ロゼとコナン皇子の婚約が決まった。
その報告を受けたユトは、祝いの言葉より先に日付を確認した。
「正式な発表はいつですか」
「まだ決まってねえよ」
ブラドは怪訝そうに答えた。
「向こうは皇族だ。俺たちみたいな傭兵団とどう折り合いをつけるか、これから話し合うんだとさ」
「では、盛大な婚約披露を提案してください」
「……は?」
「王族の婚姻です。小規模に済ませる理由がありません」
風の傭兵団の面々が、一斉にユトを見た。
旅の途中で何度か仕事を共にした少年は、冗談を言うような顔をしていなかった。
「何か起きると思ってるのか?」
ユトは答えなかった。
未来で起きたことは、現在の証拠にはならない。
コナン皇子が兄レオンを殺害することも。
その罪を風の傭兵団へ着せることも。
ブラドが死ぬことも。
ロゼが皇子を殺し、その後の人生を暗殺へ費やすことも。
まだ、何一つ起きていない。
「何も起きなかったことを確認するためにも、記録は必要です」
「相変わらず、言い方が怪しいんだよ」
「事実です」
ブラドはしばらくユトを見つめた。
やがて、提案書を受け取った。
「ロゼが最後まで嫌だって言ったら、やらねえぞ」
「当然です」
***
コナン皇子は、ユトの提案を気に入った。
「王家の婚姻を広く民へ示し、傭兵団との融和を演出する、か」
「はい。皇子の寛容さを示す機会になります」
「寛容さ?」
「身分にこだわらず有能な者を登用し、民間の武力組織を王国の秩序へ組み込む。皇子の政治的評価にも有益です」
虚栄心の強い者へ、虚栄を捨てろと説得する必要はない。
虚栄を満たすためには、多数の証人が必要だと教えればよい。
「招待客は?」
「王侯貴族だけでは不足します。商人、職人、軍人、周辺住民の代表も招待してください」
「ずいぶん大規模だな」
「歴史に残すのであれば、中途半端にする理由はありません」
コナンは笑った。
「気に入った。お前、名は?」
「ユトです」
「誰の家の者だ?」
「現在、特定の家には属していません」
「ならば私に仕えないか。こうした催しを考える才は使える」
「お断りします」
「即答か」
「長期雇用の予定がありません」
「……面白い奴だ」
ユトは頭を下げた。
その場で、参加者名簿へのコナン本人の署名を求めた。
警備計画書にも。
ブラドを警備責任者へ任命する書類にも。
警備担当者が王宮内へ武器を持ち込む許可証にも。
コナンは機嫌よく署名した。
***
祝宴当日。
ブラドは、常に誰かの目に入る場所へ配置されていた。
開始時には正門で来賓を迎えた。
鐘が一度鳴った時、会場中央で警備開始の宣言を行った。
二度目の鐘では、騎士団長と巡回状況を確認した。
三度目には、商人組合の代表から追加の照明器具を受領した。
いずれの出来事にも複数の証人がおり、時刻と署名が残された。
「なあ、ユト」
「何ですか」
「俺だけ妙に人前へ引っ張り出されてねえか?」
「警備責任者の所在が不明になることは望ましくありません」
「俺が隠れて仕事する時間まで消されてるんだが」
「副責任者へ委任してください」
「俺を働かせたいのか、働かせたくないのか分からんな」
「生存していただきたいと考えています」
ブラドが口を閉じた。
ユトは既に、次の巡回記録を確認していた。
「……お前、何を知ってる?」
「未来の犯罪は証明できません」
「未来?」
「言い間違いです」
「おい」
四度目の鐘が鳴った。
同時に、ユトが会場の床へ仕込んでいた響筆の術式が発動した。
祝宴会場の外周。
使用されていないはずの通路。
レオン皇子の控室へ通じる扉の前で、光の線が走った。
何者かの足首へ絡みつき、転倒させる。
金属音。
短剣が床へ落ちた。
「侵入者!」
騎士の声が響いた。
ブラドが走り出す。
しかし、ユトは追わなかった。
別の術式を起動する。
控室の扉が内側から封鎖され、外部から開けられなくなった。
さらに三つの通路で警報が鳴る。
逃走経路へ置かれた遅延術式だった。
「随分と、用意がいいな」
背後からコナンの声がした。
ユトは振り返った。
皇子は笑っている。
だが、その目は笑っていなかった。
「祝宴の警備ですから」
「レオンの部屋だけ、特別に厳重だ」
「王位継承権を持つ方の安全確保は必要です」
「誰かが兄を狙うと知っていたように見える」
「狙われる可能性を想定しました」
「誰に?」
「確認中です」
ユトはコナンを見た。
「皇子も、確認に協力していただけますか」
「私が?」
「侵入者が所持していた通行許可証についてです。許可印が、皇子の執務室で使用されるものと一致する可能性があります」
一瞬だけ。
ほんの一瞬だけ、コナンの表情から余裕が消えた。
「偽造だろう」
「その可能性もあります。ですから、原本の管理記録と照合します」
「宴の最中にすることか?」
「証拠は時間の経過によって失われる可能性があります」
「私を疑っているのか」
「全員を確認しています」
「私も、風の傭兵団も同じように?」
「はい」
コナンは笑った。
「ならば、まず傭兵団を捕らえろ。兄を狙う理由なら奴らにも――」
「できません」
「何?」
「風の傭兵団全員について、犯行時刻の所在が確認されています」
ユトは記録を一枚ずつ取り出した。
「ブラドさんは会場中央。ロゼさんは東棟で来賓の案内。残る団員も、すべて複数人の前で警備任務に従事しています」
「記録など、仲間同士で書き換えられる」
「仲間同士ではありません。無関係の者同士からの所在確認です」
「騎士、商人、貴族、給仕及び皇子本人の署名があります」
最後の一枚を示す。
コナンが、数日前に署名した警備任命書だった。
「この警備配置を承認したのは、貴方です」
会場が静まり返った。
大勢の前で。
王族も、貴族も、騎士も、民間人もいる場所で。
コナン自身が作ったはずの筋書きから、風の傭兵団だけが切り離されていた。
「……お前は、何者だ」
以前と同じ問いだった。
ユトも、同じように答えた。
「祝宴の提案者です」
「それだけではないだろう」
「他に証明できる身分はありません」
「なぜ、ここまでする」
ユトは少し考えた。
未来を語ることはできない。
それでも、目的なら言える。
「罪を犯した者が、無関係な者へ責任を移せないようにするためです」
***
レオンは生き残った。
侵入者は捕らえられ、偽造された命令書と報酬の記録が見つかった。
調査はコナンの側近へ及び、やがて皇子本人への関与も否定できなくなった。
ブラドは死ななかった。
風の傭兵団も壊滅しなかった。
ロゼは、婚約者を自ら殺すことなく、その場を離れることができた。
祝宴が終わった夜。
ロゼは、片づけをしているユトの前へ座り込んだ。
「最初から、こうなるって知ってたの?」
「起きる可能性を知っていました」
「なんであたしに言わなかった」
「貴方がコナン皇子へ敵意を示せば、計画が変更される可能性があったためです」
「じゃあ、あたしのことも利用したんだ」
「はい」
「でも、助かった」
「はい」
「ありがと」
「今後も安全とは限りません」
「そこは普通に『どういたしまして』でいいだろ!」
少し離れたところで、ブラドが笑っていた。
風が吹く。
誰も死んでいない。
ユトは、その事実を確認してから、未来事故記録を開いた。
風の傭兵団壊滅事案。
発生回避。ブラド、ロゼ、団員及びレオン皇子の生存を確認。
ラファーガの憑魔化、デゼルの負傷についても現時点では発生せず。
ただし、本件介入により、以降の未来予測の信頼性は著しく低下する。
筆が止まる。
ロゼが暗殺者にならない。
ならば、前の未来で彼女が殺した者たちは生き残る。
その中には、別の誰かを害する者もいる。
助けた人数だけを数えて、成功とは判断できない。
それでも。
ユトは最後に一行を加えた。
『現時点において、救出した者を元の未来へ戻す必要はない』
未来は失われ始めた。
風の向きが変わったのだ。
今度は、その風がどこへ吹くのかを確認しなければならない。