二十年目の朝も、四本の線は淡い青色を保っていた。
エドナは一本ずつ、術式の上へ傘の先を置いた。
主経路。
第一補助経路。
第二補助経路。
第三補助経路。
どれにも、切断や負荷の偏りを示す赤色はない。
「全経路、基準内」
「昨日と同じだな」
ザビーダが観測記録へ時刻を書き込む。
その横で、サイモンは目を閉じたまま、七人の夢へ意識を向けていた。
「夢の中は?」
エドナが尋ねる。
「全員いる。ユイも、ユトの内側にいる」
「まだ歩いてるの?」
「ああ。昨日からずっとな」
机の上には、二十年分の記録が積み重なっていた。
最初の頁にあるのは、ユトが眠る前に作った記入要領だった。
その後には、エドナの文字、ザビーダの文字、サイモンの文字。そして途中から監視を引き継いだ、七人の知らない観測担当者たちの文字が続いている。
一日も欠けていなかった。
エドナが傘を上げようとした時、四本の線が同時に震えた。
赤ではない。
淡い青色が、内側から白く変わっていく。
ザビーダが立ち上がる。
「負荷が落ちた」
「経路の異常じゃないわね」
エドナは四本の値を順に確認した。
マオテラス側の穢れ反応が、終了域に入ってる証拠だった。
サイモンが目を開いた。
「夢に出口が現れた」
「七人とも?」
「ああ」
サイモンは、わずかに笑った。
「あいつらは、こちらへ帰ることを選んだ」
***
夢の中で、七人は丘を越えた。
その先にあったのは、遺跡ではなかった。
古い石橋の向こうで、朝の光が白く揺れている。
光の先には、まだ景色がない。
だが、道は途切れていなかった。
ユトは地図と周囲を見比べた。
「帰還経路が、通行可能になっています」
「つまり?」
ロゼが尋ねる。
「覚醒条件を満たしました」
スレイは石橋の向こうを見た。
それから、振り返る。
ミクリオがいる。
ライラがいる。
アリーシャ、ロゼ、デゼル、ユトがいる。
誰も欠けていない。
「今度は、誰も先に行かないよな」
ユトは全員の位置を確認した。
「はい。全員で移動します」
「なら、行こう」
スレイが一歩を踏み出す。
ミクリオが、その隣へ並んだ。
アリーシャとライラが続き、ロゼはデゼルの腕を引いた。ユトも、内側のユイと共に光へ向かう。
最後まで、誰も一人にはならなかった。
***
最初に戻ったのは、冷たい空気だった。
次に、自分の身体の重さ。
スレイはゆっくりと目を開いた。
すぐ近くで、ミクリオも目を開ける。
二人はしばらく、互いの顔を見ていた。
「おはよう、スレイ」
「おはよう、ミクリオ」
それだけでよかった。
隣では、ライラがアリーシャの名を呼んでいた。
ロゼは起き上がろうとして咳き込み、デゼルに肩を押し戻されている。
「急に動くな」
「起きたばっかりで命令しないでよ」
「命令じゃねえ。止めてるだけだ」
ユトの指が、わずかに動いた。
目を開くより先に、内側へ問いかける。
「ユイ」
――いるよ。
返事はすぐに届いた。
――みんなもいる。
ユトは目を開き、周囲を見ようとした。
「全員の状態を確認します」
「遅いわよ」
エドナの声が飛んだ。
枕元には、既に記入済みの確認書が置かれている。
《浄化負担者四名、全員覚醒》
《直接接続者三名、全員覚醒》
《ユイを含む全契約当事者の人格反応を確認》
《全経路、正常終了》
《欠員なし》
ユトは、その文字を何度も読み返した。
「監視記録は?」
ザビーダが、壁際に積まれた箱を示す。
「二十年分だ。一日も抜けてねえよ」
「二十年……」
アリーシャが、小さく繰り返した。
室内にいる天族たちの姿は、眠る前とほとんど変わらない。
それでも、二十年は確かに過ぎていた。
ユトは一番上の記録を手に取った。
自分が作成した書式に、自分以外の者が観測結果を書き続けている。
「私が不在でも、記録が継続したのですね」
「そういう仕組みだったでしょ」
エドナが答えた。
ユトはしばらく、二十年分の記録を見ていた。
「……任せてよかったです」
エドナは返事をしなかった。
ただ、傘を持つ手から少しだけ力を抜いた。
サイモンが、目覚めた七人を見回す。
「幸せな夢は、これで終わりだ」
「終わってねえ」
デゼルが答えた。
「場所が変わっただけだ」
ロゼが笑う。
「加護に、本人がやっと追いついたね」
「黙れ」
やがて、部屋の扉が開いた。
その向こうには、見覚えのない制服を着た観測担当者たちがいた。
眠りについた時には子供だった者。
まだ生まれてさえいなかった者。
彼らは長いあいだ引き継がれてきた手順に従い、七人へ深く頭を下げた。
「おかえりなさい」
アリーシャが尋ねる。
「ハイランドは?」
「続いてるわ」
エドナが答えた。
ロゼも顔を上げる。
「みんなは?」
「待ってるぜ」
ザビーダの声が、少しだけ静かになる。
「二十年前のままじゃねえけどな」
失われた時間は戻らない。
年老いた者もいる。
既に会えなくなった者もいるだろう。
そのすべてを知るのは、ここからだった。
スレイは身体を起こした。
まだ力の入らない足を、ミクリオが隣から支える。
スレイは一度だけその腕を見て、それから何も言わず、自分でも床を踏んだ。
ユトも響筆を取った。
二十年後、最初の記録を空中へ記す。
《長期浄化、終了》
《全員、帰還》
そこで筆が止まった。
夢の中で最後に書いた一文を思い出し、その下へ続ける。
《全員、引き続き同行》
《次の目的地は、二十年後の世界》
七人は、内側のユイと共に、二十年前に残した帰り道の先へ、そろって一歩を踏み出した。