分とサランの署名が並んだ紙を見る。
「そうか」
少し笑った。
「なら、それでいい」
二人が研究所を出ていく。
扉の外で、サランが言う。
「今年は、馬を囲いに入れないでくださいね」
「もう逃がさない」
「去年も聞きました」
「今年は柵も直しただろ」
声が遠ざかっていく。
ライラは、二人の後ろ姿を見送った。
「同じ場所にいなくても、同じものにならなくても、夫婦にはなれるのですね」
「はい」
「セルディアらしい婚姻記録になりました」
「セルディア固有の婚姻形式を作ったわけではありません」
「分かっていますわ」
ライラは笑う。
「違うものを、違うまま記録できるようにしたのでしょう?」
「はい」
ユトは、調査報告書の最後を確認した。
『スラガ公国では、一夫一妻が一般的であることを確認した』
その下に。
『ただし、現行法上、婚姻当事者数の上限を定める明文規定は確認できない』
『複数名による婚姻を申告する場合、既存の配偶者を含む全当事者の意思を個別に確認する必要がある。財産、扶養、相続及び子供の扱いについては、人数及び性別にかかわらず記録する』
他の注意事項と、同じ大きさの文字で書かれている。
ライラが、その部分を読む。
「ユトさん」
「はい」
「もし、いつかご自身の婚姻についてお考えになる時も、これほど多くの資料をご用意なさるのですか?」
ユトは少し考えた。
「確認が必要な条件は、事前に整理すると思います」
「やはり」
「問題がありますか」
「いいえ」
ライラは、楽しそうに答えた。
「ただ、お相手にも読む時間を差し上げてくださいね」
「はい」
「それから」
「はい」
「資料へ書かれていない気持ちがあることも、忘れないでください」
ユトは、トルガとサランの聞き取り記録を見る。
相手の移動する道を気にかけること。
雪が降れば、群れの無事を考えること。
離れている間、知らせを待つこと。
いずれも、婚姻の成立条件にはしなかった。
それでも、存在しないことにはしなかった。
「分かりました」
ユトは答えた。
婚姻記録には、二人分の署名が残った。
追加用紙は使われなかった。
複数名との婚姻について確認した一項は、将来必要になる可能性のある記録として、他の調査結果と共に保管された。