四つの試練を終えた一行がペンドラゴへ戻ってくる、少し前。
ユトは大通りの真ん中で足を止め、雲一つない空を見上げていた。
アイゼンはすでに船で海へ旅立っている。隣にいるのは、ザビーダとサイモンだけだった。
「丁度この時期でした。ザビーダさんの不可視性豪雨が発生したのは」
ザビーダの肩が、ほんのわずかに揺れた。
サイモンが面白そうに尋ねる。
「本当にその雨は降るのか?」
「わかりません。だから準備します」
ユトは即答した。
「俺様は降らないと思うぜ」
「根拠はありますか?」
「……さあな」
「では実験を続行します」
ユトは手元の記録へ何かを書き加えた。
サイモンは堪えきれないように笑っている。
「本当の事を伝えてやったらどうだ?」
ザビーダはサイモンを横目で睨む。
「雨だったぜ、きっとな」
「過去の事象が降雨だったという認識ですね。記録と一致します」
「そういう意味じゃねえんだけどなあ」
そのとき、人混みの向こうから声がした。
「ユト!」
振り向くと、スレイたちがこちらへ駆けてくるところだった。
「スレイさん、お久しぶりです」
「久しぶり! ユトもペンドラゴに来てたんだな」
再会を喜ぶスレイの後ろから、ミクリオ、ライラ、エドナ、ロゼ、アリーシャ、そしてデゼルが続く。
ユトは全員が揃っていることを確かめると、すぐに説明を始めた。
「皆さんにも共有します。今後、ザビーダさんが突発的な視界不良を訴える可能性があります」
「記録上、この時期のザビーダさんは『雨で前が見えない』と訴えています。しかし、周辺で通常の降雨は確認されていません。したがって、本人の周囲にのみ発生する不可視性豪雨、あるいは未知の視覚異常である可能性があります」
全員の視線がザビーダへ集まった。
ザビーダは爽やかに笑ってみせた。
「知らねえなあ」
サイモンの笑みが深くなった。
スレイとミクリオは顔を見合わせた。
二人には、すでに一つの仮説があった。
おそらく、雨ではない。
そして、今回は降らないと考える理由も、今ここに立っている。
「でも、今回は降らないんじゃないかな」
スレイが言った。
「僕もそう思う」
ミクリオも同意する。
ユトは二人へ向き直った。
「そう判断する理由は?」
「それは……」
スレイの視線が一瞬、デゼルへ向かう。
デゼルはますます険しい顔になった。
「何で俺を見る」
「いや、何でもない」
「何でもないことはないだろう」
ミクリオが咳払いをした。
「発生条件が、以前とは変わっている可能性がある」
「どの条件ですか?」
「それは……」
今度はミクリオが黙った。
二人に根拠がないわけではなかった。
ただし、その根拠を説明するには、ザビーダが何を失い、誰のために、どのような顔をしたのかまで話さなければならない。
本人が隠そうとしているものを、勝手に観測記録へ変えるつもりはなかった。
「説明できない」
ミクリオは結局そう答えた。
「では、現段階では予測の根拠として採用できません」
「そうなるよな……」
「念のため、視界補助術を施します。ザビーダさん、よろしいですか?」
「好きにしな。何も起きねえけどな」
ユトが術式を展開すると、淡い光がザビーダの目元を覆い、そのまま溶け込むように消えた。
ザビーダが何度か瞬きをする。
「どうですか?」
「良好すぎるくらいだぜ。城壁の傷まで見える」
「異常な光、霞み、視野の欠損などは?」
「ねえよ」
「湿潤感は」
「ねえって」
「目元への降水は?」
「質問を変えても答えは同じだ、坊主」
ユトとユイが都にいるあいだ、知覚共有の加護が自動的に周囲へ広がっているため、天族たちの姿は道行く人々にも見えていた。
大勢で街を巡れば、自然と人目を引く。
スレイは古い建築を見つけるたびに立ち止まり、アリーシャがその由来を説明する。ロゼは露店を覗き、ライラは見慣れない菓子に目を輝かせた。エドナの傘を見た子供が、雨が降るのかと尋ねる。
「降るらしいわよ。そこの人の周りだけ」
エドナがザビーダを指した。
「広めるんじゃねえ」
「でも、雨雲一つないぞ」
デゼルが空を見上げる。
「不可視性豪雨ですので、雲も不可視である可能性があります」
「便利な言葉ね」
「未確認の現象を、確認前に否定すべきではありません」
「ほらな。こいつ、まだ諦めてねえぞ」
ザビーダがスレイたちへ訴える。
「ユトは心配してるんだよ」
「心配の仕方が重いんだよなあ」
歩いている間も、ユトは一定の間隔でザビーダの視界を確認した。
ザビーダはそのたびに「見えてる」「降ってねえ」「濡れてねえ」と答えた。
サイモンは終始、楽しそうに笑っていた。
やがて日が暮れ、記録上もっとも発生可能性が高かった時刻も過ぎた。
ユトは時刻を確かめ、ザビーダの顔を見た。
雨はない。
視界不良もない。
デゼルも、変わらず皆の隣に立っている。
「予定されていた発生時期を通過しました」
ユトの表情が、わずかに緩んだ。
「現時点で異常は確認されていません。視界補助術を一旦解除します」
目元を覆っていた術が消える。
「解除後の視界は?」
「良好。雨もなし。これで満足か?」
「ひとまず安心しました」
その言葉に、ザビーダが少しだけ目を見開いた。
「ただし、発生しなかった理由は判明していません。経過観察は継続します」
「まだやるのかよ!」
スレイとミクリオは、また顔を見合わせた。
サイモンが声を立てて笑う。
デゼルだけが、なぜ自分を見る者がいるのか分からないまま眉をひそめていた。
ユトは記録の末尾へ、正確な字で書き加えた。
《不可視性豪雨、予定日には発生せず。視界補助術を解除。引き続き経過観察》
誰も訂正しなかった。