終盤、レディレイクへ戻ると追加イベントが発生する。
場所はアリーシャの家だ。
机の上には、何枚もの報告書が並べられていた。
不審死。
行方不明。
街道沿いで発見された遺体。
表向きには事故として処理されたものもあれば、明確に刃物による傷が残っていたものもある。
被害者には共通点があった。
横領。
人身売買。
部下や領民への暴行。
証人の脅迫。
法によって裁かれるはずだったが、裁かれなかった者たち。
そして、その死の周辺では、ある商隊の姿が目撃されていた。
セキレイの羽。
アリーシャは報告書から顔を上げた。
「暗殺組織、風の骨」
その名を口にする。
スレイの表情が固まった。
「複数の証言と記録を照合した。彼らがセキレイの羽を隠れ蓑として活動している可能性は、極めて高い」
アリーシャは地図の上に置かれた駒を動かす。
街道。
宿場。
商業都市。
セキレイの羽が立ち寄った場所。
暗殺が発生した場所。
その二つは、確かに重なっていた。
「まだ十分な証拠が揃ったとは言えない。だが、このまま放置することもできない」
アリーシャは静かに告げる。
「風の骨の摘発準備を進める」
「待ってくれ」
スレイが、ほとんど反射的に言った。
アリーシャの手が止まる。
「スレイ?」
「その……すぐに動くのは、待ってほしいんだ」
「理由は?」
「理由は、その……」
スレイは言葉を詰まらせた。
風の骨の頭領がロゼであることを、スレイは知っている。
だが、それはロゼが自分たちへ明かした秘密だ。
勝手に話してよいことではない。
しかし、黙っていればアリーシャは風の骨を摘発する。
ロゼや、セキレイの羽の仲間たちが捕らえられるかもしれない。
戦闘になるかもしれない。
「オレは、風の骨について少し知ってる」
「だったら教えてくれ」
「でも、オレが話していいことじゃないんだ」
アリーシャは一瞬だけ目を伏せた。
それから、王族としての表情でスレイを見た。
「事情を説明できない。しかし、摘発は中止してほしい。そういうことか?」
「中止してほしいっていうか……」
「それでは、私は判断できない」
アリーシャの声は厳しかった。
だが、冷たくはなかった。
「私は、誰かの命を奪った疑いのある組織を調べている。説明されていない事情があるという理由だけで調査を止めることはできない」
「それは、分かってる」
「分かっているなら、スレイは私にどうしてほしいんだ?」
スレイは答えられなかった。
アリーシャに嘘をつきたくない。
ロゼの秘密も晒したくない。
どちらも守りたい。
だから、何も言えない。
「スレイさん」
ユトが口を開いた。
「説明できない情報を根拠として、公的な判断を変更させることは困難です」
「ユト」
ミクリオが低い声で制止する。
「ですが」
ユトは続けた。
「預かった情報を、本人の許可なく開示することも適切ではありません」
スレイはユトを見る。
「だから困ってるんだよ」
「はい」
ユトは頷いた。
「困難な状況だと思います」
解決しない。
状況を正確に説明しただけである。
今それを求めているのではない。
「で」
部屋の入口から声がした。
全員が振り返る。
扉にもたれかかるように、ロゼが立っていた。
いつから聞いていたのか分からない。
ロゼは机の上の報告書へ目を向ける。
そして、軽く息を吐いた。
「スレイが言えないなら、あたしが言う」
スレイが目を見開く。
「ロゼ」
「風の骨の頭領は、あたし」
沈黙。
あまりにも短い告白だった。
アリーシャは、しばらく動かなかった。
「ロゼが……?」
「うん」
「風の骨の、頭領」
「そう」
「これらの暗殺も、ロゼが命じたのか」
ロゼは報告書へ近づく。
一枚ずつ確認する。
「全部じゃない」
一枚目。
「これは違う」
二枚目。
「これはうち」
三枚目。
「これも」
ロゼは誤魔化さなかった。
言葉を選びもしなかった。
「あたしたちが殺した」
アリーシャの指が、わずかに震えた。
「どうして」
「放っておいたら、もっと人が死んだから」
「それを、ロゼが決めたのか」
「調べたのはあたし一人じゃない。依頼が来たら、対象を調べる。個人的な恨みだけなら受けない。殺すほどじゃないと判断したら断る」
「それでも、最後に命を奪うと決めるのは風の骨だ」
「そうだよ」
「法も、裁判も通さずに」
「法を通したら助からない人がいるからね」
アリーシャの表情が硬くなる。
ロゼは続けた。
「役人に訴えた次の日、その役人から相手に話が漏れる」
「証拠を出そうとした人間が、裁判の前に消える」
「金を払えば、殺人が事故になる」
「そういう相手を、法が裁いてくれるまで待てって?」
「だからといって」
アリーシャの声が強くなる。
「個人が命を奪ってよい理由にはならない」
「じゃあ、待ってる間に殺される人は?」
「その人たちを救うために、制度を変える」
「いつ?」
ロゼの問いは短かった。
「アリーシャが全部変えるまで、何年かかる?」
「それは」
「明日殺される人に、あと数年待ってって言う?」
アリーシャは言葉を失う。
ロゼはアリーシャを責めたいわけではない。
それは分かる。
アリーシャが本気で国を変えようとしていることも知っている。
それでも、今夜殺される者はいる。
「届かない理想より、目の前の正義」
ロゼは静かに言った。
「それが、あたしたちのやり方」
「その正義が間違っていた場合は」
アリーシャは問い返した。
「誤った情報を信じた場合は?」
「誰かが風の骨を利用して、無実の者を悪人に仕立てた場合は?」
「命を奪った後で、間違いが判明したら?」
ロゼは黙る。
「殺された者を、生き返らせることはできない」
「だから調べるんだよ」
「誰が、その調査が正しかったと確認する」
「仲間同士で確認してる」
「調査する者も、裁く者も、刑を執行する者も、全て同じ組織だ」
「外の人間に話せるわけないでしょ。暗殺組織なんだから」
「それでは、間違った時に止める者がいない」
「間違えないようにしてる」
「風の骨が間違えないと誰が証明できる?」
アリーシャとロゼの視線がぶつかる。
法によって救おうとする者。
法に救われなかった者を、刃によって救おうとする者。
どちらも、自分のためだけに戦っているわけではない。
だから余計に厄介だった。
「確認します」
ユトが言った。
出た。
ここまで黙っていた知らない男が、ついに口を挟む。
嫌な予感しかしない。
「アリーシャさん」
「はい」
「風の骨を摘発した後、彼らが介入していた事件について、代替となる保護体制はありますか」
アリーシャは少し考える。
「警備を強化し、司法制度の正常化を進めます」
「摘発を実施した翌日から、全ての地域で機能しますか」
「それは困難です」
「では、風の骨の活動を停止させてから代替制度が機能するまで、空白期間が発生します」
「可能な限り短くします」
「その期間に、新たな被害者が発生する可能性はありますか」
アリーシャは答えなかった。
ユトは待つ。
逃がさない。
「……あります」
アリーシャは認めた。
「では、摘発を行うという判断には、その被害が発生する危険も含まれます」
「それを許容するつもりはありません」
「許容していないことと、発生する可能性を選択に含めないことは別です」
アリーシャの顔が歪んだ。
「ユト様は、私に人が殺されるまで風の骨を放置しろと仰るのですか」
「いいえ」
即答だった。
「では、何を」
「摘発によって守られなくなる者を、存在しないことにしないでください」
次に、ユトはロゼを見る。
「ロゼさん」
「何」
「風の骨が誤って無実の者を殺した場合、本人はどのように異議を申し立てるのですか」
「死んでたら無理でしょ」
「はい」
「だから間違えないように――」
「それは回答になっていません」
ロゼの眉が上がる。
「調査を行った者とは別に、判断を検証する者はいますか」
「いない」
「対象となった者へ、弁明の機会は与えますか」
「逃げられたり、証拠を消されたりする」
「では、与えないのですね」
「そうだよ」
「風の骨が誤った時、外部から訂正する方法はありますか」
「……ない」
「では、風の骨の正義は、風の骨が正しいことを前提として成立しています」
ロゼの顔から笑みが消えた。
「ユトは、悪いやつを見逃せって言いたいの?」
「いいえ」
「じゃあ何」
「貴方たちの覚悟が、誤認した相手を生き返らせるわけではないと言っています」
空気が冷える。
「覚悟がある」
「自分の罪を忘れない」
「必要なことだと理解した上で引き受ける」
それはロゼの強さである。
だが、覚悟は万能ではない。
覚悟した者が苦しむことと、殺された者が正しかったかどうかは、別の話だ。
「ユト様」
アリーシャが問う。
「風の骨の行いを認めるのですか」
「ユト」
ロゼも続ける。
「あたしたちを捕まえろって言いたいの?」
ユトは、二人を交互に見た。
「分かりません」
出た。
ここまで刺しておいて分からない。
「分からないのですか」
「はい」
アリーシャが呆然とする。
ロゼは額を押さえた。
「そこまで言っといて?」
「分からないものを、分かったふりはできません」
ユトは静かに続ける。
「アリーシャさんが間違っているとは、断定できません」
「私人による殺害を認めれば、悪意や私怨による殺人まで正義を名乗る可能性があります」
「ロゼさんが間違っているとも、断定できません」
「法が機能していない場所で、制度が整うまで待つことを求めれば、その間に失われる命があります」
「では」
アリーシャが尋ねる。
「ユト様は、どちらを選ぶのですか」
ユトは少しだけ目を伏せた。
「選べません」
「ですが」
言葉を探す。
理屈ではなく。
定義でもなく。
正しさを証明するためでもなく。
「私は、嫌です」
ロゼが瞬きをした。
アリーシャも動きを止める。
「何が?」
「法が間に合わなかった者を、制度が整うまでの犠牲として扱うことが嫌です」
ユトはアリーシャを見る。
「だからといって、殺された者が異議を申し立てる権利を、覚悟という言葉で終わらせることも嫌です」
今度はロゼを見る。
「どちらか一方を正しい答えと決めることで、選ばなかった側の犠牲を見えなくすることが、私は嫌です」
静かだった。
誰も、すぐには答えなかった。
ユトは二人の判断を否定していない。
どちらが正しいとも言わない。
ただ、嫌だと言った。
それは正解ではない。
世界へ適用できる普遍的な規則でもない。
ユト個人の感情だった。
「それで」
ロゼが言う。
「嫌だから、どうするの?」
「現時点で、一斉摘発を行うべきではないと考えます」
アリーシャの表情が険しくなる。
「放置するのですか」
「いいえ。個別に調査してください」
ユトは机上の報告書を指した。
「風の骨という組織名だけで、所属者全員を同一の罪に問うべきではありません」
「各事件について、誰が調査し、誰が判断し、誰が実行したのかを確認する必要があります」
「ロゼさんには、風の骨が保有する調査記録を提出していただきます」
「ちょっと待って。仲間を売るつもりはないよ」
「構成員の氏名は、現時点では伏せても構いません」
「現時点では?」
「必要になった場合、改めて協議します」
「勝手に予約入れないでくれる?」
ユトは無視した。
「アリーシャさんには、風の骨が介入した事件について、本来の司法や行政が機能しなかった理由を調査していただきます」
「買収された役人」
「訴えを受理しなかった騎士」
「保護されなかった証人」
「殺害だけを調べ、殺害が必要とされた経緯を調べないのであれば、同じ問題が再発します」
アリーシャは報告書へ視線を落とした。
「風の骨の罪を、不問にするつもりはない」
「不問にする必要はありません」
「ロゼを逮捕する可能性もある」
「はい」
スレイの表情が曇る。
ユトは続けた。
「ですが、摘発することと、風の骨が存在した理由を消すことは別です」
ロゼが腕を組む。
「記録を渡したら、風の骨が狙った相手まで調べる?」
アリーシャは頷く。
「調べる」
「役人や貴族に問題があれば?」
「地位に関係なく処分する」
「風の骨が殺した相手が、殺されるほどじゃなかったと判断したら?」
「その罪を問う」
ロゼは少し笑った。
「やっぱり、あたしたちを許す気はないんだ」
「ああ」
アリーシャは真っすぐ答えた。
「風の骨によって救われた者がいることと、風の骨が人を殺したことは、どちらもなかったことにはしない」
ロゼの笑みが、少しだけ変わった。
「そっか」
「では、記録を出しますか」
ユトが確認する。
「出すよ」
ロゼは答えた。
***
来てしまいました。
アリーシャ対ロゼ。
法による正義と、法が届かない場所での正義。
ゼスティリアにおいて、この二人を真正面から倫理対立させる。
危険すぎる。
片方を正解にすれば、もう片方が崩れる。
アリーシャだけを正解にすれば、ロゼは法を無視して人を殺すだけの犯罪者として描かれる。
ロゼだけを正解にすれば、アリーシャは制度に固執して目の前の被害者を見捨てる愚かな理想主義者になる。
では、TOZ-Rはどうしたのか。
ユトを置いた。
最悪である。
いや、最適である。
ユトはアリーシャへ問う。
風の骨を止めた後、今まで彼らが守っていた者を誰が守るのか。
制度が完成するまでに発生する犠牲を、誰が引き受けるのか。
正しい。
次にロゼへ問う。
誤って殺された者は、どうやって異議を申し立てるのか。
調査も裁判も執行も全て同じ組織が行うなら、誰が誤りを訂正するのか。
正しい。
どちらにも刺す。
刺しておいて、どちらが正しいか聞かれると、
「分かりません」
と言う。
面倒くさい。
だが、ここでユトが完璧な第三の解決策を提示しなかったのは良かった。
法の届かない全ての場所を即座に救える制度などない。
誤認を完全に排除しながら、目前の加害者を必ず止められる方法もない。
そんなものがあるなら、最初からアリーシャもロゼも困っていない。
ユトが提示したのは正解ではない。
一斉摘発を止める。
事件ごとに調べる。
風の骨に記録を出させる。
同時に、風の骨を必要とした制度の失敗も調べる。
どちらの罪も、どちらの功績も、なかったことにしない。
問題を解決したというより、双方が見たくない記録を同じ机へ置いただけである。
双方の正義へ議事録を要求するな。
***
そして、個人的に一番重要なのは、
「私は、嫌です」
というユトの台詞だった。
初期のユトであれば、まずどちらの主張が正しいのかを確定しようとした。
論理的に不適切である。
規則に反している。
正当性を確認できない。
判断できる客観的な基準を探し続け、それでも答えが出なければ、「分かりません」で止まっていたかもしれない。
だが、今回は違う。
アリーシャが間違っているとは言わない。
ロゼが間違っているとも言わない。
理解できる。
必要性も分かる。
それでも、自分はどう感じているのか。
ユトはそこで初めて、自分の内側へ問いを向けた。
「私は、嫌です」
正解ではない自分の感情を、正解へ偽装せずに差し出している。
ユト。
お前、そんなことを言えるようになったのか。
成長が地味だ。
でも大きい。
***
このイベントの後も、アリーシャとロゼは完全には納得していない。
アリーシャは、私人が命を奪うことを認めない。
ロゼも、法が機能しない間に刃を置くとは約束しない。
二人の倫理は、最後まで一致しない。
だが、アリーシャは風の骨の殺人だけでなく、彼らが必要とされた理由も調べる。
ロゼは、自分たちの覚悟だけでは誤りを訂正できないことを認め、記録を渡す。
正解は出ない。
代わりに、次に誰かを捕らえる前に。
次に誰かを殺す前に。
一度だけ、立ち止まる場所ができる。
知らない男は倫理対立を解決しない。
どちらかを論破もしない。
双方の逃げ道を塞いで、書類を提出させる。
やっぱり活躍が地味である。
ユトのヒロインは?
-
アリーシャ
-
ロゼ
-
ライラ
-
エドナ
-
響筆