「浄化機能を獲得したいのですが、私と、私を器として宿る天族との能力増加誓約としてこちらで問題ないでしょうか」
ユトは、ライラの前へ紙束を置いた。
机へ落ちた音が、妙に重い。
ライラは表紙を見た。
『導師ユト及び主神ユーゼクス間における浄化能力の付与、生命及び意思の独立性確保、負荷管理、契約解除並びに非常時対応に関する誓約案』
「……こちらは?」
「誓約条項です」
「見れば、分かりますけれど……」
ライラは紙束の厚みを確かめた。
「こんなに必要ですか?」
「必要です」
ユトは最初の頁を開いた。
「例えば、第一条の目的規定です」
『導師ユト及び主神ユーゼクスは、人間と天族が共存し続けるために、浄化の力を用いる。』
「人間と天族が共存するため、ではいけないのですか?」
「……『共存し続ける』」
「え?」
「一度共存した状態へ到達しただけで、目的を達成したと解釈される可能性があります。その後に関係が破綻しても、誓約が正常終了したと判定されるかもしれません」
「ですが、誓約とは通常、そこまで一語ずつ――」
「たった一語の解釈で壊れた世界を、私は知っています」
ライラの手が止まった。
声は静かだった。
脅しでも、誇張でもない。
この少年は、実際にその結末を見てきた者の顔をしている。
「誓約締結は、極めて慎重に行わなければなりません」
ユトは次の頁をめくった。
「善意、信頼、現在の関係性は、安全性の根拠として採用しません。私とユーゼクスのどちらかが判断能力を失った場合、関係が悪化した場合、あるいは後世に誓約が別の目的へ転用された場合も想定します」
「後世……」
「誓約が、私たちの死後も残る可能性を排除できません」
ライラは紙束へ視線を戻した。
解除条件。
負荷の上限。
危険情報の相互開示。
一方的な自己犠牲の禁止。
導師死亡時の主神退避。
主神消滅時の導師後追い禁止。
第三者による強制停止。
誓いというより、誓いによって起こり得る事故を一つずつ潰すための文書だった。
「ユトさんは、この誓約を結んだ後、どうなさるおつもりですか?」
「各地の穢れを浄化します。特に、完全な憑魔化またはドラゴン化へ至る前の予防浄化を優先します」
「では、わたくしも――」
「ただし、ライラさんにはレディレイクに居続けてほしいのです」
「……何故、私をここに留めておきたいのですか」
「追加で導師に立候補する人間がいた場合に、対応してください」
「追加の導師……」
「はい」
「いつ頃、その方が現れるとお考えですの?」
「目安として、十一年後です」
ライラは、今度こそ紙から顔を上げた。
「十一年」
「前後する可能性はあります」
「何故、そこまで正確な目安を?」
「彼がレディレイクへ到着する時期です」
「彼?」
ユトは黙った。言い過ぎたと気づいたらしい。
しかし、訂正はしなかった。
「その方のお名前は?」
「現在の本人が導師になることへ同意していないため、回答できません」
「未来では同意したのですか?」
ユトの瞳が、わずかに揺れた。
ライラは見逃さなかった。
「未来で導師になったからといって、現在の彼に導師になる義務はありません」
「ですが、機会は残しておきたい」
「はい」
「そのために、私をレディレイクへ?」
「聖剣と主神が失われていれば、本人が立候補することもできません」
ユトは自分の誓約書へ手を置いた。
「私は、浄化機能を早期に得るための暫定要員です。彼の代わりではありません」
「仮の導師、ということですか」
「はい」
「十一年間も活動する可能性があるのに?」
「正式な体制が成立するまでの期間は、暫定期間です」
「随分と長い暫定措置ですわね……」
「必要であれば延長します」
「それを正式な導師と呼ぶのではありませんか?」
「呼称の問題です」
ライラは小さく息を吐いた。
それから、百条を超える誓約案へ手を置く。
「ユトさん」
「はい」
「貴方は、何を知っているのですか」
ユトはすぐには答えなかった。
自分の内側へ、ほんの一瞬だけ意識を向ける。
そこには、まだ主神ではないユーゼクスがいる。
十一年後、聖剣を抜く少年がいる。
そしてその先には、一語の不足から世界中へ罰を流し続けた誓約がある。
「このまま進んだ場合に起きることを、いくつか知っています」
「何故?」
「説明しても、証明できません」
「それでも聞かせてください」
「全てを伝えれば、貴方の行動が変わります」
「既に貴方は、未来を変えようとしているのでしょう?」
「はい」
「では、何が違うのですか」
ユトは考えた。
「私は、未来を知っている者として介入することを選びました」
やがて、ゆっくりと答えた。
「しかし、貴方が同じ責任を負うことには、まだ同意していません」
「それを決めるのは、私では?」
「……はい」
一度、認める。
それでもユトは、すぐにすべてを話さなかった。
「まず、この誓約案を確認してください」
「話を逸らしましたわね」
「順序を設定しました」
「同じことです」
ライラは困ったように笑った。
「それでは、百条すべてを読み終えたら、未来についてお話しいただけますか?」
「百条ではありません」
「え?」
「本文が百条を超えています。用語定義、別紙、緊急時対応手順及び附則は別にあります」
「まだあるのですか!?」
「誓約締結は、極めて慎重に行わなければなりません」
同じ言葉を繰り返す。
今度は少しだけ、ユイの笑う気配がした。