やたらと自分の視界について確認してくる妙な男。それがザビーダから見たユトの第一印象だった。
「現在、視界に異常はありますか」
「ねえよ」
「降雨による阻害も?」
「見りゃ分かんだろ。晴れてるぜ」
「私に観測できない降雨である可能性があります」
「三日ついてきて、まだその話してんのか?」
変な男だった。
「お前、いつまでついてくる気だ?」
「必要な記録が得られるまでです」
「俺が聞きてえのは日数だよ」
「現時点では算出できません」
ザビーダは露骨に顔をしかめた。
ユトは一定の距離を保ったまま、ザビーダの後ろを歩き続けていた。
最初は、自分を監視しに来たのだと思った。
浄化できない憑魔を殺す。
浄化の力を持つ人間から見れば、気に入らない行為だろう。
だが、ユトはザビーダの殺害を止めなかった。
代わりに聞いた。
「憑魔となった天族は、死亡後に転生しますか」
ザビーダは知るかと答えた。
だから今、ユトがついてきている。
「先に言っとくがな。お前さんの研究のために、殺す相手を増やす気はねえぞ」
「私も、そのような依頼はしていません」
「本当に分かってんのか?」
「はい」
ユトは立ち止まり、鞄から紙を取り出した。
『浄化不能状態にある天族型憑魔の死亡後霊的構造保持及び清浄な器を用いた転生過程短縮可能性に関する予備観測手順』
「長えな。つまりどういうこった?」
「殺して即座に転生させます」
ユトは紙を裏返した。
裏面には、観測条件が記されている。
一、本試験を目的として殺害対象を選定してはならない。
二、ザビーダが本試験と無関係に殺害を必要と判断した対象のみを観測する。
三、浄化、隔離その他殺害以外の手段が可能である場合、本試験を実施しない。
四、対象者の氏名、真名、生前の情報及び殺害判断の根拠を可能な限り記録する。
五、死亡後に生じた存在を、本人の意思確認なく死亡前の人物と同一視してはならない。
ザビーダの目が、最後の一文で止まった。
「転生したら、同じ奴なんじゃねえのか」
「分かりません」
「記憶があれば?」
「同一人物である可能性は高まります。しかし、記憶を継承した別人である可能性も残ります」
「同じ顔で、同じ名前を名乗っても?」
「本人が自らそう名乗るのであれば、その意思は尊重します」
「面倒くせえな」
「人の生死を扱う以上、面倒であるべきです」
ザビーダは鼻を鳴らした。
「……面白れえな」
「ありがとうございます」
***
「だから、俺がもともと殺す奴の後をついて回る?」
「新たな犠牲を発生させず、死亡直後の情報を得る方法が他にありません」
「俺の仕事を実験台にするのはいいのかよ」
「貴方の許可なく実施しません」
「まだ許可した覚えはねえぞ」
「はい。ですから、改めてお願いします」
ユトは頭を下げた。
「ザビーダさんが殺害以外の選択肢はないと判断した事例について、死亡後の観測をさせてください」
「断ったら?」
「別の方法を探します」
即答だった。
ザビーダはしばらく黙り、それから肩をすくめた。
「勝手にしろ。ただし、邪魔だけはすんなよ」
「承知しました」
「あと、その長え名前は使うな」
「記録上は必要です」
「俺の前じゃ殺害即転生でいい」
「正確ではありません」
「じゃあ帰れ」
「殺害即転生試験への同行を継続します」
「それでいいんだよ」
***
四日目の夕方、対象が見つかった。
山間の廃村。
人間の姿を保てなくなった天族が、崩れた家々の間を徘徊している。
長く伸びた腕。
身体を覆う黒い鱗。
言葉らしき音を発するたび、周囲の草木が濁っていく。
ユトは一定の距離から響筆を構えた。
「浄化可能性を確認します」
「好きにしろ」
淡い光が憑魔へ触れる。
だが、穢れは薄れない。
反対に、触れた光を取り込み、黒い霧が膨れ上がった。
ユトはすぐに術式を切った。
「通常浄化への反応なし。穢れの増幅を確認」
「もういいか?」
「隔離可能性を確認します」
「まだやるのかよ」
「殺害以外の手段がないことを確認しなければ、試験条件を満たしません」
地面から光の杭が立ち上がり、憑魔の四肢を囲む。
一瞬、動きが止まる。
次の瞬間、杭が内側から砕けた。
黒い衝撃が吹き荒れ、ユトの身体が後方へ押し戻される。
ザビーダが前へ出た。
「確認は終わったな」
「はい」
ユトは周囲へ七つの器を配置した。
白磁の器。
浄めた石。
無銘の響筆。
廃村で見つけた木彫りの飾り。
対象者との縁が疑われるもの、縁のないもの。素材も距離も異なる。
そのすべてへ、観測用の遅延術式を書き込む。
「準備完了です」
「名前は?」
「確認できていません」
「そいつのだ」
「村の記録を調べました。約二十年前、この地域にイノスという地の天族がいた可能性があります。ただし、同一人物であるとは断定できません」
「じゃあ、記録にはどう書く」
「氏名不詳。イノスである可能性あり、と記します」
憑魔が吠える。
「悪いな」
短い言葉だった。
憑魔の身体が大きく揺れる。
黒い鱗が砕け、内側から光が漏れた。
「第一記録。致命傷を確認」
ユトの響筆が動く。
死亡の瞬間。
穢れの拡散。
身体から離れる光。
七つの器へ向けて走る、ごく細い術式の線。
「第二記録。霊的構造の分離を確認」
黒い身体が崩れていく。
光は空へ散るように見えた。
その直前、一つの器が反応した。
廃村で拾った木彫りの飾り。
表面に淡い光が宿る。
「反応あり」
ユトが手を伸ばす。
「待て」
ザビーダが腕をつかんだ。
「危険性を確認する前に触んな」
「……承知しました」
「お前さん、そういうとこだけ急ぐよな」
光は数秒間残った。
やがて、何もなかったように消えた。
天族が現れることはなかった。
声も聞こえない。
記憶も、真名も確認できない。
ただ、他の六つではなく、その木彫りだけが反応した。
ユトは慎重に近づき、術式で残留反応を測った。
「即時転生は確認できませんでした」
「失敗か」
「目的が即時転生であれば、失敗です」
「違うのか?」
「死亡後の霊的構造が、完全に消失する前に特定の器へ反応することを確認しました」
ユトは木彫りを見た。
村の中央にあった家から発見したものだ。
表面には、小さな山と花が彫られている。
「この器は、対象者と何らかの縁があった可能性があります」
「じゃあ、縁のある器を用意すりゃいい」
「一例では判断できません」
「面倒くせえな」
「はい」
「否定しねえのかよ」
「必要な面倒です」
ザビーダは崩れた憑魔の跡へ向き直った。
もう何も残っていない。
「……イノスだったとして、転生したら覚えてんのかね」
「分かりません」
「忘れてたら、救ったことになんのか?」
ユトの筆が止まった。
「本人が苦痛のない状態で新たに生きられるのであれば、救済の一つではあります」
ユトは記録へ書き加えた。
『第一例。
即時転生は確認されず。
死亡直後、対象者と関連する可能性のある器に一時的反応あり。
霊的構造の保持、人格、記憶及び真名の継承については不明。
本例のみをもって、殺害後の転生誘導が可能であるとは判断しない。
次回以降も、独立した理由により殺害が決定された事例のみ観測する。』
***
「あ、ところでザビーダさん」
記録用紙を鞄へ戻しかけたユトが、ふと思い出したように顔を上げた。
「どうした、ユト坊?」
ザビーダは歩みを止めない。
肩越しに振り返るだけで、返事にもさほど関心がないように見えた。
ユトの視線は、ザビーダの腰に下げられた銃へ向いていた。
由来も製法も不明な遺物。その弾丸にも、補充方法は確認されていない。
「ジークフリートの弾丸は、補充方法が不明です」
「ああ」
「現存する数を使い切った場合、再取得できない可能性があります」
「だから?」
ザビーダの声は軽い。
ユトは構わず続けた。
「他者の実力確認は、別の方法でも実施できます」
「手っ取り早く試せるぜ?」
「手っ取り早いことと、適切な資源配分であることは異なります」
ザビーダが立ち止まった。
ようやく話を聞く気になったらしい。あるいは、また始まったと思っているだけかもしれない。
ユトは指を折りながら代替案を挙げた。
「模擬戦。通常の憑魔に対する浄化能力の観察。穢れの領域下における判断力及び行動継続能力の確認。必要であれば、複数の天族との連携能力も観測できます」
「随分と面倒だな」
「再現可能です」
「一発撃ちゃ、すぐ分かる」
「その一発は再取得できません」
ユトはザビーダの腰元を見た。
銃そのものではない。
その内部に残された、数の限られた力を見ているような目だった。
「再現可能な試験へ、再取得不能な資源を使用することには反対します」
「お前さん、まだ会ったこともない相手のために、ずいぶん熱心じゃねえか」
「その方のためではありません」
「じゃあ何のためだ?」
「将来、その弾丸でなければ解決できない事態が発生する可能性があるためです」
具体的な事態を予測しているわけではない。
ユトが知る未来では、弾丸は別の用途に使われた。
だが、既に過去へ介入している。今後も同じ出来事が、同じ順序で起こる保証はない。
むしろ、原因は潰したと言っていい。サイモンを協力者として巻き込み、風の傭兵団の壊滅を防いだ以上、デゼルが本来の歴史と同じように死ぬ確率は極めて低い。
変えた先の未来は分からない。
だから残す。
「固いねえ」
「はい」
「褒めてねえぞ」
ザビーダは口元を歪めた。
呆れているようにも、面白がっているようにも見える。
「で? 弾を使わずに試せってんなら、俺一人じゃ戦力が足りなかった時はどうする?」
「戦力の補強が必要であれば、私もザビーダさんと共に戦います」
「そりゃどうも」
言葉だけは礼を述べながら、ザビーダは明らかに信用していない顔をした。
ユトは天響術に近い術を扱える。遅れて発動する術式を配置し、相手の移動を制限することもできる。
しかし、ザビーダと肩を並べるに足る戦力かどうかは、まだ実際に示していない。
「じゃあ、お前が足を引っ張ったら一発使うぞ」
「反対します」
「始まる前からかよ」
「はい」
あまりに間を置かず返されたため、ザビーダが片眉を上げた。
「少しは、足を引っ張らないよう努力します、とか言えねえのか?」
「努力はします」
「ならいいだろ」
「よくありません」
ユトは淡々と続けた。
「私が足を引っ張った場合は、私を戦闘区域から外してください」
「お前さんを?」
「はい。私が任務の遂行を妨げるのであれば、戦力として維持する理由はありません」
「自分で言うか、普通」
「または、追加の人員を確保してください。試験の実施時期を変更することも可能です」
「そこまでして弾を使わせたくねえのか」
「私の能力不足は、弾丸を消費する理由にはなりません」
自分の価値を低く見積もっているわけではなかった。
ユトはただ、代替可能なものと、代替不能なものを分けている。
自分は退避できる。
人員は追加できる。
試験は延期できる。
失敗すれば、もう一度実施できる。
だが、撃った弾丸は戻らない。
「ほんっと固いねえ」
「はい」
「それしか言えねえのか?」
「事実ですので」
ザビーダはしばらくユトを眺め、それから大きく息を吐いた。
「分かったよ。今度の実力試しじゃ、弾は使わねえ」
「ありがとうございます」
「ただし、お前さんが邪魔になったら本当に置いてくからな」
「適切だと判断します」
「少しくらい嫌がれよ」
「同行の継続より、試験の安全な実施を優先してください」
「……お前、面倒くせえな」
「人命及び代替不能な資源を扱う以上、必要な面倒です」
ザビーダはとうとう声を上げて笑った。
ユトには、何がそれほどおかしいのか分からなかった。
ただ、弾丸を使用しないという合意は得られた。
目的は達成している。
ユトはその場で記録用紙を取り出し、決定事項を書き留めた。
ザビーダが横から覗き込む。
「そこまで書くのかよ」
「後日、認識の相違が発生することを防ぐためです」
「俺が気を変えたら?」
「再度反対します」
「固いねえ」
「はい」