炎上論点スタンプラリー【TOZ】   作:Moa

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-1:導師の視界確保のためこれを行うものとする

「もし、スレイさんが従士契約を結ぶことがありましたら、こちらの書類を確認してください」

聖堂を訪れたユトは、そう言って一冊の冊子を差し出した。

 

厚みは指一本分ほど。表紙には、几帳面な文字で題名が記されている。

『従士契約等に起因する局所的視界不良への対応手順書 第一版』

 

ライラは両手で受け取り、首を傾げた。

「従士契約ですか?」

「はい。従士の霊応力が不足している場合、導師がその差を補填することになります」

「それは承知していますが……スレイさんが従士を持つかどうかは、まだ分かりませんわ」

「分からないため、事前に準備します」

即答だった。

 

ユトは、まだライラが姿さえ見ぬ二人目の導師について話している。

 

導師ユトは自分がその役目を続けるのではなく、いずれ現れるスレイへ引き継ぐことを最初から前提としていた。

 

「将来、スレイさんが従士契約を結んだ場合、右側の視界に異常が生じる可能性があります」

「右側の視界に?」

「はい。ただし、本人が異常を隠したまま活動を継続する可能性もあります」

「スレイさんは、そのようなことをする方なのですか?」

「他人を心配させたくないと判断した場合には」

 

ライラはまだ会ったことのない少年を思い浮かべようとした。

自分の不調を隠し、誰かの夢を優先する導師。

嫌なほど想像できてしまった。

 

「この冊子には、契約前の説明事項、契約直後の確認方法、視界不良が発生した際の中止基準、応急処置及び契約解除を含む選択肢が記載されています」

「随分と詳しいのですね」

「使用する可能性がありますので」

「ですが、どうして私に?」

「スレイさんは自分の状態を過小評価する可能性があります。ライラさんからも確認してください」

ユトはそこで一度言葉を切った。

「なお、本人が『問題ありません』と申告した場合も、それだけをもって異常なしと判断しないでください」

念を押す声音だった。

「分かりましたわ。大切に保管しておきます」

 

「お願いします」

ユトは一礼すると、それ以上説明を加えることなく聖堂を出ていった。

 

扉が閉じる。

静けさを取り戻した聖堂で、ライラは手元の冊子を見下ろした。

未来の導師が従士契約を結ぶかもしれない。

その際、片側の視界が失われる可能性がある。

そこまで具体的に警告された以上、読まずにしまっておくわけにはいかなかった。

 

祭壇脇の椅子へ腰を下ろし、最初の頁を開く。

 

契約前確認事項

 

一、導師及び従士の双方へ、契約に伴う利益及び負担を説明すること。

二、従士の霊応力が不足する場合、その不足分が導師の身体へ転嫁される可能性を説明すること。

三、契約を拒否したことによる不利益を与えないこと。

四、契約後も双方が解除を申し出られることを確認すること。

 

「……準備が良すぎますわね」

従士契約を結ぶ予定すらない段階で、解除時の手順まで用意されている。

 

次の頁には、視野確認の方法が図入りで記されていた。

左右の目を片方ずつ覆い、指の本数や位置を答えさせる。明所だけではなく、暗所や疲労時にも再確認する。戦闘後は本人の自己申告にかかわらず、簡易検査を行う。

「戦闘を継続できること」と「健康であること」を同一視しないこと。

 

ライラは思わず姿勢を正した。

内容に不備はない。

むしろ、自分がスレイと契約する時にも、これほどの説明を用意できるかと問われれば自信がなかった。

 

頁をめくる。

後半には、視界不良が確認された場合に使用する補助術式が収録されていた。

 

視界そのものを治療する術ではない。周囲の霊力を読み取り、物体や人の位置を輪郭として認識させる。失われた視覚情報を別の知覚で一時的に補う術らしい。

 

本術式によって移動及び戦闘が可能となった場合も、契約負荷が解消されたとは判断しないこと。

本術式は応急措置であり、根本的治療ではない。

 

「そこまで念を押さなくても、分かりますわ」

誰もいない聖堂で、つい声が漏れた。

 

けれど、おそらくユトは、分かっている者へ向けて書いているのではない。

 

助けられたから大丈夫だと思いたい者。

まだ動けるから問題ないと言い張る者。

その言葉を信じたい周囲の者。

 

そうした全員へ向けて、先回りしている。

 

ライラは感心しながら、術式の適用対象へ目を通した。

 

適用が想定される視界阻害事象

・従士契約による片側視野の低下

・幻術による知覚阻害

・煙、粉塵及び濃霧

・通常降雨

・不可視性豪雨

 

指が止まった。

「……不可視性豪雨?」

もう一度、読み直す。

記載は変わらない。

 

通常降雨の次に、不可視性豪雨。

 

巻末の索引を確認すると、個別の調査記録が添付されていた。

 

事象名:不可視性豪雨

対象者一名のみが、降雨による視界不良を申告。

周囲の人物による降雨の観測なし。

対象者及び地表面への水分付着なし。

水属性天響術及び既知の幻術との一致なし。

原因、術者及び発生条件は不明。

再発可能性は評価不能。

 

ライラは頁を持ち上げ、裏側に補足がないか確かめた。

何もない。

 

「一名だけが、雨を……?」

本人にだけ見える幻術だろうか。

しかし、既知の幻術とは一致しないとある。

 

対象者の名はザビーダ。

当時の状況については、一連の戦闘終了後と記載されている。

発生地点、ペンドラゴ。発生時期、ザビーダ合流直後。

 

検討された仮説が並んでいる。

 

仮説一、水属性天響術の残留。

仮説二、術者退出後も継続する遅延型幻術。

仮説三、特定の霊力変化を条件とする自動発動術式。

仮説四、対象者自身の霊力を利用する自己構築型知覚障害。

仮説五、天族一名のみに発生する局所的気象現象。

 

「五つも……」

いずれも証明されていない。

 

研究協力者として、サイモンの名があった。

ユトが幻術の専門家と評する彼女が検証へ参加し、それでも再現できなかったらしい。

それならば、単なる幻覚として切り捨てることもできない。

 

ライラは真剣な表情で報告を読み進めた。

 

本事象が降雨ではなかった場合も、対象者が視界不良を訴えた事実は保持する。

原因の誤認は、症状の不存在を意味しない。

 

「確かにその通りですわ」

訴えた本人にしか分からない異常もある。

 

他の誰にも見えなかったからといって、最初からなかったことにしてよいわけではない。

考え方そのものには、深く頷けた。

 

ただし。

「不可視性豪雨とは何ですの?」

それだけが、まるで分からない。

 

巻末まで読み終えても、答えはなかった。

最後に記されていたのは、研究成果の取扱方針だった。

 

当該現象の実在性が否定された場合も、本研究によって開発された視界確保術は、従士契約、幻術、煙、粉塵、濃霧及び通常降雨への対策として有用である。

したがって、不可視性豪雨の実在性にかかわらず、成果を破棄しない。

 

発端となった現象が存在しなかった場合まで想定してある。

存在しないかもしれない雨を研究して、実在する視界不良への対策を完成させた。

研究計画としては、何一つ間違っていない。

 

ライラは冊子を閉じかけ、しばらく考えた末に、机の上から小さな紙片を取った。

そこへ一行だけ書き、該当頁へ挟む。

要確認――不可視性豪雨とは何ですの?

 

いつかユトさんへ尋ねましょう。

そう決めて冊子を閉じた時、聖堂の外から風の音が聞こえた。

雨の気配はなかった。

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