塔の街ローグリン。
巨大な石碑の前で、メーヴィンは一つの瞳石を取り出した。
「これが最後の瞳石だ。災厄の始まり――ヘルダルフが災禍の顕主となった原因が記録されている」
瞳石を掲げようとした手を、ユトの声が止めた。
「使用しないでください」
「……理由を聞こうか」
「貴方が死ぬためです」
静まり返った石室に、ユトの声だけが淡々と響いた。
スレイがメーヴィンを見る。
「死ぬって……この瞳石を使ったら?」
「正確には、瞳石を通じて隠された歴史を開示し、現在の時代へ干渉したと判定された場合です。貴方の長寿は誓約によって維持されています。禁忌を破れば、その効力を失います」
メーヴィンの目が細くなる。
「そこまで知ってるのか」
「はい。本来の記録では、貴方はこの記憶を皆さんに見せた後、スレイさんの答えを聞き、その覚悟を確かめるために戦います。そして戦闘の終了後、誓約の力を失って死亡します」
「戦うところまで決まってるのか」
「貴方の最期の会話まで記録されています」
ロゼが半歩、ユトから離れた。
「助かったんだけどさ。知ってる範囲が怖すぎない?」
サイモンだけが、ユトの隣で楽しそうに笑っていた。
メーヴィンは瞳石を下ろした。
「なら、お前はこの中の記憶も知ってるのか?」
「はい。私が代わりに説明できます」
ユトは鞄を開いた。
分厚い資料の束が一つ。
続いて、地図を綴じた冊子が三冊。
人物相関図、軍の進路図、穢れの推移表、誓約の作用に関する推定資料が次々と石卓へ積み上げられていく。
四冊目の資料を取り出したところで、デゼルが眉をひそめた。
「まだあるのか」
「本文があと六冊あります。出典一覧と検証記録は別冊です」
「ユト」
ロゼが真顔で遮った。
「簡潔に話して」
ユトの手が止まった。
「承知しました」
積み上げた資料を石卓の端へ寄せる。
ミクリオが、その山を見上げた。
「まさか、それが簡潔版だとは言わないだろうな」
「これは完全版です。簡潔版はこの二冊です」
「口頭で簡潔に」
「わかりました。結論を五点、時系列で説明します」
ユトはスレイとミクリオへ向き直った。
「ただし、この先にはお二人の出生、親族、家族の死に関する情報が含まれます。それでも知ることを望みますか?」
スレイは少し迷ってから、頷いた。
「知りたい。知らないままじゃ、ヘルダルフと向き合えない」
「僕もだ」
ミクリオも答える。
「では、説明します」
ユトは一度だけ資料へ目を落とした。
「第一。ミケルについて」
ライラの指先が、わずかに強張った。
「ミケルは先代の導師です。ライラさんと長く浄化の旅を続けましたが、穢れを生み続ける人間と、それを止められない世界に失望し、導師を辞めました」
「……ミケル様」
ライラが小さく、その名を呼ぶ。
「その後、ミケルは妹のミューズさん、そしてマオテラスを信仰する人々と共に、アルトリウスの玉座付近へカムランを築きました。人間と天族が共に暮らすことを目指した村です」
ユトは次の項目へ移った。
「第二。ヘルダルフについて」
石卓に広げられた地図の一点を指す。
「カムランはハイランドとローランスの間に位置する軍事上の要衝でした。ローランス帝国白皇騎士団の初代将軍、ゲオルグ・ヘルダルフは、アルトリウスの玉座を占領する代わりに、村を守るとミケルへ約束しました」
「でも、守らなかったんだな」
スレイが言った。
「はい。ハイランド軍が侵攻すると、ヘルダルフは撤退しました。彼の目的は北の大国を制圧することであり、ハイランドと戦うことではなかったためです。軍事上の目的を失った彼は、カムランを見捨てました」
アリーシャが苦い顔で地図を見る。
「守るという約束を利用して村を接収し、必要がなくなれば撤退した……」
「結果として、無防備になったカムランはハイランド軍に蹂躙され、滅びました。ヘルダルフが直接村を焼いたわけではありません。しかし、守ると約束したうえで見捨てたことは事実です」
ユトは断罪も擁護もせず、次を告げた。
「第三。マオテラスについて」
ザビーダの表情から、いつもの軽さが消えた。
「カムランの滅亡によって、恐怖、憎悪、絶望から大量の穢れが生じました。その地を器としていたマオテラスは穢れに呑まれ、憑魔へ堕ちました」
「マオ坊が」
エドナが呟く。
「世界の均衡を保つ五大神の最高位が穢れたことで、災厄はカムランだけでは終わらなくなりました。そして、それを見たミケルも絶望しました」
ユトは一度、ミクリオを見た。
「第四。ミケルがヘルダルフへ課した呪いについて」
何かを察したように、ミクリオの喉が動いた。
「ミケルは、炎の中で瀕死となっていた妹ミューズさんの乳児を生贄にしました。その命を代価とし、穢れたマオテラスを介して、ヘルダルフへ誓約による呪いを課しました」
「呪いの名は?」
スレイが尋ねる。
「『永遠の孤独』です」
石室の空気が重くなる。
「それは単に孤独を感じさせるものではありません。ヘルダルフを死ねない身体にし、彼の家族十二人を次々と死なせました。ヘルダルフ自身が自死を試みても、呪いはそれを許しませんでした」
メーヴィンは黙って瞳石を握っている。
「家族を失い、死ぬこともできず、穢れたマオテラスと結びついた結果、ヘルダルフは災禍の顕主となりました。ミケルもまた、誓約の反動によって炎の中へ消えました」
「そして、その生贄になった子供が……。貴方です、ミクリオさん」
ミクリオの手が、無意識に自分の胸元を押さえる。
「僕が……ミケルの妹の子供?」
「はい。ミューズさんは貴方の母親です。ミケルは、貴方の伯父にあたります」
スレイがミクリオの隣へ寄った。
肩には触れなかった。
ただ、いつでも触れられる距離に立った。
「第五。お二人の出生について」
ユトは二人を等しく見た。
「スレイさん。貴方はカムランで生まれた人間です。母親の名はセレンさん。ハイランド軍の侵攻中に早産となり、貴方を守るように抱いたまま亡くなりました。カムランの穢れを察知して駆けつけたゼンライさんが、貴方を発見しました」
スレイの唇が、わずかに動く。
「セレン……それが、オレの母さんの名前」
「はい。父親については、私が確認できた記録にはありません」
「そっか」
スレイはそれだけ言って、名前を忘れないように胸の内で繰り返した。
ユトはミクリオへ向き直る。
「ミクリオさんも、人間としてカムランに生まれました。ミューズさんの息子です。ミケルの誓約によって人間としての命を失い、その後、水の天族へ転生しました」
ミクリオは、自分の手を見下ろした。
見慣れたはずの手が、今までとは違うものに見えているようだった。
「母親であるミューズさんは、天族となった貴方をゼンライさんへ託しました。そして、自身はカムランと穢れたマオテラスを封じるために残りました」
「僕にも母親がいたのか」
ミクリオは目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。
「ゼンライさんは、人間の赤子だったスレイさんと、天族へ転生したミクリオさんをイズチへ連れ帰りました。そして二人を、同じ家族として育てました」
ユトは資料を閉じた。
「以上です」
しばらく、誰も動かなかった。
やがてスレイが言う。
「ヘルダルフはカムランを見捨てた。でも、ミケルもミクリオを犠牲にして、ヘルダルフの家族まで巻き込んだ」
「はい」
「マオテラスだって、最初から災厄を起こそうとしたわけじゃない」
「はい」
「じゃあ……誰が悪かったんだ?」
ユトは首を横に振った。
「その問いに、簡潔な回答はありません」
そして、石卓の上に積み上がった資料へ視線を移した。
「詳細な回答でよろしければ、複数の観点からまとめた資料があります」
「今はいい」
ミクリオが即座に断った。
「承知しました」
メーヴィンが深く息を吐いた。
「見事なもんだ。俺が話すはずだったことを、きれいに先回りされたな」
「いいえ」
ユトは答える。
「私が代行したのは、情報の開示だけです」
「なら、俺には何が残ってる?」
「この事実を知ったうえで、どうするのかを彼らに問うことです」
ユトはメーヴィンの手にある瞳石を見た。
「語り部が、歴史を語るために死ぬ必要はありません。生きて、彼らが選んだ先を記録してください」
メーヴィンはしばらくユトを見つめ、それから瞳石を懐へ戻した。
「違いない。だったら俺も、自分で決めるさ」
代わりに、スレイとミクリオの前へ立つ。
「じゃあ、聞こう。導師スレイ。それにミクリオ」
二人の顔を、まっすぐに見据える。
「お前らは、この過去を知ってどうする?」
ユトは資料を抱え、静かに一歩退いた。
ここから先は、記録に答えを求める場面ではない。
「ヘルダルフを止める」
「命を絶つことになってもか?」
「……うん。そうするしかないなら」
その声には迷いがあった。
だが、スレイは目を逸らさなかった。
メーヴィンはしばらくその顔を見つめ、やがて石碑の前から退いた。
それ以上、覚悟を試す必要はなかった。
スレイたちは、ヘルダルフを止めるために石室を後にした。
最後尾を歩くユトの背を見送りながら、メーヴィンがぼそりと漏らす。
「あの坊主、俺の台詞全部持っていきやがった」
石室の出口で、ユトが足を止めた。
「今ここで貴方が死ぬ必要はありませんから」