お前、何のために導師になったんだ……?
以前、私はそう書いた。
回答が来ました。
ついに、導師になった理由まで遅れて発動した。
***
DLCクリア後、アリーシャの家に行くと追加イベントが発生する。
机の上には、何枚もの書類が積まれていた。
ハイランド王国の復興状況。
ローランス帝国との和平交渉。
各地で発生している憑魔被害。
天族との共存に向けた、祈りの場の整備。
その中に、見覚えのない報告書が一冊だけ混じっている。
表紙には、ユトの字でこう書かれていた。
『天族のドラゴン化を予防するための継続的対策について』
題名が硬い。
内容も硬い。
提出者も硬い。
アリーシャは報告書を開き、しばらく黙って読み進めていた。
ユトは机の前に立っている。
いつもの服装。
いつもの響筆。
導師になったというのに、本人の見た目はほとんど変わっていない。
威厳のある聖衣をまとうでもない。
聖剣をこれ見よがしに掲げるでもない。
腰に手帳と筆記具を下げた、旅の書記官のような男が、王女へ書類を提出している。
絵面が地味だ。
「ユト様」
アリーシャが、ようやく顔を上げた。
「はい」
「これは、本当に実施できるのでしょうか」
「現時点では、大陸全域での実施は困難です」
ユトは即答した。
「導師の人数が不足しています。また、天族の居場所を人間側で把握することにも限界があります。まずは加護領域を持つ天族、人間の街や村の近くに住む天族、穢れの発生しやすい地域にいる天族を優先するべきだと考えます。また、ドラゴンパピーが出現した際は最優先で対処が必要になります」
アリーシャは言った。
「私はユト様の発想に驚いています」
ユトは少し黙った。
「実現不可能でしょうか」
「逆です」
アリーシャは報告書を閉じた。
表紙へ手を置く。
「どうして私はこれを思いつけなかったのだろうと思っています」
ユトは答えなかった。
アリーシャは続ける。
「ドラゴンとなった天族を救う方法を探すのではない」
「はい」
「そうなる前に、手を差し伸べる」
「はい」
「この方法なら、誰かがドラゴンとなるまで待つ必要がありません」
「待つべきではありません」
ユトの返答は静かだった。
「ドラゴン化が不可逆であるなら、不可逆となる前に介入するべきです」
アリーシャは、わずかに目を見開く。
それから、笑った。
「良い提案だと思います」
ユトが瞬きをした。
褒められると思っていなかった顔である。
「人員も、場所も、費用も必要になります。天族の方々へ、どのように知らせるかも考えなければなりません」
「はい」
「すぐに全てを実現することはできないでしょう」
「承知しています」
「ですが、始める価値はあります」
アリーシャは報告書を持ち上げた。
「国として協力します」
ユトは少しだけ目を伏せた。
「ありがとうございます」
「こちらこそ」
アリーシャは穏やかに答えた。
「誰かがドラゴンとなってから討伐のために兵を出すより、ずっといい」
その言葉に、ユトはしばらく何も返さなかった。
やがて、小さく頷く。
「私も、そう思います」
***
さて。
ユトはいったい、何を提案したのか。
ドラゴンを浄化できる新しい術式でしょうか。
違います。
ドラゴン化した天族の時間を巻き戻す、古代の遺物でしょうか。
違います。
命や存在を代償に、世界の法則を一時的に書き換えるのでしょうか。
違います。
では、その方策とは。
***
Side:とある天族
紙が一枚、祠の入口に置かれていた。
誰が置いたのかは分からない。
人間には長く忘れられ、今では祈りに来る者もほとんどいない場所だ。
それでも、自分はこの祠を器としている。
だから、置かれたものには一応目を通す。
『定期浄化実施のお知らせ』
意味が分からなかった。
その下には、日時と場所が記されている。
対象者。
近隣地域に居住する天族。
自覚症状の有無にかかわらず受診を推奨。
受診。
天族が。
何を。
紙の末尾には、ハイランド王国の印章が押されていた。
悪戯ではないらしい。
さらに、小さな文字で追記がある。
『当初は一年に一度の実施を予定していましたが、対象となる天族の皆様から頻度が高すぎるとの意見が寄せられたため、十年に一度へ変更しました』
一年。
いくら何でも細かすぎる。
天族にとって一年など、季節が一巡した程度でしかない。
十年でも短い気がする。
だが、王国の印章まで押された通知を無視するのも、少し気が引けた。
何より、誰がこんなことを始めたのか気になった。
指定された場所は、レディレイクの聖堂だった。
中へ入ると、数人の天族が椅子に座って待っている。
地の天族。
水の天族。
何の動物なのかよく分からない姿の天族もいる。
全員、居心地が悪そうだった。
「お前も呼ばれたのか」
隣の天族が話しかけてきた。
「ああ」
「穢れている自覚は?」
「ない」
「俺もない」
では、なぜここにいるのか。
互いに聞かなかった。
やがて扉が開く。
灰色がかった髪の人間が、手元の紙を見ながら名前を呼んだ。
「次の方、どうぞ」
人間。
だが、自分たちを見ている。
導師なのだろう。
聖剣を持っているようには見えない。
腰にあるのは、細長い筆のようなものだけだ。
部屋へ入ると、机と椅子が置かれていた。
戦闘の準備はない。
巨大な術式もない。
「お掛けください」
言われた通りに座る。
人間は向かい側へ座り、紙の上へ響筆を走らせた。
「最初に、現在の器について確認します」
「祠だ」
「破損や、信仰の急激な減少はありますか」
「昔からほとんど誰も来ない」
人間の筆が止まった。
「それは、いつ頃からですか」
「二百年くらい前から」
「急激ではありませんね」
人間は次の質問へ移る。
「最近、人間や他の天族に対し、強い憎悪や失望を感じたことはありますか」
「ある」
筆が止まる。
「詳細を伺ってもよろしいですか」
「祠へ供えられた果物を鳥に全部食べられた。珍しく人が来たから後で食べようと思ったら」
人間は少し考えた。
「人間への失望ではなく、鳥への怒りですね」
「そうだ」
「鳥を滅ぼしたいと思いましたか」
「そこまでは思っていない」
「では、現時点で重大な兆候とは判断しません」
何の話をしているのだろう。
次に、天響術の不調。
外見の急激な変化。
自分の意思とは無関係な衝動。
器から離れた際の体調。
周囲の穢れが増した時に、どの程度影響を受けるか。
いくつもの質問をされた。
答えるたび、人間は紙へ記録していく。
「質問は以上です」
「これで終わりか」
「続いて、浄化を行います」
人間は立ち上がった。
「私は憑魔ではない」
「承知しています」
「穢れてもいない」
「その可能性もあります」
「なら、浄化する必要はないだろう」
人間は、真っすぐこちらを見た。
「穢れは、自覚できるとは限りません」
静かな声だった。
「また、現時点で大きな問題がなくても、蓄積した穢れを減らすことには意味があります」
「俺がドラゴンになるとでも?」
「分かりません」
否定しなかった。
少し腹が立った。
「失礼な人間だな」
「申し訳ありません」
人間は頭を下げた。
「ですが、ならないと断定することもできません」
響筆が、淡い光を帯びる。
「ドラゴンになった後では、私には貴方を浄化できません」
その言葉だけは、よく知っていた。
ドラゴンとなった天族は戻らない。
理性を失う。
周囲を破壊する。
最後には、誰かに討たれる。
天族ならば、誰でも知っている。
知っているから、考えないようにしている。
「では、始めます」
光が広がった。
熱くはない。
痛くもない。
それでも、胸の奥から何かが剥がれ落ちていく感覚があった。
長い間そこにあり、あることすら忘れていた重さ。
人間に忘れられたこと。
祠が朽ちていくこと。
誰も自分を必要としていないのではないかと、時々考えていたこと。
そんなものを抱えていたのだと、軽くなってから初めて気づいた。
光が消える。
人間は、こちらの様子を確認してから椅子へ戻った。
紙へ何かを書き込む。
「終了しました」
「何かあったのか」
「軽度の穢れが確認されましたが、浄化は完了しています」
「軽度」
「はい。ドラゴン化の兆候はありません」
当たり前だ。
そう言おうとして、やめた。
自分では気づいていなかったものが、確かにあった。
「次回は十年後です」
人間は一枚の紙を差し出した。
『定期浄化記録』
実施結果。
異常なし。
次回予定。
十年後。
「これを、全ての天族に行うつもりか」
「可能な範囲からです」
「何体のドラゴン化を防げる」
人間は少しだけ考えた。
「分かりません」
また、それだった。
「発生しなかったドラゴンを、数えることはできませんので」
紙の上には、ただ「異常なし」と書かれている。
英雄の名はない。
討伐された竜の名もない。
救われた命の数もない。
次回予定、十年後。
それだけだった。
***
ドラゴンになった天族は、浄化できない。
これは『ゼスティリア』の世界における、極めて重い法則である。
ドラゴン化した天族は元には戻せない。
完全に鎮めるには、殺すしかない。
アイゼンは救えなかった。
テオドラも救えなかった。
だから普通は、こう考える。
どうすれば、ドラゴンを浄化できるのか。
どのような奇跡なら、この法則を超えられるのか。
どれほど重い代償を払えば、失われた天族を取り戻せるのか。
ユトは違った。
法則をそのまま読んだ。
「ドラゴンになった天族は浄化できない」
承知しました、では。
ドラゴンになる前に浄化します。
……そう来たか。
法則を破っていない。
新しい奇跡も起こしていない。
ドラゴンを浄化できるようになったわけでもない。
ただ、浄化できる段階で浄化する。
不可逆になる前に、可逆のうちに対処する。
それだけである。
***
この制度、作中では「天族定期浄化制度」と呼ばれている。
ファンからの通称は健康診断である。
導師健康診断。
ドラゴン化予防接種。
名称は安定していない。
浄化なので接種ではない。
最初、ユトは一年ごとの実施を提案していた。
ライラ「一年ごとは多すぎませんか?」
ユト「穢れの蓄積速度には個人差があります。早期発見を目的とするなら、間隔は短い方が安全です」
エドナ「天族にとって一年なんて、人間で言えば頻繁に呼び出されてるようなものよ」
ユト「では、何年が適切でしょうか」
ザビーダ「百年」
ユト「長すぎます」
ザビーダ「じゃあ十年?」
ユト「……妥協可能です」
十年になった。
天族側との協議を経て制度が修正されている。
ちゃんとしている。
神話の登場人物が、受診間隔について協議している。
神話をコンプラで殺すな。
死者が出るよりよいでしょう。
正しい。
正しいけど。
***
この制度は、ユトだけでは成立しない。
ユトは浄化できる。
だが、各地の天族を把握し、場所を用意し、通知を出し、記録を保管し、継続的な制度として運用することはできない。
そこでアリーシャである。
ユトが方策を考える。
アリーシャが国の制度として整える。
天族側の意見を聞き、実施間隔を調整する。
人間の国が天族を管理する制度にならないよう、受診は強制ではなく推奨とする。
記録の公開範囲も限定する。
器や居住地の情報が、軍事利用されない仕組みも必要になる。
めちゃくちゃ実務である。
ドラゴン化対策の話をしているはずなのに、必要になるのが予算、人員、会場、個人情報保護である。
神話はどこへ行った。
ユトとアリーシャが行政に変えた。
***
ここで、DLC冒頭へ戻る。
スレイが眠りについた後、世界には浄化を担う者がいなくなった。
だからユトは聖剣を引き抜いた。
「スレイさんと同じ意味で、その名を掲げるつもりはありません。必要なのは浄化機能です」
この台詞。
初見では、いかにもユトらしいと思った。
導師という英雄の名ではなく、機能だけを必要とする。
しかし、正直に言えば、それ以上の意味は分からなかった。
浄化の旅を続けるため。
ロゼとアリーシャへ力を分けるため。
スレイが目覚めるまでの空白を埋めるため。
それだけだと思っていた。
違った。
違わない。
それも全部やっている。
だが、その先があった。
ユトは、ドラゴンを倒すために導師になったのではない。
ドラゴンになってしまった天族へ、奇跡を起こすためでもない。
ドラゴンが生まれないようにするために、導師になった。
***
この制度によって、何体のドラゴン化が防がれたのか。
分からない。
作中でも、明確な数字は出ない。
発生しなかった悲劇は、観測できないからだ。
ドラゴンが現れない。
討伐隊も結成されない。
導師が命を懸ける決戦もない。
兄妹が永遠に別れることもない。
吟遊詩人が歌う英雄譚も生まれない。
記録に残るのは、
『定期浄化実施。異常なし』
『次回予定、十年後』
それだけである。
活躍が地味すぎる。
だが、その記録の向こうには、本来ドラゴンとなっていたかもしれない天族がいる。
何百年経っても、理性を失わずに生きている。
誰にも討たれず。
誰かを殺さず。
神話にならず。
ただ、生きている。
知らない男。
ドラゴンを倒さない。
ドラゴンを救う奇跡も起こさない。
ドラゴンが生まれなかった原因になる。
お前、何のために導師になったんだ。
ようやく分かりました。
健康診断をするためです。