セルディア原第一調査拠点。
滞在三十二日目。
ユトは朝から、昨日までに測定したユイの加護範囲を地図へ書き込んでいた。
地脈の流れについては、エドナの協力を得て大まかな位置を記録している。
完全に一致しているわけではない。
しかし、地脈の強い場所ほど、天族を知覚できる範囲が広がる傾向はあった。
『現時点で、複数地点において同傾向を確認』
書く。
その下に、
『地脈以外の条件について、継続して比較が必要』
と付け加えた。
「まだ断定しないの?」
ロゼが言った。
「はい」
「三十二日やってても?」
「日数と因果関係の確定は別です」
「そうだね」
もう慣れていた。
その時。
「おーい!」
遠くから声がした。
ユトが顔を上げる。
荷車が一台、草原をこちらへ向かってくる。
ここ数日、セルディア原を訪れる者は少しずつ増えていた。
天族と話したい者。
昔の祠について聞きに来る者。
ユトに憑魔について相談したい者。
そうした人々を目当てに、食料を持ってくる商人まで現れ始めている。
だから荷車そのものは珍しくない。
しかし。
「セルディア原第一調査拠点の、導師ユトってのはいるか?」
御者台の男が言った。
ユトが立ち上がる。
「私です」
「よかった。合ってた」
男は荷台から、小さな束を取り出した。
「手紙だ」
「……手紙?」
「ああ」
ユトが受け取る。
宛名を確認する。
『スラガ公国セルディア原第一調査拠点導師ユト』
確かに、自分が返信先として書いたものだった。
「届いたね」
ロゼが横から覗き込む。
「はい」
「住所として機能したね」
「所在地です」
「まだ言うんだ」
「行政上の住所として登録されていませんので」
「でも手紙届いたよ?」
「郵便物が到達可能であることと、行政上の住所であることは――」
「分かった分かった」
男が二人を見る。
「何の話だ?」
「分類についてです」
「聞かなきゃよかった」
ユトは手紙を見る。
それから、男を見る。
「どの経路でこちらまで届いたのでしょうか」
「そこから聞くのか?」
「はい」
ロゼが笑った。
「聞くと思った」
男は頭を掻く。
「俺も全部は知らねえよ。南の方で、『セルディアへ行く奴がいたら渡してくれ』って回ってきたんだ」
「どちらから?」
「旧街道の向こうだな」
「ハイランド側から直接?」
「いや。何人か挟んでると思うぞ」
「受領者の記録は?」
「そんなもん取ってねえ」
「紛失時の追跡は?」
「知らねえよ!」
「そうですか」
ユトは記録した。
『現状、ハイランド―セルディア間の郵便物は、既存の商人・旅人等による非定期的な中継によって到達可能。ただし経路追跡困難』
「今ので調査一個増えた?」
ロゼが聞く。
「はい」
「手紙読む前に?」
「忘れる可能性がありますので」
「ユトだなあ」
***
最初の手紙は、スレイからだった。
ユトが開く。
読み始める。
数行で止まった。
「どうしたの?」
「遺構の配置図が見たいそうです」
「やっぱり」
「使用されている石材、刻印の有無、建物同士の位置関係についても質問があります」
「楽しそうだね」
「はい」
「スレイが?」
「おそらく」
「ユトもでしょ」
「調査項目として有用です」
手紙の後半には、
『昔の導師が何をしていたのか、すごく気になるな。時間ができたら見に行ってもいいか?』
とあった。
「来たいって」
「歓迎します」
「即答」
「拒否する理由がありません」
ユトは返信用紙を取り出す。
「もう返事書くの?」
「質問がありますので」
「まず全部読もう?」
「……そうですね」
紙を置いた。
次。
ミクリオ。
こちらは、封を開いた段階でロゼが言った。
「長い」
「はい」
「ユトの手紙に対する返事だから?」
「関係は不明です」
「絶対関係あるよ」
ミクリオの返信には、ユトが送った測定結果について細かな質問が並んでいた。
地脈の流れと知覚範囲のずれ。
天族ごとの差。
人間側の霊応力による変動。
地形の高低。
古い建造物が地脈の集中地点と一致するかどうか。
ユトは途中から別紙へ何かを書き始めた。
「今度は何?」
「追加調査項目です」
「増えた」
「はい」
「嬉しそう」
「有用な指摘ですので」
ミクリオの最後には、
『昔の導師がここで地脈を研究していた可能性があるなら、建物そのものより、周囲に術式や測定の痕跡が残っていないか確認した方がいい。石碑や祭壇に見えても、用途を決めつけないこと』
と書かれていた。
ユトが頷く。
「妥当です」
「相性いいね、研究になると」
「以前からそうだと思います」
***
ライラの手紙は、それほど長くなかった。
木箱についての返事だった。
ユトが読む。
『夜間について、そこまで定義したのですか?ユトさんらしいですわ』
ロゼが吹き出した。
「ライラにも言われてる」
「何をでしょうか」
「ユトらしいって」
「そのようですね」
続きを読む。
『暗所を作るだけでは作動しないのでしたら、術式が「暗い状態」ではなく、「夜間」という条件そのものを解釈しているように見えますね。
日の入りと日の出を境界としているのか、それとも別の基準があるのでしょうか。
結果が分かりましたら、ぜひ教えてくださいませ』
ユトは少し考えた。
そして紙を取る。
「何書いてるの?」
「境界条件の追加測定です」
「やっぱり増えた」
「ライラさんも気になるとのことでしたので」
「たぶん『実験増やしてください』って意味じゃないと思うよ」
「しかし確認すれば回答できます」
「そうだね……」
ロゼは諦めた。
***
アリーシャからの返事は厚かった。
「これ一番多くない?」
「はい」
「やっぱり行政の話?」
「そのようです」
ユトは読み進める。
所属共同体と現在地を分けて扱う住民記録について。
固定住所を前提としない行政について。
複数共同体間の問題のみ公国側が調整する構造について。
ハイランドの制度と比較した場合に、どこまで応用可能か。
アリーシャ自身の考えも書かれている。
「熱心だね」
「アリーシャさんの目標と関係する内容ですので」
「嬉しい?」
「役に立つのであれば、送った意味があります」
最後の方で、ユトの目が止まった。
「何?」
「質問があります」
「何て?」
「『第一調査拠点とは、どの程度の規模なのだろうか』」
ロゼが周囲を見る。
天幕。
観測杭。
荷物。
木箱。
「なんて答えるの?」
ユトは既に書き始めていた。
『研究用天幕一張。
簡易調理設備一式。
地脈及び加護範囲観測用杭――』
「そこまで聞いてないと思う」
「規模についての質問です」
「うん」
「正確に回答します」
「アリーシャ、たぶん想像してるものと全然違うだろうなあ」
***
束の中には、サイモンからの手紙もあった。
「サイモンから?」
「はい」
彼女は現在、セルディアには同行していない。
別地域で、認識阻害や幻術による視界異常についての比較調査を続けていた。
手紙には、その途中経過が簡潔に記されている。
『現時点で、既知の幻術と完全に一致する現象は確認できていない』
ユトが読む。
『セルディア原において、地脈条件による知覚範囲の変動を確認したとのことなので、発生地点周辺の地脈条件についても再確認する。
詳細な測定結果があるなら送ってくれ』
「送ります」
「即答だね」
「共同研究ですので」
ユトはミクリオ宛てとは別に、セルディアの測定結果を複写するための紙を用意した。
「仕事増えてない?」
「研究です」
「もっと増えてるじゃん」
「はい」
やっぱり嬉しそうだった。
***
その日の午後。
別の男が、小さな包みを持ってきた。
「導師」
「はい」
「南へ行く奴から預かった」
「私宛てでしょうか」
「たぶん」
中身は、数日前、食料を売りに来た商人へ調達を頼んでいた紙とインクだった。
ユトが受領する。
「ありがとうございます」
男は頷いた。
「また何かあったら、ここに置いとけばいいか?」
「私が不在の場合でしょうか」
「ああ」
ユトが周囲を見る。
現在、第一調査拠点には、郵便物や荷物を預かる者はいない。
「紛失の可能性があります」
「じゃあどうする?」
ユトは少し考えた。
「保管場所を設けます」
ロゼが振り返る。
「何作るの?」
「受領物の一時保管場所です」
***
翌日。
第一調査拠点の天幕の横に、新しい木箱が置かれた。
今度の箱は光らなかった。
夜だけ開くこともない。
昼になって勝手に閉じることもない。
普通の木箱だった。
蓋の上には札がある。
『導師ユト宛受領物一時保管箱』
ロゼが読んだ。
「郵便受け」
「違います」
「何が?」
「手紙以外の荷物も想定しています」
「じゃあ宅配箱?」
「受領物一時保管箱です」
「長い」
「内容が明確です」
「これ盗まれない?」
「その点は検討中です」
「光る箱より先にそっち研究した方がいいんじゃない?」
「用途が異なります」
ロゼが笑った。
そこへ、近くを通りかかった男がやって来た。
「あ、それか」
「何でしょうか」
「導師に渡す物、本人いなかったらそこ入れりゃいいんだろ?」
「はい。ただし、貴重品については――」
「分かった分かった」
男は去っていった。
ユトが何か書こうとする。
「今のも記録するの?」
「運用上の注意事項が必要です」
「やっぱり」
***
ザビーダとアイゼンへの手紙は、まだ届いていなかった。
二人は海に出ていた。
セルディア原から南へ、ハイランドを経由し、さらに港へ。
そこから手紙は、何人かの手を渡った。
しかし、届ける相手が地上にいない。
結局、その手紙は港町の一角で、しばらく二人の帰りを待つことになった。
***
数週間後。
久しぶりに寄港したザビーダとアイゼンへ、天族の見える人間から手紙の束が渡された。
「俺様に?」
ザビーダが受け取る。
「誰からだ?」
アイゼンが覗く。
差出人を見る。
「ユト坊か」
「俺にもあるな」
船を降り、荷物の確認を終えてから。
二人は港近くの岩場に腰を下ろして手紙を開いた。
ザビーダが読む。
セルディア原。
古い居住跡。
かつて何人もの導師が訪れていたらしいこと。
強い地脈。
ユイの加護の知覚範囲が、通常より広がっていること。
地点ごとの測定。
仮説。
追加観測。
断定保留。
さらに。
夜間だけ開放可能な木箱。
昼間は自動的に閉鎖。
夜間だけ発光。
暗所では代用不能。
現在、「夜間」の判定条件を追加調査中。
返信先。
『スラガ公国セルディア原第一調査拠点導師ユト』
ザビーダの手が止まった。
「……」
アイゼンが自分の手紙から顔を上げる。
「どうした?」
「いや」
ザビーダはもう一度、手紙を見る。
『現時点では因果関係を断定できません』
『追加観測を予定しています』
『複数条件で比較を継続します』
見覚えのある文章だった。
別に、同じ研究ではない。
内容は違う。
今回は地脈もある。
加護もある。
木箱は実際に光っている。
観測対象も存在している。
だから何も問題はない。
何も。
ザビーダは遠くの海を見た。
「……ユト坊、相変わらずだな」
「何がだ?」
アイゼンが聞く。
「いや……なんつーか……」
ザビーダは答えなかった。
アイゼンは首を傾げ、それから自分の手紙へ戻る。
「セルディア原か」
「ん?」
「昔の導師が集まっていたなら興味深い」
「お前も行く気?」
「機会があればな」
潮風が紙を揺らした。
その頃。
セルディア原第一調査拠点の横には、天幕が一張。
観測用の杭が多数。
発光する実験用木箱が一つ。
普通の受領物一時保管箱が一つ。
そして。
昼になると食料を売りに来る商人が、一人いた。