【本編完結】炎上論点スタンプラリー【TOZ】   作:Moa

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後編

アイゼン周りについても話しておきたい。

 

正直、ここはリメイク版で一番怖かった。

 

アイゼンは、エドナの兄であり、ザビーダの親友であり、ベルセリアをプレイした人間にとっては、かつて共に旅をした仲間である。

だがゼスティリアの時代では、彼はドラゴンになっている。

 

そしてドラゴン化した天族は、浄化できない。

完全に鎮めるには殺すしかない。

 

ここを変えてしまうと、それはそれで話が別物になる。

アイゼンを救えるようにすることは簡単な救済だが、ゼスティリアの、いや、ベルセリアの重ささえも薄めてしまう危険もある。

 

では、リメイク版はどうしたか。

 

結論は変えなかった。

変えなかったが、そこに至るまでの道を変えた。

天への階梯である。

 

ここで私は変な声が出た。

いや、そこを使うのか。

ベルセリア側で明かされた設定を、ゼスティリア側のアイゼン問題に繋げてくるのか。

 

スレイたちは、ドラゴンを浄化する方法を探して天への階梯へたどり着く。

 

天への階梯とは、ベルセリア側で明かされた、天界へ至るための門である。この門は、今は閉じている。

 

天界とは、かつて天族が暮らしていた場所だ。

といっても数万年前のことであり、現存する天族たちのほとんどは地上世界で生まれている。

 

かつて天族は二つの派閥に分かれていた。

 

「穢れは猛毒だから、人間を滅ぼすべき」

「天族は、人間と共存できるはずだ」

 

前者は後者に賭けを持ちかけた。

 

「もし人間と共存することができたなら門を開き、地上と天界がひとつになるようにしよう。だが、条件が満たされなければ、罰として憑魔とドラゴンを生み出す」

 

そういう誓約である。

 

共存派はそれを受け入れ、地上に降り立った。

 

一見すると、「共存できたら報酬として門が開き、できなければ罰が下る」という単純な賭けに見える。

 

だが、問題はその条件の発生タイミングだった。

 

共存派は、おそらく「人間と天族が共存できない」という結果が確定した時に、罰が下るのだと思っていた。

だが実際の誓約は、そうではなかった。

 

「共存できなかったらペナルティが発生する」のではない。

「まだ共存が達成されていない」から、憑魔とドラゴンというペナルティが発動し続ける。

 

そして、そのペナルティによって人間は憑魔となり、天族はドラゴンとなる。

互いに歩み寄ろうとしても、そのたびに穢れが人間を変え、天族を壊していく。

共存を達成するための時間そのものが、共存を阻害する罰によって削られていく。

 

人類根絶派の壮大な罠である。

 

人間は穢れを生み、天族はその穢れの影響を受ける。

その構造を抱えたまま、なお共に在り続けなければならない。

 

門はまだ開かない。

けれど、失敗した時の罰だけは先に世界へ降りかかっている。

 

もはや試練というより、ほとんど呪いに近い構造である。

 

 

スレイは扉を開けようとする。

導師として。

浄化の力を持つ者として。

人と天族が共に生きる世界を夢見た者として。

 

だが、扉は開かない。

 

ほんの少し反応する。

光は走る。

古代語の文字が浮かび上がる。

もしかしたら、と思わせる。

 

しかし、開かない。

「条件が満たされていない」

この一言が重い。

 

スレイが足りないのではない。

エドナが諦めたのでもない。

ザビーダが最初から殺すつもりだったのでもない。

 

世界が、まだそこに届いていない。

 

 

ここでユトが言う。

「つまり、初めから不可能な条件を突きつけられていたのですか。大昔の天族が降りてきたせいで」

で、出たーッ。妖怪:炎上論点スタンプラリー男。

いや、これは「ゼスティリアの炎上論点」ではないから違うな。

ただの空気を読まないノンデリ男である。

 

ライラが明らかに言葉を失う。

ミクリオもすぐには反論できない。

エドナが「言い方」とだけ呟く。

ロゼですら「今それ言う?」という顔をする。

 

だが、ユトは続ける。

 

「責めているのではありません」

「ただ、確認しています」

「人と天族が共存する世界を願った者たちが、その願いによって、後の人間と天族に罰を残した」

「そういう話なのですね」

 

やめろ。

いや、やめるな。

でもやめろ。

 

そしてユトは言う。

「この共存条件を意図的に誤認させたのだとしたら、人類の滅ぼし方が悪質すぎます。直接戦争すればよかったじゃないですか」

 

***

 

ライラ「ユトさん」

ユト「はい」

ライラ「その言い方は、あまりにも……」

ユト「不適切でしたか」

エドナ「古代天族への悪口としては満点ね」

ザビーダ「直接戦争の方がマシって言われる誓約ってのも相当だな」

 

ユト「人を殺すために剣を振るう者は、少なくとも自分が殺していることを知っています」

ユト「ですが、これは違う」

ユト「相手に、自分で壊れていく仕組みを渡している」

ユト「しかも、それを願いの形で包んでいる」

ユト「悪質です」

 

ライラ「それでも……信じた方々がいたのです」

ユト「はい」

ライラ「人と天族は共に在れると」

ユト「はい」

ライラ「その願いまで、嘘だったとは言わないでください」

ユト「……言いません」

ユト「ですが、願いを利用した罠だったとは思います」

 

***

 

結局、扉は開かなかった。そして帰ろうとした時、エドナが言う。

「スレイですら無理なら、お兄ちゃんを浄化するのは不可能ってことね」

 

エドナは泣かない。

怒鳴らない。

ただ、扉を見たまま静かに言う。

「……覚悟を決めたわ」

 

「スレイですら無理なら」、というこの言い方がいい。

スレイを万能視しているわけではない。

けれど、スレイが本気で届かせようとして、それでも届かなかったのなら、もう自分が逃げ続ける理由にはできない。

 

そしてユトが、また余計なことを言う。

「それは、正しい決断ではないかもしれません」

お前。

ロゼが「ユト」と咎める。

当然である。タイミングが最悪すぎる。

 

だがエドナは怒らない。

「いいわよ。正しいなんて言われたら、たぶん怒ってた」

ここが本当に良かった。

 

ユトは続ける。

「必要だったことと、正しかったことは違います」

 

アイゼンを討つことは、必要かもしれない。

ザビーダとの約束かもしれない。

エドナを苦しめ続けないための選択かもしれない。

アイゼン自身が望んだことかもしれない。

 

それでも、それを「正しかった」と言い切ってはいけない。

必要だった。

でも、正しかったとは限らない。

この微妙な差を、ユトが言語化する。

 

だからリメイク版は、アイゼン討伐を美談にしない。

約束の物語にはする。

兄妹の別れにもする。

ザビーダの覚悟にもする。

スレイの導師としての選択にもする。

けれど、それだけにはしない。

 

最後にミクリオが旅の記録へ書く。

アイゼンは討伐されたのではない。

ただ約束が果たされたのでもない。

救えなかったのだ、と。

 

嫌な言葉である。

だが、必要な言葉だった。

 

リメイク版は、アイゼンを救わない。

救えない。

そこは変えない。

その代わり、救えなかったことを忘れない。

 

私はこの改変が、かなり好きだ。

救済ではない。

けれど、誠実ではあった。

 

 

この「必要だったことと、正しかったことは違います」は使い勝手が良かったのかネットミーム化した。「AだったこととBだったことは違います」通称ユト構文。ゼスティリアが悪くない形(ユト「それは本当に悪くない形と呼んで良いものですか」)で広がってる時点で私にとっては非常に嬉しいのだが。

 

 

***

 

終盤の改変で、個人的に一番息が止まったのはゼンライ戦だった。

 

原作でもつらい場面ではある。

ヘルダルフが、スレイとミクリオの育ての親であるゼンライを取り込む。

スレイとミクリオは、その身体ごとヘルダルフを貫かなければならない。

 

ただ、原作ではどちらかというと「人質」の印象が強かった。

ゼンライという存在がヘルダルフの中にいて、それごと撃ち抜くしかない。

もちろん重い。重いのだが、戦闘として直接ゼンライと向き合うわけではなかった。

 

リメイク版は、そこを逃がしてくれなかった。

ゼンライがドラゴンになる。

この瞬間、画面の前で本当に「え」と声が出た。

 

ドラゴンである。

浄化できない。

元には戻せない。

完全に鎮めるには殺すしかない。

 

アイゼンであれだけ丁寧にやった話を、今度はスレイとミクリオの家族に持ってくる。

いや、やめてくれ。

しかもゼンライは、完全に理性を失う前のわずかな時間で言う。

「儂を殺せ」

ここがきつい。

 

ゼンライは、自分がもう戻れないことを理解している。

自分が暴れれば、スレイたちを傷つける。

イズチを傷つける。

世界を傷つける。

そして何より、スレイとミクリオを迷わせる。

 

だから、理性が残っているうちに命じる。

「儂を殺せ」

これは命令ではなく、最後の教育だったのだと思う。

スレイもミクリオも当然受け入れられない。

 

スレイは「そんなの、できるわけないだろ」と言う。

ミクリオは珍しく声を荒げる。

「ジイジを殺すために、僕は陪神になったわけじゃない」

そうだよ。

そうだよな。

 

ミクリオにとってゼンライは、ただの高位天族ではない。

育ての親であり、イズチそのものであり、スレイと共に過ごした幼い日々の象徴だ。

スレイにとっても同じだ。

天族の杜イズチで育てられた人間の少年。

そのスレイを守り、育て、外の世界へ出すことを拒んでいた存在。

過保護で厳しい保護者。

 

そのゼンライを、殺す。

しかもイベントムービーで終わらない。

戦闘になる。

ここが本当にひどい。

プレイヤーにやらせる。

逃げ道がない。

しかも強い。

 

さすが雷神ゼンライ。

太古からマビノギオ山岳遺跡に祀られ、聖域を守ってきた高位天族という説明に偽りなし。

開幕の雷撃範囲が広すぎる。

フィールド全体を走る雷脈、遅れて落ちてくる落雷、近距離にいると爪で薙ぎ払い、距離を取ると天響術で拘束してくる。

 

「ジイジ、強すぎる」

そう思った直後に、スレイが戦闘中に言う。

「こんな形で戦いたくなかった」

やめろ。

戦闘中ボイスで刺すな。

 

そしてこの戦闘、プレイしていて途中で気づく。

ゼンライの攻撃、スレイとミクリオをあまり狙ってこない。

最初は偶然かと思った。

でも違う。

 

ロゼ操作だと明らかに攻撃が飛んでくる。

ユト操作でも、容赦なく雷撃が刺さる。

ザビーダやエドナにも普通に狙いが向く。

 

なのにスレイ操作だと、突進の軌道が少し逸れる。

ミクリオが詠唱していると、落雷の着弾点がわずかに外れる。

もちろん完全に安全ではない。被弾はする。戦闘として成立する。

 

でも、明らかに優先度が低い。

ここで気づいてしまう。

ゼンライの理性は、消えていない。

 

いや、ほとんど消えている。

ドラゴンになった天族は理性を失う。

それがこの世界の設定だ。

実際、ゼンライは咆哮し、暴れ、スレイたちに牙を剥く。

でも、その奥底に、ほんの少しだけ残っている。

 

スレイを傷つけたくない。

ミクリオを傷つけたくない。

育ての親としての本能だけが残っている。

 

しかももっと嫌なのが、スレイとミクリオへの攻撃優先度が低いことに気づくと、逆にスレイ操作が楽になるところである。

楽なのだ。

 

スレイで戦うと避けやすい。

ミクリオを入れていると、ゼンライの大技の予兆が少し分かりやすい。

神依を使えば、さらに戦いやすい。

つまり、ゼンライは最後までスレイとミクリオを守っている。

 

自分を殺させるために。

自分を止めさせるために。

二人が生き残れるように。

この戦闘設計、性格が悪すぎる。

 

スレイが攻撃を入れるたびに、ゼンライが少しだけ怯む。

ミクリオの水術が当たると、ほんの一瞬だけ雷の光が弱まる。

HPが半分を切ったところで、ゼンライが一度だけ人の言葉に戻る。

 

「よい……それでよい」

やめろ。

褒めるな。

戦っている子供たちを褒めるな。

 

そしてミクリオが叫ぶ。

「よくない!」

この一言が本当にミクリオだった。

 

ミクリオは理屈では分かっている。

ゼンライを止めなければいけないことも、ドラゴン化した以上は戻れないことも、スレイが導師として選ばなければならないことも分かっている。

でも、よくない。

そんなこと、よくあるはずがない。

 

スレイはその横で、歯を食いしばっている。

泣かない。

叫び続けない。

でも、戦闘後半のボイスがどんどん短くなる。

 

「ジイジ……!」

「止まってくれ!」

 

最後の方、言葉にならなくなる。

 

ここでリメイク版のスレイ描写が効いてくる。

スレイは気軽に葛藤できない。

穢れれば、ライラたちにも影響する。

導師として立ち続けなければならない。

それでも、これは無理だ。

 

育ての親を殺すのに、穢れるなという方が無茶だ。

だからこの戦闘は、スレイだけでは越えられない。

ミクリオがいる。

ミクリオが隣にいる。

 

最終フェーズ、ゼンライが大技を放とうとする。

画面全体が白く光り、雷の古代紋が浮かぶ。

 

最後は、スレイとミクリオで神依するように促される。

原作でも、ゼンライの最期は導師スレイと陪神ミクリオによって貫かれる。

リメイク版はそこを、システムとしてもう一度やらせる。

 

二人で、ゼンライを止める。

 

水の神依で雷を受け流し、最後の一撃を入れる。

この時、ゼンライの攻撃判定が一瞬だけ消える。

まるで、受け入れたみたいに。

 

そしてスレイが言う。

「ありがとう、ジイジ」

ミクリオが続ける。

「ごめん、ジイジ」

この差がもうだめだった。

 

スレイはありがとうと言う。

ミクリオはごめんと言う。

二人とも正しい。

どちらも足りない。

 

ゼンライは、最後に少しだけ元の姿の声で笑う。

「大きくなったのう」

ここで泣いた。

 

戦闘終了後、ユトが何かを言おうとして、やめるのも良かった。

ユトはだいたい重要な論点で言葉を置く。

だが、ここでは言わない。

言わないのが正解だった。

これは論点ではない。

家族の死だ。

 

ミクリオは、しばらく動けない。

スレイも、立っているだけで精一杯に見える。

この沈黙が良かった。

 

リメイク版は全体的に言葉を増やした作品だ。

原作で説明不足だった部分を、ユトや追加イベントで補っている。

だがゼンライ戦の後だけは、言葉を減らす。

ユトは空気読まないとネタにされがちだが、ここぞという場面ではちゃんとしている。

 

特にスレイの終盤の選択に対して、このゼンライ戦は大きすぎる。

スレイはここで、導師としての現実を完全に理解する。

救えないものがある。

殺すことでしか止められないものがある。

しかもそれは、知らない誰かではなく、自分の大切な人にも起こる。

 

それでもスレイは、感情をなくす道を選ばない。

穢れを恐れて、悲しみを否定しない。

ジイジを殺したことを「正しいこと」にもしない。

ただ、背負う。

 

この後のスレイが、少しだけ静かになるのも良い。

無表情になるのではない。

ちゃんと笑う。

仲間とも話す。

遺跡にも反応する。

 

でも、ゼンライの名前が出ると、一瞬だけ間が空く。

ミクリオも同じだ。

その間が、残る。

 

ゼンライ戦の何が良いかと言うと、プレイヤーに「ゼンライは完全に理性を失った怪物だった」と言わせないところだと思う。

ドラゴンになった。

戻れない。

殺すしかない。

それは事実。

 

でも、最後までスレイとミクリオを狙いきれなかった。

この一点で、ゼンライは最後までゼンライだった。

だからこそ、つらい。

 

完全な怪物になってくれた方が楽だった。

ヘルダルフの操り人形になってくれた方が楽だった。

人質として取り込まれているだけの方が、まだ殺す理由を外に置けた。

 

でもリメイク版は、ゼンライをゼンライのままドラゴンにした。

育ての親のまま、怪物にした。

怪物のまま、親でいさせた。

 

その結果、スレイとミクリオは「敵」を倒したのではなく、「ジイジ」を止めた。

ここが本当にえぐい。

 

ゼンライ戦は、リメイク版の終盤改変の中でも特に賛否が出ると思う。

「原作より救いがなさすぎる」

「ジイジまでドラゴン化させる必要あった?」

「スレイとミクリオに背負わせすぎ」

「これをイベント戦にするのは悪趣味」

 

そういう意見は出る。

分かる。

でも私は、この改変はかなり効いた。

 

ゼスティリアの世界では、穢れは遠くの誰かだけの問題ではない。

ドラゴン化は、エドナの兄だけに起こる悲劇ではない。

救えないものは、いつか自分の家族として目の前に立つ。

 

それでも、人と天族が共に生きる世界を諦めない。

そのためには、綺麗な理想だけでは足りない。

ゼンライ戦は、そのことをスレイとミクリオに、そしてプレイヤーに叩き込む戦闘だった。

二度とやりたくない。

でも、忘れられない。

 

特に、ゼンライがスレイとミクリオを狙いきれない挙動。

あれだけは本当に反則だった。

あれで私は、ゼンライが最後まで二人のジイジだったことを理解してしまった。

 

理解してしまったので、もう泣くしかなかった。

 

***

 

重い話の次は、ほのぼのした話もさせてもらおう。

今作で地味に嬉しいのは、スレイの後ろをついてくるキャラが選択制になったことだ。ロゼの事は嫌いではないが、後半でも自由に選んで連れ回せるのは素直に楽しい。

 

アリーシャ同行時にミクリオが右目を心配する会話も、この同行システムに入っている。

 

この同行者選択、単なるファンサービスかと思いきや、実際に触ってみるとかなり印象が変わる。

 

ミクリオを連れて遺跡に入ると、当然のようにスレイと二人で盛り上がる。

古代語の碑文を見つけるたびに会話が増えるし、建築様式の話になると二人とも早口になる。

 

ロゼを連れていると、現実的なツッコミが多い。

「で、それ売れるの?」

「つまり、お宝ってこと?」

この距離感が楽しい。重いイベント後でも、ロゼがいるとちゃんと旅が日常に戻る。

 

エドナはだいたい辛辣。

でも、兄関連のイベント後に連れていると、急に言葉数が減ったりする。

普段ならからかう場面で黙るから、逆に刺さる。

 

ライラはガイド役として安心感がある。

ただし禁忌事項に触れそうになると急に挙動がバグる。なんだその脈絡のないふとんがふっとんだは。

 

ザビーダは軽い。

軽いのだが、アイゼンやドラゴン関連の後に連れていると、急に真面目になる。

普段ふざけている人が、必要なところでだけ真面目になるタイプの破壊力。

 

アリーシャが同行可能な期間は限られているが、その分、専用台詞がかなり濃い。

天族が見えない時期の反応、見え始めた後の反応、政治イベント後の反応で少しずつ言葉が変わる。

「同じ場所を歩いていても、見えているものが違う」というテーマが、同行者会話だけで伝わってくる。

 

ユトを同行者にすると、目的地に関する案内はかなり簡潔になる。

「次はどこへ行くんだっけ」と確認すると、彼はほとんど迷わず答えてくれる。

北東の街道を抜ける、橋を渡る前に宿で話を聞く、遺跡の奥ではなく一度入り口付近の石碑を確認する。

情報の整理が早く、寄り道の必要がある場合も、その理由まで端的に説明してくれる。

そのため、攻略上はかなり便利だ。

イベント後感想もかなり良い。

スレイに対して「休んでください」と言うのではなく、

「歩く速度を落としても、目的地は逃げません」

みたいな言い方をする。

ユトなりの気遣いが不器用で良い。

 

そして、このシステムで一番嬉しかったのは、スレイとミクリオの旅の夢がちゃんと残っていることだった。

中盤以降も、ミクリオを後ろに連れて遺跡を歩ける。

これだけでかなり嬉しい。

 

ゼスティリアの始まりは、スレイとミクリオの遺跡探検だった。

世界を救う旅になっても、導師としての使命を背負っても、二人が遺跡を見て目を輝かせる時間が残っている。

それが本当に嬉しかった。

 

しかも、ミクリオ同行時だけ発生する細かい会話が多い。

「ここの壁画、イズチの遺跡と似てないか?」

「似ているが、年代が合わない。模倣か、あるいは逆か」

「逆ってことは、イズチの方が後?」

「可能性としてはある。……スレイ、目が輝いているぞ」

「ミクリオだって」

こういうやつ。

こういうやつが欲しかった。

 

一方で、ロゼを連れて同じ場所に行くと、

「うーん、古代の壁より今日の夕飯かな」

みたいになる。

楽しい。

 

同じ場所でも、誰を連れているかで旅の色が変わる。

パーフェクトガイドを見て驚いたのは、この同行者会話が本当に細かいタイミングで変わることだ。

 

ある街の事件を解決した直後。

宿に泊まる前。

次の目的地へ向かう前。

寄り道して特定の橋を渡った時。

特定キャラを同行者にして、しかもスレイのHPが半分以下の状態で話しかけた時。

 

そんな条件ある!?

攻略中に全部見るのは無理でしょ。

でも、そういう「普通に遊んでいたら見逃すかもしれない会話」があること自体が嬉しい。

世界がちゃんと続いている感じがする。

本編の重いイベントだけではなく、旅の途中の小さな会話にも、キャラが生きている。

 

リメイク版は重いところをかなり増やした。

ユトの追加で論点も増えた。

アイゼンやゼンライ周りは、原作以上に逃げ場がない。

 

でも、こういう同行者選択があるから、旅が苦しいだけにならない。

 

ミクリオと遺跡で盛り上がる。

ロゼに現実的なツッコミを入れられる。

エドナにからかわれる。

ライラに誤魔化される。

ザビーダに茶化される。

アリーシャが真面目に感想を言う。

ユトが変なところで重くなる。

 

この全部が、旅だった。

 

世界を救うだけではなく、誰と歩くかを選べる。

その選択にちゃんと反応がある。

これだけで、リメイク版を遊んでいてかなり楽しかった。

 

そしてパーフェクトガイドを見ながら思った。

まだ見ていない会話がある。

つまり、まだこの旅には余白がある。

 

重い改変で散々泣かされた後に、こういう余白を残してくれるのがずるい。

また起動するしかないじゃないか。

 

***

 

ユト絡みで好きなスキットがある。

 

ユト「ミクリオさんは、何歳くらいなのですか」

スレイ「オレが17歳だから、それくらい」

ユト「そうなのですね」

ミクリオ「……何か気になることでも?」

ユト「いえ。天族は数千年生きるとお聞きしましたので」

ミクリオ「それが?」

ユト「そう考えると、ミクリオさんは天族基準で言うと赤ちゃんなのでは?」

ミクリオ「僕は赤ちゃんじゃない!」

エドナ「だからボーヤなのよ」

ザビーダ「そうだな、ミク坊」

ミクリオ「君たちは黙っていてくれ!」

ユト「失礼しました。赤ちゃんという表現は不適切でしたね」

ミクリオ「分かればいい」

ユト「では、天族基準では幼年期に相当する個体――」

ミクリオ「言い換えればいいわけじゃない!」

ここまで完全にいつものギャグである。

 

だが、このスキットはここで終わらない。

ユト「ですが、それだけお若いのに、長く生きてきた他の皆さんと同等に渡り合えているのは、凄いことだと思います」

ミクリオ「……」

ユト「ライラさんやエドナさん、ザビーダさんは、ミクリオさんより遥かに長い時間を生きている。知識も経験も、普通なら比較にならないはずです」

ユト「それでも貴方は、遠慮せずに意見を言う。戦闘でも引かない。スレイさんの隣に立つことを、当然のように選んでいる」

ユト「若いことは、未熟であることと同じではありません」

ミクリオ「……君は本当に、反応に困ることを言うな」

スレイ「ミクリオはすごいだろ」

ミクリオ「君が得意げになることじゃない」

スレイ「でも嬉しい」

ミクリオ「……そういうところだぞ」

ユト「スレイさんが得意げになる理由は分かります」

ミクリオ「べ、別に分からなくていい」

ユト「自慢の相棒なのでしょう」

スレイ「うん!」

エドナ「良かったわね、赤ちゃん相棒」

ミクリオ「エドナ!」

 

可愛い。なんだかんだでちゃんとユトがミクリオを認めているのが良い。

 

***

 

原作終盤、スレイとヘルダルフが獅子戦吼をぶつけ合う場面がある。

私は、あの場面自体は嫌いではない。

セルゲイから受け継いだ技で、かつて人間だったヘルダルフに立ち向かう。

その構図はかなり良い。

 

ただ、正直に言えば、最終盤の見せ場としては少し地味だった。

獅子戦吼である。

いや、獅子戦吼はテイルズ伝統の技だ。

由緒ある技だ。

セルゲイ直伝という意味もある。

だが、相手は災禍の顕主ヘルダルフである。

ここでただの獅子戦吼をぶつけ合われると、どうしても絵面が少し素朴になる。

 

リメイク版は、そこをかなり上手く盛ってきた。

ヘルダルフが獅子戦吼を撃つ。

ただし、こちらが知っている獅子戦吼ではない。

いや、技名は獅子戦吼だ。

だが出力がおかしい。

地面が割れる。

穢れの奔流が獅子の咆哮となって襲いかかる。

「今のはメラゾーマではない、メラだ」くらいの勢いで、ヘルダルフが獅子戦吼を撃ってくる。

ここで笑う余裕はない。

スレイが吹き飛ばされる。

神依していても押し返される。

セルゲイから教わった獅子戦吼では、到底届かない。

 

だが、スレイはそこで新しい技を使う。

「獅吼導双波」

この場限りの新秘奥義である。

ここで私は声が出た。

それ、ザレイズの魔鏡技じゃないか。

外伝作品で出た技を、本編リメイクの終盤に持ってくる。

しかもただのファンサービスではない。

原作の獅子戦吼ぶつけ合いを、意味ごと拡張している。

 

ヘルダルフの獅子戦吼は、孤独の咆哮だ。

呪われ、家族を失い、死ぬこともできず、災禍の顕主となった男の咆哮。

かつて人間だった男が、獅子の姿で放つ、世界への怒りと絶望。

それに対して、スレイの獅吼導双波は、一人の咆哮ではない。

セルゲイから受け取った技。

ミクリオと重ねた力。

ライラたち天族との契約。

ロゼやアリーシャと歩いた人間の世界。

エドナとザビーダが背負ってきた別れ。

ユトが言葉にした、救えなかったものの記録。

その全部を乗せた、導師の技。

だから「双波」なのだと思う。

 

単純にスレイがヘルダルフより強い咆哮で押し返すのではない。

ヘルダルフの孤独な一撃に、スレイは二つの波で応える。

人と天族。

導師と陪神。

過去と未来。

殺すことと救うこと。

一人で吼える者と、共に歩いてきた者。

その対比が、技名だけで伝わる。

 

派手だ。

派手なのだが、ただ盛っただけではない。

原作の獅子戦吼の意味を残したまま、終盤の見せ場として成立させている。

これが本当に上手かった。

 

しかも、この技は戦闘後に通常習得しない。

一度きり。

あの場で、ヘルダルフの咆哮に応えるためだけに出た技。

それが良い。

スレイが新たな必殺技を覚えた、というより、スレイが旅で受け取ってきたものが、あの瞬間だけ一つの形になった感じがする。

原作の獅子戦吼ぶつけ合いは、意味は良いが少し地味だった。

リメイク版の獅吼導双波は、その意味を捨てずに、ちゃんと終盤の必殺演出へ引き上げていた。

これは良改変だと思う。

 

***

 

ヘルダルフの狙いは、スレイを殺すことだけではなかったのだと思う。

スレイを絶望に落とすこと。

家族を奪い、守りたかったものを壊し、導師としての理想を踏みにじり、それでもなお前に進もうとする少年に、「お前もこちら側へ来い」と手を伸ばすこと。

新たな災禍の顕主を生み出すこと。

ゼンライのドラゴン化は、そのための罠だった。

 

スレイとミクリオに育ての親を殺させる。

救えないものを、最も近い場所に置く。

「人と天族が共に生きる世界」を願ったスレイに、人と天族の共存の失敗を家族の形で突きつける。

あまりにも悪趣味で、あまりにも的確だった。

実際、スレイは傷ついた。

傷つかないはずがない。

それでも、スレイはヘルダルフの望む場所へは落ちなかった。

 

ここでユトが言う。

「復讐してもいいのですよ」

この台詞には驚いた。

ユトはスレイに復讐を勧めているわけではない。

ただ、復讐したいと思う権利を、スレイから奪わなかった。

 

導師だから怒ってはいけない。

穢れるから憎んではいけない。

世界を救う者だから、個人的な痛みを持ってはいけない。

そうではない、と。

スレイが怒ってもいい。

憎んでもいい。

復讐を望んでもいい。

その上で、何を選ぶのかはスレイ自身が決めるべきだと、ユトは言っている。

 

スレイは、少しだけ笑って返す。

「ううん、やめておく。そうしたらヘルダルフの思い通りになっちゃうから」

ここで泣いた。

スレイは、ヘルダルフを憎まないのではない。

ヘルダルフの望む形では憎まないのだ。

 

復讐を選ぶことはできる。

怒りに身を任せることもできる。

ゼンライを奪われた痛みを、ヘルダルフに叩き返すこともできる。

でも、それを選べば、ヘルダルフの思い通りになる。

スレイが絶望し、世界を呪い、次の災禍の顕主になる。

ヘルダルフは、それを望んでいた。

 

だからスレイは、復讐しない。

それは優しさであり、拒絶だった。

ユトはしばらく黙った後、言う。

「私にはわかりません。……でも、私は貴方の道を尊重したい」

この「わかりません」が良かった。

安易に「わかります」と言わない。

スレイの選択を、自分の言葉で理解したふりをしない。

でも、理解できないから否定するわけでもない。

尊重する。

ユトがここまで来たのだと思った。

 

初期のユトなら、スレイの選択を危うい自己犠牲として問い詰めたかもしれない。

「怒りをなかったことにしていませんか」と言ったかもしれない。

「それは本当に貴方の選択ですか」と刺したかもしれない。

でも終盤のユトは、問いを置いた後で、選択を相手に返せる。

スレイの道を、スレイのものとして認める。

そしてスレイは、ヘルダルフに終わりを与える。

 

復讐ではない。

断罪でもない。

許しでもない。

終わりだった。

死ねないことで苦しみ続け、家族を失い、呪われ、災禍の顕主となった男に、スレイはあまりにも優しい終わりを差し出す。

 

「おやすみ、ヘルダルフ」

 

この一言が、あまりにもスレイだった。

「消えろ」ではない。

「許さない」でもない。

「償え」でもない。

おやすみ。

それは、長い悪夢に囚われていた人間へ向ける言葉だった。

 

もちろん、ヘルダルフの罪は消えない。

ゼンライは戻らない。

カムランも、マオテラスも、これまで生まれた災厄も、なかったことにはならない。

スレイはヘルダルフを許したわけではない。

ただ、復讐で終わらせなかった。

これが、ヘルダルフへの最大の抵抗であり、スレイの導師としての答えだったのだと思う。

ヘルダルフは、スレイを自分と同じ場所へ落とそうとした。

 

だがスレイは落ちなかった。

家族を殺しても。

救えないものを突きつけられても。

それでも世界を呪わなかった。

そして、世界を呪った男に「おやすみ」と言った。

優しすぎる。

でも、その優しさは弱さではない。

ヘルダルフの絶望に呑まれないための、スレイの強さだった。

 

***

 

総評:ゼスティリアという劇薬に、新たな劇薬を投げかけた意欲作

 

最初は、新キャラが加入するというだけでも衝撃だった。

 

しかも、何故か術が使える人間。

オッドアイ。

「私は貴方の仲間にはなれません。誰の仲間にも」という、構ってちゃんと言わんばかりの孤独アピール。

 

盛りすぎだろ、と思った。

 

正直、警戒した。

リメイクで新キャラを入れるだけでも相当難しいのに、そのキャラにここまで設定を盛るのは危険すぎる。

スレイの物語を奪うのではないか。ロゼやミクリオの居場所を奪うのではないか。アリーシャの問題を、新キャラで雑に処理するつもりではないか。

何のために人物を増やすのか。

 

だが、プレイしていくうちに分かる。

ユトはスレイの物語を奪うために追加されたのではない。

ロゼを否定するためでも、ミクリオの代替になるためでもない。

彼は、ゼスティリアの中で言葉にならなかった問いを、言葉にするために置かれたキャラクターだった。

 

「論点スタンプラリー」は、彼自身が論点そのものだから成立している。

「FAQの擬人化」は、彼自身が答えを持てないまま悩み続けてきたからそう見えるだけなのだ。

 

穢れとは何か。

罪とは何か。

見えないものを、ないことにしていないか。

誰かを機能として扱っていないか。

 

ユトはそれらを他人に突きつける。

だが、最後にはその問いがすべて自分に返ってくる。

だから、単なる開発者コメントにはならなかった。

 

やっていることは、ただの後付けの言い訳かもしれない。

原作で説明不足だった部分に、新キャラを置いて言葉を足しているだけ、と言われれば否定は難しい。

 

だが、その「言い訳」を一人の登場人物の痛みとして成立させたことには、素直に舌を巻いた。

 

ユトは、ゼスティリアの傷を消すキャラではない。

むしろ、傷口を指差すキャラだ。

そして、自分自身も傷口だった。

ここが上手かった。

 

このリメイク版は、原作を無難に修正した作品ではない。

アリーシャ離脱を穏当に補足し、ロゼの穢れなさを丁寧に説明し、アイゼンやゼンライを都合よく救済して、すべてを丸く収める作品ではなかった。

 

むしろ逆だ。

 

救えなかったものを、よりはっきり救えないものとして描く。

曖昧だった論点に、より痛い言葉を与える。

原作で傷ついた人にも、原作を好きだった人にも、もう一度別の角度から刺してくる。

 

劇薬である。

 

ゼスティリアという作品自体が、もともとかなり扱いの難しい劇薬だった。

そこにリメイク版は、ユトという新たな劇薬を投げ込んだ。

 

その結果、飲みやすくなったわけではない。

むしろ、さらに強くなった。

だが、不思議と、原作への向き合い方は誠実だったと思う。

 

原作の結論を安易に変えない。

けれど、そこに至るまでの沈黙を放置しない。

救えなかったものを、美談にしない。

でも、覚悟まで汚さない。

 

ユトというキャラは、そのための刃だった。

 

好き嫌いは分かれると思う。

実際、私も序盤はかなり警戒していた。

盛りすぎだとも思ったし、喋りすぎだとも思った。

今でも、合わない人がいるのは分かる。

 

でも、終わってみれば、彼がこのリメイクに必要だった理由は分かった。

 

ゼスティリアを分かりやすくするためではない。

ゼスティリアの分かりにくさを、別の形で痛みに変えるためだった。

 

だからこれは、優しいリメイクではない。

救済のリメイクでもない。

けれど、誠実なリメイクだった。

 

ゼスティリアという劇薬に、新たな劇薬を投げかけた意欲作。

その反応が綺麗だったかどうかは、人によって違うと思う。

 

でも私は、その危険な化学反応から目が離せなかった。

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