「続いて、実行条件の第二項です」
ユトが計画書の頁をめくった。
ロゼが顔を上げる。
「……今ので綺麗に終わったじゃん」
「会議はまだ終了していません」
「終わったことにしない?」
「重要事項が残っています」
先ほどまで笑っていたスレイが、わずかに姿勢を正した。
ユトは宙に残る四つの円へ響筆を向けた。
それぞれの円の外側へ、今度は小さな光点を描き加えていく。
「先ほど、エドナさんたちには外部から四本の経路を安定させていただく、と説明しました」
「ええ」
ライラが頷く。
「正確には、外部へ残ることができるのは監視担当者のみです。浄化担当者として直接接続する天族には、自他の境界を保つための固定点が必要です。既存の主神契約がある場合はそれを用い、ない場合は新たな誓約を設定した上で、人間側の参加者と同期して眠っていただきます」
ミクリオの動きが止まった。
「僕たちも眠るのか?」
「直接接続する場合は、はい」
「待て。僕はさっき、四人とも起こすと言ったんだぞ」
「その発言は記録しています」
「記録する前に訂正しろ!」
「仮回答としての記録ですので、修正できます」
「そういう問題じゃない!」
ロゼが額へ手を当てた。
「どうして今まで黙ってたの?」
「人間側の参加者が一人も同意しなければ、天族側の長期接続も不要になるためです。説明の順序を分けました」
「簡潔にしたせいで、重要な話が一個落ちてるじゃん」
「改善が必要であることは認めます」
エドナが呆れたように傘を揺らす。
「相談の手順は完璧なのに、相談相手の心臓には優しくないのよね」
ユトは四つの光点を、それぞれ人間側の経路へ接続した。
「マオテラスの穢れは一定ではありません。人間側が受け取った負荷を浄化へ変換し続けるには、天族側からの安定した霊力供給が必要です。途中で担当者が交代すると、そのたびに経路を再構築しなければなりません」
ザビーダが壁から背を離す。
「交代制は無理ってことか?」
「監視担当者は交代できます。直接接続する浄化担当者は、原則として交代できません。経路の切断が必要になった場合は、計画そのものを中止します」
「天族なら、二十年や三十年くらい起きたままでも平気だろう」
サイモンが尋ねる。
「生存は可能です。しかし、同じ出力を一瞬も途切れさせず維持することは困難です。感情、周辺の穢れ、加護領域の変化によって霊力は変動します。長期間の接続では、その変動が人間側へ負荷として還流します」
ライラが光の図へ近づいた。
「眠りによって心身の状態を固定し、誓約によって天族自身の在り方を固定するのですね」
「はい」
ユトは頷く。
「誓約は、単に霊力を増幅するためのものではありません。マオテラスの穢れへ長期間接触しても、自他の境界を失わないための固定点として使用します」
ユトは、既に青く安定しているライラの光点を示した。
「ライラさんは、既にスレイさんの主神です。現在の主神契約によって、主神としての在り方が確立しています。そのため、追加の誓約は必要ありません」
「長期浄化中に、別の方の経路へ接続する場合もですか?」
「はい。既存の主神契約を破棄するのではなく、接続先だけを一時的に再構成します。契約によって確立されたライラさん自身の在り方は、固定点として残ります」
スレイが小さな光点を見つめる。
「天族側は、何人必要なんだ?」
「戦後の測定まで確定できません。ユイは私と同じ経路へ入りますので、外部から最低三名。負荷の偏りによっては四名以上を必要とします」
「全員が眠るわけではありませんのね」
ライラが質問する。
「はい。異常を検知し、必要なら経路を切断する方は、外に残らなければなりません」
ザビーダが肩をすくめた。
「眠る係と、寝ずの番をする係か。どっちも人気がなさそうだな」
「人気によって決める予定はありません」
「分かってるよ、坊主」
ミクリオは、スレイの円へ繋がれた光点を見ていた。
「僕たちのように、既存の主神契約がない場合は、誓約なら何でもいいのか?」
「いいえ」
ユトは即答した。
「誓約者本人が実行可能であること。内容が明確であること。第三者へ無断で義務を負わせないこと。抜け道によって実質的に無効化できないこと。そして、破った場合に生じる影響を、本人が理解していることが必要です」
「随分と細かいのですね」
アリーシャが言う。
「曖昧な誓約は、誓約者の想定ではなく、文言に従って発動する可能性があります。細かく確認すべきです」
ライラが自分の胸元へ手を置いた。
「誓約は、その方にとって制約が重いほど、大きな力を生みます。ですが、一度結べば、都合が悪くなったからと簡単に取り消せるものではありません」
「なお、浄化中だけ守るという期限付きの誓約では、必要な出力へ達しない可能性があります」
ユトが続ける。
「原則として、覚醒後も継続する内容を選んでいただきます」
エドナが眉を寄せた。
「三十年眠るために、その後何百年も自分を縛るのね」
「はい。ですから、今ここで正式に決めることは認めません。案を提示する場合も、『誓う』とは発言しないでください。誓約として成立する意思表示と誤認されるおそれがあります」
「そこまで言葉に気をつけなきゃいけないのか」
スレイが尋ねる。
「誓約を扱う場で、言葉を軽視する理由はありません」
ユトが言い終えると、ミクリオが顔を上げた。
「案がある」
スレイが隣を見る。
「もう?」
「ああ」
ミクリオは一度だけ息を吸った。
「文言は――『スレイが死ぬ時、僕も死ぬ』」
礼拝所から、音が消えた。
火が爆ぜる。
その音だけが、ひどく遠く聞こえた。
「ミクリオさん」
ライラの声が強張る。
「案だ。まだ誓ってはいない」
ミクリオはユトを見た。
「これなら、第三者の命を代価にはしない。差し出すのは僕の命と、僕が天族として生きるはずだった時間だ」
ユトは何も答えず、響筆を動かした。
ミクリオの文言を術式の試算欄へ記入する。
次の瞬間、スレイの円から伸びる主経路が強く輝いた。
他の三本を覆うほどの光だった。
スレイが目を見開く。
「ユト?」
「誓約効力は、想定を大幅に上回っています」
ユトは光量を落とし、計算結果を確認した。
「この案だけで、主経路の安定に必要な最低値を超えます。ミクリオさんが放棄するのは、スレイさんの死後に存在し得た残りの寿命すべてです。天族の長命を考慮すれば、非常に大きな代価になります」
「なら――」
「ですが、現時点では承認できません」
ミクリオの表情が硬くなる。
「理由は?」
「第一に、『死』の定義が不明確です。肉体の死亡、魂の消滅、憑魔化、永続的な覚醒不能のどれを含むのか確定していません」
「そこから確認するのか?」
「誓約文ですので」
ユトは、主経路の光を指した。
「第二に、この誓約はミクリオさんだけの問題ではありません。発動条件として、スレイさんの死を使用しています」
「僕が死ぬだけだ。スレイに何かをさせるわけじゃない」
「スレイさんはそう認識できますか」
スレイの手が固く握られていた。
「オレは嫌だ」
低い声だった。
「オレが死んだ時、ミクリオまで死ぬなんて、嫌だ」
「君のせいで死ぬんじゃない。僕が選んだ誓約だ」
「でも、オレはそう思えない」
「君がどう思うかだけで、僕の生き方を決めないでくれ」
「だったら、ミクリオだってオレの死に方で自分の死を決めるなよ!」
二人の声が、初めて同時に強くなる。
ユトは、どちらも遮らなかった。
言葉が途切れるまで待ってから、ミクリオを見る。
「第三の問題があります」
「まだあるのか」
「はい」
「スレイさんが最初に死亡した場合、二人分の経路を失います」
ミクリオが言葉を失った。
四つの円のうち、スレイを示す円だけが暗くなる。
その瞬間、ミクリオの光点も消えた。
三本の経路だけが、取り残されたように宙へ残る。
「今の誓約は、一人の死を二人の死へ拡大します。それだけではなく、貴方が担う予定だった管理と救助を、残された者へ予告なく移転させます」
スレイが何か言おうとしたが、その前にミクリオが口を開く。
「人間側の四人は、二十年か三十年を失う」
声は静かだった。
「僕たち天族は、それを待つと言う。けれど、僕たちにとっての三十年は、人間の三十年とは違う。僕だけ何も失わずに、スレイへ時間を差し出せとは言えない」
「その指摘は妥当です」
ユトは否定しなかった。
「天族の長命を安全性の根拠として利用し、人間側の時間だけを消費する計画は公平ではありません」
「だったら、僕にあるものを使う。人間にはない、長い時間を」
「だからこそ、単純には却下しません」
ミクリオが顔を上げる。
ユトは試算欄の横へ、赤い文字を加えた。
《協議中》
「効力は非常に高い。高すぎるため、他の参加者の判断にも影響します。スレイさん、残る三名、外部の監視担当者にも説明し、全員から個別に意見を確認します」
「僕の命なのに?」
「貴方の命です。しかし、他者の死を発動条件とし、他者の生存可能性へ影響する誓約です。貴方一人の同意だけで完結する案ではありません」
ミクリオは赤い文字を見つめた。
「却下ではないんだな」
「協議中です」
「オレは反対だからな」
スレイが言う。
「分かっている」
ミクリオはスレイを見返した。
「でも、僕もまだ撤回しない」
「双方の意見を記録します」
ユトが答える。
重い沈黙の中で、デゼルが壁から離れた。
「なら、次は俺だ」
ロゼが振り返る。
ユトは響筆を構えたまま尋ねた。
「案がありますか?」
「ああ」
デゼルは、ロゼへ繋がる光点を見た。
「俺は、決して他人を道具として操らない」
ユトはすぐには記録しなかった。
「確認します。現時点までに行った行為への償いとして選んだ内容ですか?」
「違う」
デゼルは即答した。
「俺は、誰も操ってねえ」
「はい。記録とも一致します」
この歴史では、風の傭兵団は壊滅しなかった。
ブラドは生きている。ラファーガも憑魔にならず、デゼルが視力を失うこともなかった。
デゼルが復讐のためにロゼを器とする理由そのものが、存在していない。
ユトは問いを続けた。
「では、なぜその内容を選ぶのですか?」
「これから、できるようになるからだ」
デゼルは光の線を指した。
「この経路で繋がれば、眠っている間もロゼの霊力に触れられる。俺がその気になれば、流れを変えることも、身体へ干渉することもできるんだろ」
「可能性はあります」
「だったら、それを捨てる」
ロゼが目を細めた。
「あたしを守るためでも?」
「ああ」
「危ない時に、あたしが嫌だって言っても、身体を動かせば助けられるかもしれないよ」
「それでもだ」
デゼルの返答は揺れなかった。
「守ると決めたからって、お前が何を選ぶかまで俺のものになるわけじゃねえ」
ロゼはしばらく何も言わなかった。
やがて、小さく息を吐く。
「……あたし、今まで一度も、あんたに操られた覚えはないけど」
「ああ」
「じゃあ、これは謝罪じゃないんだ」
「違う。これからもしねえと決めるだけだ」
ユトが響筆を動かした。
「文言を定義します」
宙に細かな文字が並ぶ。
「本人の意思に反し、または意思を確認できない状態を自己の裁量権とみなして、他者の身体、認識、行動及び霊力を制御し、自分または第三者の目的を達成するための手段として使用しない」
デゼルが文字を読む。
「長い」
「負傷者を運ぶ行為まで禁止される文言では、救助に支障が出ます」
「そこは操るうちに入らねえだろ」
「誓約が同じ判断をする保証はありません」
「……意味はそれでいい」
「本人が十分な説明を受け、自由に同意し、いつでも撤回できる共同作業は対象外としますか?」
「ああ。それは操るんじゃねえ。協力だ」
ユトは定義を記録し、術式へ入力した。
デゼルの光点から一本の線が伸びる。
ミクリオの案ほど激しくは輝かなかった。
だが、眠っているロゼへ触れる直前で、線は明確に二つへ分かれた。
一方は霊力を送り、経路を支える。
もう一方――ロゼの身体と意思へ干渉し得る経路は、固く閉ざされていた。
「補助経路一名分の基準を満たします」
ユトが告げる。
「過去に他者を操った経験がないことは、誓約の効力を否定しません」
デゼルがユトを見る。
「そうなのか?」
「誓約によって放棄するのは、過去ではなく未来の選択肢です」
ユトは閉ざされた経路を示した。
「貴方には他者へ干渉する能力がある。長期接続中、それを使用すれば問題を容易に解決できる状況も想定されます。その選択肢を、保護や緊急事態を理由に例外化せず、恒久的に放棄する。十分な制約です」
「なら、決まりだ」
「文言は確定します。ただし、正式な発効は決戦後です」
「まだ駄目なのか」
「はい。今夜の判断はすべて仮回答として扱うと説明しました。手続きを変更する理由はありません」
デゼルは不満そうに黙った。
ロゼが閉ざされた線を見つめる。
「決戦後も同じことを言うなら、あたしは止めないよ」
「ロゼさんを同席させず、改めて確認します」
「なんで?」
「貴方を安心させるために重い誓約を選ぶ、という圧力を排除するためです」
「本人が違うって言ってるけど」
「本人の申告だけで不存在を確認できる圧力ではありません」
デゼルが短く息を吐いた。
「面倒な奴だな」
「生命と意思に関する手続きですので」
ユトは記録欄へ文字を加えた。
《デゼル案――決して他人を道具として操らない。過去の行為に対する償いではなく、直接接続によって生じ得る他者への支配手段を恒久的に放棄する誓約。文言確定。正式な誓約は未発効》
ロゼがその一文を読む。
「未来に向けた誓約、か」
「ああ」
デゼルは、ロゼを見ずに答えた。
「今までしなかったことを、これからも俺の意思でしない。それだけだ」