炎上論点スタンプラリー【TOZ】   作:Moa

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サイモン、研究ではない予定を入れる

ライラへ、二通の返事を送ってから五日後、サイモンが研究所へ来た。

手には、厚い紙束がある。

「複数の術者による再現実験を始める」

「本日からでしょうか」

「そのつもりで来た」

ユトは、机の左側を空けた。

 

サイモンが資料を置く場所だった。

棚から、彼女が使う杯を下ろす。

「茶は?」

「用意します」

「先に資料を見ろ」

「湯が沸くまでに確認します」

ユトは水を火へ掛けた。

 

サイモンは外套を椅子へ置く。

机の横にある予定表が、目に入った。

過ぎた日付の欄も、月が替わるまでは消さずに残してある。

五日前。

 

『ライラさんから届いた本を読む――研究目的外』

 

と書かれていた。

「ユト」

「はい」

「この《研究目的外》とは何だ」

「ライラさんから本をいただきました」

「研究に使うなと言われた?」

「はい。物語として読むよう指定されました」

 

「読んだのか」

「はい」

「面白かった?」

ユトは、予定表を見る。

青い本は、個人用の棚へ置いてある。

 

「面白いと思いました」

「そう」

サイモンは、それ以上尋ねなかった。

机へ向かう。

ユトも椅子へ座った。

 

湯が沸くまでの間に、最初の紙束を開く。

 

***

 

一番上には。

 

『既存誓約術式に対する追加定義の再現条件』

 

と書かれている。

その下に、過去の実験記録が並んでいた。

一室を作用領域として指定した試験。

天族が領域内にいる間、表示板へ印を出す。

身体の一部だけが境界を越えた場合も、条件が成立した。

 

そのため。

 

《かつ、指定床面に天族本人が接触していること》

 

という条件を後から加えた。

最初の術式は解除していない。

原文も変更していない。

成立済みの術式へ、新しい判定条件を付加した。

その後、既存語へ判定用の定義を補足する小規模試験も行った。

 

いずれも、表示板へ印を出すだけの術式だった。

生物へ罰を与える効果はない。

術式全体を解除せず、後から判定を補えることは確認した。

サイモンが、最初の記録を指で押さえる。

 

「術式を作った者は?」

「私です」

「条件を加えた者は?」

「私です」

次の記録へ移る。

 

「こちらも?」

「はい」

「元の文面を書いたのも、定義を加えたのも、お前」

「はい」

サイモンは新しい紙を出した。

 

『同一術者による追加』

 

と書く。

その横へ。

 

『異なる術者による追加――未確認』

 

「なら、確認できているのはここまでだ」

「その通りです」

 

サイモンは、別の紙束を開く。

実験順序。

中止条件。

 

追加定義を記述する者へ、事前に開示する情報。

結果を判定する者。

一つずつ、既に案がある。

「だから、実施する」

「分かりました」

湯が沸いた。

 

ユトが立ち上がる。

二つの杯へ茶を入れた。

一つを、サイモンの側へ置く。

「ありがとう」

「はい」

サイモンは一口飲んだ。

 

以前と同じ味だった。

「最初に、役割を分ける」

「はい」

「原文作成者」

「私が担当します」

「術式構築者」

「同じく、私です」

 

「追加定義作成者」

「サイモンさん」

「追加定義の術式構築者も、私」

「はい」

「結果判定者は?」

ユトは少し考えた。

 

「私たち以外の方へ依頼します」

「誰に?」

「公国政府のセルディア連絡役が、本日も庁舎にいると思います。実験内容を理解した上で、参加を希望されるか確認します」

「術式の知識は?」

「基礎教育を受けています。ただし、今回求めるのは、表示板に印が出ているかの記録のみです」

「それでいい」

ユトは、参加説明書を作り始めた。

 

サイモンが止める。

「先に原文を書け」

「説明書を先に作成した方が――」

「お前が原文へ込めた意図を、私に説明しないためだ」

ユトの手が止まる。

 

「追加定義を作る私が、お前の意図を聞けば、その通りに書く可能性がある」

「原文のみを確認し、独立して定義する?」

「そうだ」

ユトは頷いた。

新しい紙を一枚取る。

 

そこへ、短い誓約文を書いた。

 

『指定箱甲及び指定箱乙が《ひとつ》である間、表示板へ白色の印を表示する』

 

その下へ。

 

『本術式における未定義語《ひとつ》に対する補足定義は、指定追記者サイモンが一度に限り追加できる』

『補足定義が追加されるまで、条件判定及び効果発生を開始しない』

 

さらに指定する二つの箱。

表示板。

作用期間、強制力を発生させないこと。

生物を作用対象としないこと。

異常が確認された場合、直ちに術式を終了すること。

 

必要な条件を加える。

サイモンへ渡した。

「《ひとつ》の意味については説明しません」

「それでいい」

サイモンは読む。

 

「追記できる回数は一度だけ?」

「今回は」

「追記後の修正は?」

「できない設定です」

「なら、最初から完成した定義を書く必要がある」

「はい」

「お前へ質問は?」

 

「原文に記載された事実及び安全条件についてのみ回答します。《ひとつ》の意図については回答しません」

「分かった」

サイモンは、原文の写しだけを持って別室へ移った。

 

ユトは実験室に残る。

二つの箱を用意した。

以前、《ひとつになる》の小規模試験に使ったものと、同じ大きさだった。

同じものではない。

新しく作った箱だった。

 

箱甲。

箱乙。

どちらにも、個別の番号がある。

蓋は別々に開く。

中身も混ざらない。

 

その横に、二つの箱を載せられる一枚の板を置いた。

固定用の金具。

紐。

重量を加えるための金属塊。

複数の状態を作れるようにしてある。

 

ただし、どの状態を《ひとつ》と判定させたいのかは、サイモンへ伝えていない。

ユトは、原文の術式を構築した。

術式は成立した。

表示板には、何も出ない。

原文に定めた通り、補足定義の追加前は条件判定が保留されていることを確認する。

 

記録する。

 

『補足定義追加前、術式成立。条件判定保留。効果発生なし』

 

***

 

公国政府の連絡役は、説明を最後まで聞いた。

「つまり、俺は板を見るだけか?」

「はい」

「箱を動かしたり、術式を使ったりは?」

「行いません」

「危なくなった時は?」

「こちらの赤い紐を引いてください」

 

ユトは、壁際から伸びる紐を示した。

引けば鐘が鳴る。

同時に、実験室の外へ置かれた表示板にも赤い印が出る。

「鐘か印のどちらかを確認した場合、全員が作業を中止します」

「片方だけでも?」

「はい」

連絡役は紐を一度引いた。

 

鐘が鳴る。

赤い印が出る。

サイモンが別室から戻ってきた。

「まだ始めていない」

「中止合図を確認しています」

「そうか」

連絡役が紐から手を離す。

 

「これ、避難訓練にも使えそうだな」

「使用目的を変更する場合、別途確認が必要です」

ユトが答えた。

サイモンは赤い印を見る。

 

「鐘と印だけでは足りない」

「何故でしょうか」

「音を認識できない幻術と、表示を認識できない幻術が同時に存在すれば、どちらも届かない」

「では、三つ目を追加します」

床の近くへ、もう一本の紐を張る。

 

中止合図が出れば、それが強く振動する仕組みを後から加えた。

連絡役が手で触れる。

「音。印。振動か」

「いずれか一つを知覚できれば、退避を開始できます」

サイモンが言う。

 

「避難訓練へ使用する場合は、正常時の合図だけではなく、一つずつ認識できない状態でも行え」

「そこまでやるのか?」

「災害が、予定通りの見え方をするとは限らない」

連絡役は少し考えた。

 

「訓練の担当に伝えておく」

「伝える場合、現時点では実験用の中止合図であり、避難用途の検証を終えていないことも共有してください」

「分かった」

連絡役は、自分の記録用紙へ書いた。

 

『三重合図案。サイモン指摘。避難用途未検証』

 

サイモンが、その文字を見る。

訂正はしなかった。

 

***

 

実験を始める。

最初に、追加定義の内容を確認した。

サイモンが書いた紙を、ユトと連絡役の前へ置く。

 

『《ひとつ》とは、指定箱甲及び指定箱乙が、各箱の外形、内部、蓋及び個別識別性を維持したまま同一の板へ固定され、いずれか一方のみを動かすことなく、双方を同時に移動できる状態をいう』

 

ユトは、最初から読む。

定義の中に、《ひとつ》という語は使われていない。

判定可能な状態が書かれている。

箱の個別識別性を維持する。

同一の板へ固定する。

 

片方だけを動かさず、双方を同時に移動できる。

「この内容を、私へ事前に相談していません」

ユトが確認する。

「していない」

「原文以外の情報を参照しましたか」

「実験室に用意された器具は見ていない。過去に公開された箱の実験記録は参照した」

「分かりました」

 

連絡役が尋ねる。

「今から、これを後で足すのか?」

「はい」

「最初に全部書かなかった理由は?」

「最初に書かれていなかった内容を、別の者が後から補足できるか確認するためです」

「今ある誓約へも?」

「今回確認するのは、この表示板を対象とする小規模な術式だけです」

ユトは即座に範囲を限定した。

「そうか」

サイモンが、補足定義の紙へ手を置く。

 

「追加する」

「お願いします」

術式が動く。

最初の文面は変わらない。

その下へサイモンが書いた定義が、判定基準として接続された。

 

術式全体を解除していない。

ユトが作り直してもいない。

表示板は、まだ光らなかった。

二つの箱は、机の上に別々に置かれている。

 

「開始します」

ユトは、最初に二つの箱を並べた。

側面が触れる。

表示板に変化はない。

 

「白色印なし」

連絡役が記録する。

二つを紐で結ぶ。

持ち上げようとすれば、片方だけを先に動かせる。

表示板に変化はない。

 

「なし」

同じ板へ載せる。

固定はしない。

板だけを動かせば、箱がずれる。

印は出ない。

 

次。

箱甲だけを金具で固定する。

箱乙は載せるだけ。

印は出ない。

最後に箱乙も、同じ板へ固定する。

 

白い印が出た。

連絡役の筆が止まる。

「出た」

「はい」

ユトは表示板を確認する。

 

術式の揺らぎはない。

箱甲の番号。

箱乙の番号。

どちらも読める。

蓋を一つずつ開く。

 

それぞれの中身を確認できる。

「個別識別性維持」

「記録した」

ユトとサイモンが、板の両端を持つ。

同時に持ち上げる。

 

印は消えない。

向きを変える。

消えない。

別の机へ移す。

消えない。

 

箱を、個別に動かすことはできない。

金具を外さない限り、板との位置関係が維持される。

サイモンが言う。

「定義通りだ」

「はい」

三回。

 

固定を外し、別々にする。

もう一度、同じ板へ固定する。

同じ結果になった。

四回目は、サイモンが手順を行う。

ユトは触れない。

 

それでも条件が一致すれば、白い印が出た。

「追加定義作成者による操作の有無で、結果変化なし」

連絡役が記録する。

最後に箱乙を固定していた金具を外した。

白い印が消える。

 

サイモンが、すぐに言った。

「これは、接続停止の確認ではない」

「はい」

ユトも記録する。

 

『定義された状態を不成立とした結果であり、術式上の接続経路を停止または解除した結果ではない』

 

つながったものを、安全に離せるか。

接続そのものを止めても、誓約が失敗と判定しないか。

それは、別の試験だった。

今回は行わない。

連絡役が、記録を最初から読み返した。

 

「結局、何が分かった?」

ユトは、結果欄へ書く。

 

『原文作成者及び術式構築者と異なる指定追記者が、成立済み誓約術式へ判定用定義を追加できることを確認』

『原文の削除、置換及び再構築なし』

『小規模・表示効果・追記者事前指定下に限る』

 

「ユトが作ったものへ、サイモンが説明を足した」

連絡役が言う。

「それで、術式の判断が変わった」

「概ね、その理解です」

サイモンが、結果欄の下へ線を引いた。

 

「次」

「追加試験でしょうか」

「確認事項だ」

新しい紙へ。

 

『追記者が事前に指定されていない場合』

 

と書く。

「今回は実施しません」

ユトが言った。

「理由は?」

「無承認の第三者が、成立済み術式へ定義を追加できると判明した場合、既存の誓約術式に対する危険性が生じます」

「表示板しか光らない術式でも?」

「得られた手法は、表示板以外へ転用される可能性があります」

 

サイモンは頷いた。

「成功した場合に、誰へどこまで共有するか決めてから行う必要がある」

「はい」

「失敗しても、一種類の術式で失敗しただけだ」

「はい」

「今日は実施しない」

「賛成します」

 

サイモンは、その横へ。

『実施前に情報管理及び停止方法を決定』

 

と書いた。

その下。

『世界規模の既存誓約へ、異なる術者が定義を追加可能か』

 

連絡役が見る。

「これは?」

「未確認です」

ユトが答えた。

 

「今日の結果で、できるとは言えないのか」

「言えません」

「小さいものではできた」

「はい」

「同じ仕組みでは?」

「規模、作用対象、成立時期、当事者、必要出力及び追記権限が異なります」

連絡役は少し考えた。

 

「分かった。未確認だな」

「はい」

記録へ。

 

『未確認』

 

と書いた。

 

***

 

片づけを終えた時には、昼を過ぎていた。

連絡役は、実験記録の写しを受け取る。

ただし、公国政府で共有できるのは、表示板を使った小規模試験の範囲だけだった。

世界規模の誓約へ関する草案は含まれていない。

 

「避難合図の方は?」

連絡役が尋ねる。

「別の記録を作成します」

ユトが答えた。

 

「私も確認する」

サイモンが言う。

「お願いします」

連絡役は研究所を出ていった。

扉が閉まる。

 

机の上には、二人分の記録が残った。

ユトが作った原文。

サイモンが作った追加定義。

どちらか一方だけでは、今回の結果にはならなかった。

 

「次回は、別の組み合わせで再現します」

ユトが言った。

「そうだな」

「原文作成者と術式構築者も分ける必要があります」

「追加定義を読む者も、結果を知らない方がいい」

「はい」

ユトは予定表を取った。

 

「サイモンさんの滞在予定は?」

「明後日まで」

「では、明日の午前に避難合図の予備試験。午後に、異なる術者による再現実験の第二案を作成したいと思います」

「構わない」

予定を書き込む。

 

サイモンは、その手元を見る。

「もう一つ、入れる」

「追加実験でしょうか」

「違う」

サイモンは、予定表の空いている時間を指した。

 

明日の夕方。

「私と食事をする」

ユトの筆が止まった。

「避難合図の試験後に、結果を整理するためでしょうか」

「研究ではない」

「では、目的は?」

サイモンは少し考えた。

 

以前、不可視性豪雨の原因が判明すれば、ユトと一緒に調べる理由が一つなくなると考えた。

ユトは、別の研究を一緒に続けたいと答えた。

同じ専門知識を持つ者がいても、サイモンを同一の共同研究者として代替できるとは考えていない。

 

その答えは、嬉しかった。

それでも残ったのは、研究を続ける理由だった。

「研究が終わっても、お前と会う予定が消えないようにするためだ」

ユトは、すぐには書かなかった。

 

サイモンを見る。

「サイモンさんは、私と研究以外の時間を過ごしたいのですか」

「そうだ」

返事は早かった。

 

「お前は?」

以前、ライラから、婚姻後の生活について尋ねられた時、相手に一緒にいてほしいと言われたなら、相手の希望を満たせるかだけではなく。

自分も一緒にいたいか、確認するよう言われた。

 

研究ではない。

結果を得るためでもない。

サイモンと、同じ時間を過ごす。

それを望むか。

ユトは考えた。

 

サイモンがセルディアへ来れば、机の左側を空ける。

使う杯を用意する。

新しい資料があれば、一緒に確認したいと思う。

研究が終わった後について尋ねられた時、別の研究を探すことだけを考えた。

 

研究がなくても会うという選択肢は、考えていなかった。

存在しなかったのではない。

確認していなかった。

「私も」

ユトは答えた。

 

「サイモンさんと、研究以外の時間を過ごしてみたいと思います」

サイモンの目が、わずかに細くなった。

「なら、入れろ」

「はい」

ユトは予定表へ書く。

 

『サイモンさんと夕食』

 

少し考える。

その後ろへ。

『研究目的外』

と加えた。

サイモンが見る。

「それは必要か?」

「他の予定と区別できます」

「なら、残せ」

――デート?

 

ユイが尋ねた。

ユトは、予定表を見る。

「サイモンさん」

「何だ」

「ユイが、これはデートであるか尋ねています」

サイモンは少しだけ考えた。

 

「そうだ」

――デートだって。

「はい」

ユトは、予定表へもう一語加えるべきか考えた。

サイモンが止める。

 

「夕食と書いてあればいい」

「分かりました」

予定は、それで確定した。

 

***

 

翌日、午前の避難合図試験は、予定より早く終わった。

音。

表示。

振動。

一つずつ認識を阻害した状態でも、残る二つの合図によって中止指示を伝えられた。

 

二つを同時に阻害した場合も、最後の一つが残った。

サイモンは、三つすべてを同じ場所から発生させないよう修正した。

一か所が壊れれば、すべて失われるためだった。

午後、第二案を作る。

 

原文作成者。

術式構築者。

追加定義作成者。

結果判定者。

すべてを分ける場合、最低何人必要か。

 

同じ者が複数の役割を担当できる条件は何か。

追記者へ開示する情報。

開示しない情報。

項目が増えた。

夕方になっても、最後の一項が決まらなかった。

 

『追加定義が原文作成者の意図と異なる場合』

 

サイモンが、紙を見る。

「意図ではなく、原文と合致するかで判断するべきだ」

「はい。ただし、原文作成者が異議を申し立てる手続は必要です」

「どちらが優先される?」

「未確定です」

「なら、次の案へ残す」

「もう一つ確認したいことがあります」

 

ユトが、新しい紙へ手を伸ばした。

サイモンが、その手を止める。

「時間だ」

「何の時間でしょうか」

サイモンは予定表を指した。

 

『サイモンさんと夕食――研究目的外』

 

「まだ、第二案が完成していません」

「続きは明日だ」

「明日は、午前中に出発される予定です」

「なら、出発前に行う」

「本日中に終えられる可能性があります」

「研究ではない予定を、研究が終わらないたびに消したら、入れた意味がない」

ユトは、作成途中の紙を見る。

 

危険な状態ではない。

今中断しても、試料は変化しない。

術式も停止している。

明日、同じ場所から再開できる。

 

「中断可能です」

「では、行く」

サイモンが立ち上がる。

ユトは紙を保存用の箱へ入れた。

作業状態を記録する。

 

『未完了。翌朝再開』

 

その下へ。

 

『中断理由――予定時刻到達』

 

と書いた。

サイモンが覗く。

「書くのか」

「再開時に必要です」

「そう」

二人は研究所を出た。

 

***

 

セルディアの夕方は、以前より明るくなっていた。

まだ光っている七色灯。

誓約によって点灯する公共灯。

店先に吊るされた、普通の油灯。

違う光が、同じ道を照らしている。

 

市場には、まだ人が多かった。

会議を終えた役人。

明朝出発する交易商。

学校から戻る子供。

人間、天族。

 

ユトとユイがセルディアにいる間は、どちらも同じように見える。

サイモンが歩くと、何人かが声を掛けた。

「サイモン!」

先ほど避難合図の試験に参加していた子供だった。

 

「振動のやつ、学校にも付けるのか?」

「まだ決まっていない」

「付けたら、目を閉じてても分かる?」

「触れていれば分かる。離れていれば分からない」

「じゃあ、床も揺らしたら?」

サイモンが止まった。

 

考える。

ユトが、無意識に記録用紙を探した。

持っていない。

今日は、研究所へ置いてきた。

サイモンが子供へ答える。

 

「建物全体へ振動を伝える場合、倒壊時の振動と区別できない。別の方法が必要だ」

「そっか」

「だが、床の一部へ伝える方法は確認する」

「分かった!」

子供は走っていった。

 

「研究の話になりました」

ユトが言う。

「研究について話してはいけない予定ではない」

「そうなのですか」

「研究がなくても成立する予定だ」

禁止する必要はない。

 

研究の話をしたから、夕食が研究になるわけでもない。

二人は市場の奥へ進んだ。

煮込み料理を出している店の前で止まる。

店主が顔を上げた。

 

「二人か?」

「はい」

ユトが答えた。

「奥が空いてる。座りな」

器を二つ。

 

水を二人分。

店主は、サイモンにも同じように渡した。

「あんた、避難訓練の幻術を作ってる人だろ」

「一人で作ってはいない」

「でも、見えなくなるやつは、あんたがやってるんだろ?」

「そうだ」

「今度、うちの店も参加する。客がいる時に何も見えなくなったら困るからな」

 

「訓練日が決まったら連絡する」

「頼む」

店主は別の客の方へ行った。

サイモンは、煮込み料理を見る。

 

「防災の担当者だと認識されています」

ユトが言った。

「幻術の担当だ」

「避難訓練への参加依頼でした」

「幻術を使う避難訓練だからな」

「はい」

サイモンは匙を取った。

 

「記録するのか?」

「本日は、記録用紙を持っていません」

「珍しい」

「研究目的外ですので」

ユトも食べ始める。

 

少しの間、二人は何も話さなかった。

周囲の声が聞こえる。

料理を注文する声。

明日の出発時刻を確認する商人。

子供を呼ぶ声。

 

皿と匙が触れる音。

サイモンは、沈黙を終わらせようとはしなかった。

ユトが尋ねる。

「何か、話す必要はありますか」

「必要はない」

「食事のみで、予定は成立する?」

「そうだ」

 

食べる。

同じ机にいる。

それで研究ではない予定は、進んでいた。

「サイモンさん」

「何だ」

「セルディアを、どう思いますか」

「範囲が広い」

 

「研究以外の回答をお願いします」

サイモンは少し考えた。

「以前は、私の幻術を見れば、破る方法か逃げる方法を考える者が多かった」

「はい」

「ここでは、避難に使えるか聞かれる」

市場を見る。

 

先ほどの子供。

店主。

公国政府の連絡役。

誰も、サイモンの幻術を知らないわけではない。

何ができるかを知った上で人を迷わせるためではなく。

 

迷った時に帰るために使えないか、尋ねる。

「悪くないと思っている」

サイモンは答えた。

「そうですか」

「お前は?」

「何についてでしょうか」

「研究以外で、セルディアの何が好きだ」

 

ユトは止まった。

好きなもの。

以前なら、どの条件で判定するのか尋ねていた。

今も、基準は分からない。

それでも思い当たるものはあった。

 

「夕方に、学校から戻る方々が研究所の前を通る時間です」

「何故?」

「声が聞こえます」

「うるさくないか?」

「受付中に、会話が中断する場合はあります」

「問題では?」

「いいえ」

 

ユトは答えた。

「良いと思っています」

サイモンは少しだけ笑った。

「そう」

また。

 

二人は食事を続けた。

研究結果は出なかった。

仮説も増えなかった。

記録も残さなかった。

それでも予定は、中止されなかった。

 

***

 

研究所へ戻る。

予定表の夕食の横へユトは小さく印を付けた。

 

《実施済み》

 

サイモンが、その下の空欄を指す。

「次も入れる」

「次回の来訪日は、まだ決まっていません」

「研究日と同じでなくていい」

「では、何を基準に決めますか」

「私がセルディアへ来られる日。お前が研究以外の予定を入れられる日」

「両方を満たす日を、後から確認する?」

 

「そうだ」

ユトは、予定表とは別の紙を出した。

『サイモンさん次回来訪時』

 

その下へ。

『研究予定の有無にかかわらず、研究目的外の時間を一回以上設定する』

 

書く。

サイモンが読む。

「一回以上?」

「上限を設定する必要はありませんので」

「そう」

サイモンは、その紙へ署名した。

 

ユトも署名する。

誓約ではない。

共同研究契約への追加事項でもない。

守れなければ、罰が発生するものでもない。

ただ。

二人で、次もそうしたいと確認した記録だった。

 

不可視性豪雨の研究が終わっても。

他の研究が、すべて終わっても。

それだけを理由に消えない予定が一つ、できた。

 

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CE71年、大西洋連合が実施したオーブ解放作戦によって発生した激しい戦闘の最中、マユ・アスカは流れ弾によって吹き飛ばされ絶命したかに思えた。▼だが彼女は死んでいなかった、瀕死の重傷を負いつつも生き残った彼女はブルーコスモスによって加工され、生体CPUメリー・ゴーランドとして生まれ変わったのだ。▼しかし、過去の記憶を抹消された彼女の脳内にはなぜかガンダムSEE…


総合評価:10317/評価:8.68/完結:32話/更新日時:2026年07月07日(火) 12:07 小説情報

Fate/Divine Brush──桜花浄界──(作者:一般ガス会社社員)(原作:Fate/)

第五次聖杯戦争の開幕前夜。▼間桐桜が召喚したサーヴァントは、黒きライダーではなく、白き狼の姿をした◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎だった。▼筆しらべによって穢れを祓う狼は、間桐の闇、歪んだ聖杯、そして桜に宿る運命さえも塗り替えていく。▼影に沈む少女と、闇を照らす白き太陽。▼これは、冬木の夜に桜花が咲く、もう一つの第五次聖杯戦争。▼Fate/stay nigh…


総合評価:902/評価:8.36/連載:34話/更新日時:2026年06月24日(水) 23:00 小説情報


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