学校の教室で小さな木板は、光らなかった。
机の中央に置かれている。
両端には、同じ青色の石が一つずつ。
中央には、細い線が彫られていた。
条件が成立すれば、その線が、青く光るはずだった。
「……駄目だ」
青年が、響筆を下ろした。
隣にいる契約天族も、木板から手を離す。
二人は以前、この教室で最初の誓約術式を完成させた二人だった。
《契約した二人が同時に触れている間だけ、中央の印が浮かぶ》
何度も失敗し。
何度も条件を書き直し。
最後には、自分たちの力だけで成立させた。
今日も術式の構造を誤ってはいなかった。
少なくともユトが、現時点で確認できる範囲では。
「もう一度、追記文を確認します」
青年が紙を読む。
『本術式における《同じ》とは、指定石甲及び指定石乙の表面色が一致している状態をいう』
「これです」
「はい」
「言葉が間違ってますか?」
「現時点では確認できません」
「じゃあ、術式の方?」
「それも確認します」
ユトは木板へ響筆を近づけた。
原文は、残っている。
『指定石甲及び指定石乙が《同じ》である間、中央の線を青色にする』
その下には追記者として、青年と契約天族の名が指定されていた。
二人が共同で一度に限り。
《同じ》へ判定用の定義を追加できる。
原文の削除。
置換。
効果の変更。
いずれもできない。
生物への作用もない。
追記が定着しなかった場合は、その試行だけを中止する。
元の術式を失敗と判定しない。
参加者へ反動を返さない。
サイモンとの実験より、さらに範囲を狭めた実習用の術式だった。
「原文に変化はありません」
ユトが言う。
「追記文も、定着していません」
青年が木板を見る。
「途中までは入ったんですか?」
「接続開始時の反応は確認しました。ただし、既存術式の判定構造へ到達する前に停止しています」
「俺たちが途中で止めた?」
契約天族が聞く。
「いいえ。お二人は、事前に説明した手順を最後まで行いました」
「じゃあ、何が足りなかったんです?」
「まだ判断できません」
青年が息を吐く。
「また、分からないですか」
「はい」
ユトは、別の木板を机へ置いた。
何も書かれていない。
同じ大きさ。
同じ木材。
同じ青色の石が二つ。
中央に、同じ線。
「次に、対照試験を行います」
「もう一回追記するんですか?」
「いいえ。今度は、お二人が最初から術式を構築してください」
ユトは、先ほどの原文と追記文を一つにつなげた紙を渡した。
『指定石甲及び指定石乙の表面色が一致している間、中央の線を青色にする』
「同じ内容?」
「はい。後から定義を追加するのではなく、最初から定義を含む一つの術式として構築します」
青年と契約天族が、顔を見合わせた。
もう一度、二人で木板へ向かう。
青年が響筆を持つ。
契約天族が、霊力を流す。
以前の実習より、手は止まらなかった。
条件。
対象。
効果。
中止手順。
一つずつ確かめながら、術式を組む。
最後の線がつながった。
中央の線が青く光った。
青年が、すぐに左側の石を白い石へ替える。
光が消える。
青い石へ戻す。
また光る。
三回。
同じ結果になった。
「成立しています」
ユトが言う。
青年は、光った板と光らなかった板を見比べた。
「文章は、同じですよね」
「意味内容は同じです」
「俺たちも、作れる」
「はい」
「でも、ユトさんが作った方には、後から書けなかった」
「はい」
契約天族が腕を組む。
「書き方が間違ってたわけじゃない。契約も切れてない。最初からなら作れた」
「その三点は確認できました」
「なら」
天族は、光らなかった板を指した。
「あっちが、俺たちを受けつけなかった?」
ユトは、すぐには答えなかった。
響筆で、二つの術式を測る。
新しく作られた術式は安定している。
追記を試みた術式も、原文部分は安定している。
異常はない。
拒絶反応も確認できない。
ただ。
追加定義だけが、届いていない。
「既に成立している術式へ新しい構造を接続する場合、新規に同じ内容を構築する時とは異なる量の出力を必要とする可能性があります」
「俺たちの力が足りなかった?」
青年が聞く。
「仮説です」
「足りないって仮説」
「はい」
青年は、少しだけ肩を落とした。
ユトはそれを見る。
「ただし」
「はい」
「必要出力へ単独で到達しなかったことと、誓約術式を学ぶ能力がないことは同義ではありません」
ユトは、青く光る方の木板を示す。
「お二人は、同じ定義を含む術式を新規に構築できました」
次に光らなかった板を見る。
「また、追記経路へ接続するところまでは成功しています」
「でも、届かなかった」
「はい」
「やっぱり足りないじゃないですか」
「一組では」
青年が顔を上げた。
ユトは、新しい記録用紙を取る。
『既存誓約術式への追記に必要な出力』
その下へ。
『高出力の一契約組』
『複数の指定追記者による共同供給』
と書いた。
「比較試験を行います」
***
翌日、第一調査拠点へスレイとミクリオが来た。
「急ぎの実験だって聞いたけど」
スレイが言う。
「事故が起きたわけじゃないんだよな?」
「はい」
「ならよかった」
ミクリオは、机の上に並ぶ紙を見た。
「既存誓約術式に対する追加定義」
見出しを読む。
「以前、サイモンが追記した実験の続きか?」
「はい」
「今度は何を確かめる?」
「追記に必要な出力を、複数の指定追記者が共同で供給できるか確認します」
スレイが首を傾げた。
「それで、俺たち?」
「はい。お二人を、高出力の一契約組として比較対象にします」
「高出力」
スレイが、自分とミクリオを順に指す。
「俺たちが?」
「はい」
「そう言われると、何だかすごそうだな」
「実際に、一般的な契約組より高い出力を確認しています」
「そこは普通に認めるんだな」
ミクリオが言う。
「比較試験の前提ですので」
ユトは、昨日の記録を二人へ渡した。
最初の青年と契約天族による追記は、定着しなかった。
同じ二人が同じ意味の術式を最初から構築した場合は、成立した。
「技術や文面より、出力の問題だと考えたのか」
ミクリオが尋ねる。
「可能性の一つです」
「僕たちが追記できれば、その可能性が高くなる」
「はい。ただし、お二人だけでは、複数名の出力を共同で供給できることは確認できません」
「だから、もう一つの試験もする?」
スレイが聞く。
「はい。学校で誓約術式を学んでいる複数の契約組へ、共同追記者として参加を依頼します」
スレイは記録をもう一度見る。
「この先に、天界の誓約があるんだな」
「あります」
返事は短かった。
ミクリオがユトを見る。
「あれへ追記できるとは、まだ確認できていないはずだ」
「はい。追記権限も、必要出力も未確認です」
「それでも」
「全世界規模の既存誓約へ何らかの変更を加える場合、一名の出力だけで成立させられるとは考えていません」
スレイが頷く。
「分かった。協力する」
「僕もだ」
ミクリオも答えた。
「ただし、実験手順は全部確認させてもらう」
「その予定です」
ユトは、参加説明書を渡す。
ミクリオが読み始める。
スレイはふと部屋の奥にある棚を見た。
試験番号ごとに並ぶ木箱。
その中に見覚えのある箱がある。
「そういえば」
スレイが立ち上がった。
「あの箱、まだ観測してるのか?」
ユトも棚を見る。
《共存の木箱》
スレイとミクリオが共存しつづける間だけ、開くことができる。
それ以外の条件を定義しなかった。
長期観測用の箱。
「はい」
「まだ?」
「観測継続中です」
ミクリオが説明書から顔を上げた。
「今も開くのか?」
「確認します」
ユトは、棚から箱を下ろした。
机へ置く。
重量を測る。
軽い。
蓋へ手を掛ける。
抵抗なく。
開いた。
「今も箱は開いています」
スレイとミクリオが、開いた箱を見る。
中には何もない。
以前と同じだった。
「条件成立を継続しています」
ユトが記録する。
「世界へ定着した術式は現在も、スレイさんとミクリオさんが共存しつづけていると判定しています」
「……そっか」
スレイが笑った。
けれど、すぐに、箱の中へ視線を落とした。
耳が、少し赤い。
ミクリオは咳払いをした。
箱ではなく、参加説明書を見る。
こちらも耳の先が、わずかに赤かった。
スレイが隣を見る。
「ミクリオも照れてる?」
「君が言うな」
「俺は、ちょっと照れた」
「口に出すな!」
「何故、照れるのでしょうか」
ユトが聞く。
スレイは少し考えた。
「俺たちのことを、世界から言われたみたいだから」
「実際に、世界へ定着した術式による判定です」
「説明を足すな、ユト」
ミクリオが言った。
「事実関係を明確にしました」
「明確にしなくていい時もある」
「そうでしょうか」
「そうだ」
スレイは、まだ少し赤いまま笑っていた。
「でも、開いててよかった」
「条件不成立を予想していましたか?」
「してないけど。改めて見ると、やっぱり嬉しいだろ」
ミクリオは何も言わなかった。
ただ。
開いた蓋を、一度だけ見た。
否定もしなかった。
ユトは、箱を閉じる。
もう一度開く。
開いた。
記録へ。
『条件成立継続』
と書く。
「なお、今回の追記実験に《共存の箱》は使用しません」
「しないのか?」
スレイが聞く。
「長期観測中の術式へ、別の実験条件を加えることは不適切です」
ミクリオが頷く。
「それでいい」
「同一構造の新しい木板を使用します」
「箱じゃないんだな」
「表示の確認には、木板で十分です」
「ユトが、箱を増やさないって言った」
「必要がないためです」
「記録しておこう、スレイ。珍しい事例だ」
「その記録は必要でしょうか」
「必要だ」
ミクリオは即答した。
***
午後、学校の実習室に三枚の木板が並んだ。
昨日、追記が定着しなかった板。
スレイとミクリオを、共同追記者として指定した板。
学校の受講者たちを、共同追記者として指定した板。
三枚とも原文は同じ。
『指定石甲及び指定石乙が《同じ》である間、中央の線を青色にする』
木材。
石。
作用期間、効果。
追記可能な定義。
中止条件。
すべて同じだった。
異なるのは追記者として指定された者だけ。
実験へ参加するのは昨日の青年と契約天族。
同じ授業で学ぶ、三組の契約者たち。
合わせて四組。
そして、スレイとミクリオ。
他の受講者は、実験区画の外から見学する。
学校の管理担当者が、中止合図を確認した。
音。
表示。
床へ伝わる振動。
三つとも、別の位置から発生する。
サイモンとの試験で作られた手順が、学校の実習にも使われていた。
「最初に、確認します」
ユトが言う。
「今回、追記できるのは、各木板へ事前に指定された者だけです」
一人が手を上げる。
「名前を書いてない人が触ったら?」
「追記経路へ接続されません」
「勝手に書き換えられることは?」
「今回の術式ではできません」
「別の術式なら?」
「未確認です」
ユトは、全員を見る。
「その試験は、成功した場合に生じる危険を管理する方法が決まるまで実施しません」
別の者が尋ねる。
「俺たちが、違う意味だと思ってたら?」
「追記を開始しません」
「少しくらい違っても?」
「少しの範囲を、術式が判断することはできません」
ユトは、追記文を全員へ配った。
『本術式における《同じ》とは、指定石甲及び指定石乙の表面色が一致している状態をいう』
「色が一致している、という判定以外を含めません。形状、重量、材質、置かれた位置及び所有者が一致している必要はありません」
「片方が欠けてても?」
「表面色が判定可能な範囲であれば、今回の定義上は一致します」
「青と薄い青は?」
「使用する石は、指定見本と比較して同一区分と判定されたものに限定します」
「その区分は誰が決めたんです?」
「実習担当者と、色材を扱う職人です」
「ユトさんだけじゃないんだ」
「はい」
全員が、同じ追記文を読む。
意味を確認する。
異議がないか。
途中で参加を撤回する者がいないか。
体調に問題がないか。
一つずつ確認した。
スレイも、紙を読む。
ミクリオは安全条件をもう一度確認する。
「追記が定着しなかった場合、原文は残る」
「はい」
「参加者への反動はない」
「はい」
「追記が定着した後、石の色が一致しなくなっても、追加定義そのものは失敗扱いにならない」
「はい。表示条件が不成立となり、青色の線が消えるだけです」
「分かった」
ユトは記録する。
『全指定追記者より参加同意取得』
『追記文の意味認識一致』
『中止条件確認』
「開始します」
***
最初はスレイとミクリオだった。
一枚の木板を挟んで立つ。
スレイが響筆を持つ。
ミクリオが、追記用の経路へ手を置く。
「僕も書いたことになるのか?」
ミクリオが聞く。
「術式上は、お二人を共同追記者として指定しています」
「筆を持つのはスレイだけだ」
「文字を記す役割と、追記構造を定着させる役割を分けています。追記文には事前に双方が同意し、双方の出力を使用します」
スレイが響筆を見る。
「俺が書き間違えたら?」
「定着前に中止します」
「急に緊張してきた」
「紙を見ながらで構いません」
「そうする」
ミクリオが木板を見る。
「スレイ」
「うん」
二人が、同時に霊力を流す。
スレイの響筆が動いた。
《同じ》とは。
指定石甲及び指定石乙の表面色が一致している状態。
文字が、一つずつ術式へ加わる。
昨日の青年たちの時は原文へ到達する前に消えた線が今度は消えない。
追加定義と、既存の判定構造の間へ接続が生じる。
木板の中央にある線が青く光った。
「追記定着を確認」
ユトが言う。
すぐに、作用状態を測る。
異常はない。
原文も変わっていない。
追加されたのは、《同じ》の定義だけ。
左の石を白へ替える。
光が消える。
青へ戻す。
光る。
三回。
同じ結果になった。
「成功?」
スレイが聞く。
「はい」
「やったな、ミクリオ」
「まだ一つ目だ」
そう言いながら。
ミクリオも、少し笑っていた。
実習区画の外で青年が、青い線を見ていた。
一組。
人数だけなら、自分たちと同じ二人だった。
ユトは、結果欄へ書く。
『高出力の一契約組による追加定義――成立』
『原文の削除、置換及び再構築なし』
『追記後の条件判定――正常』
***
次は学校の四組だった。
一枚の木板の周囲に四つの追記用経路がある。
中央で、一つの定義へ合流する。
響筆を持つのは、昨日の青年だった。
「俺が書いていいんですか?」
「四組全員の同意を確認しています。筆記役についても、全員があなたを指定しました」
「失敗したのに?」
後ろから声がする。
「最初に試したから、手順を一番分かってるだろ」
「字も、この中なら一番読みやすい」
「失敗した板を、最後まで見てたしな」
青年は、少し黙った。
「分かった」
契約天族が、隣へ立つ。
「今度は、途中で消させない」
「お前が言うと、喧嘩売ってるみたいだな」
「誰に?」
「術式に」
小さな笑いが起きた。
ユトは笑わなかった。
「術式に意思があるとは確認されていません」
「知ってます」
「では、開始します」
四組がそれぞれの経路へ手を置く。
ユトは、最初に個別の接続状態を確認した。
一つ目。
届く。
しかし、中央の定義まではつながらない。
二つ目。
別の線が伸びる。
まだ、足りない。
三つ目。
三本の線が中央の少し手前で揺れる。
定着は、始まらない。
「このまま維持してください」
ユトが言う。
最後に青年と契約天族が、霊力を流した。
昨日。
二人だけでは途中で消えた線が今度は先に伸びていた三本と合流する。
四つの経路が、一つになる。
「筆記を開始してください」
青年が、響筆を動かす。
昨日と同じ文章。
一文字も変えていない。
同じ順序。
同じ定義。
けれど、今度は、消えなかった。
四組から供給された出力が一つの追加定義を支える。
最後の文字が、原文へつながる。
木板の中央で青い線が光った。
誰も、すぐには手を離さなかった。
「追記定着を確認しました」
ユトが言う。
「供給を停止して構いません」
一組ずつ。
手を離す。
追加定義は消えない。
全員が離れても青い線は残った。
青年が、息を吐く。
「書けた」
「はい」
「俺たちが?」
「共同追記者全員によって成立しました」
別の者が聞く。
「最後の二人が、一番強かったってことですか?」
「いいえ」
ユトは、四本の経路を示す。
「最後に接続したため、成立時点を目視しやすかっただけです。順序を変更しても、同じ総出力が供給されるなら、同じ結果となる可能性が高いです」
「可能性?」
「順序を変更した再現試験は、まだ行っていません」
「じゃあ、やります?」
「本日は行いません」
「何でですか?」
「参加者の霊力消費が、事前に定めた一回分へ到達したためです」
「まだできます」
「できることと、続けてよいことは同義ではありません」
青年が笑った。
「そこは、前と同じだ」
「安全基準を変更する理由がありませんので」
ユトは、全員の状態を確認する。
大きな消耗はない。
契約経路も安定している。
異常なし。
それを記録してから青く光る木板を見る。
『複数の事前指定追記者が、同一の追加定義へ出力を共同供給できることを確認』
『一契約組では定着しなかった追記が、四契約組による共同供給下で定着』
『原文作成者による再構築なし』
そこまで書いた。
青年が、記録を覗く。
「最初の失敗も書くんですね」
「はい」
「成功した方だけじゃ駄目ですか?」
「最初の試行がなければ、一契約組では出力が不足する場合があることを確認できませんでした」
ユトは、光らなかった板を示す。
「また、お二人が同じ内容を新規構築した試験によって、追記文及び基本技術だけが失敗原因ではないと判断できました」
「失敗も、要る?」
「必要です」
青年は、昨日の板を見る。
原文だけが残っている。
《同じ》の意味は。
まだ書かれていない。
「じゃあ、それも残してください」
「その予定です」
「俺たちができなかった板って書くんですか?」
「参加者の識別記録は、公開範囲を限定します」
「そうじゃなくて」
青年は少し考えた。
「次にできるようになった時、比べたいです」
「分かりました」
ユトは、保管目的へ追記する。
『追記技術習得後の再試験における比較対象』
契約天族が、青年を見る。
「次も、二人だけでやるのか?」
「できるようにはなりたい」
「でも、必要なら、また皆に頼めばいいだろ」
「それはそうだけど」
「今日、できたんだから」
青年は青く光る板を見る。
「……そうだな」
***
実験が終わった後、スレイとミクリオは、二枚の成功した木板を見比べていた。
一枚は二人で追記したもの。
もう一枚は学校の四組で追記したもの。
どちらも中央の線が、同じ青色に光っている。
「見た目は同じだな」
スレイが言う。
「同じ条件と効果だからな」
ミクリオが答える。
「でも、片方は二人で、片方は八人だ」
「正確には、一契約組と四契約組です」
ユトが訂正する。
「今回は、出力を供給するだけの者を集めたのではありません。全員を追加定義の共同追記者として指定しています」
「追記も、作る側に入る?」
スレイが聞く。
「はい。新しい術式構造を定着させるため、作成に含めます。現在、安定して再現できる方法では、人間が誓約術式を作成または追記する場合、契約天族を必要とします。そのため、今回の比較単位は契約組としています」
「分かった。一組と四組」
スレイは言い直した。
「同じところまで届いた」
「はい」
ミクリオが尋ねる。
「共存灯の実験でも、人数を増やせば大きな出力になることは確認していたはずだ」
「はい」
「今回、何が違う?」
「共存灯では、複数の参加者が新規に構築された共通誓約へ出力を供給しました」
ユトは、青い線の間を指す。
「今回は、既に成立している他者作成の誓約術式へ、複数の指定追記者が追加定義の構造を共同作成し、その定着に必要な出力も分担しました」
「新しく動かすためじゃなく」
スレイが言う。
「もう動いてるものへ、続きを書くために集めた」
「はい」
「なら」
スレイは、一度言葉を止めた。
教室に残っている受講者たちを見る。
「天界の誓約にも、皆で続きを書ける?」
「現時点では、判断できません」
ユトは即答した。
「今回確認したのは、小規模な術式に対して、原文側から事前に追記者として指定された複数組が、一つの追加定義へ出力を供給できることです」
新しい紙へ。
『天界の誓約』
と書く。
その下へ。
『原誓約の作成者以外による追記が成立するか――未確認』
『追加定義のみで変更可能か――未確認』
『必要出力――未確認』
『必要参加者数――未確認』
『原誓約の失敗判定を発生させず追記できるか――未確認』
未確認が並んだ。
「まだ、それだけ分からない?」
スレイが聞く。
「他にもあります」
「増やさなくていい」
「はい」
ミクリオが、紙を見る。
「それでも、一つは分かった」
「何でしょうか」
「追記する者が、一人である必要はない」
ユトは、少し考えた。
言い方の範囲を確かめる。
「少なくとも、今回使用した構造では」
「分かっている」
「はい」
ユトは、結果欄へ書き加える。
『追加定義の定着に必要な出力を、一名又は一契約組のみが負担する必要はない』
『複数の指定追記者による分担可能』
スレイが、その文字を読む。
「世界規模なら、何人必要だと思う?」
「分かりません」
「四組じゃ足りない?」
「今回の術式と、天界の誓約では規模が異なります」
「百人?」
「分かりません」
「千人?」
「分かりません」
「全員?」
ユトの筆が、止まった。
教室にいる者たちを見る。
人間、天族。
契約している者。
していない者。
今日は見学だけを選んだ者。
実験へ参加した者。
一組では、届かなかった。
四組では、届いた。
だが世界規模の術式までどれほどの距離があるのか。
まだ測る方法すらない。
「全員で足りるかも、確認できません」
「そっか」
「ただし」
スレイが、ユトを見る。
「一人に全出力を負わせる必要がない構造は、確認できました」
「うん」
「参加者一名ごとの負担を軽くし、人数によって必要出力を満たせる可能性があります」
「うん」
「一方で、参加者が増えるほど、追記文への同意、意味認識、出力時機及び撤回手順の調整は困難になります」
「そっちもあるのか」
「はい」
ミクリオが腕を組む。
「力だけ集めればいいわけではない」
「今回の構造では、意味認識の一致を確認できない出力は接続させません」
教室の端から、青年が聞いた。
「じゃあ、世界中の人に、同じ文章を読んでもらうんですか?」
「その方法を採用するかは未定です」
「文章を理解できない人は?」
「参加条件の設計が必要です」
「途中で嫌になった人は?」
「撤回方法が必要です」
「遠いところにいる人は?」
「出力経路が届くか確認する必要があります」
ユトは、新しい紙を取った。
ミクリオが、その手を止めた。
「今日は、そこまでだ」
「まだ記録していません」
「今から全部始める気か?」
「質問が出ましたので」
「次の研究項目へ残せ」
ユトは少し考えた。
「分かりました」
紙の一番上に。
『多数参加者による共同追記時の課題』
とだけ書いた。
その下は今日は、空けておいた。
***
片づけの前に三枚の木板へ、試験番号を付けた。
一枚目。
一契約組による追記。
定着せず。
二枚目。
高出力の一契約組による追記。
定着。
三枚目。
四契約組による共同追記。
定着。
それとは別に青年と契約天族が、同じ内容を最初から構築した板。
定着。
四枚を並べる。
最初の一枚だけが、光っていない。
けれど、その一枚がなければ、残りの比較は、始まらなかった。
スレイが、青年へ声を掛けた。
「次は、二人だけでも届くといいな」
「はい」
青年は答えた。
それから隣の契約天族を見る。
「でも、届かなかったら、また手伝ってもらいます」
「その方がいい」
スレイが笑う。
ミクリオが、その横へ来た。
「一人でできることが増えるのは悪くない」
青年が頷く。
「はい」
「だが、一人でできなければならないわけじゃない」
スレイが、ミクリオを見る。
ミクリオも気づいた。
「何だ」
「いや」
スレイは笑ったまま答える。
「今も箱が開いてる理由、ちょっと分かった気がして」
「その話へ戻すな!」
「戻してないって」
「戻している!」
二人の声が重なる。
ユトは実習室の窓から、第一調査拠点の方角を見た。
棚に戻した《共存の箱》はここからは見えない。
けれど、今、蓋へ手を掛けても開くはずだった。
ユトは、最後の記録を書く。
『世界規模の既存誓約への適用可能性――未確認』
『ただし、続きを書く手は、一つに限定されない』
その日の実習で世界の誓約は、まだ何も変わっていない。
誰に続きを書く権利があるのかも何人いれば届くのかも分からない。
それでも一組では途中で消えた線がいくつもの手から力を受け取った時、今度は消えずに既に書かれていた文の先へ、つながった。