ロゼがセルディアを出発してから、九日後。
レディレイクの王城へ、ローランス帝国から一通の文書が届いた。
正式な国書ではない。
帝国の外務を担当する官吏から、ハイランド側の担当者へ送られた非公式の照会だった。
現在の王が、アリーシャを会議室へ呼んだ。
机の上には、文書の原本と、その写しが置かれている。
「私に関する話だと聞いた」
「はい」
王は、写しの方をアリーシャへ差し出した。
「まだ検討案です。ローランス皇帝陛下から、正式に申し入れられたものではありません」
「分かった」
アリーシャは、最初の頁を読む。
そこに書かれていた名前は、二つだった。
アリーシャ・ディフダ。
ローランス皇子エリアス。
ローランス皇帝レオンと、皇妃リュネットの息子。
以前、セルディアを視察した皇子だった。
『ハイランド王族アリーシャ殿下及びローランス皇子エリアス殿下の婚姻可能性について』
アリーシャの指が止まる。
「婚姻か」
「はい」
文書は、婚姻だけを提案しているわけではなかった。
ハイランドとローランスの国境地域における、関税手続きの簡略化。
凶作及び大規模災害時の食料相互供給。
医師、薬師及び技術者の派遣。
セルディアで確認された、人間と天族の共同生活に関する研究交流。
両国の定期協議。
最後に。
両国関係を長期的に安定させる象徴として、アリーシャとエリアスの婚姻を検討すること。
「条件だけを見れば、悪い話ではない」
アリーシャが言った。
「はい」
「国境地域の交易については、こちらからも協議を求めていた」
「食料供給の枠組みも、あれば助かります」
「医師の派遣もだ」
二十年前。
アリーシャが眠っていた間にも、ハイランドでは疫病が発生した。
対応は行われた。
国は続いた。
それでも、医師と薬が不足した地域はあった。
隣国との連携が早ければ、救えた者が増えた可能性もある。
アリーシャは次の頁をめくった。
「エリアス殿下は、この話をご存じなのだろうか」
「文書には記載がありません」
「では、まだ確認されていない?」
「その可能性が高いと思われます」
アリーシャは文書を閉じなかった。
王が言う。
「殿下」
「何だ」
「この国が、殿下へ婚姻を命じることはありません」
アリーシャが顔を上げる。
王は、まっすぐにアリーシャを見ていた。
「二十年前の王位へ戻らないことも、殿下ご自身が決められました。現在のハイランドが、その代わりに殿下の婚姻を利用してよいとは考えていません」
「だが、国へ利益がある」
「あります」
「私一人が承諾することで、実現する可能性がある」
「だからこそ、先に殿下ご自身の意思を確認しています」
命令ではなかった。
拒否してもよいと、明確に言われている。
アリーシャが二十年前に残した仕組みは、今も動いている。
王族一人の判断だけで国を動かさない。
同時に。
国のためという言葉だけで、王族一人へすべてを背負わせない。
「すぐに返事をする必要はありません」
「回答期限は?」
「正式なものはありません。ただ、先方は次の定期協議までに、検討を始める意思があるか知りたいようです」
「あと六十二日か」
「はい」
アリーシャは文書を、もう一度最初から見た。
二つの名前。
五つの協議事項。
婚姻。
「少し、考えさせてほしい」
「もちろんです」
写しを受け取る。
会議室を出る前に、アリーシャはもう一度尋ねた。
「私が断った場合、国は困るだろうか」
王は、すぐには答えなかった。
「交渉の機会を一つ失う可能性はあります」
「そうか」
「ですが」
王が続ける。
「殿下が望まない婚姻を受け入れなければ維持できない外交関係であれば、それ自体を見直す必要があります」
アリーシャは、少しだけ目を見開いた。
それから。
「分かった」
と答えた。
***
自室へ戻る。
机の上へ、ローランスから届いた文書の写しを置いた。
その隣に、小さな木箱がある。
角には、長く使われた跡が残っている。
側面には、消さずに残した試験番号。
アリーシャは蓋を開いた。
開く。
ここは地上だった。
中には、筆記具。
折り畳まれた紙。
封を開けた手紙。
ユトから届いたものもある。
ザビーダから届いたものもある。
一番上には、最近ユトから送られてきた、セルディアの婚姻記録についての報告が入っていた。
異なる部族に所属したまま婚姻した二人。
季節によって、別々の場所で暮らす夫婦。
婚姻と、所属と、居所を分けて記録する仕組み。
ライラからも、その調査について聞いていた。
本人の意思。
共同財産。
扶養。
子供。
既に配偶者がいる場合の情報共有。
一つずつ確認したという。
アリーシャは、新しい便箋を出した。
最初に。
『ユト様へ』
と書く。
少し考えてから、その下へ続けた。
『ここからは、公開を予定していない政治上の相談になる。内容の共有は、必要な範囲に限ってほしい』
ユトなら。
この一文だけで、誰へどこまで見せてよいか確認するだろう。
おそらく、誰にも見せない。
アリーシャは、届いた提案の内容を書く。
ただし、関与した官吏の名前と、交渉前の金額は省いた。
エリアスの名前は書く。
ユトは、既に本人と会っている。
『エリアス殿下について、ユト様が確認した範囲で教えてほしい』
筆が止まる。
それだけでは、足りない。
『私は、エリアス殿下と婚姻したいと思っているわけではない』
書いた。
読み返す。
消さなかった。
『だが、私の婚姻によって、両国へ利益が生じる可能性がある』
『王は、私自身が決めることだと言ってくださった』
『それでも、王族である私が、個人の希望だけを理由として退けてよい話なのか、判断できずにいる』
最後に。
『ユト様なら、どの条件を確認するだろうか』
と書いた。
封をする。
通常の手紙とは別に、王城の連絡便へ預けた。
封筒には、アリーシャ自身の封蝋を使った。
***
手紙がセルディアへ届いたのは、七日後だった。
ハイランド王城の使者が、研究所へ来た。
「アリーシャ殿下から、ユト殿へ」
「ありがとうございます」
ユトは封蝋を確認した。
破損はない。
宛名も合っている。
使者から受領記録へ署名を求められた。
記入する。
使者が帰った後も、封書はすぐには開かなかった。
研究所には、学校から来た者が二名いた。
地脈観測記録の写しを取りに来ていた。
二人が必要な資料を受け取り、退室するまで待つ。
扉を閉める。
閲覧中の資料を机の端へ移す。
それから、封を開いた。
――アリーシャ?
「はい」
――手紙?
「はい。ただし、政治上の相談であり、共有範囲が制限されています」
――ユイ、読まない方がいい?
ユトは少し考えた。
ユイは、ユトの内側にいる。
視覚と聴覚を完全に分離することはできない。
だが意図して内容を読み上げることとは異なる。
「私の見た内容が伝わる可能性はあります。ただし、他者へ共有しないでください」
――やろうと思ってもできないよ。
「そうでしたね」
ユトは手紙を読んだ。
最初に、ローランスからの提案。
次に、エリアス。
婚姻。
両国の利益。
アリーシャ自身は、婚姻を希望していない。
最後まで読む。
もう一度、最初へ戻った。
「確認が必要です」
――いっぱい?
「はい」
ユトは、施錠された保管箱を開いた。
過去の来訪者記録を取り出す。
エリアスとリリィがセルディアを視察した日のもの。
滞在時間。
訪問場所。
事前資料の読了確認。
安全上の指示へ従ったか。
予定変更。
本人から出た質問。
ユトは、新しい紙へ事実だけを書き出した。
エリアスは、事前資料を読んでいた。
人間と天族が同じ街で暮らすことへ、強い関心を示した。
学校での誓約術式実習を見学したがった。
予定外の見学を二か所追加した。
休憩時間の短縮について、本人とリリィの双方から同意を得た。
セルディアが、ユト一人の判断へ依存しない街となっていることを評価した。
「以上です」
――結婚できる?
「判断できません」
――いい人?
「視察中に問題となる行動は確認していません。ですが、人格全体を評価できるほど長期間の交流はありません」
――そっか。
「また」
ユトは、アリーシャの手紙へ戻った。
提案文の概要。
両国の官吏が、婚姻を検討している。
現在の王は、アリーシャ本人に決めるよう伝えた。
だが。
「エリアス殿下の意思が確認されていません」
――エリアス、知らない?
「不明です」
婚姻当事者として記載されている者が、提案の存在を知っているか。
婚姻を希望しているか。
どちらも書かれていない。
ユトは返信用の紙を出した。
『アリーシャさんへ』
『エリアス殿下について、私が直接確認した事実を別紙へ記載します』
『ただし、セルディアへ一日滞在した際の記録のみを根拠として、婚姻相手としての適性を判断することはできません』
続ける。
『最初に確認すべき事項は、以下の二点だと思います』
『一。アリーシャさん自身が、当該婚姻を希望しているか』
『二。エリアス殿下本人が、当該婚姻の提案を認識し、婚姻を希望しているか』
一つ目については、既に書かれている。
アリーシャは、希望していない。
だが、国益のためであれば受け入れる意思があるのか。
受け入れなければならないと思っているだけなのか。
そこは明確ではない。
『なお、両国へ利益があることは、婚姻当事者の意思確認を省略する理由にはなりません』
ユトは、そこで筆を止めた。
読み返す。
もう一文、加える。
『国益を理由として婚姻を選択すること自体を、否定するものではありません。それが、当事者本人の選択である場合に限ります』
最後に。
『アリーシャさんは、国へ利益があるため婚姻したいのでしょうか。それとも、利益がある以上、婚姻しなければならないと考えているのでしょうか』
と書いた。
封をする前に、別紙を付ける。
エリアス視察記録。
本人に関する評価と、確認できない事項を分けた。
リリィについても、必要な範囲だけ記録した。
『護衛責任者リリィ・ストレルカの意見を尊重し、予定変更時には了承の有無を確認していた』
それが婚姻適性と関係するかは、分からない。
だがエリアスが、身近な者の判断を無視して行動する人物ではないことを示す情報にはなり得る。
ユトは、返書を王城の使者へ預けた。
***
返事を受け取ったアリーシャは、最初に別紙を読んだ。
視察時のエリアス。
好奇心が強い。
必要な資料は読む。
分からないことを、そのまま質問する。
予定外の場所へ行きたがる。
リリィの了承を確認する。
最後の項目で、アリーシャの目が少し止まった。
『護衛責任者リリィ・ストレルカの意見を尊重し、予定変更時には了承の有無を確認していた』
一度だけではない。
記録の中で、リリィの名は何度も出てくる。
避難経路の確認。
視察予定。
休憩時間。
護衛上の判断。
常に、エリアスの近くにいる。
「信頼しているのだな」
アリーシャは小さく呟いた。
それ以上の意味があるかは分からない。
ユトも、書いていない。
次に、本文を読む。
『国へ利益があるため婚姻したいのでしょうか。それとも、利益がある以上、婚姻しなければならないと考えているのでしょうか』
アリーシャは、すぐには筆を取らなかった。
窓の外を見る。
王城の中庭では、兵士たちが訓練をしている。
その向こうに、レディレイクの街がある。
水路。
橋。
市場。
二十年前とは違う店。
自分がいない時間を生きてきた人々。
この国のために、できることがあるならしたい。
必要とされることは、嬉しい。
それでも。
「私は、エリアス殿下と婚姻したいのか」
声に出す。
答えは。
最初から分かっていた。
「いいえ」
誰もいない部屋で。
アリーシャは、自分へ答えた。
便箋を出す。
『私は、エリアス殿下との婚姻を望んでいない』
今度は、迷わず書いた。
『ただし、国益のために必要であり、他に実行可能な方法がないのであれば、自分の意思で受け入れるべきだと考えている』
読み返す。
『受け入れたい、とは思っていない』
その一文も加えた。
封をする。
返事を出した後。
アリーシャは、ローランスからの文書をもう一度開いた。
関税。
食料。
人員派遣。
研究交流。
定期協議。
婚姻。
一つの文書に書かれている。
だが、本当に、一つなのだろうか。
***
次の返事は、前回より厚かった。
『回答ありがとうございます』
『恋愛感情を伴わない婚姻及び、国益を目的とする婚姻が、常に無効であるとは考えていません』
最初に、それが書かれていた。
アリーシャは読み進める。
ユトは、政略結婚そのものを否定していない。
本人が、国のために婚姻することを選ぶ。
それも、一つの意思になり得る。
ただし。
『今回の婚姻が、他に実行可能な方法のない必要条件であることは、現時点の資料から確認できません』
その下に、表があった。
《提案内容》
《当事者》
《婚姻を必要とする理由》
《婚姻を行わない場合の実施可能性》
最初の項目。
国境地域の関税手続き。
当事者は、ハイランド政府とローランス政府。
アリーシャ個人ではない。
エリアス個人でもない。
婚姻を必要とする理由。
《記載なし》
婚姻を行わない場合の実施可能性。
《両国政府の合意により実施可能と推定。要確認》
次。
災害時の食料供給。
当事者は、両国政府及び実施機関。
婚姻を必要とする理由。
《記載なし》
医師、薬師及び技術者の派遣。
同じ。
研究交流。
同じ。
定期協議。
同じ。
最後。
アリーシャとエリアスの婚姻。
当事者。
《アリーシャ・ディフダ》
《ローランス皇子エリアス》
その二名だけだった。
表の下に、ユトの文章が続いている。
『アリーシャさんとエリアス殿下が婚姻へ同意したとしても、それだけで両国政府及び国民へ、関税、食料供給その他の義務を負わせることはできません』
『反対に、両国政府が関税、食料供給その他の協定を望んだとしても、それだけでお二人の婚姻は成立しません』
『当事者が異なります』
アリーシャは、その一文を長く見た。
当事者が異なる。
ハイランドと、自分。
ローランスと、エリアス。
文書の上では、一つへ束ねられている。
だが、同じものではない。
『王族の婚姻は、本人だけの問題ではないとの考えについて』
次の頁に、その見出しがあった。
アリーシャは息を止める。
自分が最初の手紙へ書いたことだった。
ユトの答えは。
一行だった。
『本人だけの問題ではないことと、本人の問題ではないことは同じではありません』
アリーシャは目を閉じた。
否定されたとは思わなかった。
王族としての責任を、軽く扱われたとも思わない。
むしろ、自分が国を大切にしていることと、国のためなら自分を無視してよいことを、同じものにしなかった。
手紙は、まだ続いている。
『外交条件を婚姻から分離し、それぞれの当事者へ意思確認を行うことを提案します』
『ただし、これは制度上の整理案です。ハイランド及びローランスの外交方針を、私が決定するものではありません』
最後までユトらしい手紙だった。
アリーシャは、最初の頁へ戻った。
表を外す。
ローランスからの文書の横へ置く。
一つに書かれていた条件を、別々の紙へ写していく。
交易。
食料。
人員派遣。
研究。
定期協議。
婚姻。
六枚。
最初の五枚には、両国政府の名を書く。
最後の一枚にだけ。
アリーシャとエリアスの名を書いた。
***
翌日。
アリーシャは、再び王と会った。
机の上へ、六枚の紙を置く。
王が一枚ずつ読む。
「分けたのですか」
「ああ」
関税協議。
食料供給協定。
医療及び技術交流。
人間と天族の共同生活に関する研究交流。
定期協議。
婚姻。
「最初の五つは、政府間で協議できる」
「はい」
「最後の一つだけは、私とエリアス殿下の意思を確認せずに進めるべきではない」
「はい」
王は、ユトの作った表を見る。
「ユト殿へ相談されたのですか」
「分かるか?」
「ここまで分ける方は、他にあまり思いつきません」
アリーシャは少し笑った。
「私も、読んでいてそう思った」
王は婚姻の紙を見る。
「殿下のお答えは?」
アリーシャは、今度は迷わなかった。
「婚姻によって、両国の協議を進めやすくなる可能性はある」
「はい」
「だが、この方法が有効であることは、正当性の証明にはならない」
「私は、この婚姻を望まない」
「承知しました」
王は、それ以上理由を求めなかった。
「では、婚姻については辞退すると回答します」
「待ってほしい」
王の手が止まる。
「エリアス殿下本人の回答は、まだ確認されていない」
「はい」
「私が断ることと、殿下の意思が存在しないことは別だ。縁談を成立させるためではない。本人の名を使って検討が行われた以上、何が検討されたか知らせるべきだと思う」
王は、少し考えた。
「では、先方政府を通じて、エリアス殿下へ確認を求めます」
「頼む」
アリーシャは、婚姻以外の五枚を見る。
「こちらの協議は?」
「継続を提案します」
「婚姻を断っても?」
「殿下が望まない婚姻と交換しなければ得られない条件なのか、先方へ確認しましょう」
以前、会議室で王が言ったことを思い出す。
望まない婚姻を受け入れなければ維持できない外交関係なら、それ自体を見直す。
アリーシャは頷いた。
「そうしてほしい」
***
ローランスで。
エリアスは、自分の執務室へ届いた文書を見ていた。
持ってきたのは、リリィだった。
「ハイランドとの協議に関する機密文書です」
「父上からか?」
「外務院を通じて届いています。陛下も内容をご確認済みです」
「父上は、何と?」
「殿下ご自身の回答を確認するよう、指示されています」
リリィは、封書を机へ置いた。
いつもと同じ動作だった。
ただ。
表紙へ書かれた件名を、エリアスより先に見ている。
《アリーシャ殿下との婚姻可能性に関する本人意思確認》
「リリィ」
「はい」
エリアスは、何かを言おうとした。
だが。
まだ、文書の内容を読んでいない。
自分の意思を確認されていることしか分からない。
リリィは、エリアスが続けるのを待っている。
「……いや」
「そうですか」
リリィは一礼する。
「執務室の外で待機しております。お呼びください」
「ここにいても構わない」
「婚姻に関する本人意思の確認です。護衛が同席しない状態でお読みになった方がよろしいかと」
正しかった。
誰かが同席していることを理由に、望む回答を変えるべきではない。
ユトが作った視察資料にも、似た注意事項があった。
個人の意思確認。
護衛と被護衛者を別々に確認する場合。
「分かった」
リリィが扉へ向かう。
その背中を、エリアスは見た。
扉が閉じる。
一人になってから、封を開いた。
最初に。
婚姻と、外交協議が分けられていた。
関税。
災害支援。
人員派遣。
研究交流。
定期協議。
それらは、婚姻の成否にかかわらず協議を続けたいと書かれている。
最後に。
アリーシャは婚姻を希望していない。
ただし、エリアスの名を使って検討が行われたため、本人の意思も記録してほしい。
「……私も知らなかったぞ」
エリアスは呟いた。
非公式の検討段階だった。
外務官たちは、正式な提案をする前に、両国へ利点があるかを調べたのだろう。
その結果。
紙の上で、アリーシャとエリアスの名が並んだ。
王族。
立場。
両国への影響。
条件だけを見れば、候補になる。
エリアスは、机の向こうにある扉を見る。
その外に。
リリィがいる。
自分の視察へ同行した。
資料を読んだか確認した。
予定外の場所へ行こうとすれば止めた。
それでも、最後には二か所の追加を許した。
幼い頃からいつも近くにいた。
エリアスは返信用の紙を取った。
『アリーシャ殿下との婚姻を希望しません』
最初に書いた。
理由。
外交上の不利益。
相手への評価。
様々な書き方を考える。
最後に。
『アリーシャ殿下に不足があるためではありません』
『私には、別に心を向けている者がいます』
そこまで書いた。
名前を書くために、筆を動かす。
止まる。
本人へ、まだ伝えていない。
アリーシャへ先に知らせる理由はない。
『ただし、その者本人には、まだ伝えていません』
と書いた。
さらに。
『婚姻とは分けて提案された五項目については、協議の継続を希望します』
エリアスは読み返した。
封をする。
「リリィ」
呼ぶ。
扉は、すぐに開いた。
「お呼びでしょうか、殿下」
「ああ」
エリアスは封書を持った。
渡す前に。
少しだけ、リリィを見る。
「……何でしょうか」
「いや」
結局。
何も言わなかった。
「外務院へ戻してくれ」
「承知しました」
リリィは封書を受け取る。
内容を尋ねなかった。